制限行為能力
Y(1939年生まれ)は、2009年頃から認知症の症状が現れ判断能力が著しく低下してきたため、子のAが事実上の後見人としてその財産の管理を行っていた。Xは、2004年にYの所有する甲建物を賃借して、以来そこで飲食店を営んでいる。Yが認知症になってからは、Xからの香典や賃貸借契約の更新の交渉はAがXとの間で行っていた。2019年1月に甲建物を含む一帯の土地にB会社が等価交換方式でビルを建設する計画が浮上し、それに伴い甲建物は取り壊されることになった。その際、Xはいったん甲建物から立ち退き、ビルの完成後にYが取得する専有部分の建物(乙建物)を賃借するとの賃貸借の予約がXY間でなされた。その際、Aは、管理していたYの実印や印鑑登録カードを利用してYに無断でYの代理人として賃貸借の予約を締結した。また、この契約には、Yの都合で賃貸借の本契約を締結することができないときはYがXに3000万円の損害賠償金を支払うという特約が付されていた。2021年2月にビルは完成したが、直前にAはXに対して賃貸借の本契約の締結を拒む意思を示し、さらに同年3月にYに無断でYの代理人として乙建物を1500万円でCに売却した。そこで、XはYに対して特約に基づいて損害賠償の支払を求める訴えを提起した。一方、Aは2021年4月に家庭裁判所に対してYの後見開始の請求をし、同年5月に家庭裁判所は後見開始の審判をしてAをYの成年後見人に選任した。そして、Aは、Xの損害賠償請求訴訟において、本件賃貸借の予約は無権代理であり、後見人としてその追認を拒絶するか有効であると主張した。この場合において、Xによる3000万円の損害賠償請求は認められるか。[参考判例]① 最判昭47・2・18民集26巻1号46頁② 最判平3・3・22集民162号227頁③ 最判平6・9・13民集48巻6号1263頁④ 最判平26・3・14民集68巻3号229頁[解説]1 成年被後見人の無権代理行為と追認の追認、追認拒絶本問は、Yの所有する甲建物と等価交換で取得されることになる乙建物につきAがYの代理権なくしてXとの間で賃貸借の予約をし、その場でYについて成年後見の審判がされ、Aが後見人になったという事案である。賃貸借の予約の当時にYに意思能力がありAに代理権を与えていたとは有効な代理行為があったといえるが、そのような事情なしにAがYの印と印鑑登録カードを利用してYに無断で賃貸借の予約を締結したのであれば、これはAによる無権代理となる。代理権をもたない者が本人の代理人として無権代理行為を行った場合、表見代理の要件を満たすか(109条~110条、112条)、本人が追認しない限り(113条)、本人にこの行為の効果は帰属しない。成年後見が開始する前から目を付け、本人が成年後見の審判を受けているときは、成年後見人が法定代理人として追認または追認拒絶をする。民法は、精神上の障害により判断能力が十分でないため単独で有効な法律行為を行うことを制限される者を判断能力者とし、判断能力の程度に応じて成年後見人、被保佐人、被補助人の3類型を設けている。この成年後見・保佐・補助制度は、高齢化社会におけるノーマライゼーションを目的とし、高齢者の自己決定と意思の尊重を図るべく1999年に禁治産・準禁治産に代わり設けられたものであるが、特に成年後見制度は、精神上の障害により事理弁識能力を常に欠く状況にある者という判断能力の最も不十分な段階の者を対象とすることから、後見人の職務には被後見人の財産の管理、住居・療養看護等に関する法律行為およびこれらに関連する身上保護上の事務が含まれる(858条)。そして、後見人の財産について後見人は広範な管理権および法定代理権を有し、被後見人が契約の締結や財産の売買や賃貸等を行うことができる(859条)。無権代理に対する追認・追認の拒絶も、この民法859条の範囲の行為として後見人が行うことができる。本問ではYは無断で乙建物の賃貸借の予約が締結され、その後にYは成年後見の審判を受けたのであるから、後見人が追認しない限り無権代理行為の効力が被後見人であるYに及ぶことは原則としてない。しかし、本問では無権代理人であるAがYの後見人に選任されており、この場合、Aが自ら行った無権代理行為を本人Yのために追認拒絶することができるとすると、その追認拒絶は矛盾したとしてもこれは信義則に反し許されないのではないかという問題が生じる。なお、1999年の民法改正で、成年後見人が被後見人の居住用不動産を処分するには家庭裁判所の許可を要するとする859条の3が新設された。後見人は被後見人の身上配慮義務(858条)を負い、居住の場は被後見人の身上に重要な意味をもつことから、後見人の包括的な財産管理権・代理権に対する特則として置かれたものである。建物の解体や贈与は実行行為であるが、解体等も業者に依頼するときは請負契約などが締結されるのであり、裁判実務では処分行為に準じて許可を要すると扱われている。本問で甲建物が仮にYの居住用不動産であったとしたら、後にAがYの成年後見人に選任されたとしても、甲建物の取壊しに必要な家庭裁判所の許可がそもそもない点が問題となりうる。859条の3の家庭裁判所の許可のない行為は無効と解されており(無権代理と解する少数説もある)、無権代理人であるAの後見人就任を契機とするAによる追認拒絶の可否と無権代理行為の追認を論ずるまでもなく、原則として甲建物の取壊し、乙建物への建替え、Xへの賃貸の予約は無効と扱われるべきものと考えられる。2 無権代理行為を追認拒絶できる者の地位無権代理人の地位と無権代理行為を追認できる者の地位が同一人に帰した場合、当該行為の追認拒絶が可能かについては、無権代理人と相続の場合に同様の論点があらわれる。特に、本人と類似するのは無権代理人が本人を単独相続したケースであり、判例は、本人と無権代理人との資格が同一人に帰したことにより本人が自ら法律行為をしたのと同様の法律上の地位を生じたと解し、追認拒絶はできないとする(最判昭40・6・18民集19巻4号615頁)。ただし、このような無権代理人の本人単独相続の事例を含む無権代理と相続(→本書22)では、相続によって「無権代理人の地位」と「本人の地位」が同一人に帰属するときに追認拒絶が可能か、追認拒絶ができないか、この可否が同様に無権代理行為の問題であると考えることができる。そして、本人であるYの側からすれば、無権代理人であるAの追認拒絶は、無権代理行為の効果が被後見人であるYに帰属する点で、同一に考えることはできない。本問では、無権代理人Xと賃貸借の予約を締結した後、Yの成年後見人となった。前述1のように後見人は被後見人の財産に関する包括的な管理権および代理権を有し、無権代理行為の追認・追認拒絶もその権限の一環として後見人の権限に含まれる。ただし、後見人は被後見人の財産管理について善管注意義務を負っており(859条・644条)、これに違反して後見人に損害を与えた場合には損害賠償義務が生じる。このことからすれば、追認・追認拒絶権の行使に際しても後見人は後見人に対して善管注意義務を負うのであり、本問でAが無権代理行為を追認するか拒絶するかについても被後見人Yの利益を最も考慮して判断すべきであるといえる。それにより、Aは善管注意義務を尽くしたということができる。このように考えると、たとえA自身が無権代理人としてXと契約をしたとしても、後見人となったことによりAは法的地位として質的な変更が生じたとみることができ、後見人として本件賃貸借の予約の追認を拒絶することは妨げられないと考えることができる。Aの後見人就職前の挙動の矛盾のみを捉えて、追認拒絶を否定する、ないしその追認拒絶が信義則に反するということはできないというのである。これを踏まえたうえで、さらに、AがYとの間で行った無権代理行為をYの後見人として追認拒絶することが信義則の作用の具体的な事情からみて信義則に反するかどうかを検討する必要がある。3 後見人による無権代理行為の追認拒絶と信義則後見人の広範な財産管理権および代理権に鑑みれば、後見人の利益と合致し善管注意義務に反しない限り、無権代理行為の追認を拒絶したとしても信義則違反には当たらないといえる。ただし、本問では、AはXと乙建物の賃貸借の予約をするに当たり、Yの都合で賃貸借の本契約を締結できないときはYが3000万円の損害賠償を支払うとの特約を付しながらも、乙建物完成直前に本契約の締結を拒絶している。また、Aは、完成後の乙建物を1500万円でCに売却してこれを実現した。これらは、Aが後見人として賃貸借の予約の追認を拒絶することがYの利益に合致し、善管注意義務を尽くしたといえるかが検討されなければならない。そして、Aは、追認を拒絶するか否かを決定するに際してはその時点での状況やYの利益を考慮し民法859条の権限を行使すべきであることに鑑みると、追認拒絶の信義則違反に当たるか否かの判断もこの時点が基準となると考えられる。本問では、Aが後見人となった時点でYに賃貸借の予約および乙建物のCへの譲渡という2つの無権代理行為がなされており、Aはこの2つの行為をするとともに事情をも踏まえたうえで、Yの利益と不利益を勘案し、Xとの賃貸借の予約を追認するか拒絶するかを判断することが求められる。後見人による追認拒絶が信義則違反の具体的な判断について、判例には、①無権代理人が後見人となったことによって追認されるべき行為をしたものとする行為を追認するか否かと同一人がとなり、②無権代理人が後見人就任前から事実上後見人の立場で財産を管理していたこと、それに付き信義則にも異議がなく、③当該行為に際し後見人と被後見人の間に利益相反がないこと、④代理権の行使上何ら制限がないこと、⑤無権代理行為の後見人は自己の利益を図ることはできず、無権代理人が後見人に就職するとともに当該行為はAにおいて効力が生じるとするものがある(参考判例①)。ただし、この参考判例①は事実審判決であり、未成年者の財産を無権代理人から譲り受けた者と未成年者自身からその成人後に譲り受けた者との争いにおいて、両者が対抗関係に立つか否かの判断の前として、後見人の追認拒絶についてどう考えるか、成年後見であるのであって、未成年者の利益保護と関連した問題ではなかったのである。したがって、成年後見人の利益保護が問題である本問では、成年後見人の追認拒絶の権利を後見人である無権代理人であったAと相手方Xとの間の利益較量により後見人であるAの利益が優先するところまではいえない。本問により近いのは参考判例③である。参考判例③は無権代理人(本人の長姉)ではなくその妹(本人の次姉)が後見人に就任した事案である見人が無権代理行為を追認拒絶することが信義則に反するかどうかの判断要素として、②契約締結に至るまでの無権代理人と相手方との交渉経緯および無権代理人が契約締結前に相手方との間でなした法律行為の内容と性質、③本件契約の追認により被後見人(参考判例①では禁治産者)が被る経済的不利益と追認拒絶により相手方が被る経済的不利益、④契約締結から後見人就職までの間の契約の履行等をめぐる交渉の経緯、⑤無権代理人と後見人との人的関係および後見人が就職前に契約の締結に関与した行為の程度、⑥本人の意思能力につき相手方が認識しまたは認識し得た事実を挙げる。特に重要なのは③であり、本問でも無権代理行為の追認または追認拒絶による本人Yと相手方それぞれの経済的不利益の比較考量が重要となる。そして、そこではAによる追認拒絶が無権代理違反というためには、少なくとも本件賃貸借の予約がYにとってもその利益に違う合理的なものであることが前提となると解することができる。それにより、本問で3000万円の損害賠償の予約が甲建物の賃借権を放棄するXの不利益に比して過剰であり、客観的観点からみてYにとって不利益な場合であった場合には、追認拒絶は正当であって信義則違反に当たらないと考えられる。反対に3000万円の損害賠償の予約が合理的であったときは、本件予約の締結に至ったAとXとの交渉の経緯(②)、予約成立からAの後見人就職までの間のX・A間の信頼関係や信頼関係を破壊するような事情の有無(④の①)、Yの意思能力に関するXの認識可能性(⑥)等を考慮のうえ、Aによる後見人としての追認拒絶の可否を決すべきことになろう。なお、後見人による追認拒絶が信義則に反し許されないとされる場合であっても、後見人が当該無権代理行為を追認したものでない以上、被後見人に効果は帰属せず、相手方は催告権(114条)や取消権(115条)を行使できるにとどまるとする見解がある。しかし、判例と多数説は、この場合信義則上追認拒絶が認められない結果当該行為の効果は本人に及ぶ(すなわち追認を擬制する)と解している(参考判例①②)。4 相手方の権利の保護ところで、一般に、後見人が無権代理行為の追認を拒絶すると当該行為は本人との間では無効が確定するが、相手方は、無権代理人に対して民法117条の責任を追及することができる。すなわち、本問でAが賃貸借の予約の追認を拒絶した場合、相手方であるXは、無権代理人としてのAに対して、特約の履行または損害賠償を求めることができる(同条)。また、本問でXは乙建物の賃貸借の予約と引き換えに甲建物の賃借権を放棄しており、Aが賃貸借の予約を追認拒絶することによってYは乙建物についての賃借権の負担を免れる結果、Xの損失においてYが利益を得ていることになる。この場合、XはYに対して乙建物の賃借権評価額相当分を不当利得として返還請求できよう(703条)。このように無権代理の相手方保護のために民法上調手段が用意されていることが考えれば、Aによる追認拒絶を信義則違反とし本人Y自身に無権代理行為の効果を帰属させるのは、民法117条や703条による救済にとどまらない相手方Xの権利保護が要請される例外的な場合であるとみることができる。参考判例①は、「後見人は、禁治産者を代理してある法律行為をするか否かを決するに際しては、その時点における禁治産者の置かれた諸般の状況を考慮した上、禁治産者の利益に合致するよう適切な裁量を行使する」ことが要請される。ただし、相手方のある法律行為をするに際しては、後見人において取引の安全等相手方の利益にも相応の配慮を払うべきことは当然であって、当該法律行為を代理してすることが取引関係に立つ当事者間の信頼を裏切り、正義の観念に反するような例外的場合には、そのような代理権の行使は許されない」と述べており、この点について到達する参考判例③④からの示唆は、後見人による追認拒絶が取引における正義の観念に反し信義則違反となる例外的な場合に当たるとの判断指標を示したものということができる。5 法定後見制度との接着と見直し制度本問は法定後見の事例であるが、もし任意後見契約が締結登記されている場合には、家庭裁判所は本人の利益のために特に必要があると認めるときに限り、後見開始の審判等をすることができる(任意後見法10条)。任意後見を選んだ本人の意思を法定後見に優先させる趣旨である。任意後見契約が選任され任意後見監督人の就任が発生した後に、本人の利益のために特に必要があると認められ法定後見開始の審判が確定したときは、任意後見契約は終了する。反対に、すでに本人につき法定後見が開始している場合において、任意後見契約が発効したときは、法定後見が終了する(任意後見法2条)。また、成年被後見人については時効の完成猶予に関する特則がある。すなわち民法158条1項は、時効の満了前6か月以内の間に成年被後見人に法定代理人がない場合、後見人の就職時から6か月を経過するまでの間は当該後見人に対して時効は完成しないと規定する。成年被後見人に後見人が付されていない場合には時効が中断措置をとることができず、その間に時効の完成を認めると後見人の保護に欠けるためである。同条は、成年被後見人すなわち「後見開始の審判を受けた者」を対象とするが、判例は、成年後見の審判を受けていなくても、時効期間の満了前6か月以内に精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者について、少なくとも時効期間の満了前の申立てに基づき後見開始の審判がされたときは、同項が類推適用されるとする(参考判例⑧)。関連問題本問のYは2010年頃まで1人暮らしをしていたが、ある日AがYを自宅に訪ね、たまたまYの預金通帳を見たところ、1000万円ほどあった預金がほとんどなくなっていることに気づいた。AがYに尋ねると、業者Dの催す宝石の展示会で宝石を買ったらいいと言われ、わかった。家の中を探したところ宝石の指輪やネックレスなど数点が見つかり、この1年の間にYはDの店で10回以上展示会に行ってこれらの宝石を購入していたことが判明した。Yは装身具にあまり関心がなく、AはYが騙された宝石を身につけているところをみたことはない。この場合において、YはDに対して宝石の返品と支払った代金の返還を求めることができるか。参考文献*田登最判解民平成6年度494頁/集管全部・百選Ⅰ14頁