研修後にやっておくべきこと
2025/09/05
(1) 報告書を提出させる研修は,大勢の従業員の時間という少なくないコストを費やして行うものである。したがって, それを極力無駄にしないよう, 効力を引き上げるようにすべきである。具体的には、受講者に対して報告書を提出させるべきである。特別なことではないと思われるかもしれないが, 実はとても有効である。ただし、報告書を提出するように漠然と指示しても, 一から作成をすることは, それこそ講師と同じようなことをやらせることにも等しく、うまくできないだろうし、効果もあまり上がらない。そこで、報告書においては, フォーマットを提供し, その中には, 研修の内容について, 具体的な質問 (Q) や解説 (A) を盛り込んでおくべきである。また、記憶がはっきりしている早い時期に提出を求めるべきであり,さらに, 受講者全員に提出を求め, かつ, 提出された報告書は, 保管をしておくべきである。(2) 報告書に盛り込むべき内容まず、研修を実施した場所, 時間について記載しておくべきである。これに何の意味があるか, 不思議に思われるかもしれないが, (3)以下において触れるように、研修には, 研修により知識を身につけてもらうということと、注意する意識を持ってもらうということ、それだけではなく, 研修を実施したという事実の記録を残す, それを活用するという意義がある。したがって, 研修を周到いなく実施したという記録として, 各人の作成する報告書には, 場所や時間を記載させておくことが必要である。次に、研修の内容について, ごく簡単でいいので, 質問形式で答えさせておくべきである。具体的には, 報告書のひな型, フォーマットとして, 質問 (記載) 事項を指示しておくべきである。本章3で解説した, 研修において触れるべきトピックを素材に質問票を作るとすると, 次のようなものが考えられる。頻出のネットトラブルには,どのようなものがあるか。1のトラブルの中で, 最も深刻であると思うものと, そう思う理由は何か。ネットトラブルの防止のためには, システムネットワークの管理を担当する専門家だけではなく, すべての従業員個人が責任を持ってネットトラブル予防に努めるべきであるが, その理由は何か。ネットトラブルについては, 社内における処分の他に, 責任追及がなされるが, それはどこからなされるのか。ネットトラブルは, 事件が終わった後も被害は続くが, それはどうしてか。もちろん、試験問題ではないのであるから, 詳細な回答を求める必要はないし, 記載内容が不十分だからといって特に再提出を求めることまでも必要はない。要するに、きちんと研修を実施したということ, 実施しただけでなく, 理解度の確認などまでフォローしたことを記録に残すということである。(3) 報告書を作成して集めておくメリット報告書を作成しておき, それを集めて保管しておくことのメリットは大きい。直接的には, 研修をして, 内容まで確認すれば, 各従業員は, 今後研修内容に気をつけるようになり, トラブルを未然に防ぐことにつながる。これは, ハラスメント防止研修等と同じような効用である。一方で, 法的にも重要な効用がある。具体的には, このような研修をした以上は, 違反行為が従業員にあれば, 懲戒処分を行いやすくなる。従業員は研修を受けて事前にネット利用の注意点やその重要性を理解しなければならなかったのに, それを怠って違反行為してしまった場合, 企業による懲戒処分に法的な正当性をより与えやすくなる。そして, さらに重要なのが, 企業への誹謗中傷やデマなどに対する法的措置がとりやすくなる, ということである。第1章で述べたとおり, 一度発生したネットトラブルの被害回復は非常に困難である。特に, 発信者情報開示請求, つまり, 誹謗中傷やデマの投稿者の情報の開示をプロバイダに求めるためには, 権利侵害の明白性が必要である。企業の場合には, それが労働環境や, 企業活動の適法性といった, 一応「社会の正当な関心事」である場合, その問題の不名誉な事実について, 存在しないことを証明することが求められる。このハードルは, かなり高いものである。たとえば, 顧客情報を漏えいしている, 販売している, 悪用しているという誹謗中傷があった場合, このような企業活動の違法性は, 社会の正当な関心事である。そのため, この事実について, 存在しないという一応の証明をしないと, 発信者情報開示請求は認められない。実際の証明方法であるが, 裁判所としても, そのような存在しないことの証明は一般的に難しいので, そこまで厳密な証明を要求しない。ただ, 存在しないであろうことについて, 一応の根拠をもって主張立証できれば, それで足りる, と考えている。この「一応の根拠」として, 重要かつ有益なのが, 研修を行った記録である。研修などの防止策を講じていたことは, 裁判所が一応の根拠として採用してくれる傾向にある。話は, ネットトラブルから離れるが, セクハラやパワハラの事実を指摘する投稿については, 予防研修や通報・相談窓口の存在が, 発信者情報開示請求を認めてもらうにあたっての重要なポイントとなる。このような研修や体制の整備というのは、事件が起きてからでは遅い。また、どんなに優れた弁護士に依頼しても、事前に研修などの対策を実施していないと、発信者情報開示請求は困難になる。まさに、企業の法務担当者しかできないことであるので、ぜひ、励行するようにされたい。最後に、これは法律上の問題ではなく、事実上の話であるが、ネットトラブル、特に情報漏えいや不適切な情報発信については、非難が集中する、いわゆる炎上が発生しやすく、かつ、なかなか終わらない。ただし、このような研修の実施の事実は、「対策をしていたのに発生してしまった」ということで、非難を減少させる効果もある。要するに、研修の実施の事実は、事故の予防につながるし、発生時の損害も減少させることができる。そして、法的措置においては強力な武器になるということがいえる。通常、研修というと予防ばかりを意識しがちであるが(もちろん、それが主目的である)、ネットトラブルにおいては、法的紛争で「勝てる」ようにする武器にもなるのである。
『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年
ISBN978-4-502-4541-7