自白の撤回
X工務店は、Yから2023年5月にYの自宅の水周りの工事の依頼を受け、工事を完成させたが、Yが報酬代金を支払わないので、その支払を求めて訴えを提起した。この訴訟の中で、Yが同年8月10日には工事を完成させてYに引き渡したと主張し、Yの代理人であるA弁護士はその事実を認める旨の陳述をした。しかしながら、後に調査したところ、YがXに依頼した水周りの部分から、水道管の工事が未完成で引渡しを受けていないことが判明したため、YおよびAは自白を撤回したいと考えている。どのような事実を主張・立証すれば自白を撤回することができるであろうか。●参考判例●① 最判昭和41・12・6判時468号40頁●解説●1 裁判上の自白の効果弁論主義の第2テーゼより、当事者が自白した事実については、裁判所はこれを判決の基礎としなければならない。このような効果を、自白の裁判所拘束力、あるいは不可争効という。そして自白した事実は証拠調べを要しない(179条)。これを不要証効という。また、その結果、自白当事者の相手方は立証の負担が免除されるので、このような信頼を保護するため、反対の規定から、自白当事者はこの自白の撤回を制限される。これを不可撤回効という。2 自白の撤回の要件(1) 判例 判例によると、一定の場合に自白の撤回が認められる。まず、相手方が撤回に同意した場合である(最判昭和34・11・19民集13巻12号1500頁)。この場合、撤回権の根拠が相手方の信頼の保護や、それに対する相手方の信頼の保護にあるため、相手方がこのような利益を放棄するに際して、撤回を認めてもかまわないからである。また、自白が、相手方の刑事上罰すべき行為によって行われた場合にも、民事訴訟法338条1項5号の趣旨に照らして撤回が可能である(大判昭和15・9・21民集19巻1644頁、最判昭和33・7・民集12巻3号469頁)。ただし、有罪判決が確定するまでは撤回はできない。さらに、自白が真実に反し、かつ自白の錯誤に基づいてなされた場合にも撤回が認められる(大判大正14・9・29民集21巻1530頁)。錯誤とは事実にあり、錯誤について無過失であることは必要ない(参考判例①)。しかし、不真実の証明がなされた以上は、錯誤が推定される(最判昭和25・7・11民集7巻7号316頁)。(2) 学説 相手方の同意がある場合、および刑事上罰すべき行為に基づく場合に自白の撤回ができる点については争いがない。しかしながら、反真実および錯誤要件については、裁判上の自白の意義、不可撤回効の根拠の捉え方によって、見解の相違がみられる。判例と同様の立場を採る見解によれば、自白した当事者は、自白した事実が真実ではなく、かつそれが錯誤に基づいてなされたことを説明しなければ自白を撤回することができない。自白の拘束力が認められるのは訴訟における真実性の発見が重要であるため、相手方が、不利益な事実について陳述した以上は、当該事実が存在する蓋然性が高いという経験則も関係しているので、真実を重視する立場を採る。無制限に撤回を認めると事実を遅延・混乱させる目的で自由に自白を撤回する可能性もあるため、自白の錯誤に基づく場合に撤回を制限すべきであるとする。さらに、判例の要件のうち、反真実要件のみが必要であるという見解と、錯誤のみが必要であるという見解がある。反対要件のみを要求する見解は、錯誤を錯誤とする事実と争点がずれて訴訟が錯綜する可能性を懸念するとともに、自白による相手方の証明責任を免除し、相手方の信頼保護という効果を重視する。争いのないものの、訴訟に現れた裁判上の自白は、相手方が証明責任を負う事実についてなされるのであり(証明責任説)、これを前提とすると、自白を撤回するためには、本来証明責任を負担していなかった事実について、その不存在を証明しなければならない。したがって、相手方の証明責任が免除されるという効果は残ることになる。ただし、自白を撤回するために反真実という証明が成功したのに、裁判解除は行えることになる。また、自白の撤回権の要件を厳しくしすぎると自白の成立が難しくなるので、それを避けるべく、一方では自白の成立を認めつつ、相手方に信頼を惹起した制裁として反真実の証明という制裁のみで緩やかに撤回を認めるべきであるという見解も、ここに分類される。他方で、錯誤があれば自白の撤回、あるいは取消しの主張ができるという見解もある。これは、裁判上の自白を、単なる自己に不利益な事実の陳述と捉えるのではなく、事実を争わない意思として捉える近年の学説の傾向でもある。自白の意思的要素を重視するので、錯誤という意思表示の瑕疵を立証すれば撤回は可能である。ただし、自白の効力は効果意思に係るものではないので、ここでいう錯誤とは表示意思と効果意思の不一致ではない、動機の錯誤である。また、裁判上の自白を、自白対象事項を訴訟の争点から排除する当事者の明確な意思表示であると理解する近時の見解も、反真実を理由に自白の撤回を認めると、反真実性の立証が必要となり、争点整理を効果的に行い、権利対象を排除するという自白の目的に反する結果になるので、動機の錯誤の明確化として処理する。そのため、民法の規定によると、動機が相手に明示または黙示に表示されたことが必要となる(民95条2項)。ただし、錯誤を重く置く立場でも、実際には錯誤の立証は困難であるため、それに代わるものとして反真実の証明を認める見解もある。そもそも、その錯誤の立証が必要であるとしても、何に対する錯誤が必要であるか。その対象が明らかか。例えば、事実を真実であると誤信する錯誤としているようであるが、重要な争点を重要でないと誤解して自白をすることもありうる。また、事実を真実と誤信して自白した場合であっても、動機の錯誤であるので、当然には撤回はできないはずだからである。この立場によると、錯誤の立証、撤回の立証に必要な事項については判例の立場に近づくが、本質的には錯誤を要件となっているので、まずは錯誤を主張させ、その反真実の立証に入らせる運用が望ましいとされる。3 本問の場合判例の立場であれば、自白した事実が真実に反することの立証に成功すれば、自白が錯誤に基づくことも推定されるので、自白を撤回することは可能である。本問では、Xの工事が未完成であること、およびYが調査済みであると自白したことが、完成について争う必要がない点について錯誤があったことなどを立証することが必要となる。ただし、本問では、自白したのが弁護士であり、錯誤に基づいて自白した点につき過失があった点をどのように評価するかも問題となる。判例によれば、錯誤に陥った点につき自白者の過失の有無は問わないので、過失があっても撤回することができる。この点、動機の錯誤に関する意思表示理論を適用して、少なくとも重過失に基づく場合には自白の撤回を制限すべきであるという見解もある。この見解によれば、無過失か軽過失の場合にのみ撤回ができることになる。●参考文献●重点講義(上)499頁 / 田村陽子・百選112頁(杉山悦子)