証明妨害
Xは、自己所有の自動車についてY保険会社との間で自家用自動車総合保険契約(本件保険契約)を締結していたが、Xから自動車を借り受けたAが交通事故を起こし、自動車が全損したので、Yに対し車両保険金の支払を求め本訴を提起した。この中で、Yは、保険料分割払特約によると、分割保険料の支払の支払時期経過後1か月以上遅滞したときは、支払期日以降に生じた保険事故について保険金を支払わない旨の約定があったところ、Xは本件事故当時、すでに3か月分の分割保険料の支払を遅滞しており、保険金の支払義務は免れるという抗弁を提出した。これに対してXは、本件事故発生の前日に遅滞分の分割保険料相当の現金および小切手をYの保険代理店に持参したが、Yの代理店は保険料の支払について領収書に日付を記入しなかったために、支払日を立証できないと主張するとともに、このような場合にまで、Yが保険料支払を拒絶することは信義則に違反して認められないと反論した。裁判所は、YがXによる支払日の立証を妨げたことを理由に、Yの抗弁を排斥することはできるか。参考判例① 東京地判平2・7・24判時1364号57頁② 東京高判平3・1・30判時1381号49頁③ 大阪高判昭55・1・30判タ409号98頁④ 新潟地判昭和46・9・29下民集22巻9=10号1頁解説1 証明妨害理論とは証明妨害とは、訴訟当事者が、故意または過失により、相手方による証拠の収集・提出を困難にしたり妨害した場合に、その効果として、妨害された当事者の主張について訴訟上有利な扱いを認める法理である。この法理が、明文で認められている場合がある。例えば、民事訴訟法224条1項~3項によれば、当事者が文書提出命令に従わないときは、相手の申立てを妨げる目的に提出命令ある文書を滅失させたり、使用不能とした場合には、その文書に関する相手方の主張を真実と認めることができる。さらに、同条3項では、加えてその文書によって証明すべき事実に関する相手方の主張を真実と認めることもできると認める。同法208条は、当事者尋問で、当事者が、正当な理由なく出頭せず、または宣誓や陳述を拒んだときは、裁判所が尋問事項に関する相手方の主張を真実と認めることができるとし、同法229条4項も、挙証対照用文字の筆記を拒絶した場合などに、裁判所が、文書の成立の真否に関する挙証者の主張を真実と認めることができるとする。このように実体法で定めがある場合以外にも、証明妨害法理を適用することが認められるかが問題となる。例えば、医師が法律上作成を義務付けられているカルテの作成を怠ったり、破棄するなどして、患者の立証行為を妨害するような場合には、明文規定がなくても、証明妨害法理を用いて対処する必要がある。この点、一般論として、明文規定がない場合にも証明妨害法理を適用することは認められているが、その根拠・要件・効果については見解が分かれる。2 証明妨害の根拠・要件・効果(1) 根拠 証明妨害の根拠について、経験則を根拠とする見解、実体法上の義務を根拠とする見解、信義則を根拠とする見解がある。経験則を根拠とする説は、相手の証明活動を妨害するのは、それが不利な証拠である可能性が高いという経験則に基づき、妨害者に不利な扱いをすることを認めるものである。しかしながら、故意による妨害の場合はともかく、過失による妨害の場合に、このような経験則が働くとはいえず、証明妨害のすべてのケースをカバーすることはできない。そこで、実体法上当事者が証拠を保全する義務を負うとか、訴訟法上一般に、真実解明のために相手方の主張・立証活動に協力する義務があり、これらの義務に違反するという見解もある。もっとも、実体法上このような義務が規定されている場合は限られており(民 666 条・685 条等)、かつ、明確なき訴訟法上の協力義務を当事者に負わせることは困難である。そのため、当事者間の信義則(2条)を根拠に、当事者に相手方の証明活動を不当に妨害してはならない信義則上の義務を負うと説明する見解が多数である。(2) 要件 証明妨害が成立するためには、客観的要件として、①証拠方法の作成・保全する義務に違反すること、②それにより相手方の証明活動が困難になったことが必要である。例えば、土地所有権確認の訴えにおいて、被告が土地の占有を侵害して物標、道標を行い、土地の境界を明示していた境界の境界標、杭、里道などの目標を破壊して、原告の占有する土地の範囲の立証を妨害し、民法188条に基づく所有権の範囲の立証を妨害するような場合がこれに当たる(参考判例④)。また、工場が河川に有害物質を流出して周辺住民に中毒症を起こした場合に、工場内の有害物質の製造工程図を焼却したり、調査をせずにプラントを全撤去したために、工場が原因物質を排出したことの立証が困難になる場合もこれに当たる(参考判例③参照)。加えて、主観的要件として、当該違反行為につき故意・過失があることが必要である。ただし、重過失に限定するか、あるいは軽過失の場合も含まれるかについては、見解が分かれる。(3) 効果 証明妨害の効果については、さらに見解が分かれ、証明責任を妨害者側に転換することを許容する説(証明責任転換説)、自由心証の枠内で事実上の推定を行い、妨害者に有利な事実認定をすることを許容する説(事実推定説)、あるいは証明妨害がある場合に証明妨害を認めるに対しては、画一的な処理しかできないという批判があるが、証明責任を軽減する見解も、軽減の程度によっては、事実上証明責任を転換したのと同じ結果になり得る。また、事実上の推定を用いる見解は、挙証責任の証明度を下げて、相手方に証拠提出責任を課すことになるため、証明責任を軽減する見解と大差がない。そこで、最近では、裁判所が事案の不存在について証明度が達している場合でも、当該事実の存在を認定することができる、つまり、真実擬制まで認める見解も有力である。3 本問の扱い保険契約者が保険料の分割特約に基づく分割保険料の支払をその責めに帰すべき事由により支払期限より1か月を超過した場合に、保険者の保険金支払義務を免責する旨の保険約款は有効である。そのように免責がその後に発生する保険事故について保険金支払義務を負わない保険法を保険自体と状態という。保険自体と状態がなしている場合に、遅滞分割保険料等の支払があったことに理由を保険金の支払を求めるためには、被保険者は、支払が保険事故の発生前になされたことを主張・立証する責任を負う。この点のように、支払された日の保険事故の発生時と先後関係は、保険者に保険金支払義務があるかどうかの決定的な事実である。そして、被保険者の立証に困難をきたさないようにするためにも、保険者は保険契約者から遅滞分割保険料を受領したときは、保険契約者に対して、受領金額のほかはその日付を明示した弁済受領書を交付する法律上の義務がある(民486条)。保険者がその領収書に日付を記載していない弁済受領書を交付した場合には、上記義務に違反して被保険者の立証を妨害したといえる。本問では、Yにはこのような実体法上の証明方法を被保険者に違反がみられる。参考判例①ではこのような判決がなされている。また、保険者の保険契約者の無知に乗じて保険の効力を失効期間を曖昧にするようにいうまで、当事者の信義則に違反しているという評価も可能である。控訴審である参考判例①ではこの点が重視されている。いずれにしても、実体法上あるいは信義則上の証明方法の作成義務違反があり、その結果、Xが保険金支払日の立証が不可能になっている。妨害者の主張については、裁判の便宜が故意または過失に基づく場合に証明妨害があったとする見解(参考判例①)と、故意または重過失があったことの必要があるとする見解(参考判例①)がある。本問のように、領収書に日付を記載しなかった場合には、故意・重過失を認定できるようにも思われるが、参考判例①は、故意とは、「保険金を支払う結果を避けるために保険契約者の無知に乗じて保険の効力の失効期間を曖昧にする等」意図を指し、重過失とはそれと同視しうる程度のものを指すとしている。故意、重過失をこのような意味で捉えれば、本件では軽過失はともかく、故意、重過失があったとまではいえず、参考判例①②いずれの見解を採用するかによって、証明妨害の成否の判断が違ってくる。証明妨害があった場合の効果について、証明責任転換をするという見解(参考判例①)によれば、Xは保険金を請求するために、支払が保険事故より前であることを主張・立証する必要はなく、保険者であるYにおいて保険事故が保険料支払前になされたことを主張・立証しなければならない。これに対して、事実上の推定、真実擬制、証明度軽減、証明責任転換という効果を、実証事実の内容、妨害された証拠の内容や態様、当該事案における妨害された証拠の重要性、経験則などを総合考慮して裁判所が決めることができるとするすれば(参考判例②)、Xの供述の曖昧さや、支払に用いられた小切手の振出日など他の証拠も総合考慮をして、本件事故前に保険料の支払があったことを推認、あるいは擬制することができるかどうか、裁判所が裁量に基づいて判断することができる。参考文献河野憲一郎・百選122頁/山本和彦・民事訴訟法21頁 (杉山悦子)