既判力の時的限界
X・Y間の土地売買契約に基づき、買主Yが売主Xを被告として、土地所有権移転登記手続を求める訴えを提起した(前訴)。前訴ではY勝訴の判決が確定し、XからYへの所有権移転登記もなされた。ところが、その後Xは、この売買契約がYの詐欺によるものであったとして、訴状において取消しの意思表示をし、Yに対し所有権移転登記の抹消登記を求める訴えを提起した(後訴)。取消権の行使によりX・Y間の売買契約は効力を失ったとするXの主張は、前訴判決の既判力によって遮断されるであろうか。●参考判例●最判昭和55・10・23民集34巻5号747頁最判昭和40・4・2民集19巻3号539頁最判平成7・12・15民集49巻10号3051頁●解説●1 既判力の時的限界(1) 既判力の基準時民事訴訟の対象となる権利・法律関係は、時間の経過とともに常に変動する可能性がある。したがって、既判力が生じる範囲についても、いつの時点での権利・法律関係についてのものかを明らかにしておく必要がある。この「いつの時点」を明らかにするのが、既判力の基準時(または標準時)である。当事者は事実審の口頭弁論終結時までにおける裁判資料を提出することができることから、既判力の基準時は事実審の最終口頭弁論終結時ということになる(民執35条2項参照)。(2) 遮断効当事者は、後訴において、基準時以前に存在した事由(例えば、基準時以前になされた債務の弁済など)に基づいて前訴で確定した既判力ある判断を再度争うことは許されず、仮に当事者がこのような事由を提出したとしても、裁判所はそのまま審理に入らずにこれを排除しなければならない。これを既判力の遮断効という。このことは、当事者が基準時以前の事由が存在していたことについて、当事者が知っていたか否か、知らなかったことに過失があったか否かにかかわらない(過失)。2 基準時後に形成権の行使と遮断効基準時以前にすでに生じていた事由を基礎として生ずることを前訴判決の既判力により遮断されるが、基準時後に発生した新たな事由は前訴判決で確定された判断内容を争うことは既判力によって妨げられることはない。このことから、基準時後にする形成権行使の可否という問題が生じてくる。すなわち、前訴の基準時よりも前に成立していた取消権や解除権といった形成権を、基準時後にはじめて行使して前訴判決の内容を争うことができるか、という問題であるが、そもそもこれが問題とされるのは、仮に基準時前に形成原因が発生していたとしても、形成権これを行使してはじめて新たに実体法的な法律関係の変動が生じるものであるという形成権の性質に起因する。この問題について、今日の判例理論は、個々の形成権の制度目的やその発生原因たる事実の発生原因の発生原因との結びつきの有無などに応じて結論を異にする。すなわち、形成権による自己の自白権を基礎にするについては、請求権自体に付着する瑕疵であるとして基準時までに行使するのが(参考判例①)、最判昭和57・3・30民集36巻3号501頁など)、相殺権については、自己の債権を積極的に行使して相手の請求の消滅を図るものである以上、前訴でこれを行使するか否かは相殺権者の自由であり、当然なすべき基準時であるとはいえないという点で、取消権の場合とは異なるとして基準時後の行使を認めている(参考判例③)。また、建物買取請求権や借地権の行使を認める(参考判例②)。学説においては、基準時後に形成権行使の効果の差異は既判力によりもたらされるものに過ぎないとする見解も有力である(中野1・243頁以下)。もっとも、この見解は既判力制度が目指す安定的な効果を強調して、基準時前に形成権が成立していた以上、前訴において形成権を行使し権利変動を生じさせておくべきであり、後訴における形成権行使は既判力によって遮断されると解する立場と、個々の形成権ごとに個別的に判断を認めるというとするものと、その理論構成についての選択肢は与えられている。例えば、提供責任説という考え方がある(上田徹一郎『判決効の範囲』〔有斐閣・1985〕235頁以下)。これは、形成権の遮断を伝統的な既判力の時的限界の問題として捉えるのではなく、①一方で、形成権を基準時前に提出しておくべき責任を強化する方向に働く要因として、当事者が内包するあらゆる攻撃防御方法が展開されたことを条件として生じる既判力が存在するが、他方で、②その事由を訴訟上主張・立証することがその者の実体法上の地位の否認として客観的に期待できない場合には、たとえその事由が基準時前に存在していたとしても、後訴でその提出が認められるべきであるとの要請が認められ、これを実体関係的に手続保障と称する。また、形成権行使責任説という考え方(河野正憲『民事訴訟法』〔有斐閣・2009〕384頁以下)は、既判力の遮断効を訴訟手続上に当事者に要求された攻撃防御方法の懈怠による自己責任(形成権行使責任)に求めた上で、形成権の遮断については、実体法において解除権や取消権の行使の催告権(民547条)や追認による取消権の消滅(同122条・125条)の規定があり、またこのような明文の規定がなくともこれらの場合と同視できる事情があれば、形成権者に対して形成権行使責任を負わせてもよいとする。さらに、形成権について一般的に遮断を肯定する多数説の立場の中にも、前訴において形成権の行使を主張することが期待できない特別な事情がある場合には、既判力による遮断効も生じないとして、期待可能性による調整を認める見解も存在する(道1614頁など)。3 個別的考慮判例がさらに多数説の立場に立つと、取消権、解除権、手付の白紙撤回権などの形成権は、請求権自体に付着する瑕疵であるとして基準時後の行使を否定することになる。とりわけ本問のような取消権については、取消しなくとも重大な瑕疵であるため裁判所が調査されることの対象が広いことも理由として挙げられる。他方、相殺権や建物買取請求権については、遮断を否定する。その理由としては、相殺権の場合は別個独立の債権に付着する瑕疵ではなく、訴訟係属中の請求権とは別の債権として行使すべきであって、相手の請求の対象の瑕疵であるからである。相殺権の行使については他の形成権以上に被告の判断の自由を尊重すべきであるといった点が、また建物買取請求権については、これもまた建物収去土地明渡請求権に付着した瑕疵ではなく別個独立した権利であり、基準時後の行使を認めることで借地人の保護にも資し、被告が原告の主張する借地権の不存在ないしは消滅を争うときに予備的抗弁として建物買取請求権を行使できることとする。これに対し、取消権については既判力の遮断効を肯定した参考判例①では、「当事者が右売買契約の詐欺による取消権を行使することができたのにこれを基準時前に行使しなかったものと認められる」旨の判示がなされているが、この判示の読み方につき、既判力の遮断効が認められるか否かの基準に期待可能性の観点をも取り入れたものと理解すべきか否かについては見解が分かれる。これに対し、遮断効否定説の立場からは、本問における取消権の場合についても後訴における行使は遮断されることになる。その理由としては、多数説の挙げる当然無効の主張をするについては、ある法行為を無効とするか取り消し得るものかは立法目的の違いであって期待可能性としては民事訴訟法をもとに加え、多数説のように既判力が既判力の範囲を逸脱し基準時後の行使を否定することは、取消権者に認められている取消期間(民126条)を奪うことになり実定法上の規定に抵触するといったことが挙げられる。次に、提供責任説の立場からは、形成権を基準時前に行使するか否かは、上述の①と②の2つの要素の緊張関係の中に論点を見出すべきであり、①の要求が②の要求に比べて圧倒的に強ければ提出責任は無条件に肯定(遮断効肯定)されるが、逆に②の要求が優先する場合には提出責任は否定(遮断効否定)されるとする。具体的には、相殺権の場合に被告にあたり提出責任は否定されるとする。他方、取消権については、取消権者が原告(債権者)の場合には、本来の履行を求めることも取消権を行使して原状回復を求めることもできる実体法上の地位にあり、前訴で債権者が取消権を行使しないで本来の履行を求めていた場合には、取消権につき前訴での提出責任は否定されるが、取消権者が被告(債務者)の場合には、本来の履行を求め得る実体法上の地位にないことから、取消権について前訴での提出責任が認められる(解除権についても同様)。最後に、形成権行使責任説の立場は、取消権・解除権・建物買取請求権についても取消権と同様の防御権能をもち、前訴においてその行使についての決断が促されているとする)については形成権行使責任が肯定され、遮断効が肯定されるのに対し、相殺権については、これが早期に行使すべきとする規定は存在せず、遮断効を認めることは自動債権の強制徴収機能を阻害し相殺権者に過度の要求になるとして形成権行使責任を否定する。