訴え取下げの合意
Aは自己の費用で本件家屋を建築してXに贈与した。しかしX名義の所有権保存登記手続を行う前に病気に倒れ、Aの子Yが本件家屋を占有した。その後、XはYの明渡請求に応じず、本件家屋についてY名義で所有権保存登記手続を完了した。XはYに対して本件家屋の所有権確認および保存登記抹消登記手続を求めて訴えを提起した。口頭弁論において、Yは、「訴訟係属後、裁判外でXとYは話し合いを持ち、YがXに示談金を支払い、Xが本件家屋についての請求権を放棄して本件訴訟を取り下げる旨の和解が成立した。YはXに対し示談金を支払ったので、Xは訴えを取り下げるべきである。」と主張した。裁判所が、Yの主張する和解契約の成立およびYの示談金の支払の事実が認められると判断する場合、どのように訴訟関係に反映させるべきか。また、Xが訴え取下げ合意に基づいて訴えの取下書を裁判所に提出し、その翌日に、「取下書は裁判外でYから脅迫されて作成したもので、真意に基づくものではなく無効である」と主張し、裁判所がこれを認める場合、どのような判断をするべきか。●参考判例●① 最判昭和44・10・17民集23巻10号1825頁② 最判昭和46・6・25民集25巻4号640頁③ 最決平成23・3・9民集65巻2号723頁●解説●1 訴訟上の合意の意義訴訟手続に及ぶ当事者の合意の効力については、任意訴訟禁止の原則から、訴訟法上は一切無効である(裁判所に対して拘束力を有しない)。または考慮されないとの考え方もかつて有力であり、大審院時代には、裁判所での訴え取下げ合意は無効な合意と解する判決もある(大判大正12・3・10民集2巻88頁)。しかし、任意訴訟禁止の目的が、裁判所固有の権限の侵害や訴訟手続の安定性・迅速性の阻害のおそれを予め排除する必要があるにとどまるならば、もっとも当事者に処分権限が認められている処分権主義や弁論主義に属する事項については、当事者の合意に基づいて、対象が特定されていれば、その合意について、民事訴訟法上の明文規定があるものとして、管轄合意(11条)、訴訟上の和解(267条)、不控訴の合意(281条1項ただし書)などがあり、明文規定のないものとして、不起訴の合意、証拠制限契約、および本テーマで問題となる訴え取下げ合意などがある。このような合意を一般に訴訟上の合意と呼ぶが、その性質については争いがある。大きく分けると、私法上の契約として有効である(当事者に一定の義務が生ずる)が直接訴訟上の効果をもたらすわけではないとする私法説と、当事者の合意に直接訴訟上の効果をもたらす(裁判所を拘束する)と構成する訴訟契約説がある。私法説と訴訟契約説の効果が同時に発生すると解する併存説が採られる。訴訟上の合意には、当事者間の合意であって訴訟法上の規律の適用が想定されず、私法上の合意と全くされない場合でも訴訟上の効果が認められるべき側面があるため、いずれの説のようにどのような理論的構成をとるかによって、私法説のように訴訟上の合意について、私法説のように訴訟上の合意について2 訴え取下げ合意の意義訴え取下げ合意については、私法契約説に立ち、合意により原告が権利行使の利益を喪失し、訴えの利益を欠くに至ったとして訴えを却下すべきとする考え方(参考判例①)のほか、原告の信義則違反により説明する考え方(最判昭和51・9・30民集30巻8号799頁参照)がある。これに対して、訴訟契約説、併存説は、結論として訴訟終了を肯定するべきと論ずる。まず、訴訟契約説は、裁判外での合意であっても、訴訟上の取下げという訴訟上の効果の発生を目的とする合意であるから、訴訟上の訴え取下げ(261条)と同様に扱うべきとする。訴えの取下げによって訴訟係属そのものが消滅するのである(①判決)。訴訟契約説は、訴訟係属をすぐにすべきとすることになるのである。また、併存説は、訴訟係属の消滅を訴え取下げ合意の効果として直ちに肯定する。訴え取下げの効力を主張する者(被告)が付遅延の存否を主張・立証する必要があり、これが認められてはじめて訴訟係属の消滅が確定することになる。また、併存説は、訴訟上の訴え取下げ合意の効果として訴訟係属が消滅することから、もはや訴え取下げ合意の効力を訴訟係属で肯定することになる。両説は、訴訟係属において、その後の訴訟行為をすることができず、かつ、仮にXが義務を履行しない場合であっても、訴訟上の取下げとして訴訟係属を終了することを説明することが容易である。これに対して、訴訟契約説では、私法上の承認を認めることは困難であるため(ただし、訴訟係属の消滅を認める見解と訴訟上の和解と解せる。また、この説を認めるとしても、訴訟係属の消滅という訴訟上の効果をもたらすもがもっとも当事者ではないかとの批判)訴訟上の効果を基礎付けることから、当事者ではないかとの批判)訴訟上の効果を基礎付けることからこのように考えると、本問の裁判所は、私法説に立って訴えを却下するか、訴訟契約説に立って訴訟係属の消滅を前提に訴訟終了宣言をするかを選択すべきことになる。両者の相違は、私法契約説に立つ場合には、訴えの取下げという原告に有利なことを指摘できる。もっとも、両説は民事訴訟法262条2項の再訴の適用を認めており、その限りでは両説に違いは見いだしがたい。両説の違いは、訴訟係属の消滅という訴訟上の効果をより重視するという理論的理由に貫かれているが、この点では訴訟契約説ないし併存説がより実情に即しているといえよう。3 訴訟行為への私法規定の適用訴訟上の合意が訴訟行為としての性質をもつとして、訴訟行為に意思表示の瑕疵がある場合に、私法規定を適用してその効果を認めてよいかが問題となる。この場合に、意思表示の瑕疵のある訴訟行為を前提とすると、その後の訴訟行為が連鎖的に効力を失うことになり、手続の安定性を害するからである。そのため、伝統的には、私法規定は適用されないと考えられてきた(ただし、判例も絶対的に適用を排除しているわけではない)。これは一見すると、実質的に対立する当事者間に多く、これを先取りして適用し、当該訴訟行為を無効とみなすことができるからである。例えば、本問後段の場合、Xは強迫という瑕疵により行った取下げの意思表示をしたとして、民事訴訟法338条1項5号を類推適用して取下げの無効を認めるのである。本来、5号事由を主張する場合には有罪の確定判決と同条2項の要件が必要であるが、前訴係属中に再審事由を主張する場合には、この要件は不要と考えられる(参考判例②参照)。同条2項のような重い要件を課するのは法的安定性を保護するためであるが、前訴係属中であればそのような保護は必要なく、むしろ迅速にその瑕疵に迅速にその瑕疵の取下げを主張することがその趣旨にそうからである。もっとも、仮に再審事由の訴訟内調査によって救済がもたらされるわけではない。非財産上の訴訟につき判例によって訴えの取下げをせざるを得ない可能性があることや、瑕疵による訴訟に私法規定を適用できないといった限界が指摘されている。したがって、理論的には私法規定の適用を認めるべき場合と考えられる。その際には、上記のような手続の安定性の要請に鑑み、処分権を証する意思表示であれば私法規定の適用を認め、当該訴訟行為を仮に無効的に訴訟係属を形成される場合には、限定的に、再審の訴えをする権能といった解釈も考えられよう。●参考文献●福永有利・百選182頁 / 竹田美目・百選180頁 / 伊藤眞「訴訟行為と意思の瑕疵」小山昇ほか編『新講座民事訴訟法[3]』(有斐閣・1987)433頁(山田・文)