預金契約
Aは以前にB(伊藤商事)と取引をした記録があり、Bから購入した商品の代金をY銀行にあるBの預金口座への振込によって支払っていた。Aは新たにC(伊藤食糧)との間で取引を開始し、Cから購入した商品の代金400万円をY銀行にあるCの預金口座への振込により支払うことにあった。Aは自身の預金口座があるX銀行の窓口において、Y銀行にあるCの口座への400万円の振込依頼をしようとしたが、名称が類似していたことからBとCを誤認して振込依頼書の振込先欄に誤ってBの名称である「伊藤商事」とBの口座番号を記載した振込依頼を依頼し、X銀行のAの口座からY銀行のBの口座に400万円が振り込まれた。振込前のBの口座残高は20万円であったが、振込により400万円が入金されたことからBの口座残高は600万円となった。なお、Y銀行の約款には「預金口座に受取人のほか、振込金を受け入れます」旨の条項が定められていた。そして、Y銀行は600万円の預金情報を有するのがBとの間で600万円の消費貸借をしたが、Aは600万円のうち400万円の自己の金銭によることを理由に第三者異議の訴えを提起した。Aの第三者異議は認められるか。●参考判例●① 最判平成8・4・26民集50巻5号1267頁② 最決平成15・3・12民集57巻2号322頁③ 最判平成20・10・10民集62巻9号2361頁●判例●1 振替契約銀行と預金者との間で締結される普通預金契約の法的性質について、判例・通説は、委任契約と消費寄託契約によって構成される混合契約であると捉えている(最判平成21・12・22民集63巻10号2899頁・最判平成28・12・19民集70巻8号2121頁)。預金口座を開設するのに伴う預金契約(いわゆる「金銭消費寄託契約」)は、口座を有する者と、預金口座を開設する預金者に属する。しかし、振込依頼がなされ、その目的性質が契約上任意なものとなり、受任者たる銀行が寄託者となり、預金者が受任者となり、預金者が銀行に対して預金払戻請求権を有し、Aへの振込を指示し、あるいは、第三者からの振込指図に基づき、受入銀行は、振込金相当額を預金口座に入金したことの対価を収受する。振込契約は、銀行は振込依頼人から振込依頼の趣旨で預金口座に振り込む金銭を収受し、その振込金相当額を預金口座の預金債権とすることができ(預金契約の原則、666条)、「個別的預金契約」が預金者と銀行との間で成立し、預金者は銀行に対し預金払戻請求権を取得する。預金者が銀行に対して預金払戻請求権を主張し、振込金相当額が口座残高に組み込まれて新たな預金が成立したことになる。2 振込取引振込依頼人は、振込依頼をうけて預金口座に一定の金額を入金させる取引であり、振込依頼人、仕向銀行、被仕向銀行、受取人の四当事者によって構成される(「統一的銀行間振込取引」)。また、受取人が被仕向銀行に対し立てる預金払戻請求権を振り替えるように契約し、振込金相当額で取得するか、あるいは、仕向銀行に開設されている振込依頼人の預金口座から振込金相当額を引き落とされる(振込契約締結)。振込依頼人の預金口座に開設されている預金口座から振込依頼額を引き受けた仕向銀行は受取人口座の預金記録に振込金額を記録するよう被仕向銀行に依頼し、それを受けた被仕向銀行が受取人の口座に振込金相当額を入金記録する(振込契約締結)。3 振込委託関係振込依頼人と仕向銀行との間に事前に基本約定が締結され口座が開設されている場合には、振込依頼人の振込委託(振込契約)により委任事務の履行として依頼人の口座から振込金相当額が引き落とされる。また、振込依頼人と仕向銀行との間で個別に振込委託契約が締結されるが、この振込委託契約も法律行為を委任契約である。4 振込受領関係受取人が振込金相当額を受領するためには、被仕向銀行に口座を開設していること、つまり、受取人と被仕向銀行との間に基本契約を締結する(預金契約の受領)必要がある。仕向銀行を介して振込依頼人からの振込指図を受けた被仕向銀行は基本的な契約における委任事務の履行として受取人の口座に振込金相当額の入金記録を行う。これにより、被仕向銀行と受取人との間に預金契約(個別預金契約)が成立し、受取人は被仕向銀行に対して振込金相当額の預金権を取得する。受取人が取得するのは、金銭債権(預金契約等)において振込依頼人が受取人に対して負っている債務(代金債務、賃借債務等)の弁済のために振込が利用される場合には、受取人の口座への振込金相当額の入金記録によって原因関係上の債務の弁済がなされたことになる(477条)。そして、受取人の口座に預金残高がある場合には、原因関係上の債務の弁済額に充当する。5 銀行実務における振込と誤振込振込事務において振込依頼人より先に受取人が誤振込に気づいた場合、受取人の誤振込の疑いを被仕向銀行に照会する。被仕向銀行は振込依頼人から仕向銀行を介して振込依頼を照会する。また、誤振込人から振込金の返還を求める。受取人の口座に振込金相当額が入金された後においては受取人の承諾を得たうえで振込の組戻手続が行われ、振込金相当額は振込依頼人に返還される。振込事務の多くは、このような共同の組戻手続という銀行実務上の手続により解決が図られているが、振込依頼人が組戻しをしなかった場合、あるいは、振込金額が受取人の口座に入金記録された後に組戻しによる預金を取り戻せなくなった場合に問題となる。6 振込委託契約における組戻請求権振込事務において振込依頼が錯誤に基づいて誤ってなされているのである。振込依頼人と仕向銀行との間で締結された振込委託契約(振込契約の場合)あるいは振込指図(リボルビング方式による場合)の錯誤による振込の場合について振込金相当額の返還を請求しうる。すなわち、振込依頼人が仕向銀行に対して振込の取止めを請求するか、あるいは、振込指図の撤回を請求しうる(意思表示(同条1項)という)。受取人の口座に入金記録がされた後においては、振込依頼が錯誤を理由に撤回(最判平成20年2月29日民集62巻2号787頁)が認められなかった。そこで問題となるのが、組戻しが認められず振込受領のさいは振込指図が有効と解された場合、振込金相当額の受領のさいは受取人に帰属するかという点である。7 原因関係のない振込振込は、受取銀行との間の金銭消費貸借、労働契約上の賃金債権などを原因とする利用がされることから、通常、振込依頼人と受取人との間に振込の取引原因となる法律関係(原因関係)が発生し、しかしながら、本問のような誤振込では、振込依頼人と受取人との間に振込金相当額を移転する契約上の原因関係が存在しないこととなる。本問のケースでは、振込の当事者の間には振込金相当額の返還を内容とする法律関係が発生するとして、組戻ができない場合は受取人への当該金銭の帰属を否定する見解として、組戻ができない(原因関係不存在)、原因関係が存在しない振込依頼人が被仕向銀行に直接返還を求めることが考えられる。参考判例①は原因関係の不存在を理由として、振込依頼人と受取人との間に原因関係が存在しない。振込金相当額の預金債権を受取人に帰属する。その理由として、①銀行の約款の条項をのみを頼り、振込金の受入れについて原因関係の有無が問われていない、②振込金は銀行間の資金決済の送金手続を通して安全、安価、迅速に資金を移動する手段であることから、多数の預金者からの資金移動を円滑に処理するために、仲介する銀行に原因関係の有無や内容について調査義務を課すべきではない、という点が挙げられている。そして、振込依頼人は受取人に対して振込金相当額の不当利得返還請求権(703条以下)を取得するにとどまることから、受取人の債権者による預金の差押えに対して振込依頼人からの第三者異議の訴え(民法38条)は認められないとされた。8 原因関係不存在の誤振込参考判例①が採用した原因関係の要否論に対しては、原因関係が存在しないにもかかわらず振込金相当額の預金債権が受取人に帰属する結果、振込先の誤認という過失があるにすぎない振込依頼人の犠牲において受取人の責任財産の増加という棚ぼた的な利益を受取人の債権者に与える点が批判されている。本問においてはDの預金残高は当初200万円であったが、Aの誤振込により600万円の口座に400万円が振込まれた。Aの誤振込により400万円の預金債権がDに帰属することになる。AはBに対して400万円の不当利得返還請求権を取得するにすぎないので、Aの第三者異議が認められなければ、Bの預金600万円は、400万円の不当利得返還請求権を有するAとBの他の債権者からDに400万円の返還を受ける。Dは誤振込がなければBの預金から200万円しか回収できなかったはずであるのに、誤振込後には400万円を回収することができることから、Bは誤振込の帰趨という棚ぼた的な利益を得る。その一方で、Aは400万円を誤振込したのに200万円を回収できるにすぎない。9 原因関係必要説の問題点判例が採用する原因関係不要説には上記のような問題点があるが、原因関係不要説と対する原因関係必要説にも致命的な弱点がある。原因関係必要説を前提とすると、原因関係が存在しない誤振込事案において受取人に振込金相当額の預金債権を取得することができないので、受取人の債権者には新たな利益を与えるおそれはないが、そもそも振込金相当額の預金債権が発生しないので、被仕向銀行が誤って受取人に振込金相当額の預金を払い戻した場合でも、民法478条が適用できない。両者は法律関係のない者に対する任意無償送金の合意により債務を負担するものであり、債権の存在を当然の前提としているからである。また、受取人への振込を介して同行間の決済を認めるとしても、多数派は非効率な直通送金を要求しており、被仕向銀行は原因関係の存否について適切な判断をするに足る権限・能力を欠く可能性があるので、実質的に被仕向銀行に適切な判断を要求しているに等しく、被仕向銀行に過剰な義務を課すことになるとともに、調査に時間がかかり、調査にかかる費用及び振込手数料の増額という形で預金者全体に転嫁されるおそれがあることから、参考判例①が重視した「安価で迅速な資金移動」が実現できず、振込制度の根幹が著しく損なわれる。10 誤振込金相当額の払戻しと詐欺取消の成否誤振込事案において振込金相当額が自分の口座に入金記録されていることに気づいた受取人が、その事実を被仕向銀行に告げることなく振込金相当額の払戻しを受けた場合に詐欺罪(刑法246条)が成立するのか。参考判例①により振込金相当額の預金債権は原因関係の有無を問わず受取人に帰属することから、受取人は自分の預金の払戻しを受けたにすぎず、詐欺罪は成立しないように思われるが、参考判例③は、詐欺罪は成立し、誤振込事案において振込金相当額の預金債権の帰属を入手するとして、銀行による預金の組戻手続は安全な振込を確保するために有効であり、かつ、銀行が誤振込人と受取人との間の紛争にまきこまれないようにする必要があるのである。もっとも、銀行との間で継続的な金融取引を行っている受取人は自己の口座に誤振込があることを知った場合には、銀行にその旨を告知し、組戻しへの照会をする義務を負う。この義務に、被仕向銀行が組戻しに応じるべき旨の回答があったあと、振込依頼人が組戻しの請求をした時点で、受取人の口座に対して組戻しに応じるべき旨の回答があったにもかかわらず、銀行に誤振込の事実を秘して預金の払戻しを受けた場合にのみ、詐欺罪が成立する。参考判例①を前提とすれば、誤振込において振込金相当額の預金債権が受取人に帰属する以上、振込依頼人であることに気づいた受取人がその事実を被仕向銀行に告げずに振込金相当額の払戻しを受けた場合に詐欺に当たるかは行動の是非に該当することになる。11 無償譲渡と誤振込無償譲渡が預金の資金の返還と自由な送金を組み合わせたもの。銀行の窓口において預金者本人になりすまして預金口座への振込依頼をし、振込金相当額の預金債権を取得するのか。無償振込事案は、振込依頼人と受取人との間に原因関係が存在しないという点で誤振込事案と類似している。無償譲渡に関する参考判例は、参考判例①と同様に、原因関係が存在しなくても振込金相当額の預金債権は受取人に帰属するとした。①受取人が振込金相当額を不正に取得する為の詐欺等の犯行に関与した場合など、これを認めることが著しく矛盾に反するような特段の事情があるときは、権利の濫用に当たるが、②受取人が振込依頼人に対して不法な金銭を負担しているというだけでは、権利の濫用に当たることにはならないとした。参考判例①によると、無償譲渡事案においても振込金相当額の預金債権は受取人に帰属するが、原則として受取人の払戻請求は認められる。例外的に詐欺に該当するような事情が存在する場合には、権利濫用による反論は認められないことになる。参考判例③の趣旨は誤振込事案にも及ぶものと解されるので、受取人が誤振込みの事実につき知らなかった場合には受取人は誤振込金相当額の払戻しを求めることができるが、受取人が誤振込みの事実に気づいていながらその事実を被仕向銀行に告知せずに払戻しを請求した場合には、受取人の行為は詐欺に該当することから、受取人の払戻請求権は権利濫用により許されないことになる。◆発展問題◆AはX銀行に普通預金口座を有している。BはAの自宅に居候中、Aの預金通帳と届出印を盗み出して、X銀行の窓口においてAに成りすまし、Aの口座から100万円をY銀行にある自分の口座に振り込もうと依頼し、実際にAの口座からCの口座に100万円が振り込まれた。CはY銀行に対して100万円の払戻しを請求できるか。●参考文献●*平賀良一「預金口座に対する振込と不法行為」法学セミナー606号(2012)81頁/高須順一「債権の帰属と第三者異議」法曹417号(2015)22頁/岩井伸「預金口座への振込」145頁/道幸「預金と不法行為」(集団訴訟)(2020)108頁/大久保「平成20年重判」73頁 (加藤宏昭)