東京都、神奈川県、埼玉県、大阪府、滋賀県で離婚・男女問題にお悩みなら
受付/月〜土10:00〜19:00 定休日/日曜・祝日
お問い合わせ
ラインお問い合わせ

役立つ知識

メールの安全な使い方
2025/09/05
(1) なぜ「メール」か情報漏えいの防止を考えた場合、まず注目するべきは電子メールである。現在、インターネットを利用した業務上の連絡ツールとしては、メールの他、SlackやChatworkなどのサービスを利用することが多い。これらのサービスは、あらかじめ絞ったメンバーとチャットやファイルの送受信をするサービスであり、部外者に誤送信をするということは少ない。社内やそれに準じる組織あるいは継続的に取引がある相手方であれば、Slackなどのツールで連絡を取り合うこともあろう。そうすれば、基本的に情報漏えいの可能性はかなり下げることができる。しかし、1〜2回しか取引をしない相手方、あるいは、BtoC企業において個人の消費者に「これから〇〇というアプリにインストールして、会員登録をしてください」というのは、なかなか難しい。したがって、外部への連絡、つまり誤送信すると情報漏えいにつながりかねない連絡についてはメールにより行う、ということが通常となる。メールであれば、今や誰でも持っており、相手が事業者であれば、各従業員に電子メールアドレスが割り振られているのが通常である。消費者であっても、同様に電子メールアドレスを持っている。Slack等が普及した今日においても、電子メールはいまだに現役で、誰でも使っている、使える連絡システムとして、企業が用いる連絡手段としてはまだまだ主流である。そのため、メールはまだまだ連絡に用いることが多い。一方で、情報漏えいのための特段の対策がなされていない(上記のサービスのように招待制であるなどの仕組みがない)ため、その観点からは、最も対策を要するべき分野である。筆者の経験上、弁護士業務においても、電子メールは活用されており、弁護士と依頼者とのやりとりだけではなく、弁護士同士の情報交換にも活用されている。その中で、定期的に、依頼者とのやりとりをメールソフト等に誤送信するという事故が起きている。それを見て、もし自分が同じ事故を起こしたらどうなるのかと、肝を冷やすことは多々ある。(2) アドレスはすべて登録するメールの安全な使い方の一丁目一番地は、送信先アドレスは全部登録しておく、ということである。もちろん、1回限りのやりとりについては、すべて登録するのはあまりに手間である。このことは、上記(2)の簡単に実行できるものであるべきというルール設定の原則にも反する。そこで、せめて継続的にやりとりする連絡先や重要な連絡先だけでも、アドレス帳に登録することを義務づけるべきである。ほとんどのメールソフト(メールの受信や閲覧を行うソフトウェア)には、アドレス帳の機能がついている。そして、メールアドレスを入力するときには、アドレス帳に登録されているアドレスを照合して、候補として表示してくれる。これで、打ち間違いを防ぐことも可能である。たとえば、「yamada.taro@atlaw.jp」に対してメールを送信する場合、「yama」あたりまで入力した時点で、候補として表示され、それを選択することで、「yamadataro@atlaw.jp」まで一気に入力できる、というような仕組みである。具体的なルールとしては、「継続的にやりとりをする相手の電子メールアドレスは、すべてアドレス帳に登録をしなければならない。送信」ではなくて新規作成して電子メールを送信するときは、アドレス帳に登録されていない電子メールアドレスに送信をしてはいけない」という定めが考えられる。なお、「返信」については、本節(4)で詳しく解説する。(3)「手打ち」メールアドレスに秘密情報送信は厳禁名刺に記載されたメールアドレスや、申込用紙等に記載されているメールアドレスにメールを送信する場合、当然であるが、そのアドレスを入力して送信をする、ということになる。このような場合、いきなりそのアドレスに秘密の情報を含む内容のメールを送信してはならない。メールアドレスの打ち込みは、打ち間違いをするものである。メールアドレスに限らず、自分が書いた文章の誤字脱字は、自分自身では気づくことは難しく、筆者も経験している。たとえば裁判所に提出する書面については、誤字脱字を入念にチェックした上で提出している弁護士に見てもらっても「誤字があった」とわかることがしばしばある。書籍の執筆も同様で、校閲段階で「誰が書いたんだ?」と思いたくなるほど未熟な文章があることに気づくのも日常茶飯事である。特にメールアドレスは、同じアドレスを取得できない、同姓同名の衝突などの問題から、記号や数字が入っていることが珍しくない。「i(アイ)」とか「1(イチ)」や「l(エル)」を混同した経験のある方も少なくないだろう。したがって、登録していない、あるいは「送信」機能以外で、つまり電子メールアドレスを手入力することがある場合、絶対に秘密情報を送ってはいけない。テスト送信を実施するべきである。特に、個人の顧客相手にはその人の秘密情報である場合には、事故が起こりやすい。たとえば、顧客が会社のメールであれば、その専用のドメインのメールアドレス(例にyamada.taro@chuokeizai.co.jp)があることが多く、この場合は、アドレスを多少間違えても、エラーメッセージが送信され、情報漏えいにつながらないことが多いが期待できる。一方、個人の顧客の場合、自分のドメインを取得している場合が珍しく、GmailやiCloudなどのメールサービスのデフォルトのドメインを利用しているケースがほとんどである。このようなメールサービスでは、同じドメインを無数のユーザーで使うため、ユーザー名(@の左側の部分)が重複することが多い。そこで、数字などを加えることで、衝突を回避することがたびたびある。たとえば、「yamada.taro」などは、先に登録されているので、「yamada.taro12」とか「yamada.taro1990」などである。顧客が会社(組織)の場合、「yamadataro」さんはいても「yamadataro12」さんはいないので誤送信にならないが、個人の場合はそうではない。また、仮に似たアドレスが存在した場合、A社の山田太郎さんと間違えて、同じ会社の山田二郎さんに届いたという問題にとどまることがある。しかし、個人の場合は、同じドメインを無数の他人が利用している。会社の場合は、「yamada.taro」さんも「yamanaka.taro」さんも同じ会社にいるのであまり大きな問題になりにくいが、個人の利用するメールサービスであると、この両者は全くの他人になるため、大事故につながり得る。したがって、上記の重複を避けるために入れた数字を1つ間違える、打ち飛ばしてしまうなどで、たちまちの他人に秘密情報の入ったメールが届くことにつながりかねない。メールアドレスの手入力は、特に個人の顧客に対してメールを送信するときは、かなり危険な行為なのである。そのため、手入力したアドレスは必ずテスト送信を経てから秘密情報の送信に使うべきである。なお、テスト送信の具体的な方法であるが、筆者は次のような方法を用いている。まず、相手先の名前を一部(法人名や姓を除いた苗字)だけ入れて、テスト送信であるとの旨を記載してメール送信する。その後、送信メールが届いたら、その署名でフルネーム、法人名を確認するという方法をとっている。個人の場合、最近はLINEなどのメッセージアプリの普及で、メールを送信する習慣がない、署名を作成しない、ということもある。さほど多くはないが、署名がなかった場合は、改めてフルネームを尋ねるということになる。具体的なメールとしては、「手入力したメールアドレスについては、必ず、テスト送信をしてからメールを送信しなければいけない。テスト送信においては、相手先の苗字のみを入れて送信し、それへの返信でフルネームを確認する方法による」という定めが考えられる。コラム5 もうやめよう PPAPPPAPという言葉をご存じだろうか。あの有名な流行語のほうではない。セキュリティに関する用語である。実は筆者も最近知った言葉であるが、知らなくても、経験したことはいくらでもあると思う。これは、一般財団法人日本情報経済社会推進協会の太専司が提唱した言葉である。その意味は、P:パスワード付きのZIPファイルを送信します。P:パスワードを送信します。A:暗号化P:プロトコルの略である。なお、プロトコル(protocol)とは、本来は外交儀礼という意味であるが、コンピュータの世界では、通信のやりとりにおいて用いられる方式、作法をいう。読者も一度は経験したことがあると思うが、ZIPファイルの送信を受け、その後に、そのパスワードを別メールでもらう、というものである。情報漏えいの防止のための方法であるとのことであるが、そもそも、同じメールアドレス(宛先)に同じメールアドレスに(送信元)にパスワードが記載されているのである。誤送信であれば、同じところに誤送信を2回繰り返すだけであり、ほとんど意味がない。もっとも、ZIPファイルそのものはパスワードを付けて暗号化されている。したがって、このZIPファイルが何らかの原因で漏えいした場合、パスワードがないと閲覧ができないのだから、そのような意味(ZIPファイルだけ漏えいした場合)では、情報漏えい対策について一定の効果はあるかもしれない。ただ、「大事なものだから金庫に入れて送ります、鍵については、別便で同じ住所に送ります」というものに近い。送り先が間違っていた場合、その間違った送信先に最も届くので、暗号化したZIPファイルは、ウイルス対策ソフトが読み取ることができないので、ウイルスチェックをすり抜けてしまう、という問題もある。なにより、受信者にとっては手間である。セキュリティ対策に手間がかかるのはやむを得ないことであるが、上記のとおり、あまり意味がないことに手間をかけるのはもったいない。仮に、PPAPをセキュリティ対策として有効なものとするのであれば、別ルート、FAX、手紙、電話、SNSでパスワードを送るなどの工夫が必要であろう。それにかなりの手間になる。また、PPAPは、非常に弱いパスワードを設定することもしばしばある。そして、暗号化ZIPファイルについては、パスワードを解読するソフトウェアが配布されている。暗号化ZIPファイルに限らないが、パスワードの解読にあたっては、「ブルートフォース」という手法が用いられる。これは、総当たり攻撃という意味であり、「あらゆる文字列の組み合わせをパスワードに叩き当たるまで入力する」という解読方法である。自転車などの鍵について、4桁の数字を組み合わせるものであれば、0000〜9999まで、当たるまで全部、回していく、というのデジタル版である。この場合、弱いパスワードを入れることの手間を避けるためか、通常、数字や、数文字に設定されることが多い。そして、暗号化ZIPファイルも、上記のブルートフォースで解読を試みるソフトウェアが一般に配布されている。ブルートフォースで解読を突破するのに要する時間であるが、パスワードの長さ、複雑さに比例する。PPAPで一般に用いられるような弱いパスワードであれば、さほど時間をかけずに解読されてしまうことが想定される。したがって、本当に解読されてしまうような場合、PPAPのZIPファイルは、ほとんど無力であるといえる。PPAPは効果がないだけでなくて、手間もかかる。手間は有限であるから、その時間を他の業務か、あるいは情報漏えい対策の時間に充てたほうが合理的である。(4) とにかく「返信」メールを送信するときは、とにかく「返信」機能を使うことが重要である。メーラーには、メールを読む画面に「返信」というボタンを用意してあることが通常である。これは、メールを送ってきた人(送信元)を宛先に入力するなどの定型であるので、これであれば、誤送信をすることがない。また、送られてきたメール(送信元)を宛先に入力するなどであるので、これであれば、誤送信ではないが、誤って別人を宛先として、返信するメールを作成する、という機能である。また、メールは、宛先に、「To」といって、本来の宛先だけではなく、「CC」といって、同報する(同じ内容を同時に送る)機能もある。CCとは、カーボンコピーの略である。昔、タイプライターで書類を作っていた時代に、紙との間に炭素を塗ったカーボン紙というものを挟んで、同時に2通同じ書類を作ることがあった。それにちなんだものである。さて、メールの送信者が、CCで他の人も指定している場合、そのメールについては、CCで指定された人にも知らせたい、ということである。この場合、通常は「返信」すると、送信者としか送信されないので、CC欄の宛先を含めて返信をする場合には、「全員に返信」という機能も用意されていることが多い。それでは、なぜ「全員に返信」機能を使うべきなのか、話が戻ると、事故防止にとても有効であるからである。「返信」機能を利用した場合、原理的に、①そもそも受け取ったメールが誤送信であるか、②送信者がCC先を間違えている、のどちらかでないと、誤送信は基本的に起き得ない。問題については、全然知らない、関係のないメールが届くというもので、①については、送信前に気がつく、というより誤送信しないと「間違っていますよ」と教える程度)の問題になる。問題は、②についてであるが、メールのやりとりの最初の段階で、仮にCC先に知らないメールアドレスが入っていないか、確認しておくことが望ましい。ただし、CCは、先方がどの範囲で情報共有を希望するかといった、相手先の事情の問題なので、こちらで確認することには限度があるだろう。また、そもそも、CCの指定は、相手方の責任で行っているものでもある。いずれにせよ、責任問題ではなく、「返信」機能を使った場合、ミスが起きにくいというだけでなくて、受信側に基本的に一切責任が生じない、というメリットもある。なお、ほとんどのメーラーには、相手方のメールの本文を全部引用して末尾に付ける、という機能がある。この機能を利用すると、メールのやりとりを何度も続けて長文になり、見づらい、コンピュータの動作が重くなる、ということもあるかもしれない。それでも、新たなメールを作成し直したくなる気持ちもわかるが、これも不適切である。なぜなら、新しくメールを作成すると、新たに「To」や「CC」を入力することになる。そうすると、その過程でまた打ち間違いが発生する可能性があるからである。もし、メール文が長くなりすぎて、これを短く(削除)したいのであれば、「返信」機能を使って、送信メールの作成画面に遷移したら、末尾の引用部分を手動で削除するべきである。また、相手のメールに返信するのではなくて、過去にメールのやりとりをしていた人に対して、別件(新作)でメールを送信したい、というケースでも、返信機能を使うべきである。具体的には、メーラーには、過去に送受信したメールの検索機能があるので、これを利用する。送りたい人の名前で検索して、過去のメールのやりとりを見つけ出し、そのメールへの「返信」機能でメールを作成する。そのときにメールのタイトルと本文は削除して作り直す、という手順である。「返信」は、原理的にメールアドレスを打ち間違えるリスクがない。また、その送信元のメールを見ることで、送信先として間違いないかを確認することができる。たとえば、同姓同名の山田太郎さんが2人いたとしても、鋼材の発注元の会社の山田さんと、銀行の山田さんとでは、メールの内容が全く異なるので、混同して誤送信することもない。すでに施行されている方からすれば、「何を当たり前のことを語っているのか?」と思われるかもしれない。実際に情報漏えい事件の相談等を受けている立場からすると、事件は、このような基本すらできていない、怠っている場合に発生するものである。通常、情報漏えいをはじめとするネットトラブルを防止すべき立場にある(つまり、本書を手に取っている方々)は、ネットリテラシーが平均よりはるかに高い。しかし、職場の他の人は必ずしもそうではない。自分を基準にして「これくらいは言わなくても……」は禁物である。2(2)で述べたように、誰でもわかる、使える、実践できるルールが重要である。さて、本件について、具体的なルールとしては、次のようなものが考えられる。すなわち、「電子メールの送信においては、可能な限り『返信』もしくは『全員に返信』機能を使って送信をしなければならない。過去にやりとりをした相手方への送信についても、可能な限り検索機能を使って過去の電子メールへの『返信』を行う形式で行わなければならない。」という内容が考えられる。なお、「可能な限り」という表現は不明確なように思える。もっとも、過去にやりとりをしたものをそもそも検索で見つけられないことはあるし、あまり難しいことを強いるべきではない。もっとも、「返信」機能を使いメールを作成することは、アドレス帳から選ぶ、メールアドレスを手入力するよりはるかに簡単なので、従業員も励行しやすいはずである。(5) タイトルにも一工夫をいくらメールの送信において「返信」機能の利用を励行していたとしても、そもそも、送信先を間違えてしまえば、元も子もない。また、似たような複数の案件(取引)を並行して取り扱うことはしばしばあり、たとえば、A社との取引、B社との取引がそれぞれ並行して動いている場合、Aからのメールについて、Bからのメールと勘違いして、B向けの返信を送ってしまう、ということも十分にあり得ることである(筆者も、そのような情報漏えいの相談を受けたことがあるが、メールを見比べると、これは混同しても仕方がないな、と思うほど似たような内容であった)。筆者の弁護士としての経験でもあるが、メール(フォーム)で問い合わせを受けた場合、「お問い合わせについて」「お見積もりの件について」というようなメールタイトルにすると、長々と同タイトルにのメールが並ぶことになる。たとえば、筆者の場合、取扱案件の性質上当然ネットトラブルであるので、これこそ、似たような問い合わせがひたすら並ぶことになる。それらの違いは、当事者と投稿内容程度、ということになる。気をつけないと、非常にセンシティブな情報を第三者に伝えてしまう事故が起こりかねない。なお、もちろん、メールの一覧には、差出人の氏名が表示される。そのため、まさか間違うわけないだろうとも思える。しかし、意外と氏名、名称の違いというのは気付かないことが多い。そして、業務用上利用しているメールであれば、差出人の氏名が設定されていることがあるが、個人で使っているメールアドレスには、その設定がないことがある。そうなると、ニックネームであったり、特に意味のない英字の羅列が表示されたりして、区別が難しいことも多い。したがって、可能な限り、タイトルに当事者名を入れるとよい。また、タイトルが長くなってしまうという問題もあるが、こちらの名前も入れると親切である。たとえば、「【山田太郎様】ご依頼の件について(弁護士〇〇)」というようなタイトルである。これであれば、先の鋼材の件と混同してしまって送ってしまうリスクは低くなる。また、似たようなタイトル、似たような名前、アドレスについて、誤送信防止のために、何度も確認する手間を節約することにもできる。繰り返しになるが、面倒ではない、わかりやすいルールを作ることが何よりも大事である。簡単にできて、わかりやすくないと、遵守しにくくなり、それがルール無視、そしてそこからの事故につながるからである。メールタイトルに関して具体的なルールとしては、次のような定めが考えられる。「電子メールの表題の作成にあたっては送信先の氏名又は名称を含めなければならない。」(6) メールは保存しておこう情報漏えい防止というよりも、社内の情報共有、不祥事や顧客からのクレーム対策が主目的であるが、メールの保存は慣行するべきである。もちろん、すべてのメールを保存するのは手間であるので、ある程度大事なメールに限って、ということになる。なお、メールの受信には、POP3 (Post Office Protocol 3)と、IMAP4 (Internet Message Access Protocol 4)という2つのプロトコル(通信方式の規格)がある。前者は、古くから使われているものであり、メールサーバ(メールサービスを提供しているコンピュータ)から、受信したメールをダウンロードし、ユーザーの端末に保存する、そのメールは削除(一定期間を置く場合もある)するというものである。後者は、メールサーバ上に利用者の端末の状況を同期させる、メールをダウンロードするが、削除については明示的に操作しないと行われない、というものである。ウェブ上で提供されるメールサービスのように、いつでもどこでも、同じサービス提供元のメールボックスを閲覧・操作するものである。前者はついては端末にダウンロードされれば、いつかはメールは削除される運命である。端末から削除してしまえば、そのメールは完全に削除されたということになる。また、後者については、そのようなことはないが、メールボックスの容量は有限であるので、いつかは削除されることも想定しないといけない。加えて、いずれにせよ、過失などでメールアカウントが廃止された場合、そのメールは閲覧できなくなる、ということになる。したがって、メールの保存については依存しておく必要がある。また、メールの保存は連絡の記録のためだけではなく、取引(案件)の処理状況を明らかにして、情報共有をし、取引先・消費者との円滑な関係を築くためにも重要である。たとえば、クラウドで案件(顧客)ごとにフォルダを分けている場合、そのフォルダに日付を記載したファイル名でメールを保存しておけば、進捗を容易に把握することができる。以下のような形式で保存しておけば、第三者が見ても進捗を容易に把握することができるので便利である。20230319 問い合わせ .pdf20230320 返信 .pdf20230322 要件の聞き取り .pdf20230323 見積りの提案 .pdf20230324 質問への対応 .pdf20230326 受注 .pdfなお、筆者も、弁護士業務において励行していることであるが、事件の進捗があると、細かいことでも、なるべくメールで依頼者に報告をし、かつ、その報告メールをファイルで保存しておくことにしている。こうすると、進捗状況に関するメモを依頼者への報告を兼用することができて合理的である。また、何より、上記のように進捗状況を一見して把握することができる。また、記録を残しておくことで、顧客とのトラブルを防止することもでき、不祥事防止、あるいは、不祥事が起きた場合の合理的な対応も行うことができる。顧客とのやりとりだけではなく、社内のやりとりについても、重要なものを保存しておけば、インターネット上においてデマによる中傷被害を受けた場合に発信者情報開示請求が認められやすくなる(前著『インターネット・SNSトラブルの法務対応』で触れたが、社内資料でも業務の過程で作成したものは、裁判上、有力な証拠になる)。さて、具体的な保存方法であるが、ほとんどのメーラーには、メールの「印刷」機能が備わっている。さらに、印刷といっても紙ではなく、PDFについて出力(PDF 出力)を、選べば、物理的にプリントアウトするのではなく、PDFファイルで保存することができる。このように保存したメールは、裁判でもたびたび証拠として提出されており、訴訟の帰趨を決めることもある。前述したように、ネットトラブルの裁判において、一定の情報共有、指導をしていた事実を証明することができれば、それは非常に有利な要素になるので、業務の円滑化、苦情防止の観点だけではなく、紛争対応の立場からも、励行するべきである。(7) 安全な通信方法電子メールは、インターネットでも初期に考案されたシステムである。たとえば、前述のPOP3の最初のバージョンであるPOPが策定されたのは、1984(昭和59)年のことである。当時は、今日ほどセキュリティや通信傍受について配慮されておらず、通信は、平文(暗号化されていないデータのこと)で行うことが通常であった。通常、インターネットの通信は有線であれば傍受のリスクは少ない。また、無線LANであっても、ほとんど暗号化されており、暗号化されていない無線LANは珍しい。もっとも、最近はテザリングが普及し、かつ、家庭の無線LANの中には、暗号化されていなかったり、あるいは、暗号化してあっても古い規格に解読されているものもあったりすることもある。無線LANの暗号化には、かつて、WEP (Wired Equivalent Privacy) という方式が用いられていた。これについては、脆弱性が見出され、簡単に解読されてしまうことが知られている。現在は、WPA (Wi-Fi Protected Access)ないし後継のWPA2が主流である。WEPは、不正アクセスの被害が相次いでいるので、仮にまだ使用しているのであれば、ただちにルーターの設定を変更するべきである。また、無線のLANサービスが普及しているところ、こうしたサービスは暗号化されていない場合もある。接続している無線LANについて、暗号化されている・されていないや解読された場合、傍受されるリスクが生じる。最近は、メールの送受信については、暗号化されたプロトコルが標準で、ウェブサイトについても同様であるが、用心に越したことはない。特に、筆者の経験上、WEPの解読の問題は深刻である。解読されると、偽って情報漏えいのリスクが生じるだけではなく、接続されて無断で自己の契約しているインターネット回線が利用されてしまうという問題が生じる。そして、誹謗中傷や脅迫などの投稿に利用された場合、投稿者として責任を追及されて犯罪に巻き込まれることもある。極端なことを言えば、自分の回線を無断で犯行予告に使われて、誤認逮捕されてしまうリスクもないではない。不正アクセスの被害に遭うというのは、全く別の世界の話題と思われているかもしれない。ただ、このWEPの問題はかなり深刻で、まだまだ現役で利用されているケースも多い。筆者の経験上も、身に覚えのない投稿について責任追及されているという相談の中で、このWEPの問題が相当割合を占める。そして、暗号が解読されたせいであり、責任はない、ということが認められた場合もあるが、基本的に裁判所にそのような理屈を認めてもらうのは相当に難しい。したがって、パソコンなどのデバイスを自宅に持ち帰り、仕事をする可能性に場合には、以下のようなルールを設定するべきである。「暗号化(ただし、WEP 形式を除く)されたWi-Fiでなければ、業務用の端末や、業務用のデータが格納された端末を接続してはならない。」(8) 標的型攻撃メールに注意コンピュータウィルスとは、悪意をもって作成されたソフトウェアの一種で、利用者の想定しない有害な、たとえばデータの削除や、漏えい等の動作をさせるものをいう。自身の所有するデータのコピーが添付されたメールを勝手に送信する、接続されているストレージに自身の所有するデータをコピーして格納するなど、自然界のウィルスのように感染してそれを広げる振る舞いをするので、「ウィルス」という名前が付けられている。ひと昔前は、様々なものが流行していたが、最近は全くなくなったということではなく、減少したといわれる。これは、ワクチンソフト(コンピュータウィルスを検出、除去するソフトウェア)の普及が、OSそのものにワクチンソフトの機能が備え付けられたことなどが要因かと思われる。しかしながら、それでも検出が大変なりながらのが、「標的型攻撃メール」である。これは、特定の組織を標的として、コンピュータウィルスを添付したメールを送信し、それを開封、実行させることで、デバイスに感染させ、主にデータを盗み取るために使われる。コンピュータウィルス付きのメールというのは古くからあるもので、読者も受け取ったことがあるだろう。昔のだが、英語だったり、やけに怪しい内容だったり、「見てください!」「助けてください!」などの、あからさまに怪しいものがほとんどである。そうなると、添付ファイルを開くことは想定しがたい。しかしながら、標的型攻撃メールは、特定の組織を標的としているので、その組織に「あったこと」メールを送信してくる。「見てください!」だったら無視することもできるが、たとえば、「弊社製品〇〇について」などというタイトルで、欠陥情報のような内容で、添付ファイルが「詳細内容」であったら、思わず開封してしまうこともあろう。見ず知らずの他人が作ったメールであったり、あるいは、自分への人事評価であったり、とにかく見ずにはいられないようなタイトル、文面にすることが通常である。また、その標的に合わせたオリジナルのコンピュータウィルスを作成することが通常であるので、市販の対策ソフトが検出できないこともあるのも、厄介である。基本的に、メールを開いただけでは、コンピュータウィルスに感染させられているかを知ることは難しい。ただ、添付ファイルを開いた場合、それが悪意のあるソフトウェアであると、ウィルスに感染し、データ破壊や漏えいにつながることになる。もっとも、標的型攻撃メールが特定組織を狙ったものであるといっても、自身のメールのやりとりをのぞき見ているわけではない。あくまでも、業種等から興味を引きそうなメール文面を作成して送っているだけである。したがって、よく知らない送信者であったり、あるいは、送信者の所属組織は知っていても、知らない名前の人であったり、前後の脈絡がつながらなかったりなど、そのような不審点には気がつくことができる。標的型攻撃メールについて何かルールを定めることは難しいが、留意点として、次のようなものが挙げられる。① 突如として大事な話題に関するメールが送られてきている。② 見知らぬ組織、あるいは、所属名は知っていても、その個人名は知らない人である。③ メールの署名(メール末尾に記載する所属と氏名を記載した部分)がない、あるいは、普段、その組織・人が使っているものと違うものである。④ 添付ファイルがあるが、メール本文に詳しい説明がない。⑤ 誤送信メールである(間違って秘密情報を送ったように見せかけて、興味を引こうとする手口は多い)。法的な対策として、標的型攻撃メールを完全に防御することは難しい。したがって、これが原因で情報漏えいをした場合、法的な責任が求められるも要件である故意(わざと)か、過失(落ち度)かを認定することは難しいという指摘もあるだろう。ただ、それでも標的型攻撃メールについては、総務省も注意喚起をしており、防ごうと思えば防げたわけであるため、結局は情報漏えい者の責任が認められる可能性が高いと思われる。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

ルール運用のコツ
2025/09/05
(1) はじめに:筆者の経験筆者は、弁護士としての独立が比較的、早いほうであったため、業務に使うITツールを自分で決める必要があった。業務の効率化、コストの削減、そしてセキュリティの確保など、いろいろな基準でツールを選び、あるいは変更してきたが、教訓としては、次のようなものがある。これは、企業におけるネットトラブルの防止の観点からも参考になる視点ではないかと思う。① システムのコストは金銭コストだけではなくて、運用の手間隙も含まれる。そして、後者のほうが過酷である。② 素晴らしいルールを定めても、遵守に手間隙がかかるのであれば、①と同じ問題が生じる。③ 手間隙がかかるルールは、守れなくなるばかりか、かえってミスを誘発して事故の原因となる。④ 自分のミスは自分では気づかない。企業におけるネットトラブルの予防法というと、厳格なルールを定めることが有効に思われがちであるが、そうではない。筆者は、情報漏えいや不適切な発信などのネットトラブルについて相談が持ち込まれると、まず社内ルールの有無とその運用状態を尋ねるが、全くルールがないというケースばかりではなく、むしろ厳格なルールが定められていたにもかかわらず守られていなかった、というケースもしばしば目にする。したがって、ルールの策定にあたって、守りやすさなども考慮する必要がある(詳細は(2)で述べる)。コラム4 弁護士業界と情報漏えいと IT 化米国には、スミソニアン博物館という国立の博物館がある。博物館の展示品は多岐にわたるが、その中の1つにタイプライターで有名な産業遺産というものがある。この産業遺産に、「ファクシミリ」が加わったというニュースが報じられたが、同時に、いまだに日本ではファクシミリが現役であることが話題になった。法律事務所においては、ファクシミリはまだまだ現役バリバリである。何といっても、こんな定めがあるくらいである。民事訴訟規則3条1項柱書裁判所に提出すべき書面は、次に掲げるものを除き、ファクシミリを利用して送信することにより提出することができる。(以下略)同2項ファクシミリを利用して書面が提出されたときは、裁判所が受信した時に、当該書面が裁判所に提出されたものとみなす。わざわざ裁判所の窓口まで持参する、郵送する(センシティブな情報が満載なので、郵送には本当に気を使う)などよりも、ファクシミリのほうがはるかに便利であるが、時代遅れの感は否めない。ファクシミリの誤送信の事故はたびたびあるので、事前にテスト送信する、電話して「届きましたか?」と確認するなど、未だに本当にアナログなことをしている。このような事務コストは、最終的には弁護士の依頼者に転嫁されかねないので、依頼者にとっても裁判手続のIT化は喫緊の課題であるといえる。特に、令和2年以降、新型コロナウイルスの爆発的感染拡大に伴い、極力、裁判や法廷に行くことは避けるべきとされた。現在、行動制限は緩和され、マスクも個人の判断ということとされたが、それでも新型コロナウイルスは未だに猛威を振るっている。裁判所も弁護士会も、テレビ電話の活用を続けているという状況である。こうした中、裁判所は、インターネットを利用して双方の画像と音声を認識できる、いわゆるウェブ会議システムを利用したテレビ電話にて裁判期日を実施することを広く認めている。もちろん、尋問など難しいが、法廷に行かないでできることは、極力オンラインでやろう、ということである。裁判所のそばに法律事務所を設置している弁護士でも、往復時間や待ち時間などで30分程度は使うし、裁判期日本体は数分で終わる、一時時間がかかるのは、「次の期日の調整」であったりする。このような不合理な時間の使い方を防止でき、移動時間が削減できれば、お互いの時間設定を柔軟にできるので、期日調整もスムーズである。民事訴訪のIT化は、裁判の迅速化にもつながっている。ところで、IT化するとなると、弁護士が保存している裁判資料、電子化されることになる、たとえば、事件記録をPDFで保存するなどである。そうすると、当然、情報漏えいが問題になる。もちろん、以前から、書類が紙に吹かれて飛んでいった、などというような漏えいはあったが、電子化された書類であると、その影響は深刻である。1枚2枚の書類であれば紙に書かれるが、記録のファイル1冊がまるごと吹き飛ぶことはない。しかし、電子化された場合、たとえば、USBメモリであれば、落としてファイル1冊分の情報が漏えいする可能性を洗る。筆者が耳にしただけでも、事件記録を入れたUSBメモリを紛失した、事件について投稿するメーリングリストについて第三者が閲覧できるようになっていた、そのような事例が発生している。さらに、弁護士が参加するメーリングリストに、故意に投稿するとやりとりなどが誤送信されるという事故も目にするところがある。大勢の弁護士が参加しているので、相手方(敵方)の弁護士もいるかもしれない、自分の身に起きたら……と考えると非常に心配になる(こうした事故の防止方法、心がけについては、本書においても扱う)。このような情報漏えいについて、IT化、記録の電子化が原因であるとして、そもそもセンシティブな情報を電子化するべきではない、という議論もある。しかしながら、紙にしたところで風に吹かれて飛んで行ってしまうことはあるため、電子化されたから危険であるということとは必ずしもいえない。さらに、弁護士が作成する文書は、証拠類と同様にセンシティブな内容が含まれる。センシティブな情報の電子化を拒むのであれば、同時に、文書作成の電子化してはいけない、ということになる。そうすると、文書作成にパソコンを使わないで手書きで行うべき、ということになりかねない。つまり、IT化はもはや避けがたい、どのように情報漏えいなどのトラブルを避けるべきか、それを真剣に考えるべきである。「情報漏えいが怖いので電子化はしない」は、もはや時代遅れの発想であるだろう。(2) ルール作りと運用の3原則① わかりやすいこと② 実行が簡単であること③ 文書にしておくことまず、①が大事なのは、理解していただきやすいと思う。ルールは守ってもらうためにあるわけだから、わかりやすいことは、どんなルールにおいても必須である。もっとも、ネットトラブル防止の観点からは、わかりやすいことは十分に意識しないといけない。しかし、こうしたルールを作るのは「詳しい」人が担うことが多い。そのため、詳しい人が詳しい人のために、詳しい人でないとわからないような難しいルールを作ってしまいがちである。実際、筆者の経験上も、失語や情報漏えいの事件を起こした企業の中には、立派なルールが備わっていたことも少なくない。しかし、ルールが守られていないから、事故が発生したのである。といっても、ルール無視の不良社員が起こしたかと思いきや、そういうわけではなく、ルールの内容を正確に理解していなかったことが原因であるケースが大半である。具体例を挙げると、公式アカウントの情報発信について、「意見が対立している分野については言及しないこと」「政治的なことは発信しないこと」などのルールがあり得る。しかし、意見が対立している分野かどうかについては、個々人の基準次第でどうにでも解釈されてしまう。電車と飛行機、どちらが速いかと聞かれれば、飛行機と答える方が多そうだが、値段や手続時間、遅延リスクまで入れたらどうなのか、と問われると答えが分かれるだろう。この例において、あらゆる分野について意見の対立は想定されるのであり、厳密に考えれば何も言うなということ等しい。逆に厳密に考えないのであれば、自由に何でも発信してよいのか、ということになる。もっとも、情報漏えい防止のためのルールとして、「指示されたソフトウェア以外はインストールしないこと」と定めたところで、ダウンロードしたファイル(ソフトウェア)をダブルクリックして実行してしまう人にはあまり意味がない。その他、「業務用データを外部に持ち出さないように」と定めたところで、USBメモリに入れて持ち出しはしなくても、個人用の電子メールアドレスに業務用データを送信して、それで持ち帰り仕事をするのは持ち出しではない、と勘違いされることはあり得る。ルール上のニュアンスについて、知っている人は詳しいかもしれないが、そんなことはないという場合は「(笑)」と思われるかもしれないが、実際にはよくある話である。では、具体的に、「わかりやすい」とはどのようなルールをいうのだろうか。具体例については、本章3節以降のそれぞれトピック(注意点)において説明するが、「誰が読んでも同じ意味にとれること」が望ましい。もっとも、法律の条文が、読んでも同じ意味にとれる解釈の幅がない、あっても少ない)ということがポイントである。もっとも、法律がそうであるように、あるルールを、誰もが見ても同じ意味に理解できるように文章化することは不可能である。ただ、それに近づけることはできるので、できる限り工夫をしよう、ということである。次に実行が簡単であること、実はこれが最も重要である。企業の情報セキュリティに関する情報漏えい防止の策に、実行が簡単でないと困る、つまりは面倒なのはだめだというは何の持ち事か、と思われるかもしれない。しかし、これこそが最も重要な要素である。面倒なルールは、特にそれが事故防止、安全にかかわるものであり、守らなくても普段は大丈夫(事故にまでつながらない)なので、守られにくくなってしまうからである。したがって、不適切な情報発信の防止のために、SNSの投稿1つひとつに、複数の担当者の決裁を必須にする、情報漏えいの防止のために、ファイルごとに、個別に暗号化、使用のたびに暗号化(暗号化した状態に戻すこと)を徹底する、そのような手間のかかるルールを定めるべきではない。誰でも、さほど手間をかけずに実行できるルールを設定することが有効である。これについても、具体例は、本章3節以降でそれぞれ解説する。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

ルール作り
2025/09/05
(1) なぜルールを作るのかネットトラブルのうち、情報漏えいは従業員の故意の過失により生じるものである。つまり、従業員がわざと、あるいは不注意で情報漏えいしなければ起きるものではない。情報漏えいは、不正アクセスなどの例外を除けば、企業が加害者であり、それが起きるかどうかは、企業(従業員)自身の問題である。したがって、情報漏えいは、企業内できちんとルールを定め、かつ、それを従業員が遵守すれば基本的にはすべて防げる、ということになる。したがって、ルール作りは重要である。正確には情報漏えいとはいえない、従業員や公式アカウントの不用意な言動による「炎上」についても同様である。企業の対外的な情報発信で炎上するケースは、後から出てくるが、「なぜそんなことを言ったのだろうか」というケースが多い。たとえば、就活生への無茶な要求、他社製品との露骨な比較などである。このような投稿は、たとえば、「一定のテーマを禁止する」「事前に複数名で確認する」などを徹底すれば、防げるはずである。また、炎上という域にはとどまらなくても、不適切な言動というのは、誹謗中傷の呼び水となる。もちろん、誹謗中傷においては被害者に責任はない。しかし、被害者に「原因」があることは珍しくない。たとえば、政治的に賛否の分かれているトピックにおいて、片方を応援するかのような(そう理解できる)投稿をした場合、それ自体はもちろん悪いことではない。ただ、それがきっかけで誹謗中傷の被害に遭うということは容易に想定できる。そして、その被害回復の困難性は第1章で繰り返し述べたとおりである。ネットトラブルのうち、誹謗中傷については、「自分は悪くない。悪いのは加害者である」というのは、正しいのだが、その正しさは企業にとってたいした意味がない(正しくても被害回復できない)のである。ネットトラブルの大部分は、従業員の心がけ次第で予防することができる。そして、その心がけを根付かせ、守らせるには、ルールを適切に作成することが重要である。(2) 企業のルールには何があるか企業(会社)のルールというと、真っ先に会社法が浮かぶと思われるが、ネットトラブルにおいて重要なルールはそれではない。ネットトラブルにおいて重要なルールは、従業員と企業との関係を定める労働法、特に労働契約法であり、就業規則である。就業規則は、使用者がつくりあいまであるが自由に定めることができる職場のルールである。なお、自由に定められるといっても、作成や変更には一定の制限がある。就業規則は、10人以上の従業員を常時使用する場合には、作成が義務づけられている(労働基準法89条柱書)。通常は、従業員の賃金や労働時間、休暇休憩などの待遇や服務に関する細かいルールを定めていることが多い。ひな型も書籍やインターネットで豊富に入手することができ、通常は、これらのひな型に各企業の個性、事情を踏まえた修正を施して採用しているケースが多い。就業規則においては、従業員の服務に関するルールも定めることができる。つまり、一定の義務を従業員に課して、これに違反する者に懲戒処分を予定することで、一定の行為をすること、あるいはしてはならないことを義務づけることができるのである。(1)で触れたとおり、ルールを作成するのは、従業員にネットトラブル予防のための心がけを身につけてもらう、ルールを守ってもらうためである。労働契約法は法律なので、各企業がそれぞれ定めることはできない。したがって、自由に定めることができる、この就業規則でルールを定める、ということになる。(3) いらないけれども必要な就業規則の記載(2)で就業規則によってルールを定めるべきであると述べた。しかし、理論的・形式的にいうと、ネットトラブルの予防法やネット利用上の禁止事項などについて就業規則に定める必要はない。法律上の義務はないのはもちろんのこと、実務上でもインターネットの不適切利用(情報漏えいや、他人の権利を侵害する投稿)をすることは、既存の就業規則に違反するからである。要するに、わざわざ定めなくても、インターネットの不適切利用は禁止されているし、それにより懲戒処分を受けることも当然であり、既存の就業規則にも違反する、ということである。たとえば、厚生労働省が提供しているモデル就業規則には「服務規律」がある。この67条には「会社は、労働者が次条のいずれかに該当する場合は、その情状に応じ、次の区分により懲戒を行う(後略)」という定めがある。そして、次条(68条)は懲戒事由を定めているが、1項3に「過失により会社に損害を与えたとき。」との定めがある。また、同2項9では故意の場合も定められており、情報流出はもちろん、誹謗中傷をはじめとしたインターネットの不適切利用は、これらに該当することは明らかである。したがって、就業規則の定めが「足りなくて」ネットトラブルに対応できないということは基本的にあり得ない。筆者の経験上も、これが問題になった事案に接したことは一度もない。それにもかかわらず、就業規則にルールが「必要な」理由は、次の3点からである。① 従業員への周知・教育効果がある。② 違反時の指導が容易になる。③ 違反時の処分が容易になる。①企業は、就業規則について、意見を集めたり(労働基準法90条1項)、周知をする義務がある(同法106条1項)。従業員は就業規則を遵守する義務があり、就業規則への違反は懲戒等の不利益な取扱いの理由になる。したがって、従業員にとって、就業規則に記載されたことに十分注意をし、守る動機にもなる、ということである。本項では、今後、研修のノウハウについても触れていくが、決まりを遵守させる上で重要なのは、「会社のためだけではない。違反をすれば自分にも不利益・責任が生じる」ということを実感してもらうことである。筆者は、企業向けに研修講師を務めることもあるが、「従業員個人に責任が生じる」という話をすると、会場の空気が少し変わる(集中して聞いてもらえる)ことをたびたび実感している。このような意味で、従業員への周知・教育効果を狙って、就業規則に定めを置くことは有効である。②次に、違反時の指導が効果的になるという点も重要である。違反があったが、実際に損害がなかったというケースで、ただちに懲戒処分にするほどではないケースで有用である。たとえば、顧客情報を社外に持ち出してはいけない、というルールがあるにもかかわらず、これに違反したが実際に漏えいなどはなかった、持ち出した期間も短かったような場合には、解雇はもちろん、何らかの懲戒処分とすることも難しいであろう。ただ、こうした場合に、「貴殿は、社外持ち出しが禁じられている顧客データ〇〇〇をUSBメモリにコピーし、これを社外に持ち出しました、このような行為は、就業規則〇〇条〇に違反する行為です。今後、このような行為を行わないように、ここに指導します。」という文書でも指導が容易になる。具体的に、指導をする場合でも、就業規則への違反を指摘することができれば、説得力も増すといえる。③さらに、あまりに悪質であり、懲戒処分をする場合にも有益である。就業規則に直接違反している、また、②のような指導を繰り返したという事実は、懲戒処分の有効性を争われた場合の非常に有力な武器になる。ネットトラブルに限らないが、従業員を懲戒する、特に解雇処分については、それまでの積み重ねが大事である。「前々から不良社員だった。これで堪忍袋の緒が切れたので、解雇する!」というのは、なかなか通用しないことが多い。それまでに、問題を指摘して指導に努めてきたが、一向に改善しない、といううことが重要になる。以上、要するに、就業規則にネットトラブルの予防のために、ネットの利用について定めることは、純粋に法的にいえば、必要はない。私的利用や誹謗中傷、情報漏えい、不適切なネットの利用は、いずれも、既存の就業規則に違反するし、懲戒処分ができなくて困るということはまずあり得ない。しかし、それをあえて明文でえて定めることで、従業員に自覚を促し、指導をしゃすくするという効果がある。これが、「いらないけれども必要」であると表現した趣旨である。さて、最後に具体的な定めであるが、理想をいえば、本章2節以降で述べるような内容を具体的に記載することが望ましい。もっとも、就業規則の修正には一定の手間、手続が必要になるため、細かい改正に対応することが難しい。したがって、大まかな基本点だけを定め、細かい部分は、会社の指示に従う、ルールに従う、というように記載することが効果的である。【就業規則に定めを置く場合の文例】第○○条 労働者は、会社から貸与されているコンピュータ、通信回線を適切に利用し、私的に利用(休憩時間を含む。)をし、あるいは会社に対して損害を与える使用をしてはならない。2 労働者は、会社から貸与されているコンピュータ、インターネットの利用について、会社の指示並びに定められたルールを遵守しなければならない。3 会社は、職務上の必要がある場合は、労働者に貸与したコンピュータ、インターネットの利用について、必要な調査を行うことができる。労働者は、この調査に協力しなければならない。後記(4)で触れるとおり、細かい指示については、会社向けの電子メールで注意点、遵守事項を伝えることも必要かつ有効な手段である。このような場合に、おいて、上記2項は、細かい(細かすぎまり)を別に定めることができるという効果がある。上記3項は、不適切使用については、たとえばブラウザのアクセス履歴を確認する必要も出てくるので、その調査権限を定めたものである。もちろん、これらの条項がなくても、会社に損害を与えるような利用をしてはならないのは、当然である(1項)。従来から各社が持っているような就業規則には、会社の物品を適正に利用しなければならない、業務外に利用してはいけない、利用することで会社に損害を与えてはいけないという趣旨の定めがあるはずである。それでも、理論的には十分にに対応できる。上記2項や3項についても、概ね同様であろう。もっとも、上記①ないし③で述べたとおり、就業規則上にこのような記載をすることで、従業員に明白に、ネット利用の適正確保のための意識を持たせることができる。また、違反時の指導についても、就業規則の条文を提示することができれば、従業員への教育効果も大きくなるであろう。したがって、こういう定めは、「いらないけれども必要」であり、そして有効に作用する。(4) メールで周知するだけでも効果ありこのようなルールの定めについて、就業規則で細部に至るまで定めるのは現実的ではない。それこそ、本章2節以降で触れるような、「送信」機能の利用や、タイトル、クラウドの関係など、そのようなものをすべて定めるとキリがない。そこで、前記(3)の就業規則の文例の2項に定めるとおり、会社は随時にルールを定めるが、従業員はそれに従うように定めることが適切である。法律の話にたとえると、国会を通す必要がある法律に細則まで定めると大変なので、細部は省令で定める、とする例は多数ある。就業規則と社内ルールもそのような関係にあるといえる。具体的には、社内ルールということで、本章3節以降で触れるようなルールを、随時、メールで周知することが有効である。メールであれば、一種の文章として証拠に残る。そうであれば、遵守しなかった場合に、指導したり、処分をしたりするときも役に立つ。加えて、折に触れて口頭で伝えるより、ルールとして文章の形式で伝えられたほうが、言われるほうも守りやすい。したがって、随時、メールでルールを周知することは有効適切である。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

事件は終わるが被害は終わらない
2025/09/05
(1) ネットトラブルは企業の「賞罰欄」賞罰欄とは、勲章などをもらった、あるいは、刑事罰を受けたなどを記載する欄である。通常、履歴書を作って就職活動する年齢層の場合には、勲章をもらうにはまだ早いので、たいていの場合は、「賞罰」のうち「罰」があれば記載するということになる。したがって、ほとんどのケースでは、「なし」と記載されることになる。また、そもそも、採用する企業からすれば、「賞」はともかく、「罰」については確認方法がないので、隠されてしまうとどうしようもない、という問題がある。仮に、前科前歴があったとしても、すでに処罰を受けて事件が終わっているのであれば、それを申告せずにマイナスに取り扱うのはどうか、という問題もある。また、そもそも、多くの人が「なし」と記載する以上、スペースの無駄ではないか、他に書かせることがあるのではないか、という話もある。そういうわけで、最近は、必要性がないということで、賞罰欄がない履歴書も多い。筆者は、刑事事件の弁護をすることもあるが、「前科がつくと賞罰欄に書かないといけないんですよね?」と質問を受けることがある。そういう場合、「そうですね、最近は、記載欄がないことが多いですよ」と返している。さて、そのため、企業としては、採用する「個人」については、その賞罰のうち「賞」はともかくとして、「罰」を知る機会はあまりない。筆者としては、前述したとおり、刑罰について前科そのもの(罰金等)以外の不利益を課すのは原則として問題な考えであるので、よい傾向であると思っている。ところが、個人からみた企業の賞罰欄は別である。企業には公用の賞罰欄があり、取引先、顧客、そして応募を検討する就職活動中の学生等から常に閲覧にさらされている。その賞罰欄というのが、他ならぬインターネットの検索結果である。社名で検索すると、不祥事を記載したページや、否定的なキーワードのサジェストが表示されることにより、過去の不祥事(やっかいなことにデマも含まれる)やトラブルが記録されて表示され続ける、ということである。ここで、サジェストというのは、検索キーワードの入力欄や検索結果に、他の検索キーワード候補として表示される言葉のことをいう。たとえば、「〇〇食品工業」で検索すると、入力欄には、「〇〇食品工業 ステルスマーケティング」「〇〇食品工業 産地偽装」と表示されたり、検索結果に、「〇〇食品工業 採用担当者暴言」「〇〇食品工業 パワハラ事件」などと表示されたりすることをいう。企業が不祥事を起こせば、それがネットトラブルであるか否かを問わず、ネット上には多数掲載される。しかし、ネットトラブルであれば、それは非常に顕著である。誹謗中傷やデマであれば、面白おかしく転載され続けるし、情報流出であれば、未発表の内容が見られるということで、これまた興味関心と呼んで拡散が続けられることになる。さらに、企業自身のネットでの情報発信に不手際があった場合は、文字データなので、コピーも簡単で、非常に拡散しやすい。過去に、BtoCの大手メーカーの採用担当者が、災害の最中にその採用活動を非常に短い期間で限定する、就活生を下に見ていうかのような表現をSNSに記載する、そのような文面を就活生に一斉メール送信をして問題となった事案があった。この事件は10年以上前の事件である。しかし、今でも、サジェストには事件関係のキーワードが並び、アーカイブ化していく。そして、災害が起きるたびに、SNSでは、社名と人名とが並んで発信される。これは極端な例であるが、名だたる大企業ですら、このようなトラブルを抱えることもある、ということは留意が必要である。ネットトラブルの事実、不祥事は保存や複製がしやすい。だから、拡散されやすい。そして、保存や拡散された不祥事は、検索により容易に誰でも調べることができなくなること、だからこそ、ネット上の検索結果が、企業にとってのいわば賞罰欄になってしまう、という現状があるのである。わざわざ賞罰欄のあるエントリーシートや履歴書を提出するように、応援する企業の就活生にも、社名などで検索してしっかり調べてくるのである。最初から、過去の不祥事の有無を確認するつもりで検索をするわけではなくても、企業研究の一環として検索したら、ネガティブな情報にたどり着く、ということも十分に想定できる。企業の永続性も、この「ネット上の賞罰欄」の悪影響は非常に大きい。それは、真実であればもちろん、ウソであっても同じである。ネット上のネガティブな投稿を削除してほしい、と企業から相談を受ける際、それに気がついたきっかけについて尋ねると、多くの場合、次のような回答が返ってくる。「検索して見つけたのではなくて、内定者から辞退があったことがきっかけです。辞退理由について尋ねたら、企業名で検索したら〇〇という情報があって、不安になった、家族からも止められた、といわれました。これではじめて気がついて、驚いています」。こういうことは珍しくない。以上のような事情があるので、企業の賞罰欄は綺麗なままがよいし、虚偽があれば、削除請求などの法的措置を積極的に検討すべきである。もっとも、(2)で述べたように、これも容易ではなく、端的にいえば、裁判所はとても冷たい、という現実がある。(2) 冷たい裁判所検索結果が企業の賞罰欄であるというのであれば、そのような結果やサジェストについて削除を求める裁判を検索エンジンの運営会社に対して起こすことも考えられる。しかし、それは容易ではない。ほぼ不可能である、といってもいいくらいである。裁判所は、検索結果に関する訴訟については、請求者にとって非常に厳しい判断をしている。検索エンジンは、インターネットの情報を取得しートを確保するための道具として、社会インフラであると評価されている。裁判所は、この見解に立って、検索結果に手を入れる(削除等を命じる)ことは、非常に慎重なのである。このような判断は、それなりに合理性がある。一定の検索結果の削除を認めると、インターネット上から、それにたどり着く方法が事実上なくなる。仮に検索結果に不備があるのであれば、検索結果そのものを根こそぎ消し去るような方法をとるのではなくて、個別の投稿を削除すればよいのではないか、ということである。この判断に反論することはとても困難であり、この傾向は今後も続くことが見込まれる。裁判例(大高裁令和元年5月24日判タ1465号62頁)は、「人格権としての名誉権に基づき検索事業者による検索結果の削除を求めることができるのは、昭和61年判決に準じて、検索結果の提供が専ら公益を図るものでないことが明らかであるか、当該検索結果に挙る事実が真実ではないことが明らかであって、かつ、被害者が重大にして回復困難な損害を被るおそれがあると認められる場合に限られるというべきである」その主張及び立証の責任は被害者が負うというべきである」という基準を定立している(「最大判平・不受理」により、同判決は確定している)。「重大にして回復困難な損害」が要求されており、請求者は、それを立証する責任があるということで、かなり重い負担である。なお、この事件は、原告は個人であり、50年前に暴力団員であった等の事実がわかる検索結果の削除を求めた事案である。判決では、削除義務は否定された。この事件で、原告は社会的地位が高いという事情があったが、それでも50年前のことであり、もはや暴力団とは関係がないにもかかわらず、それでも検索結果の削除を認めなかったということで、相当に厳しい判断であるといえる。これを企業(法人)に照らして考えてみると、完全な事実無根であり、それを証明できるケースでもない限り、まず検索結果の削除は認められない、ということになるだろう。なお、以上は、検索結果の削除のケースである。個別の記事の削除については、ここまで高度の証明は求められてはいない。もっとも、企業にとって、一番気になる、そして影響が大きいであろう職場の労働環境に関する投稿については、裁判所は非常に厳しい判断をしている。たとえば、「ブラック企業」「パワハラ」は、日常、上司日本語理解できない」といったかなり攻撃的な投稿であっても、権利侵害の明白性(削除請求ではなくて、投稿者の個人情報の開示を求める案件だったので、やや要件が重い)を否定した例(東京地判令和2年1月29日令和1年(ワ)21776号)がある。裁判所の理屈としては、「インターネット上の掲示板には出所不明の虚言や流言飛語、単なる推測や噂話の類いが多数出回っていることは顕著な事実であり、その種の投稿がされたとしても、直ちに社会的評価が低下するとはいえない」ということである。ただ、これについては、筆者の実感と異なるのは、前記のとおりである。このような投稿であっても、就活生が不安がって就職をためらうことはあり得るし、現に起きている。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

被害回復ができない法的理由と実情
2025/09/05
(1) そもそも加加害者にたどり着けないインターネット上の行動というのは、基本的に匿名で行われる。したがって、加害者は基本的に匿名であり、被害者が被害回復をしようとすれば、それを突き止めるところから始める必要があるということになる。まずは、犯人捜しから始めないといけない。これは大きなハードルである。そして、その犯人捜しについては、いろいろな方法があるが、誹謗中傷(名誉毀損)であれば、「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(プロバイダ責任制限法。なお、しばしばさらに縮めて「プロ責法」と称される)に基づく、投稿者の情報の開示請求が代表的な手段である。具体的には、投稿がされた掲示板・ブログ等のコンテンツプロバイダに対してIPアドレス(インターネットに接続する個別の端末を識別する符号。インターネット上の電話番号・住所のようなもの)の開示請求を行い、IPアドレスの開示を受ける。インターネットに詳しくない、それで終わるのではなくて、さらに、そのIPアドレスから接続に使った通信会社(経由プロバイダ)を割り出し、その経由プロバイダに対して、投稿者の氏名と住所の開示を求めて、2度目の開示請求をする、ということになる。通信記録は一定期間で処分されるのが通常であるので、以上の手続は非常にすばやく行わないといけない。また、プロバイダ、特に、投稿者の氏名と住所を保有している経由プロバイダにおいては、任意に開示請求には応じない。したがって、経由プロバイダを被告として裁判を起こして、判決で、投稿者の氏名と住所を開示するよう命じてもらう必要がある。これは別にプロバイダが悪徳業者ということではない。開示の要件を満たすかどうかの判断は困難であり、判断を誤って開示してしまった場合、プロバイダは投稿者のプライバシーを違法に侵害したとして、法的な責任を追及されることになりかねない。一方で、開示拒否の判断については、故意または重大な過失、つまり、故意にもしくは、重大な不注意で判断を誤った、という事情がない限りは責任を負わない(プロバイダ責任制限法4条3項)。要するに、法律が、プロバイダに対して、原則は非開示ということで対応しなさい。法律上のその例外を主張する、という態度を採用しているということである。そのため、プロバイダとしては拒否をしておいて、被害者は裁判に訴え、裁判所の判断に従う、という対応を取ることになる。読者の方も、一度くらいは、「ネット上の誹謗中傷問題の解決は難しい」という報道を目にしたことがあると思う。そもそも、スタートライン、つまりは、加害者に請求する時点までに達する(そして、費用的にも高額)のである。さらに、悪口であれば何でもかんでも、発信者情報開示が認められるのかというと、そうではない。法律の要件は、主として「侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」(プロバイダ責任制限法5条1項1号)とあるとされている。権利侵害の明白性が必要である、ということである。これは、単に違法であるというだけではなくて、違法化される事情もうかがわせないということまで求められる、ということである。ある言説によって、不名誉な事実があるとしても、それが社会の正当な関心事であって、相当な根拠があれば、そのような表現は適法となる。典型的なのは、政治家の汚職や、会社においてはいわゆる環境の問題、企業不祥事これに該当する。悪いことをしていないという事実について、一応の証明が必要であるということであり、これを証明するのはかなりの負担であり、開示請求の負担をさらに増大させている。『インターネット・SNSトラブルの法務対応』において繰り返し触れたところであるが、ひどい悪口でも裁判所は、表現の自由(憲法23条1項)への配慮から容易に開示を認めないので、被害者側としては、かなり厳しい状況が続いている。これについては、『インターネット・SNSトラブルの法務対応』51頁で触れているので、詳しくはそちらを参照してほしいが、「バカ」はもちろんのこと「妄想」、あるいは企業の関係では、社長が従業員を精神的に追い詰めて辞めさせるなど、かなりキツイ表現であっても、開示請求が認められていない。なお、2022年10月1日から、プロバイダ責任制限法の改正法が施行された。これにより、1つの手続(裁判)で、発信者の氏名・住所までたどり着けるようになった。これは、1つの手続内で、コンテンツプロバイダと経由プロバイダの双方を相手にする裁判を起こすことができるようにするというものである。具体的な内容は、コラム1をご覧いただきたい。したがって、あくまで、開示請求の手続上の負担が減るというだけである。これまで開示が認められなかった投稿が、ハードルが下がって新たに認められるようになるというものではない。発信者情報開示請求の弁護士費用は、40万円~60万円程度+実費+消費税といったところであり、海外業者が関係するなどの場合は、100万円近くになることもある(なお、上記の簡素化された手続が創設されれば、弁護士費用が低廉になることは期待できる)。個人の被害者にとっては大変な負担であることは論をまたないところであるが、企業であっても、右から左へと支出できるような金額ではない。コラム1 改正法に期待! 新制度って何?これまで述べてきたように、発信者情報開示のハードルは高い。そのハードルの内訳は、コンテンツプロバイダと経由プロバイダに対してそれぞれ発信者情報開示請求をする必要があるため、1回ないし2回の裁判手続を要求されるということである。開示の条件として権利侵害の明白性が求められる、という2点に起因している。そもそも、他の名誉毀損事件、例えば雑誌等であれば、いきなり出版社を訴えることができる。しかし、メディアがインターネットになるだけで、訴える前に2回も裁判をしないといけないことになる。しかも、権利侵害の明白性という高いハードルが設けられている。このハードルを越えられないと、そもそも加害者を訴えることができない、いわば門前払いということになる。もちろん、インターネット上の情報は、すぐに信用されるとは限らないということ、出版などと違って、安易に安直な情報が発信されているし、そういう素朴な感想、世間に流通することはそれ自体に価値がある。インターネット上の表現が、虚偽やそれ以外の表現よりも責任追及をしないというのは、それなりに理由があることかもしれない。他人にたいして否定的な表現をすれば、すぐに、自分の個人情報が相手に知られてしまい、いつ訴えられるかわからないというのであれば、誰も怖くてインターネットに投稿をすることは難しくなるだろう。もっとも、それでも、2回も裁判をしないといけないというのは、あまりに高すぎるハードルである。また、このハードルの高さは、発信者からすれば自分を守る壁になっていると解する(発信者情報開示請求をする)請求者が、この壁を一度越えた場合、双方にとって、次に述べるような状況が生じる。先に述べたように、このようなケースで責任追及をしないとしても、発信者情報開示請求には、弁護士費用を含めて、50万円~100万円近い費用がかかる。一度壁を越えて発信者に迫った請求者というのは、発信者に賠償請求をする時点で、それだけのコストを費やしているのである。そうであるとすれば、請求者としては、もう後には引けない。何としても、弁護士費用+自分が希望する慰謝料額の全額を獲得したいというのが、自然な感情であろう。そうすると、請求額は、100万円を超え、200万円を上回ることも珍しくない。筆者の経験上、訴訟の段階で、200万円から300万円程度の慰謝料の請求がされることが多い。他方で、仮に270万円から300万円の賠償が認められないとしても、200万円ないし300万円の慰謝料と弁護士費用との合計でこの金額になる、ということもある。ただ、そもそもこのような多額の支払を左右する裁判を左右する者はそうそういない。そして、たとえでも、実際の損害額の基準からいえば、100万円に満たず、うまくいって50万円前後である(もちろん、投稿次第である)。そうすると、発信者としては支払に応じられない。請求者としては、元を取りたい。弁護士費用を支払って無批判に終わりたいということがお互いに強引にならざるを得なくなってしまう、ということである。発信者情報開示請求について、これほど高額な費用がかかりながらすれば、請求者においても、途中で交渉の余地があり、発信者も応じることでできる水準の金額で解決できるかもしれない。このような解決ができない発信者情報開示請求のハードルの高さが、開示後の紛争の解決の困難にもつながっている。要するに、発信者情報開示請求の困難性は、請求者(被害者)だけではなくて、発信者(加害者)にとっても、開示費用も賠償額の全額を支払わなければいけない、ということであり、問題解決の支障になっているということである。このような状況は好ましくないので、発信者情報開示請求について、特別な裁判手続を創設する改正法が施行された。総務省は、「発信者情報開示の在り方に関する研究会」を設置し、令和2年4月以降、有識者らにより検討が進められ、同年11月に「発信者情報開示の在り方に関する研究会 最終とりまとめ(案)」が作成された。これを受けて、令和3年4月には、プロバイダ責任制限法の改正案が閣議決定され、衆議院に提出され、衆議院で可決され、参議院で可決・成立し、公布された。法案は複数あるが、その骨子は、発信者情報開示請求のため、正式な訴訟ではない特別な裁判手続(非訟手続)を創設し、コンテンツプロバイダと経由プロバイダへの開示命令を1つの手続で審理して発令できるというものである。また、海外事業者が関連する案件においても(正式な「訴訟」ではなく、おそらくは国際郵便が利用できるようになる)手続が提案されている。要するに、2回も裁判を繰り返す必要がなくなることが期待できる。上記改正は、本書執筆時点ですでに施行され、利用した弁護士からは課題も指摘されているが、概ね合理化・迅速化については、高評価である。そのため、発信者情報開示請求に費やす労力と金銭は、相当程度減じられることが期待できる。具体的には、3分の2、あるいは半額、海外業者が関連する案件であれば、従来の半分未満の費用と期間で請求が行えることもある。また、正式な訴訟であれば、双方の出頭は必ずしも必要ではないし、そうなると、経由プロバイダが東京に集中している関係で、ほとんどの裁判が東京地方裁判所で行われていた(民事訴訟法4条1項・4項により、被告プロバイダの最寄りの裁判所で裁判することが原則である)が、出頭を要しないのであれば、地方の被害者が地元の弁護士に依頼して、発信者情報開示請求をすることも容易になることが期待できる。もちろん、このように発信者の特定までの手続が簡易化・合理化され、コストも削減されたとしても、中で賠償するかどうか問題(賠償金が十分な金額にならない)の解消は、まだまだのことになりそうである。ただそれでも、新制度は、ネットトラブル、特に誹謗中傷等の被害に悩んでいる個人・法人にとっては福音になることは間違いないであろう。本書執筆時点ではまだ制度が始まったばかりだが、コンテンツプロバイダの中には、手続の進行に非協力的なところもあり、まだまだ課題は多そうである。(2) 十分な金額の判決が得られない現実とその理由さて、開示請求が無事に成功して、加害者の氏名・住所を得たとして、それはあくまでもスタートラインである。そこから、損害賠償請求をしなければならない。日本の法律上、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)の制度は、あくまで損害賠償が問題となっている。填補賠償とは、不法行為が生じた損害を埋め合わせる金額が賠償として認められる、ということである。このように書くと、被害全部を賠償してもらえるのであれば問題はないのではないか、と思われるかもしれない。しかし、ここでいう損害というのは、損害本体のみならず、その加害行為と因果関係を証明する必要がある。つまり、賠償が受けられるのは、その損害と加害行為との因果関係が証明できた範囲に限られる、ということである。しかも、金銭賠償の原則(民法722条1項・417条)といって、請求できるのは金銭のみになるのが原則である。したがって、デマにより名誉を傷つけられたので、それを打ち消すような広告をしてほしい、転載されたデマ投稿について削除してほしいなどを求めることができないのが原則である(謝罪広告という制度はあるが、認められるのは稀である)。そうすると、結局、実際に被害回復はしてもらえない、お金で解決するしかないということになるが、その肝心のお金についても、証明ができた範囲でしか認められず、その金額にはならない、というのが現実である。個人の被害者であれば、その損害は精神的苦痛であり、賠償金は、それに相当する慰謝料ということになるが、この金額は十分ではない。慰謝料というのは精神的苦痛をいわば金銭に換算するものであるが、その相場は非常に安い。インターネット上の投稿については、概ね30万円から50万円程度が平均である。10万円未満ということすらあり得る。100万円を超えるような金額が認められることは稀である。実例を挙げると、実名や顔写真を掲載して、性的な悪口を10回以上投稿したという事案において30万円が認容された判決(東京地判平成28年9月2日 平成28年(ワ)7502号)がある。同事件においては、原告の主張によれば、投稿者を見つけるまでに67万円も費やしたと主張しており、それも請求しているが、一部しか認められておらず、最終的に認められた賠償額は上記(30万円)のとおりそれに満たない金額にとどまっている。上記の事柄の他に、たいていは、弁護士費用にする満たない場合が大部分ということである。なお、一部の報道で、加害者が200万円、300万円を支払った、というような目を見張ることもあるかもしれないが、それらは特殊な例である(詳細はコラム2で解説する)。このようにネット上の表現トラブルに関する慰謝料相場が低いのは、そもそも慰謝料相場全体が低額である、ということが理由である。ネット上の表現トラブルに関する判例集だけが安いのではない。これは、筆者が、慰謝料の関係する法律相談の場において、わかりやすいのでいつも例に挙げていることであるが、死亡慰謝料の相場が2000万円というのが、1つの要因になっている。つまり、人間にとって最も言い難いであろう「死亡」という辛さ、それが2,000万円(もちろん、増額の余地はある数字である)である以上、ネット上の投稿に対する「辛さ」について死亡慰謝料の相場の1割すら認めてもらえないのは当然であるということである。以上は、個人が被害者の場合である。それでは、企業の場合はどうかというと、さらに困難である。企業の損害の根拠は、営業妨害、事業への支障、対応コストなどになるであろう。しかし、裁判所は、ネットの投稿については、「対応時間×時間単価」や「売上減少××××万円」など、そのような金額を積み上げた計算で賠償額を算定してくれない。個人の場合と同様に、ある程度どんぶり勘定で、「一切の事情を考慮して、…ということになり、あまり高くない、弁護士費用にも満たない金額が認容されるにすぎない。ネットの投稿が原因で取引を中止されたとしても、その事実は被害者からはわかりにくいため、証明の余地がない。事業者間取引でも、「ネットで御社に関する投稿を見たので、取引を中止しました」というように言われることは通常考えにくい。「取引を中止する」企業側はそのようなことを説明する義務はなく、そもそも、ネットの記事を真に受けたとも思われたくもないだろうが、ネットの記事が取引中止の原因であるとは告げられない。消費者との取引では、そもそも取引を始めてもらえない(顧客になってもらえない)ので、これまで取引を始めていた。したがって、損害の賠償額について、算定すること自体が非常に難しいことも裁判所で認められる金額の低さにつながっているだろう。裁判例も、企業にとっては厳しいものが多い。たとえば、企業の製品についてその製品と同じ名前のドメインを取得し、その製品が低品質であるなどと記載した事案でも、1,000万円の請求に対して65万円が認容されたにすぎない(大阪地判平成29年3月21日平成28年(ワ)7383号)。なお、同事件において、原告は、発信者情報開示請求の弁護士費用相当額として100万円を請求している。実際に支出した金額は不明であるが、大きく離れないと仮定すると、結果としては、訴訟で被告を回復どころか、「赤字」になった、つまり、経済的には損を広げてしまったといえる(もちろん、問題のウェブサイトを閉鎖させることが目的であったと思われるので失敗と判断することはできない)。他に、架空の口コミ投稿をすることで、業界の比較ランキングサイトにおいて、自己を1位と表示した事件において、競合他社が賠償請求をしたという事案がある。原告は、行為者の特定費用43万2,000円を含む合計354万円を請求したものの、ウェブサイトそのものの掲載による損害は認められず、弁護士費用のうち8,877円が認められたにすぎない(大阪地判平成31年4月11日平成29年(ワ)7764号)。もちろん、このような投稿(ウェブサイト)を企業としては決して放置できない。したがって、このように訴えて違法性を確定させること、投稿を削除させ、二度と同様の行為に及ばないようにさせるためにはやるべきである。企業としては放置できないので、被害が拡大防止はできるし、やらざるを得ない場合もある、ということである。コラム2 ネットトラブル加害ガチャ『加害者SSR』を引けばラッキー?このコラムのタイトルを付けたのは、やや抵抗を覚えた。しかし、ネットトラブル、特に違法な投稿の被害とその回復には、こう言わざるを得ない、身も蓋もない現状がある。それを明確に、それで印象的に説明するには、これが一番と思われるので、あえて付けた次第である。最近のスマートフォンやタブレットで遊ぶゲームの大部分は、最初にお金を払う必要がない(なんなら、最後まで1円も払わなくてもよい)。ただ、お金を払うことで、ゲームを有利に進めるアイテムやキャラクターを入手することができる。購入にあたっては、自由に選択肢から選ぶこともできるが、そうではなくて、俗に「ガチャ」といわれる、一種のくじ引きを行い、ランダムでアイテムやキャラクターが手に入る、というシステムになっている。当然このアイテムやキャラクターが登場するまで、繰り返し購入(地のもの)をするのである。後にクレジットカードや携帯電話会社の料金と合算請求されるので、これを俗に「課金」という)をすることもある。これで、合計額が高額になる、特に未成年者が利用して親に高額請求が来ると、社会問題になったこともある。このように、ガチャで手に入るアイテム、キャラクターの中で、貴重で(滅多に出ない)、強力なものを「SSR」などという。RとはRareのRであり、貴重であるという意味である。SはSuperであり、特に貴重であることを、それが2つ重なるので、「SSR」とは、どこまでも貴重である、という趣旨である。さて、ゲームの解説から離れて本題に戻るが、すでに述べたとおり、ネットトラブル、特にネット上の表現トラブルにおける賠償金は非常に低いというのが現状である。また、10万円もかけて、せっかく特定しても、実際に被害を回復するまでには大きな負担が伴う。もっとも、以上は、裁判で判決まで争った場合である。被害回復に要する費用という話も、加害者が認諾された賠償金を任意に支払わない場合である。ネットトラブルに限ったことではないが、すべての法の紛争が裁判に持ち込まれて判決まで至るわけではない。話し合いで解決せずに判決になり、そして強制執行が成立しない場合に、判決に至るのである。また、強制執行も、被告が任意に履行(支払)に応じない場合にのみ必要になるものである。したがって、裁判を起こす前に、加害者が任意に支払に応じる、それも高額な支払に応じれば、費用を負担しようとする問題は発生しない(ただし、事件のあった事実は残るので、3の問題だけは残る)。裁判であっても、数十万円程度の賠償にしかならない見通しなのに、100万円、200万円といった弁護士費用を払っても任意に相当な金額を支払うケースがあるのか。加害者は「損」なのではないか。そういうケースはたしかに存在する。しかし、数割合においてはわずかであるが、そういうケースはたしかに存在する。たとえば、投稿が脅迫などの内容を含み、刑事事件になっている場合や、加害者が公務員など、そのような処分や懲戒に弱い身分を受けるリスクのある場合、あるいは、それらの事情がなくても、「裁判だけは勘弁してほしい」と裁判について強い忌避感のあるケースなどがこれに該当する。このようなケースにおいては、加害者としては請求を争った場合に、お望み以外になろう(と思っている)ものが多いため、高額であっても、早期に示談する動機があるので、100万円、200万円、あるいはそれ以上の金額で解決が成立するということである。もっとも、ネットトラブルの加害者が、どのような人物であるか、その人物を発信者情報開示請求などで特定するまでわからない。そのため、加害者が任意の支払に応じるかどうかは、運の善し悪しの問題としか言えない。たとえば、未成年者などであり、かつ、反省についても誠実であるケースであれば、被害回復は困難に終わることもあるだろう。つまり、このような誤解が生ずるかどうかは、全く運の問題である。ただ、加害者が特定できる場合であれば、その数に比例して、上記のような解決ができる可能性が増える、ということである。これこそ、まさに、上記の「ガチャ」のようであり、いわゆる「加害者ガチャ」といえる。個人であれ、企業であれ、被害者としてはその被害に相当な損害の賠償が本当に得られるのか否かが決まってしまうのはたまったものではない。だが、それを望まない現実として、このような「加害者ガチャ」次第であることは、留意する必要がある。ネットトラブル案件で、「高額の賠償で解決」という話を聞くこともあるが、これは、加害者のほうに、上記のような事情があった、非常に幸運なケースである場合がほとんどである。裁判で勝って勝負に負ける話誹謗中傷をはじめとするネット上の加害行為の賠償金が安いことについては、(2)において繰り返し強調してきたところである。ただ最近は、裁判所としても、このような事態について問題意識があり、発信者情報開示請求、つまり加害者を見つけるのに費やした弁護士費用を賠償金に加算する、あるいは、そのまま加算しなくても考慮して金額を引き上げるとういこともある。また、そもそもの慰謝料や名誉毀損の金額の算定を高めにする傾向もないわけではない。もっとも、はっきりとした統計上のデータがあるわけではなくて、あくまで、筆者の事件処理上の実感にすぎない。また、ネットトラブルの加害者というのは、裁判外の請求に対しても、裁判になっても(訴状が届いても)、一切を無視するという者も一定数いる。この場合、裁判のルールとして、訴状を受け取っているのに欠席をすると、原告の言い分をすべて認めたという扱いになる。慰謝料というのは法的な評価の話なので、欠席裁判でも満額認められるとは限らないが、基本的に争いがないのであれば、裁判所は非常に高額な慰謝料を認める。そのため、加害者が欠席する、欠席しないまでも、弁護士を付けず反論ができないなどの事情により、裁判所が被告をきちんと認定してくれて高額な判決を得られる場合もないわけではない。したがって、弁護士費用を支払って、まだ余りある・被害回復できる程度の賠償判決を得られた、つまり、裁判に勝つこともあり得る。では、そうであれば、それでめでたしめでたしといえるかというと、もちろん(?)そうではない。民事裁判の判決の主文(判決の結論)には、このような記載がされる。すなわち「被告は、原告に対し、金100万円を支払え」というような記載がされる。なお、実際は、これに加えて、遅延損害金といって、被害の発生日から年3%の利息と、訴訟費用という印紙代の負担なども命じられる。では、裁判所が、「100万円を支払え」といっているのであるから、自動的に被告が支払ってくれるのかというと、そうではない。また、裁判所が勝手に取り立ててくれるかというと、それもそうではない。もちろん、被告の家に押しかけて、勝手に財産を持ち出すなんてことも当然許されない。そんなことをしたら、今度は、こちらが恐喝罪いわれ、責任を問われることになりかねない。裁判所の判決が出れば、みんなそれに従うのかというと、そうではない。意外に思われるかもしれないが、裁判所の判決を無視する(される)ケースは少なくない。判決をして判決まで終わった、勝訴した、控訴もされずに確定した、でも、支払ってくれない、というような相談を弁護士が受けることはしばしばある。裁判所の判決に従わないことについては、罰則は存在しない。これが、刑事事件であれば、罰金を支払わないのであれば、その「代わり」に労役場留置といって、1日5000円、罰金50万円であれば100日間、労働を強制されることになる。しかし、民事訴訟には、そのような制度はない。では、裁判所の判決で認められた賠償金について、被告が任意に支払わない場合はどうするか。この場合、強制執行といって、裁判所に申立てをして、裁判所により、強制的に債務者(強制執行の段階に至った場合、申し立てる元原告を債権者、その相手方である被告を債務者という)の財産を差し押さえるという手続をとることになる。ただ、この手続が非常に大変である。自動的に裁判所は強制執行をしてくれない。裁判所に行って、各種の証明書を取得し、その上で申し立てる必要がある。また、このときに、「どの財産を差し押さえるか」を指定する必要がある。しかし、そもそも債務者の財産というのは、他人の財産の中身である。ある人がどこにどういう財産を持っているかなど、通常はわからないことがほとんどである。たとえば、不動産であれば、その場所がわかれば、登記簿をみて、不動産が所有者を探り出すことはできる。しかし、逆方向、つまり、所有者から所有不動産を割り出すことは容易でない。給料の差押えは、心理的にもプレッシャーをかけることができるので、これも有効ではあるが、そもそも勤務先がわからないことが通常である。また、預金を差し押さえようにも、銀行名だけではなくて、多くの銀行(特に都市銀行)は、支店名までの特定を要求される。ATMやネットバンキング全盛の今日においては、債務者の最寄りの支店に口座があるとは限らない。となると、現実的には預金の差押えも非常に難しい、ということになる。さらに、動産執行といって、債務者の自宅に赴いて、その家財道具等を差し押さえる手続もあるが、これまた非常に困難である。費用も手間もそうであるが、そもそも、差し押さえられる財産がないことがほとんどである。家電製品も、買えば100万円するものでも、売ると1万円にもならない、ということはしばしばである。しかも、生活必需品は差し押さえることが禁じられており、現金は、66万円を超える部分しか差し押さえることができない(民事執行法131条3号 民事執行法施行令1条)。今日、自宅に66万円を超える現金を保管している例は稀であろう。したがって、判決はしばしば、「絵に描いた餅」に終わるのである。ここまでやって、費用をかけても、1円も手に入らない。むしろ、強制執行のために時間と費用をかけてしまって傷口を広げる、いわば「裁判で勝って勝負に負ける」ということは、頻繁に起こる(弁護士であれば、誰しも一度は経験のあることだろう)。このような、裁判所の判決が絵に描いた餅になってしまう現状は、長年、問題視されてきた。そこで、近時の法改正で、財産開示(民事執行法196条以下)、あるいは、第三者からの情報提供(銀行から口座情報を得るなど)(民事執行法204条以下)という制度が創設された。もっとも、このような制度は無条件で使えるわけではない。また、これらの制度を利用するにあたり、別にコストがかかる。また、これらの制度を利用してもわかることは、債務者の財産の場所だけである。債務者が十分な財産をもっていないのであれば、結局は、賠償金を回収することが不可能であることに変わりない。それでもやっぱり回復できない無事に裁判で勝ち、財産を見つけ、強制執行をして、それで判決どおりに回復できたとしても、やっぱり被害は回復できない。ここまで「フルコース」でやった場合、弁護士に支払う費用はもちろんのこと、時間も相当かかる。さらに、弁護士費用は各自負担が原則である。被害者といえども、自分の弁護士費用は自分の財布から出さないといけない。費やした時間も戻ってこない。法律上、年3%の利息が発生するルールになっているが、時間に見合う価値は通常はない。しかも、企業の場合、誹謗中傷によらず、自社の商品やサービスに関するデマにせよ、情報漏えいや悪用、著作権侵害にせよ、できれば、過去のものにしたいところである。時間がかかって、それで解決したという場合、これのプレスリリースをすると、「まだやっていたのか」あるいは「え、そんなことがあったのか」ということで、蒸し返すことにもなりかねないからである。そのため、コラム2で述べたようなケースでもない限り、裁判に勝ち、差押えにも成功しても、やっぱり被害は回復できないのが実情である。コラム3 差押の必勝科目「強制執行制度の説明」「町弁」という言葉を聞いたことがあるだろうか。マチベンとカタカナで書かれることもある。どういう意味かというと、普通の街にいる弁護士、町医者の弁護士版であり、個人の依頼者をお客とする弁護士のことである(もちろん正式な定義があるわけでもないので、これは筆者の理解である)。企業によってですら、弁護士に依頼することはそうよくあることではない。個人であればなおさらである。したがって、町弁は、依頼者にとって最初で最後の弁護士となることが多い。これまでに弁護士に依頼したことがなく、たぶん、これが最初で最後の依頼、ということである。そうなると、町弁としては、依頼を受けるのであれば、あらかじめ詳しく依頼者に説明しないといけない。さもないと、こんなはずじゃなかったとトラブルになるからである。特に個人の間のトラブルだと葛藤案件(双方の感情的対立が激しい案件)も多く、期待外れになると、弁護士に矛先が向いて、それこそ弁護士とのトラブルに発展したりする。これは、勝てるか負けるかの問題はもちろんであるが、それまでにどの程度の時間かのかるのか、勝てるとしても、大綱なのか辛勝なのか、そのような説明も必須である。そして、それよりも大変なのが、「強制執行制度」の説明である。裁判で判決が出れば、自動的に支払ってもらえる、相手方はお手上げで観念して判決にすぐさま従うはず、絶対に裁判所が自動で引き落としてくれるなどという誤解は根強い。しかし、判決が出るまでにこれだけ楽で、しかも個人が相手ということになると、双方の感情対立は激しい。筆者の経験上も、被告席を担当して、支払いを命じる判決が確定したにもかかわらず、一切支払わない、「支払う気はない」と明言される方もまたあった。また、被告側を担当して、「自分で払う気はないので、勝手に差し押さえてもらってよい」などと言われることもしばしばであった。特に訴える側からすると、市民感覚でいえば、「裁判所の判決が出れば自動的に支払ってもらえるはず」というのは自然で一般的な感情であるが、説明してきたとおり、それは実態とは異なる。この点、つまり、判決というのはしばしば絵に描いた餅になってしまうこと。その他に描いた餅を食べられるようにするには、つまり強制執行してお金にするには、相当な苦労が必要であり、しかも、それができるという保証もないことを依頼者に十分説明する必要がある。弁護士であれば、筆者も含めてそのほとんどが、勝訴判決が絵に描いた餅になってしまった経験がある。しかし、これは、市民感覚からは大きく乖離している現実である。この点について説明を尽くすのは、特に当事者が一般市民・個人である町弁にとって必須のテクニックであり、いわば必修科目であるといえる。以上は、町弁の案件、つまり紛争の当事者が一般市民であるケースだけの間題ではない。一方当事者が企業の場合、つまり、本書を手に取るような企業の法務担当者や弁護士であっても、同様のリスクがある。なぜなら、企業に対して、ネット上の表現等で情報発信の加害者になるのは、いずれも個人であることがほとんどであるからである。誹謗中傷のケースであれば、ライバル企業が工作をするというようなことは想定しがたい。一般市民、消費者などが中傷を投稿することがほとんどである。そうすると、上記のうち、絵に描いた餅の問題というのは、企業にとっても常に存在することになる。また、情報流出のケースも同様である。この場合、加害者(事故を起こした者)は、企業自身の従業員ということになるが、従業員は個人である。そうすると、その従業員へ賠償請求すると、やはり個人相手の差押えの問題にぶつかることになる。ネットトラブルにおいて、企業が基本的に被害者になることが多く、加害者はほとんど個人である。したがって、企業間紛争のように「相手に払わないリスク(ただし、倒産する会社で財産がない等のケースを除く)をあまり考えないでよい」ということにはならないのである。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

ネットトラブルの被害回復はほぼ不可能という現状
2025/09/05
(1) 被害回復の実情と困難性本書の第一弾に当たる『インターネット・SNSトラブルの法務対応』において、繰り返し強調していたことであるが、ネットトラブル(本書では、ネットへの投稿で情報流出等を起因とする法的トラブルを一括して、こう呼ぶこととする)は、被害回復が非常に困難である。その理由の詳細は、本章で触れるが、要するに、加害者を見つけることは大変だし、見つけられても、「被害額に戻せ」とはいえず、金銭が請求できるだけである。加えて、その金銭も結局十分な金額ではなく、そして、しばしば勝訴判決は絵に描いた餅となる。『インターネット・SNSトラブルの法務対応』をお読みになった方の多くは、「ネットトラブルは、被害が大きいだけではなくて、起きてしまった後に解決することも大変である」と実感されたのではないかと思う。これは、まさに本書の企画のきっかけになった視点である。筆者の弁護士としての経験を踏まえると(これは他の事件についてもさる程いえることであるが)、ネットトラブルの被害者が、被害前の状態に回復する程度の賠償を得ることは非常に困難である。筆者は、ネットトラブルの加害者(なお、請求を受けているだけなので、必ずしも不法行為をしたと確定しているわけではない)側の弁護も多数行っているが、多くの事案で、「この賠償額(判決)だと、相手方は弁護士費用の回収もできていないだろう」と感じているというのが実情である。ネットトラブル予防の重要性と本書の内容被害回復が難しい以上は、予防をすることが重要である。本書では、ネットトラブルの予防法、具体的には、情報流出にはどのような原因があるか、誹謗中傷の早期発見、あるいは、それを誘発・炎上させないための心得、ルール作りについて解説する。また、ルールを作ることと守らせることは別の問題である。そこで、研修の実施方法やコツについても解説をする。なお、『インターネット・SNSトラブルの法務対応』でも触れたが、研修を実施すること、そして、その証拠を作ることは、裁判で「勝つ」ための武器にもなる。発生後は再発防止が重要になるが、その具体的な方策、加害者対応についても解説する。特に、情報漏えいと異なり、誹謗中傷であれば、社外に「加害者」がいる。インターネット上の誹謗中傷の加害者というのは、非常に取扱いの難しい存在である。気をつけないと、返り討ちに遭うことさえある。この点を踏まえて解説を行う。また、それに先立ち、本章では、ネットトラブルの予防の重要性を実感していただくために、被害回復が困難な理論的、実務的な問題を取り上げる。昨今、ネット上の誹謗中傷が話題になっているが、加害者の責任が強調される中で、あたかも、誹謗中傷の賠償金が容易に100万円、200万円といった金額に上るとの誤解も生じているようである。筆者は、相談を受ける中で、「報道にあったように、100万円くらいとれるのか?」と尋ねられることがしばしばある。また、同じような案件を取り扱う弁護士同士で情報交換をすると、やはり、そういう期待を抱く被害者が増えている、ということはよく話題に上る。もちろん、実際はそう簡単に100万円、200万円といった賠償金を得ることはできない。また、それ以前の問題(障害)も多数あるから、特に強調しておきたい。また、この視点、つまり被害回復の困難性について理解を深めることは、研修の実施においても重要かつ有益な視点である。人間、大変な問題であるということを実感しないと、真剣にはなれないからである。したがって、本書においては、あえて、予防法の中身に入る前に、この点について詳しく説明する。なぜ予防が大事なのか。それは被害が大きく、被害回復が困難だからであるが、それはどうしてなのか。理論上、さらには事実上の問題について解説したい。

『企業法務のためのネット・SNSトラブルのルール作り・再発防止』 深澤諭史著・2023年

ISBN978-4-502-4541-7

製造物責任
2025/09/03
家電メーカーの現地法人Bは、P国に工場をもち、電動ストーブを生産している。Dが独占ストーブは、Aによりわが国に輸入され、大手家電メーカーのブランドで量販店スーパーマーケットを中心に販売されている(商標をαとする)。Kは、2024年11月1日、Dの経営する家電量販店で、αを1台、代金1万2千円で購入し、持ち帰った。Kは、購入したαストーブ(βとする)を子犬の大学生Xに渡し、Kは、自分の勉強部屋でβを使い始めた。βは、同年7月17日に被告が販売された商品であった。ところが、使用開始から数日経過した頃から、Xは原因不明の頭痛・不快感等に悩まされるようになった。Kは、2025年1月9日に、XをS大学病院で診察してもらったところ、Xの症状は「化学物質過敏症」とされるものの判定基準を満たすことが判明した。また、XとKは、医師との会話の中から、Xの症状がβから出る化学物質によるものではないかという疑いをもちうるようになった。そこで、Xは、翌日からβの使用をやめたが、症状は一向に改善しない。外出先でも頭痛・不快感に悩まされる機会が増え、将来の就職にも不安を感じている。Kは、βを専門の検査機関で調べてもらったが、そこのβの微量の化学物質が出ていることが判明した。なお、Kは4LDKのマンションに暮らす4人家族であるが、家族にはX以外、症状は出ていない。また、αについては、「スイッチを入れたあとの臭いがきつい」との苦情がたびたびDのもとに全国で30件ほど寄せられているが、Xのような症状を訴える者は今のところ出ていない。現在は、2025年8月15日である。あなたは、KとXから、Dの従業員に対して損害賠償請求をすることをと考えているが、法律上の問題点があれば教えてほしいとの相談を受けた。あなたは、どのような助言をするか。●参考判例●① 東京地判平成6・3・29判時1493号29頁② 東京高判平成18・8・31判時1959号3頁③ 東京地判平成20・8・29判時2031号71頁●解説●1 考えられる請求の方法本問では、Xが請求権者となって損害賠償請求をしていく可能性と、Kが請求権者となって損害賠償請求をしていく可能性がある。このうち、Xは、自己の健康に対する侵害を理由として、不法行為に基づき損害賠償請求をしていくことになる(なお、「第三者のための保護を伴う契約」の射程もあるが、この問題についてふれる文献は少なく、また、本書の読者層を想定したときに必ずしも言及に堪えないと考える。解説を省略する)。また、Kは、(解説の都合上、民法711条の適用に関する問題を問うとすれば)βの売主に対し、βの瑕疵を理由として損害賠償請求をしていくことになる。以下では、まず、Xによる損害賠償請求の可能性、ついでKによる損害賠償請求の可能性について整理する。2 B・A・Cに対するXの請求:製造物責任法3条に基づく損害賠償請求Xによる自己の健康に対する侵害を理由とする損害賠償請求であるが、まず、請求の相手方を考えてみよう。Xとしては、実際にβを製造したB、輸入したA、βにブランド名を付したC、そして、βを製造したDを請求の相手方として考えることができる。このうち、B・A・Cについては、(民法709条による請求の可能性は否定されないとして)無過失責任を定めた製造物責任法3条に基づく損害賠償請求の可能性がある。製造物責任法は、1994年に成立した法律で、1995年7月1日の施行日後に製造業者等が引き渡した製造物について適用される(それより前に引き渡された製造物による事故は、民法の規定によって処理される)。製造物責任法が適用されるのは、「製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る損害が生じた場合」である(製造物2条1項)。そこでの「製造物」とは、「製造又は加工された動産」であるから(同条2項)、本問におけるβは、これを満たす。また、製造物責任法で責任を負うのは、「製造業者等」であるが、ここには、当該製造物を業として製造・加工している者のほか、輸入業者や、製造業者として製造物に表示されたその他意図的な製造業者も認められる者が含まれる(同条3項)。その結果、B・A・Cは「製造業者等」として、製造物責任法3条に基づく責任を負担する地位にあるものといえる。もっとも、製造物責任法3条の責任が成立するには、βが無過失責任であることのほかに、「欠陥」があったのでなければならない。ここにおける「欠ゅかん」とは、「当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」である(製造物2条2項)。しかも、同法4条・5条によれば、欠陥は、製造物の「引渡時」に存することが必要である。さらにいえば、製造物の「欠陥」が引渡時に存したことについて、被害者が主張・立証責任を負う。加えて、「欠陥」と損害・因果関係がないと損害との因果関係)も必要であり、これについても被害者が主張・立証責任を負う。その結果、製造物責任がもつ(過失の証明を必要としない)無過失責任であるとされたのに、「欠陥を立証できなければ、損害賠償請求が認められない」とか、「因果関係を立証できなければ、損害賠償請求が認められない」といった懸念も生じてくる。こうした懸念に対しては、主張・立証の対象となる事実を被害者に有利にとらえることで対応することが考えられる。その手がかりとなる判決が、製造物責任法施行後の民法709条の不法行為の立証に関する「テレビ発火事件」(参考判例①)と称される判例にみられる。この判決は、仮に、「製品の性状が、社会通念上製品に要求される客観的な安全性を欠き、相当な危険性が残存すれば、その製品には欠陥がある」という見解をとり、この立場での「欠陥」を、「どのような危険を生じさせたのかという具体的な危険性、物理的、化学的要因」(物的な欠陥)から区別した。この言い回しは、製造物責任法のもとでも、「具体的な危険性、物理的要因、化学的要因」と欠陥の主張・立証責任の対象となる事実を要求しないとの整理につながる。また、この判決は、第2に、「物的な欠陥」から「引渡時の欠陥」を推認するという方法にも道を開いている。このようにして、欠陥についての主張・立証面での被害者の負担は軽減される余地がある。因果関係についても同様に考えることができる。なお、製造物責任法3条に基づく請求を考えるうえでは、同条に基づく請求をすることのできる「損害」についても注意が必要である。同条本文によれば、損害賠償請求は、「引き渡した物の欠陥により人の生命、身体又は財産を侵害した」ことによって生じた損害である。これに対して、「その損害が当該製造物についてのみ生じたときは」、同条本文による請求は差抑えられる(同条ただし書)。本問では、Xへの健康被害が生じているため、このことは、同条ただし書に反する。次に、こうして、製造物責任法3条に基づく損害賠償請求をされた「製造業者等」は、民法722条2項による過失相殺の抗弁(損害賠償義務の違反を理由とするものを含む)、判例によれば、民法4条1号に基づく「開発危険の抗弁」をなすことができるほか、製造物責任法4条1号に基づく「開発危険の抗弁」をなすことができるほか、製造物責任法4条2号・3号に掲げる事由を提出する余地がある。「当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと」を内容とする抗弁である。もっとも、「認識可能性がなかったこと」が緩やかに解されてのでは、過失における「予見可能性」に近づき、「開発危険の抗弁」が「普通の抗弁」との変わりないものとなり、製造物責任を無過失責任として規定した趣旨に反する。それゆえ、同法4条1号を基準としている科学技術の基準については、製造業者の情報収集・研究能力いかんにかかわらず、引渡時点において入手可能な最高の水準のものが要求されているものと解すべきである。なお、余力のある読者の方は、B・A・Cについて共同不法行為の成立する余地はないかどうかを検討しておればおもしろい(共同不法行為については→本書69頁参照)。3 Dに対する請求:民法709条に基づく損害賠償請求XがDに対して、自己の健康に対する侵害を理由として損害賠償請求をするには、Dに製造物責任法にいう「製造業者等」に当たらないゆえに、民法709条に基づく契約関係のない第三者への一般の不法行為による請求をすることになる。Xとしては、民法709条に基づいて損害賠償請求をするのである。損害賠償請求のためには必要な要件についても、証明を省略する。なお、Dからの抗弁についても、説明を省略する。なお、B・A・Cへの損害賠償は、通説・判例によれば、不真正連帯債務となる。4 Dに対するKの請求:契約不適合・債務不履行に基づく損害賠償請求Kについては、自己に対し、直接的(かつ)に損害がない不適合があったことを理由として、損害賠償請求をすることができるか(564条・615条参照)。このときの要件(種類物売買における履行の提供が不完全)、Dからの反論の可能性などについては、本章の解説を参照されたい。設問関連本問について、Xから、さらに次のような質問があった。あなたとしては、どのように助言をするか。(1) 「αから健康被害を受けた者は、私のほかにはいないようですが、このことは、私の損害賠償請求するうえで、どのような意味をもってくるのでしょうか」(2) 「実は、ここに相談に来る前に、私はαに似た電動ストーブを(あなたのいう化学物質や健康被害と疑われる症状はまったく同じです)D店舗の店員で相談したのですが、『βが原因で健康被害などありえません』といわれました。しかも、βについてはD店舗の保健所の苦情などで化学物質過敏症という症状を訴えている人は一人もいません」ともいわれました。このことは、私の損害賠償請求を認めてもらえるのでしょうか」(3) 「化学物質過敏症という症状については、その定義をめぐって専門家の間でも確立していないとの記載もみかけますが、このこと自体、私の損害賠償請求するうえで、どのような意味をもってくるのでしょうか」(4) 「私が得ることができたであろう逸失利益(逸失利益)については、どのように算定されるのでしょうか」また、同じく、Kから、さらに次のような質問があった。あなたとしては、どのような助言をするか。(5) 「αから健康被害を受けた者は、Xのほかにはいないようですが、このことは、私の損害賠償請求するうえで、どのような意味をもってくるのでしょうか」(6) 「βに契約不適合があるかどうか考えるうえで、決定的な要因は何でしょうか」(7) 「私は、βの診療の際の医療費・交通費などを支払いましたが、これらの費用は、誰が、どういう理由で、誰に対して請求すればよいのでしょうか」(8) 「私は、βを返して、別の電動ストーブをもらいたいのですが、それは可能でしょうか」●参考文献●★新美育文・争点298頁/潮見佳男「『化学物質過敏症』と民事違法論」根岸季雄編『現代社会における責任』(有斐閣・2007)169頁/飯塚和之・リマークス36号(2008)55頁(潮見佳男)

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9

共同不法行為
2025/09/03
Xは、2021年9月6日午後10時ごろ、制限速度が時速50キロメートル、終日駐車禁止の片側2車線の交通量の多い道路を自家用車で走行中、携帯電話の着信に気づき、左側の第1車線のハザードランプを点滅させて車を止めたところ、同じ車線を前方不注視のまま時速60キロメートルで走行するYの運転する自動車に後続に追突された。このとき、以下の2つの独立した過失に加えて、現在の論点は2022年3月1日である。(1) Yは、前方に駐車中のX車に気づき急ブレーキをかけたが、わずかに間に合わず、X車のリアバンパーの一部をへこませた。運転中にシートベルトを外していたXは、頭部をハンドルに強打したので、近くのA救急病院まで自ら車を運転して、当面の9日間の治療(脳神経外科が専門)の診察を受けた。Xは、当時、意識が鮮明であり、また、Bの問診に対してシートベルト未装着の事実を告げ、診察による首の痛みだけを訴えたため、Bは、Xが軽い鞭打ち症だと考えCT検査等をせずに経過観察を指示してXを帰宅させた。しかし帰宅直後、Xは急性硬膜外血腫により容態が悪化、救急車でA病院に運ばれ手術を受けたが、重い後遺症が残った。Xは、Yに対して、後遺症による損害の賠償を請求できるか。(2) Yは、駐車中のX車に気づき、後方確認をせず、右ウィンカーを出すのと同時に第2車線に進路変更したところ、第2車線を時速80キロメートルで走行中のZの運転に追突された。その衝撃でY車は、X車に衝突した。この事故でX、Y、Zはそれぞれ1200万円、Y・X・Yの過失割合は1対4対5である。X、Y、Zに、それぞれいくらの賠た償を請求できるか。●参考判例●① 最判平成13・3・13民集55巻2号328頁② 最判平成15・7・11民集57巻7号815頁●解説●1 小問(1)について小問(1)では、交通事故と医療過誤が複合的に競合している場合に、どのような法的処理に服せられるか。加害運転者と医療機関は、医療過誤で患者が死亡するにまで至らず、ある程度は後遺障害の程度が低減しているという点で、この事故について医療過誤がない場合であっても、Yの運転による交通事故という3次的ないしは副次的な関係に基づき、どこまで賠償責任を負うか、が争点となる。まず、Yの違反した注意義務は交差点の直前で、その射程は、駐車中のXに追突しないことにある。しかし、Yの行為に起因した硬膜外血腫は、治療が遅れれば死亡または重篤な後遺症が残る病気であり、本問では、まさにそのような事態による特別の危険が実現しているということになろう。もっとも、Yは後遺障害も賠償すべきということに反対するであろうか。もっとも本問では、傷害の程度が軽微だったのに、Xのシートベルト未装着の過失が競合して損害が拡大している点が問題となる。しかし、民法709条の文言から、加害者の過失に応じて損害賠償の範囲の変更という結論を導くことはできず、また、過失相殺(722条2項)の問題で考慮すべきである。それでは、医療過誤におけるBの対応は、どう考えたらよいか。Xは、硬膜外血腫が適切に治療されることを期待する権利に反するであろうが、この期待は保護されるわけではない。一般に、複数の治療法から最良も保護される権利に基づいて、事故の状況を正確に申告し、最善の治療法を選択し患者に治療することが、最善の治療法の選択や治療がなされた結果にあるからである。もっとも、本件で、当時の医療水準を大きく下回る治療がなされたかどうかは、Bに患者であるXに対する注意義務違反を理由に、Yへの損害賠償請求を否定する根拠にはならない。Xへの不適切な応答は、医療機関の判断で今後確定される。(2) 判例の立場以上、Y、Xの責任を賠償額という観点から検討したが、参考判例①は、交通事故と医療過誤が複合的に競合した病院の責任が問われた事例で、「本件交通事故により〔被害者は〕治療すれば必ず治癒する傷害を負った」が、被告病院において「適切な治療が施されていれば、高度の蓋然性をもって〔被害者を〕救命できた」のであるから「本件交通事故と本件医療事故とのいずれもが、〔被害者の〕死亡という不可分の一個の結果を招来し、この結果について相当因果関係を有する」としており、連帯責任を負うべきである。この請求権の法的根拠は、民法719条の共同不法行為にあり、各行為者は、損害の全額について連帯して責任を負うことを示している。近時の判例は、加害行為者が独立して不法行為の要件を満たしており、かつ、客観的関連共同性のある加害行為と相当因果関係のある範囲の損害賠償責任を認めている(いわゆる結果共同説)。これも参考判例には、過失相殺に加えて、一体の機会を捉えて請求の全額を認めている。この、判決は従来の判例の立場を維持しつつ、民法719条1項後段の適用一体・機会の判断を維持したと見ることができる。(3) 共同不法行為を議論する機会しかし、判例をどう理解するにせよ、機会が連続して被害者の治療が遅滞により死亡した場合、医師や病院は、初期治療開始後に患者に不注意がなければ(後続の過失)、被害者の賠償請求の対象となる。なぜならば、負傷や病気の程度が何であれ、医師は最善を尽くして患者を治療する義務を負い、かかる義務を怠ったことから生ずる損害の賠償責任を負う。患者または医師は自己の治療の結果について、第三者に対する損害賠償の請求権を留保した上で治療に臨んでいるわけではないからである。他方で、参考判例①によれば、医療過誤と交通事故が複合的に生じた全額の賠償責任を負うことでありうるが、医師に重大な過失が認められた事案について、医療機関は損害の賠償額を軽減すると主張する(1参照)。このように、共同不法行為と損害の賠償との一体性という観点から、運転者と医師の賠償範囲が自動的に決まるわけではない。参考判例①の意義は、医師の職業倫理に照らして勤勉義務に違反した加害者と交通事故の責任とを比べた方が、後続の過失に基づく全面的責任しか認めなかったため、共同不法行為という理論に依拠して病院の減責を否定した点にあり、それに尽きる。むしろ、本問のような事案では、競合的不法行為(独立の不法行為)の事例と捉えて、各加害者の賠償額と負担額を個別に議論すべきである。損害賠償の範囲がここで定まるかという検討こそが重要であり、その結果、各加害者が負うべき賠償が(偶然にも同一額に達して責任を負う)という結論に達したときに、共同不法行為というタームを用いてこれを説明するかどうかは、まさに言葉の問題ではないだろうか。(4) 相対的過失相殺相対的過失の議論を請求されたYは、損害の発生および拡大に関わるXの過失を基礎づける事実、①交通事故の多い道路上で駐停車したことおよび②シートベルト未装着だったことなどからなるBの治療の前提にも問題があったことを主張して、過失相殺を主張し、賠償額の減額を求めてくることが可能である(過失がXに寄与している以上、Yとの関係で適用も可能となる)。仮に、Xが病名を隠すなど、①と②の過失が認められ、Xの過失を基礎づける事実がある。Xの過失が損害の発生・拡大に与える影響も各異なっているので、各加害者との関係ごとに過失相殺を分ける方法(相対的過失相殺)について判例がある。過失相殺が不法行為による損害について当事者間で「相対的な公平の分担を図る制度である」という一般的な理由を挙げたほか、「加害者及び被害行為を異にする2つの不法行為が順次競合した結果被害が死亡した」事案では、各不法行為における「加害者の過失及び被害者の過失の内容や割合も個別に判断すべきである」という結論を説明して、相対的過失相殺を認めている。2 小問(2)について(1) 絶対的過失相殺説以上のように、性質を異にする不法行為の競合的な事例では、共同不法行為の成否は問題となるが、過失相殺の方法に大きな異論はない。それに対して、小問(2)のように同種の不法行為が時間と場所を同じくして競合した場合、共同不法行為の成立自体には異論はない。問題は、過失相殺の方法である。これについて参考判例②は、「複数の者の過失及び被害者の過失が競合する1つの交通事故」では、すべての過失を総合した絶対的過失相殺)を認定できるとした。その場合に、基づくべき過失相殺をした結果を前提として共同不法行為に基づくべき賠償責任を負う、としている。これは、本問では、X、Yに対して12分の7という過失割合による過失相殺をした残りの損害額の1100万円を請求できる。そしてXは1100万円をYに支払うと、Yは内部的な負担部分400万円を超える700万円をZに求償する。すなわち、Yはこの限りでYの無資力のリスクを負担することになる。参考判例②は、絶対的過失相殺説を採っており、相対的過失相殺では「被害者が同時に複数の不法行為のいずれかの過失相殺も受けられることによって被害者保護の保護を損う」とする民法719条の趣旨に反する」と明示する。仮に、相対的に過失相殺をすると、XはYに賠償請求をされるものの960万円をYには8分の7の1050万円しか請求できない。この理論は、たしかに絶対的過失相殺の場合よりも不利にであり、「被害者保護」に反するようにみえる。(2) 被害者にはなぜか酷かしかし、不法行為における「被害者保護」という言葉は、被害者が「なぜ」保護に値するのかという点を省略した議論をすることに容易につながるチームであり、慎重に用いる必要がある。絶対的過失相殺説をとり、XのYのみを相手どって960万円を請求したケースを想定すると、Xは残りの240万円を回収することになる。これが絶対的過失相殺をした場合のXの負担額(100万円)よりも多い。この240万円には、Yの絶対的過失相殺組合せ12分の7に相当する700万円をYにさえどの絶対的過失組合せ(4対1)で按分した140万円が含まれているからである。すなわち、相対的過失相殺の枠組みのもとでこそがYに賠償を請求するときには、Xは他の加害者のYの絶対的過失割合に相当する損害額の一部まで引き受けさせることになる。問題は、このことが共同不法行為の趣旨に照らして不適切なのかどうかである。仮に、YからXの行為が時間的・場所的に密接に関係し、社会的に一体性を有する一方で、Xがゆるい関連共同性とは無関係の単独の不法行為があったかつての戦場だったようなケースであれば、Xにほかの加害者の過失割合の一部を負担させることが公平性に適するであろうか。ここで絶対的過失相殺を当然とする、一の加害者の損害の加害部分について無資力のリスクを負わせるのが、加害行為の関連共同性に鑑みると望ましい(もっとも、このとき筆者にとっても過失割合は絶対的過失相殺を選定しにくい場合が多いだろう)。しかし、本問のXは、Yらと並んで、場所と時間を同じくしながら、自動車の運転者として互いに守るべき注意義務に違反している。たまたまYから1つの交通事故でいえば、「被害者」と呼ばれているいるが、本問のような相互的な事故では、事故の加害者を被害者とはっきり区別できるような「被害者」の強い関連共同性の場合には、被害者側の行為もまた関連共同性の一部を形成しているといえる場合には、相対的過失相殺の一部をYに賠償請求することがむしろ自然であるといえるか。絶対的過失相殺を採るのが妥当である。しかし、この点で民法に明文があるわけではないが、損害賠償額が縮減された場合に、公事事例の判例の見直し・是正が必要である。(6) 予測の正当性とその射程もっとも、学説の多くは参考判例②の立場に好意的である。小問(2)で、判例や多数説の立場に与し、これを正当化したいのであれば、「絶対的過失保護」という視点は民法719条の基本的な考え方とどう整合的かについて述べたうえで、加害者らと同じ共同不法行為の中にいるという点よりも、加害者らに強い連帯責任を負わせるには必ずしも着目して、加害者の一方の無資力のリスクをYに負わせてもかまわないという実質的な実質を基礎づけるべきである。さらに、絶対的過失相殺のほうが被害者の安定的な損害賠償である(相対的過失相殺の理論が保障されている。同法制度は、という司法政策的な観点に言及してもよいかもしれない。もっとも、参考判例②は、「絶対的過失相殺」を認識できることを前提に絶対的過失相殺を説いている。加害者と被害者の過失割合が1つの「交通事故」の事例では、単独の加害者との関係では、たしかに絶対的過失相殺が適合しやすいが、各当事者の過失がそれも同質であるとはいえない場合は絶対的過失相殺の算定が困難であり(不同質で複合的な場合には本事例のほか何割に相当すると考えられる)、その場合は絶対的過失相殺が相当とはいえず、相対的過失相殺をするほかはないだろう。なお、加害行為がそれぞれ異質である場合には、共同不法行為がなされるのか、それとも競合的不法行為(1(3)参照)と捉えるべきかという論点が同時に浮上することにも注意が必要である。設問関連(1) 小問(2)で絶対的過失相殺説をとる場合、Xが最終的に負担する金額について、絶対的過失相殺と同時に特に100万円と特に50万円と見積もる、Xの求償権額という見解があるが、理論的に金額が少なくなるといえるのは、Zは980万円をYに賠償して、連帯債務者になった場合、Xは100万円を負担するというのである。この立場に立った場合、Yらの負担部分、それぞれいくらになるか。(2) Xが夫の運転する自転車に同乗中、Y運転の自家用車と交差点で衝突し、Xが負傷した(Xの損害額は1000万円、Yとの過失割合は2対8)。Yは、Xにどのような賠償を請求できるか。本項目のテーマ(「被害者側の過失」)議論との関連でこの方の見解にしながら検討しなさい。最判昭和51・5・25民集30巻2号160頁と最判平成20・7・4判時2018号16頁を参照のこと。

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9

共同不法行為
2025/09/03
甲川の下流域で畑作を営むXは、甲川から分岐する水路から自己の水田に水を引き利用していた。ある年、甲川の上流にA・B・Yからなる三工場が設置されて、各工場はそれぞれ有害物質を含む廃水を甲川に流し始めた。物質Aには植物の成長を過剰に促進する成分が含まれていた。A・B・Yの各工場が操業を開始して迎えた最初の夏、Xの水田の稲は異常に成長し、自らの重量に耐え切れず次々に倒れてしまった。これにより、Xは水田から米を収穫することができず、1000万円の損害が生じた。この場合に、XはYに対して損害賠償を求めることができるか。また、これに対してYはどのような主張をすることができるか。なお、Xの調べでは、A・Bの各工場は、Aが原料Bに添加し、Cが関与した物質を最終的にYが加工してある製品を製造するという関係にあり、相互にパイプラインでつながれて一体的に操業していた場合(2) A・B・Yの各工場は、たまたま同じ時期に建設されたというだけで、操業については相互にまったく関係がなかった場合●参考判例●① 津地裁四日市支部判決昭和47・7・24判時672号30頁② 大阪地判平成3・3・29判時1393号22頁③ 大阪地判平成7・7・5判時1538号17頁④ 最判昭和55・3・17民集75巻5号1359頁●解説●1 複数加害者と不法行為本問の公害汚染や大気汚染は公害問題の典型の1つであるが、このようなタイプの公害には、複数の原因者が関与するが、各行為の寄与する割合が不明な場合も少なくない。すなわち、不法行為の観点からすると、複数原因という点に特徴がある。この場合、原因物質を排出する行為者が数多いゆえに、各々の排出行為は単独では被害の全額を惹起するほどのものではないこともあり、個々の加害行為と損害の間の個別的な因果関係を証明するのは非常に難しくなる。もっとも、複数の行為者をまとめて把握できるなら、それらの因果関係を問題とすればよく、因果関係を証明するうえでの困難は大きく軽減する。さて、損害の惹起に複数の行為者が関与する場合に関して、民法は719条を用意している。これは、ⓐ狭義の共同不法行為(719条1項前段)、ⓑ加害者不明の共同不法行為(同項後段)、ⓒ教唆・幇助(同条2項)について、連帯責任という効果を定めるものである。なお、民法719条にいう「連帯」とは、改正民法466条以下の規定のある連帯債務ではなく、不真正連帯債務であるとされてきた。しかし、今日の民法改正では、不真正連帯債務に係る判例の規律を連帯債務の規定に取り込み(兎脱等)、また、連帯債務と異なると法令の規定がある(436条)を受けた、連帯債務規定の適用の通説にのっとるのが合理的である。もっとも、共同不法行為者の求償については、改正民法442条1項を適用しない解釈もありうる(一歩一歩119頁)。2 民法719条1項前段の要件―共同の項(1) 客観的共同説かつての支配的見解は、民法719条1項前段について、「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な結果についてその賠償の責に任ずべきもの」と解していた(東判昭和43・4・23民集22巻4号964頁)。これによると、狭義の共同不法行為は、民法709条の不法行為が複数成立する場合を含み、両条にはない「共同」という要件は、複数の行為者が関連して損害が発生したという行為者間の客観的な関連性だけで満たされることになる(客観的共同説)。他方、同一の加害者について複数の請求権が認められる場合に基づく不法行為責任の成立する場合、これらの不法行為は各自が全額について責任を負うと考えられている。結局、客観的共同説によれば、小問(1)(2)いずれも民法719条1項前段が適用される。XはA・B・Yのいずれに対しても損害の全額を求めることができる。なお、民法719条の成立要件のうち客観的関連性は、各行為に全部惹起力がある場合に小さく、それぞれの寄与率が明確でない場合に認められることがある。(2) 批判的見解しかし、客観的共同説を定めるような理解では、要件・効果のいずれにおいても、民法709条とは別に民法719条を定めた意味がないことになる。そこで、近時は、民法709条では対応できない場面を規律するために民法719条があるとさえ、そうした特別の責任を負わせる根拠を共同行為に求める見解が支配的である。しかし、この点については、行為者の主観的な要素を重視する見解(主観的共同説)のほか、各自が他の行為を利用し、他方で自己の行為が他人に利用されるのを認識する意思を問題に関係にある場合には(共通の意思がある場合に、小問(2)のようなコンビナートの場合もこれに該当する)、共同の意思疎通があるわけではない。ここで、各行為者の責任を個別に評価することも重要である。しかし、そこで主観的要素を重視せず、客観的要素を重視して、複数の加害行為が、場所的・時間的に近接しているなど社会通念上、一体の機会と認めることができる程度に一体性があればよい(主観的要件が緩和された一体的行為論)とする。(3) 一体的行為における独自性主観的・客観的関連性を重視する見解は、一般的には、不法行為(709条)では責任が成立しない、または成立しにくい場合にこそ狭義の共同不法行為を認める必要があるとする。共同行為によって複数の者が1つにまとめられる結果、共同行為者の1人は、他の者が惹起した行為の結果についても、自己の行為との関係なくとも責任を負う(共同とされる者の賠償範囲は、被害者との関係では、この共同とされる行為との相当因果関係で決まる)。一体的行為論はすでに狭義の共同不法行為が適用された理由はこの点にあり、共同要件の内容もこれを説明する根拠にふさわしく設定されている必要がある。他方、共同要件が満たされる場合には、複数の加害者の事例は狭義の共同不法行為の問題ではなくなる。その場合でも、複数原因者の各行為について一般的不法行為の成立を認めることができれば、独立した不法行為責任が競合することになり、複数加害者の連帯責任を導くことができる。しかし、多数の排出源によって生じた水質汚染・大気汚染を介して多数の健康被害に至った場合において、1つの排出源ではすべての被害を発生させることができない、または被害者の1人の健康被害のすべてが生じるわけではない、という事態も多い。そこで排出行為者の各自が全部の損害について責任を負うのか(そもそも因果関係が認められるのか)という点は必ずしも明らかではない。そのため、一般的不法行為は複数被害の事例への対応という点で必ずしも十分とはいえないと考えられている。3 民法719条1項後段の適用の是非そこで、複数原因者の事例については、民法719条1項後段・709条以外の対応が模索されてきた。その際に利用されたのは、同条1項後段の規定である。(1) 民法719条1項後段の適用場面―択一的競合民法719条1項後段は、択一的競合という原因競合の一事例に対応する規定である。この規定によれば、複数の者がいずれも被害者の損害をその行為で惹起しうる(すなわち、全部惹起力がある)行為を行い、そのうちのいずれの者の行為によって損害が生じたのかが不明である場合、当該行為者は連帯して損害の全部について賠償責任を負う。各行為者の行為と権利侵害・損害との因果関係に係る証明責任が転換される点で、一般不法行為の特則となる。その趣旨は、択一的競合という状況において被害者が陥った困難を救済することにあり、被害者が原因となりうる行為をした者からある程度まで絞り込めば、結果との因果関係は推定することにしている(よって、被害者によって特定された複数の行為者のほかに加害者の損害をそれぞれの行為で惹起しうる行為をした者が存在しないこと、も要件となる)。(2) 民法719条1項後段の類推適用―寄与の割合における寄与不明認定責任原因競合が生じる複数被害者の原因関係に対して、被害者保護のためのさらなる対応が図られている。すなわち、複数の者がそれぞれ全部惹起力のない行為を行った状況において、そのうち誰か一人の行為がいずれもが被害者の損害を生じさせる原因であり、かつ、この範囲の者が全体としての程度の損害を惹起した(参考)はずだがそれぞれの寄与度は不明である場合に、この範囲の者はその寄与の程度で連帯責任を負う、という対応である。想定されているのは、複数の者の行為に全部惹起力はなく、これらが重なり合ってはじめて結果が発生する。という原因競合(競合的競合)の事例である。前出の判決は、集合的競合の場合に、寄与度が判明する一定範囲の複数行為者について、①各行為者に限定した範囲で、②連帯責任を負わせる、という2つの内容をもつ。③は、本災害の全部を引き受けただけの因果性を見いだしていないにもかかわらず、全額の賠償責任を負わせる、という事態を因果関係の推定に頼らずともいえる。この点で、民法719条1項後段の発想、すなわち、個別の因果関係は不明だが一定範囲に絞られた者の行為と因果関係は認められる場合に、因果関係の立証責任を転換するという趣旨の同条後段を拡張したものとみることもできる。そもそも、大気汚染の集合的競合を扱った千葉判決は、複数の行為者に弱い関連しかない場合に、共同不法行為として当時の全部の賠償責任を認めるもので、法律構成としては、同項後段の適用(参考判例②)・類推適用(参考判例③)が用いられていた。最高裁も、近年、発展問題に掲げた事案において、同項後段の類推適用によってこのような対応を認めている(参考判例④)。設問関連Xらは建設労働者10名は、複数の建設作業に従事した際、そのそれぞれにおいて石綿粉塵に曝露し、石綿肺に罹患した。石綿建材の製造会社は、Y1・Y2・Y3を含めて10社に限定され、いずれもその製品から生ずる粉塵を吸入すると石綿肺に罹患する危険があることを表示することなく石綿含有建材を製造販売していた。Xらは、建設現場でY1~Y3を含む複数の建材メーカーが製造販売した石綿含有建材を取り扱ったため、累積的に石綿粉塵に曝露した。さらに、①Xらは建設現場でY1~Y3の製造販売した石綿含有建材を相当な回数で取り扱っており、②これによるXらの石綿粉塵の曝露量は、各自の石綿粉塵の曝露量全体のうちの5分の1程度であることは判明したが、③Xらの石綿肺の発症についてY1~Y3が個別的にどの程度の影響を与えたのかは不明であった。XはY1・Y2・Y3に対して損害賠償を求めることができるか。●参考文献●★能見善久・争点284頁/内田貴『近時の共同不法行為に関する覚書(下)』(下)株〔上〕(下)NBL1081号(2016)4頁・1082号32頁、同1086号4頁・1087号19頁(小池 渉)

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9

工作物責任
2025/09/03
資産家のAは、居住する都市とは別の地方に、かつて別荘として使っていた3000平方メートルの甲土地とその上に乙建物を所有している。洋館風の造りの乙建物は、明治初期に建てられた木造建築である。Aは、会社の保養施設等として利用したいというB社からの求めに応じて、乙建物をBに賃貸した。Bは、退職した社員らを、あらためて乙建物の管理人として雇い、普段は、Cが、乙建物の維持管理と乙建物周辺の庭の手入れ等を行っていた。なお、一帯は、別荘地として一般に利用されている地域であり、甲土地と他の土地との境は明確ではない。また、甲土地の道路には、「私道」との表示はあったものの、特に、外部からの立ち入りを規制しているわけではなく、通常の林道と区別しにくく、付近の住民等が普段から散策に利用していた。甲土地は、なお、かつては農地として利用されていたが、現在は使われていない。ある日、その道路で、ザリガニをとったりして遊んでいた近所の子どもDが転落して死亡するという事故が発生した。この場合に、Dの遺族(両親)は、誰に対して、どのような法律構成に基づいて損害賠償を求めることができるかを検討しなさい。なお、池の周辺には、柵が設けられ、金額が張られていたが、上記事故発生時には、その金額の一部がペンチで切り取られて、人が出入りできる程度の穴が開いていた。従来から、その金額をペンチで切り取って、中に入り、釣りをする者などがおり、Cは、年に数回程度、その金額を補修していたという事実が確認されている。●参考判例●① 最判昭和46・4・23民集25巻3号351頁② 最判昭和61・3・25民集40巻2号472頁●解説●1 工作物責任の基本的構造と本問の解決本問は、工作物に関連する事故を取り上げるものであり、こうした事故については、民法717条の適用がまず問題となる。工作物責任を規定する同条については、特に、以下の2つの点が問題となる。まず、民法717条の「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵がある」という要件に関し、設置または保存の瑕疵が何を意味し、具体的な事案において、そうした瑕疵が認められるのかどうかをどのように判断するのかという点である。次に、誰が責任を負うのかという点である。民法717条は、いわゆる特殊不法行為(709条以外の不法行為類型)の中では、まず瑕疵を推定する仕組みになっており、一次的に工作物占有者の中間責任を負うことを規定する(ただし書1項本文)。占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときには、工作物の所有者が責任を負うことを規定している(同条ただし書)。この所有者の責任は、占有者が責任を負わない場合に限るとう点で補充的な責任である。また、無過失を理由とする免責の可能性が規定されていないという点では、いわゆる中間責任ではなく、民法の規定する不法行為責任の中では、唯一の無過失責任ということになる。2 工作物の瑕疵(1) 工作物の瑕-疵の意義:客観説と結果回避義務違反説工作物責任における瑕疵の要件については、当該工作物が通常有すべき安全性を欠いているといえる状態を意味するとする客観説と、当該工作物の危険性が実現しないようにすべき注意義務を怠ったと評価する結果回避義務違反説が対立している。客観説は、具体的に生じた結果から、当該工作物が通常有すべき安全性を欠いていたといえるかどうかを問題にするのであり、そのような状態に至らせたのかという点は、特に問題とされない。他方、結果回避義務違反説は、まさしく、なぜそのようなになったのかというプロセスの部分を問題とし、そのプロセスにおいて、結果発生を回避する義務の違反と評価されるものがあるか否かが問題とされることになる。(2) 工作物の瑕疵の類型と判断の相違両説の相違は、たとえば、建物の外壁の一部が落下してきて、歩行者が負傷したというような事案では、比較的に明確に示される。客観説では、なぜ外壁の一部が落下したのかという経緯は重要ではない。他方、結果回避義務違反説では、外壁が落下しないように何をなすべきであったのかという点に焦点が当てられることになる。もっとも、工作物をめぐる事故の中には、上記の外面の落下のように、被害者の関与がない場合に、工作物がもっぱら攻撃してくるというタイプのものもあれば(攻撃型の瑕疵)、本問のようにDの関与があってはじめて工作物の潜在的な危険性が実現するというタイプのものもある。後者においては、被害者が当該工作物に近づくこと等の関与をどのように防ぐのかといったことが問題となる(守備ミス型の瑕疵)。後者の守備ミス型の事故類型では、瑕疵についての客観説と結果回避義務違反説との相違は、攻撃型の場合ほどには明確ではない。客観説においても、そこで工作物が通常有すべき安全性を有しているか否かは、危険な工作物等に防護ネットが張られるなど、「安全性を確保するために必要な措置が講じられていたのか」という点を通して判断されるのであり、その点では、結果回避義務違反説と基本的に共通するからである。本問のようなケースにおいて、柵等がまったく設けられていなかった場合、「柵が設けられていなかった」ことが、客観説では「通常有すべき安全性を欠いていた」と評価され、結果回避義務違反説では「結果回避のために必要な義務が怠られていた」と評価されることになる。もっとも、このように守備ミス型の事故においても、客観説と結果回避義務違反説が完全に一致するわけではない。本問のように、誰かが金額を切り取って穴を開けたために、危険な状態となった場合に、その危険性を「回避する可能性」があったのかどうかという点で説が分かれてくる。まず、客観説では、当該事故が発生した時点での、当該工作物の客観的状態(安全性の欠如)が問題とされるのであり、本問の場合にも、誰によって、いつの時点で、どのように穴が開けられたのかという点は問題とならない。他方、結果回避義務違反説では、異なる理解をする可能性がある。結果回避義務違反説の基本的な主張が、過失と過失を一元的に理解するのだという点にあるのだとすると、そこで事故回避を問題とする場合、当該義務を履行する実現可能性をまったく無視して瑕疵を議論することはできない。したがって、本問の場合も、そのような穴が開けられたということを前提として、どのような対策が可能だったと考えられるのかを問題とせざるを得ない。穴が1週間も前に開けられていたとすれば、それをみつけ、修復することが可能だったということになる。他方、それが事故発生の直前であったというような場合には、それを発見することも、それに対処することも困難であり、結果回避義務違反としての瑕疵を認定することはできないというと結論が導かれる。本問においては、どのように穴が開けられたのかという経緯は示されていない以上、それについて必要な場合分けを行ったうえで、問題を考えていくことになる。3 工作物責任と責任主体民法717条は、工作物責任を1次的に負担する主体を工作物の占有者であるとし、占有者が損害発生のために必要な注意を尽くしていた場合に、補充的に、工作物の所有者が責任を負担するということを規定している(なお、瑕疵についての客観説を前提とすれば、瑕疵の有無の問題と責任主体の問題を区別して議論することは容易である。他方、結果回避義務違反説を前提とすると、両者を切り離して議論すること自体困難になる)。(1) 賃借人としてのB社の占有者責任:賃借権と占有の範囲さて、工作物責任では、まず占有者としての責任を誰が負担するかという点が問題となる。本問でも、誰が、この一次的責任を負担する占有者なのかを検討しなければならない。まず、建物自体については、AはBに賃貸借契約があり、Bが、乙建物の占有者であるということには本問の文章からも明らかである。したがって、Bが、乙建物について、占有者の立場にあることは問題ない。では、管理人CがいることでBの占有者であることが否定される事実はなく、Bは、占有者たる地位をCとの関係を否定する事実はない。占有補助者であることについては、詳細な記述はされていない。他方、甲土地についての賃借権は、本問では詳細には示されていない。甲土地も、賃貸借の対象となっていたとすれば、甲土地上の池について、も、Bの占有者としての責任が問題となる。他方、賃貸借の対象はあくまで乙建物(周辺の庭)だけであり、Bは、乙建物の利用に必要な範囲で、乙建物周辺の土地の利用権限が認められているにすぎないと解すると、甲土地上のどこにあったのかが示されていない池について、Bが占有者としての責任を負担するか否かは、ここで示された事情からだけでは明らかではないということになる(なお、建物を目的とする賃貸借があった場合に、当該建物が立つ土地について、どのような法律関係となるのかという点は、それ自体が1つの問題となるが、それについては賃貸借についての教科書等の説明を参照されたい)。(2) 工作物等の占有者における管理的な支配地位Cについては、上記のとおり、Bの占有補助者であり、C自身が、甲建物あるいはその周辺の土地の占有者として、民法717条の責任を負担するものではないと考えられる。なお、本問の中には、過去に、Cは、年に数回程度、その金額を修理していたということが示されている。ただし、この修理の経緯に関する事情(なぜそこは、それを修理していたのか等)は必ずしも明らかではなく、この事実のみをもって、占有補助者としてのCの管理とBの占有をただちに基礎づけることはできないだろう。(3) 所有者の責任:工作物所有者の補充的責任占有者としてのBが責任を負わない場合、Aの責任が問題となる。この場合に、Bが責任を負わないというのは、2つの異なるレベルで考えられる。まず、当該池がある部分の土地については賃貸借契約は成立していないとすれば、そもそもBは、池の占有者ではなく、民法717条1項を適用するという前提を欠く。この場合は、Aは、自ら所有し、(直接)占有する当該池について所有者責任を負担することになる。ここには、占有と所有が分離していないので、同項について、本文によるのか、ただし書によるのかは、実質的な問題とはならない。他方、当該池を含む土地についても賃貸借契約が成立していたということになると、Bは、池についても占有者としての責任を負担することになる。そのうえで、損害の発生を防止するのに必要な注意を尽くしていたということを、管理についての無過失を立証できた場合には、責任を免れるのである。以上のように、Bが責任を負わない場合には、いずれにしても、Aが所有者として責任を負担するということになる。そして、Aの所有者については、占有者の責任と異なり、無過失の立証による免責は規定されていない。したがって、十分な注意を尽くしていたということを仮に立証できても、それはAの免責をもたらすものではない(ただし、結果回避義務違反説を前提とした場合には、瑕疵がないとして責任が否定される可能性は残される。もっとも、そのように理解すると、民法717条1項ただし書は、実質的には意味を失う)。4 本件事故発生に関するDの関与と損害賠償額の決定:過失相殺等をめぐる問題本問のような守備ミス型の工作物事故においては、通常、被害者の関与があるために、それをどのように位置づけるのかが問題となる。この点については、もっぱら民法722条2項の過失相殺の問題として扱われる。したがって、本問の場合、Dが、フェンスに開いた穴から入り込んで、そこで遊んでいたということについて、Dの年齢(過失相殺能力の問題)、当該池の状況、さらには、Dの遺族である両親のDに対する注意などの対応(被害者側の過失をめぐる問題)等に照らしながら、過失相殺として考慮し、その損害賠償請求において映させるということになる。なお、D自身が、ペンチで金額を切り取って穴を開けたというような事実があったとすれば、そこでは、客観説と結果回避義務違反説のいずれによっても、そもそも工作物の設置等の瑕疵(Dにとっての危険性)はなかったということになり、民法717条の責任は成立しないと考えられるだろう。5 その他の賠償義務者本問のような工作物の瑕疵のような工作物の事故に際しては、民法717条の工作物責任が問題となるが、同時に、他の責任の可能性、特に民法709条に基づく責任の可能性を排除するものではない。上記の(3)のとおり、占有補助者にすぎず、民法717条1項の占有者としての責任は負担しないとしても、Cの過失(たとえば自らが管理する箇所の金額に穴が開いて、何らかの危険な状態になっていたにもかかわらず、漫然とそれを放置した等)を理由とする民法709条の責任までが排除されるわけではない。また、金額の一部を切り取った者を特定できた場合、その者が、本件事故について、民法709条の責任を負担する(工作物占有者等とともに、民法719条により連帯責任を負担する)ことも十分に考えられるだろう。民法717条1項に基づいて責任を負う者は、同条2項により、これらの者に対して求償をすることができる。ただし、BからCへの求償は、使用者責任における被用者への求償と同様、信義則上、一定の制約がなされることが考えられる。設問関連(1) 本問において、Cが、工務店を営むEに連絡をとって、金額の修理を依頼していたが、Eが、その依頼を忘れて修理していなかったという場合に、Eと、被害者およびA・Bとの間にどのような法律関係が成立するかを検討しなさい。(2) 本問において、Bの占有者としての責任が認められないという場合において、事故発生時には、甲の所有権がすでにAからFに移っていたが、その移転登記がなされていなかったというときに、Dの遺族は誰に対して民法717条1項ただし書の所有者の責任を追及することができるのかを検討しなさい。●参考文献●★大塚直「民法715条・717条(使用者責任・工作物責任)」広中俊雄=星野英一編『民法典の百年Ⅱ』(有斐閣・1998)673頁(窪田充見)

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9

使用者責任
2025/09/03
札幌市の住宅街を中心に、クリーニングの店舗を展開するA社(従業員60名)の社長B(50歳)は、学生の頃から障害者の自立を手助けするボランティア活動に参加しており、いつか自分の店舗でも障害者を雇用したいと考えていた。Bは、A社の従業員数が増加して、障害者雇用促進法の定める法定雇用率を達成する目的もあって、2021年4月1日から、知的障害者C(43歳)を雇用し、札幌市北区の店舗に配置し、ドライ洗いやアイロンがけの仕事に従事させていた。Cは、1つひとつの技術を習得するのに他の従業員よりも時間がかかったが、いったん習得した仕事は、真面目に、確実にこなしていた。さて、2022年4月1日、Cは、店の新人歓迎会に他の従業員とともに参加した。Cは、かくし芸として手品を披露したが、簡単に見破られてしまい盛り上がりに欠ける結果に終わった。翌日、就業時間10分前に、同じ店の従業員D(33歳)が、アイロンプレスの機械の作動準備をしているCのところに行き、「昨日のあんたのかくし芸、受けなかったねえ」としつこくからかった。最初、Cは相手にしていなかったが、3、4分間、しつこきにまとわれ、また、右肩を小突かれるなどしたため、CがDとうとう「いい加減にしてくれないか」といってDを振りほどいたが、その際に、右手に持っていたアイロンプレス機がDの額に当たり、Dは顔面に大やけどを負うに至った。そこで、DはA社に対して、損害賠償を請求する訴訟を提起した。Dの請求は認められるか。現時点は2022年7月とする。●参考判例●① 最判昭和39・2・4民集18巻2号252頁② 最判昭和51・7・8民集30巻7号689頁③ 最判昭和58・3・31判時1088号72頁●解説●1 使用者責任の帰責構造本問のCは、知的障害者の社会参加に熱心のあった社長Bのもとで真面目に働いていたCであったから気の毒に負傷している。このような善意は報われねば気の毒であり、Dの損害回復にみてみぬふりはしがたい。こんなDの請求を認めれば、知的障害者の就労意欲にマイナスの効果を及ぼすだけであるという考え方も、場合によってはあながち立ち入かもしれない。しかし、本問はDがCを負傷させたという事案と気が変わるところはないであろう。本問でなぜDがCを負傷させたという事案にかわって、知的障害者がどのような形で社会に参加することが望ましいのかという問題は、とうてい民法の議論だけで論ずべくことでもないだろう。以下では、あくまで民法の議論の枠内で、理論的に、Dの請求をどのように正当化することが可能かという観点から検討を行うことにしよう。本件事故のきっかけとなったDのいやがらせは、損害賠loggingのレベルでは、後に述べるように過失相殺(722条2項)の内容として考慮すれば足りると考える。さて、本問でDがA社に対して損害賠償を請求するとすれば、不法行為を行った被用者Cを雇用していたA社の使用者責任(715条1項本文)を問うという法律構成が最も妥当である。A社という企業自体の不法行為責任(709条)を問うという法律構成の余地もあるが、本問では、不法行為を行った特定の被用者Cの存在は明らかであり、しかも、企業や製造物責任が問題となるケースのように、企業という組織全体の答責と捉えるのが適切な事案でもない。それで本問では、A社は、実際にDに対して使用者責任を負うのだろうか。これを検討するためには、使用者責任がそもそもいかなる構造を有しているのかを理解しておく必要がある。伝統的な理解に従えば、使用者責任とは、被用者の選任・監督上の過失を理由とする(自己責任説)。民法715条1項ただし書の事由が立証されれば、使用者は免責される(有過失責任)ではなく、使用者の行う不法行為責任を、使用者が被用者に代わって負担する代位責任である。使用者が被用者に代わって負担する代位責任であると解しても、被用者の責任の代わりではないしかし、被用者が行う不法行為責任を、使用者がその責任を代わって負担するにすぎないと把握するわけではない。結局、使用者責任が被用者を使って利益を上げた以上、被用者が引き起こした損失は被用者に負担させるのが公平である)ため、使用者が被用者を雇い用いて社会に対し危害を作り出している以上、そこから生ずる損害は引き受けなければならないという考え方が挙げられるのが通例である。このような思想に照らすと、企業活動に伴って生ずる他者への加害について、使用者の免責(715条1項ただし書)は容易に認められるべきではない。本問においても、被用者の加害が実際に認められた事例はごくわずかにとどまっている。しかし他方で、使用者は被用者責任を代わりにするにすぎないという理論に立てば、使用者自身の行う不法行為によることを主張・立証しなければならないはずである。それでは、本問の加害者である被用者Cが知的障害者であり、責任能力が欠けている可能性がある場合に、A社の使用者責任は否定されてしまうのだろうか。そもそも、第2に本問では、就業時間前のCの暴行に起因する損害が問われているが、そのような行為の結果についてまで、使用者は責任を負うのだろうか。報償責任や危険責任を求める声がとても大きいとしても、企業活動と無関係の被用者の行為の結果についてまで、使用者が責任を負う理由はないからである。これを、「事業の執行について」(715条1項本文)という文言をどう解釈したのかという問題である。以下、順に検討しよう。2 被用者の責任無能力と使用者責任の成否責任能力(712条・713条)とは、加害行為の法律上の責任を弁識するに足りる知能のことである(大判大正6・4・30民録23輯715頁)。このような意味に関わらず、知的障害者だからといって、常に責任能力がないということにはならない。もっとも、本問のCに関する記述(知的障害者でクリーニング技術の習得に時間がかかったが、習得した仕事はこなしていた)だけからは、Cの責任能力の有無に即断することは困難なので、問題を解くにあたっては、責任能力がある場合とない場合に分けて、Cに責任能力があるかどうかで場合分けをして、A社の使用者責任を判断する必要がある。だがこのような機械的な答案を書く前に、そもそも本問で、「Cに責任能力がなければ、Aは使用者責任を負う」と考える方が説得的なのかどうかを検討する必要があるだろう。A社という企業の立場からすると、自社の安全配慮義務を認識する方が障害者の人権と比べれば不十分な場合が想定される知的障害者に関する雇用促進法が定める合理的配慮の義務に関する研究(H30.03・74・労働政策研究・研修機構)を参照させる判例も待たれるのであり、A社の責任は、報償責任や危険責任の考え方に照らすと(後述する事業執行性の要件さえクリアすれば)、直ちに肯定されるべきが、たとえCに責任能力がないと判断されるとしても、A社の社長Bが、障害者雇用促進法に定める合理的配慮義務(均等法36条の2、障害者雇用促進法36条の3、36条の4を参照)をA社が遵守している(知的労働者は、短時間として1人0.5人とカウントされる)以上の配慮がなされたことである。また、無過失を理由とする免責の可能性が残る気持ちがあるが、この結論を法的に支える根拠がある、使用者が、周りの大人にやむをえないわけわからずうちのような危険な職務を負わせていた場合に、使用者は、報償責任や危険責任の理論によって両者の責任能力はともに問われることになる。そして、A社の使用者責任は、被用者のための配慮が妥当であったと評価するのかが妥当である。まず、使用者は、被用者の選任や監督について過失がなかったことを証明すれば免責される。その後、企業活動の進展に伴い、使用者の選任・監督上の注意義務は、代位責任の考え方が定着し、現在では使用者責任が報償責任や危険責任の思想に根ざしていることが広く認められるようになった。この代位責任の原則によれば、被用者側の故意・過失が認められる場合には、使用者側の故意・過失が認められるか否かにかかわらず、使用者責任が認められる。このような新しい使用者責任が認められることについて学問の場では肯定的な見解もあるが、代位責任説に基づいて民法715条を捉え、被用者の行為が民法709条の要件を満たすことや使用者責任を問う前提となると解し、②本問のように使用者の厳格な自己責任という考え方で対処する場合、民法715条を類推し、被用者の責に代わって自己の責任を負うと解した場合、さらには、③民法709条を直接適用し、企業自体の不法行為責任を問うのがふさわしい場合などを、事業の危険性の程度や相手の比較の仕方やメカニズムなどによって、さまざまなる責任のあり方を考えていこうとするのが、近時の有力な流れであり、それは正当だと考えられるのである。3 被用者の暴力行為と事業執行性伝統的な代位責任説(1参照)に立つにせよ、今日的な意味での自己責任説(2参照)に立つにせよ、両説の背後にある報償責任や危険責任の考え方に照らすと、企業活動に伴って生じた損害については、被害者ができるだけ救済されるのが望ましい。もっとも、それはあくまでも損害が企業活動に伴って生じた場合である。使用者責任を問うためには、生じた損害が「使用者がその事業の執行について第三者に加えた」(715条1項本文)ものでなければならない。この事業執行性の要件につき判例は、いわゆる外形説を採用し、使用者が事実的不法行為を行った事業でも、「必ずしも使用者がその担当する業務を適正に執行する場合だけを指すのでなく、広く被用者の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、使用者の事業の態様、規模等からしてそれが被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められるもの」も含むとする(参考判例①)。自動車運転会社の被用者が、私用に使うことが禁止されていた会社の自動車を運転し起こした交通事故を起こした事例で事業執行性を肯定。学説はこの点について、判例の外形説理論に賛成するものが、その一層の具体化を募るものなどに分かれているが、おおむね、被用者が職務を逸脱したような取引外不法行為の場合にも、報償責任理論に根ざす被害者の信頼の保護という観点から、また事業執行性の観点からもうかがえるように、実質的に捉えようとする点では共通しているといってよい。本問では、この暴力行為が行われた時間が就業時間前であり、しかもC・D間の口論が、直接業務とは関係のない歓迎会での出来事に由来するものであった点が問題となるが、①Cの行為は、店の内部で、しかも就業時間の直前に行われたこと、②Cは、アイロンプレス機という業務に欠かすことのできない道具を使ってDに損害を与えていること、さらに、③口論の原因となった前日の歓迎会も、少なくともわが国の企業風土の下では、事業の円滑な遂行要素の1つに位置づけられるなどに鑑みると、事業執行性の要件は本問では満たされると考えるのが妥当である。もっとも、本件のC・D間の口論の端緒は、Dの悪質な嫌がらせにあり、DがA社に使用者責任を追求する場合には、過失相殺による損害賠償の減額は免れないだろう。設問関連DがA社に対して使用者責任を追及する場合に、本問と以下の点で異なる場合に、AまたはDの請求は認められるか。(1) Dから被害を受けたA社が、国賠で敗訴した殺人犯人の父親Cを相手に、Dに支払った慰謝料額の全額の支払を求めたことに対して、A社は、個別労働関係紛争のあっせん手続を受けることが可能。(2) C・D間の口論は、前日の歓迎会のCの失敗を揶揄するものであったが、就業時間後のクリーニング店の裏口の外でなされたものであり、しかもDは、このとき警官によって職務質問を受けていた。このとき、A社に対して損害賠償責任を追及することが可能か。●参考文献●★村田一夫「不法行為法〔第5版〕」(有斐閣・2017)216頁/窪田充見『不法行為法〔第2版〕』(有斐閣・2018)203頁/中田太郎・宮謙「『民法行為法』の検証」(有斐閣・2018)192頁(水野 謙)

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9

高齢者と監督義務者の責任
2025/09/03
Aは高齢であり、認知症と診断された。そこで、息子であるXとその妻X' (いずれも40代後半)がAと同居し、XはAの成年後見人選任、デイサービスに関する契約等を代理して行った。また、Aが在宅している間は、主にX'がAの介護を引き受けていた。当初、Aは1人で勝手に外に出てしまうなどの問題行動も時々見られたが、その後はX'らの介護によりトラブルになったりすることが数回続いた。それ以降、XとX'は、Aが外出する際には可能な限りどちらかが付き添うようにしてきた。ある日曜日、Xは急な仕事で外出しなければならず、X・Y宅にはAとX'だけがいた。16時頃、Aは突然散歩に出かけて行ったと言い出した。最近の数日間、Aの精神状態が不安定な日が続いていたことから、Xは不安を感じ、付き添おうかとも考えたが、疲れていたためいったんはそのまま見送ることにした。「すぐに帰ってきて下さいよ」とだけ告げた。その直後、Aは、X・Y宅から5キロほど離れた駅の構内で、まったく面識のないYを突き飛ばした。加害行為当時、Aは責任無能力だったものとする。Yは、Xに対して、治療費や逸失利益等の損害の賠償を請求することができるか。[参考判例]① 最判平成28・3・1民集70巻3号681頁② 福岡高判令2・5・27令元(ワ)102号(2020WLJPCA05278002)③ 最判昭和49・2・28民集28巻2号347頁④ 京都地判平30・9・14判時2417号65頁[解説]1. はじめに本問のように、精神上の障害により責任能力を欠く者が他人に加えた損害について、その者を監督する者の責任が問題となる場合、その可能性があるとして次の3つが考えられる。第1に、民法714条1項に基づく監督義務者の責任である。第2に、参考判例①がいわゆる「法定監督義務者」が定立した、同条2項による監督義務者の責任である。第3に、民法709条に基づく一般不法行為責任である。なお、婚姻の届出および当事者の年齢の登録を前提としており、夫婦間における協力扶助義務を定めた民法752条を根拠とする監督義務者の責任は、法定監督義務者には当てはまらない。2. 法定監督義務者責任(1) 責任の性質民法714条1項が定める監督義務者の責任は、責任無能力者の行為一般についての抽象的な監督義務への違反が求められることとなる。離婚届および互いの証明責任の証明責任を定めるこの点において、民法714条による一般不法行為責任よりも厳格なものだと言われてきた。もっとも、このうち後者は条文上明らかにしがたいし、前者も当然的なものではない。(2) 従来の判例精神上の障害により責任無能力とされた者(具体的には1999年まで)、法廷監督義務者が同条の定める責任を負う者として、成年被後見人の保護者は精神保健福祉法上の保護者(それ以前は禁治産者)であった。その背後として、精神障害者の民法858条1項は、成年後見人の財産上の行為に関する法定代理権を定め、同「身上配慮義務」を定めた。同じく同法改正後の精神障害者の配偶者については、精神障害者の自助努力を助長する趣旨を強調するこれらの規定が、民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する義務」の義務に当たると解されていたわけである。(3) その後の変遷しかし、この状況は、1999年を境に大きく変わることになる。この背景として、成年後見人法については、1999年の民法改正により、後見・保佐・補助の3類型が設けられ、成年後見人の職務も、もっぱら財産管理に限られることになった。その上で、同法改正により、成年後見人はもはや身上監護の権限を有しないことになった(858条)。その上で、同法改正により、成年後見人はもはや身上監護の権限を有しないことになった。また、保護者については、1999年の精神保健福祉法改正により、保護者制度が廃止されるに至った。さらに、その後の2013年改正によって、保護者という制度そのものが廃止されるに至った。いずれについても、精神障害者のノーマライゼーションとその家族の負担軽減が重視されるようになったことが背景としてある。(4) JR東海事件判決による法創造以上のことから、参考判例①は、1999年改正後の民法および精神保健福祉法における法定監督義務者の射程を、その文言に忠実に、法定監督義務者に当たるものではないとした(もっとも、具体的監督義務との関係では、精神障害者について、協力扶助義務(752条)を根拠に、法定監督義務を認めるなど、最高裁が示した新たな解釈筋論と矛盾する)。(5) 本問の整理以上によると、本問のXは、Aの成年後見人ではあるものの、そのことだけを理由に法定監督義務者として扱われることはないということになる。(6) 補論:法定監督義務者の可能性なお、以上の判例によると、現行法の下で精神障害者の法定監督義務者に当たるものが存在し得るかどうかは明らかではない。そのように述べられるべきもっとも有力な候補は、精神障害者が入院する精神科病院の管理者等がそれに当たるとするものである。3. 準監督義務者該当性(1) 準監督義務者 — 判例による法創造参考判例①は、法定監督義務者に当たらない者であっても、それに「準ずべき者」については、民法714条1項の類推によって損害賠償責任を負う余地を認めている。かねてから、法定監督義務者に当たらない配偶者に、監督義務者の範囲を広げ、かつて、「事実上の監督義務者」という法理を創造する見解は有力だった。しかし、参考判例①が成年後見人という法定監督義務者の範囲を画したことから、今後これが議論に堪えられる。(2) 判例の判断枠組み参考判例①によると、ある者が準監督義務者とされるのは、「①その責任無能力者との身分関係や日常生活における接触の状況に照らし、②その者の監督を引き受けたと評価できる特段の事情が認められる場合」である。そして、そうした場合には、その者の「①その者の近接状況や心身状況とともに生活実態にも即応して、②精神障害者の親族間の有無・濃淡、③精神障害者の日常的な援助の内容、④精神障害者の心身の状況や加害行為との関連の有無・内容、これらに対応して行われている生活や介護の実態など」の諸般の事情を総合的に考慮して、④その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能で容易であるなど客観的な見地から準監督義務が認められるか否かという観点から、その者が引き受けるべきだとされる。(3) 第三者への配慮義務の射程参考判例①の判断枠組みの内実は、この基準を厳格に解釈するかぎりではない。しかし、これを柔軟に解すると、準監督義務者の射程は際限なく広がる。これら2つのリスクを回避するために、準監督義務の射程を判断するに当たっては、①その者が精神障害者の生活全般について責任を引き受け、他者の関与を排してこれを支配し、その結果、その者の「①その者の近接状況や心身状況とともに生活実態にも即応して、②精神障害者の親族間の有無・濃淡、③精神障害者の日常的な援助の内容、④精神障害者の心身の状況や加害行為との関連の有無・内容、これらに対応して行われている生活や介護の実態など」の諸般の事情を総合的に考慮して、④その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能で容易であるなど客観的な見地から準監督義務が認められるか否かという観点から、その者が引き受けるべきだとされる。4. 監督義務違反(1) 監督義務のハードル以上の監督義務が認められた者であっても、監督義務を遵守したことを証明できれば、責任を免れることができる。この責任をどの程度容易に認められるかという点については、以下のように、精神障害者の行為についての責任の成否は、①その者の(準)監督義務者である。また、民法714条1項の文言に反するが、責任を負う者による損害のてん補が、同法709条が定める過失の一般原則からすると、監督義務者は、責任無能力者の生活全般にわたって適切な監督をしなければならない。(2) 監督の困難性しかし、その一方で、①には、「責任を問うのが相当と言える客観状況」の有無が問題とされている。これをその事例での判断をどこまで求めるかという判断は、監督義務を肯定すべきである。これらを総合的に考えれば、監督義務の射程は①の要件を満たすか、②には監督の「可能性」の程度と、「困難性」の程度、③監督の「容易性」の程度と、「接触状況」の程度、④には監督の「実効性」の程度という5つの点に分解され、これらを総合的に考慮すべきだということになる。(3) 同意の理論以上の2つの視点の関係をどう整理すべきかは明らかでない。一方で、①は②を判断する際の「視点」にすぎず、あくまで基準は①だと捉えることもできる。以上の法的な問題点を整理すると、①は②とみて、②ではあくまで監督義務を引き受けたと見ることのできる「べき論」のレベルで、これを総合的に考慮すべきだということになる。(4) 監督義務違反の有無以上のうちいずれの解釈が適切かは、準監督義務者の認定と効果をどれほど重大とみるか、具体的には監督義務のハードルをどの程度とみるかに左右される。この点については、後述する。(5) 具体的判断本問について、以上のいずれの視点に立って、まず、監督義務の射程をXとX’に広げる。XとX’によるAの監督の有無をどう評価するかが重要となる。本問でのXとX’の監督の監督の監督義務の内容は、Aの行為への関与の程度、これをあえて問題視する。5. 民法709条に基づく責任以上のほか、本問で問題となるのは、ほぼないが、結果の具体的予見可能性と結果回避義務が認められる場合には、監督義務者の有無にかかわらず、民法709条による責任が生じ得、これを直接の過失と結びつけて過失の立証責任を転換する考え方も示唆されている。さらに、介護の分担を含め介護の自信がもてるかどうかという観点からすると、これに尽きる。また、民法709条を根拠に、これを積極的に評価すべきだという見解もあり得なくはない。以上のほか、本問で問題となるのは、ほぼないが、結果の具体的予見可能性と結果回避義務が認められる場合には、監督義務者の有無にかかわらず、民法709条による責任が生じ得、これを直接の過失と結びつけて過失の立証責任を転換する考え方も示唆されている。[関連問題]Aは、交通事故の障害によりてんかんを患っていた。医師からは、抗けいれん剤を服用するよう指示されており、また、服薬していても発作のおそれがあるとして、自動車の運転はしないように言われていた。Aは、勤務先であるB社に対してこのことを報告したまま、自動車を運転する業務に従事していた。ある日、Aは、乗用車として自動車を運転している最中に発作を起こし、歩行中のCをはねて死亡させた。Aの親族であり、Aと同居しているYは、普段、自動車の運転をやめるようにAに忠告していた。この場合、Aの相続人、Y、B社の相続人が損害賠償を請求できるか(参考判例①参照)。[参考文献]瀬川・民法判例153巻5号(2017)698頁/瀬川・民法判例三木・北法医学雑誌第71巻6号(2021)1788頁(長野史寛)

『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者・2022年10月15日

ISBN978-4-7857-2992-9