損害額の立証
Xは、A市に居住し、灯油を購入していたが、石油連盟Yによる生産調整と石油元売業者Yら12名による値上協定によって高い価格で灯油を購入させられたと主張して、民法709条に基づき、YとY1に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した。裁判所は、YとY1に独占禁止法違反の価格協定(独占禁止法3条によると、事業者は他の事業者と協定を通じて対価を決定したり、引き上げたりして、競争を実質的に制限することが禁止される)があったと認定し、争点はXの被った損害額となった。Xは、現実に灯油を購入した価格と、価格協定があった時点の直前の灯油の市場価格の差額を基礎に損害額を算定したが、裁判所はXの主張を基に損害額を認定してXの請求を認容することができるか。参考判例① 最判平成元・12・8民集43巻11号1259頁② 最判平成18・1・24判時1926号66頁③ 最判平成20・6・10判時2042号5頁④ 最判平成30・10・11民集72巻5号477頁解説1 独占禁止法違反による損害の立証不法行為に基づく損害賠償請求訴訟においては、被害者である原告が、損害の発生、加害行為と損害の間の因果関係および損害額について主張・立証責任を負う。本問のように、一般消費者が独占禁止法違反による損害の賠償を請求する場合には、損害は、違反行為によって形成された価格(現実購入価格)と、当該違反行為がなければ形成されていたであろう価格(想定購入価格)との差額である。したがって、原告は、想定購入価格が現実購入価格より安かったことについて主張・立証責任を負う。ところが、現実購入価格については主張・立証が可能であるとしても、想定購入価格は現在に実在しなかった価格の立証であるから、これをどのように主張・立証し、また、どのように認定するかが問題となる。第1次石油ショックの時期に、事業者らの価格協定で高い価格で灯油を購入させられたとして住民らが損害賠償請求をした参考判例①の控訴審判決(仙台高秋田支部判昭60・3・26判時1147号19頁)は、価格協定の継続がない場合でも、具体的な値上時期および値上幅の割合をもって価格の上昇が確実に予測されるような特段の事情のない限り、価格協定直前の小売価格(直前価格)をもって想定購入価格であると推定するのが相当であるとした。特段の事情としては、原油価格の値上り、灯油の需要の飛躍的な増加、いわゆる狂乱物価の時期における一般生活物資の顕著な値上り等があるが、これらの立証責任は被告側が負うものとした。これに対して、参考判例①は、このような論法は厳格な要件の下でしか認められないとし、推認が認められる前提条件としては、価格協定の実施時から消費者が商品を購入する時点までの間に、商品の小売価格形成の前提となる経済条件、市場構造その他経済的事情に変動がないことが必要であり、その点についての立証責任は依然として原告が負うものとした。これらの立証ができない場合には、直前価格から想定価格を算出することはできないので、他に、検討による直前の基準価格として商品の価格形成上の特性および経済的変動の過程、程度の価格形成要因を消費において主張・立証責任を負うものとした。2 民事訴訟法248条最高の立証によると、原告の想定購入価格の立証負担はかなり大きなものとなる。そして、このような厳しい要件の下で、損害の立証に失敗すれば、すなわち、裁判官に高度の蓋然性を以って確信を得させることができなければ、原告の請求は棄却される(一部認容)。仮に損害の発生が立証されても、損害額の立証が困難であるために請求が棄却されるのは、実質的衡平に反する。きたとしても、損害額の立証ができないために敗訴するという結果を避けるため、民事訴訟法248条は、損害の性質上その額の立証が極めて困難であるときには、裁判所は相当な損害額を認定できるとしている。もっとも、民事訴訟法248条の趣旨と適用対象をめぐっては、立法当時から見解が分かれている。まず、同条の趣旨については、損害額の認定に必要な証明度を軽減したものとみる見解(証明度軽減説)、損害額の判断は立法的な評価の問題であり、同条は裁判官の裁量を認めたものとみる見解(裁量評価説)、あるいはその双方であり、軽減された証明度を基準とする評価がなされたかを判断し、達しない場合には裁量評価で損害額を定めるという折衷的な見解などに分かれており、立案担当者は証明度軽減説を採用していたといわれる。また、立法趣旨との関連性は必然ではないものの、同条の適用範囲についても、慰謝料の算定、幼児の逸失利益の算定、火災で家が焼けた場合の焼失家財道具の算定(実務の焼失の損害額を積み上げて計算するのではなく、損害保険の火災保険の標準モデル家具の家財財産を基準に算定する方法)を例に、どのような場合に適用されるかにつき、見解が分かれていた。例えば、証明度軽減説に立つ立案担当者は、民事訴訟法248条は慰謝料の算定と幼児の逸失利益の算定に関して集積された判例法理を確認したものであり、これらのケースに適用されるのみであり、焼失家財道具の損害算定の場合には適用はないと考えていた。これに対して学説では、証明度軽減説の立場からも、裁量評価説の立場や折衷説の立場からも、慰謝料の算定は、過去の事実を立証するのではなく、そもそも法律的評価の対象として裁判官が自由裁量に基づいて定める性質のものであるから、同条は適用されないとするのに対して、焼失家財道具の算定には同条が適用されるとしていた。ところで、民事訴訟法248条は「損害の性質上」その額の立証が困難な場合に適用されるとしていることから、上記のように、損害をその性質に着目して類型化して同条の適用の有無が検討されてきたが、実際の裁判例では、立案担当者が想定していた適用類型を超えて、事案の性質上損害の立証が困難な場合に、同条を適用するものもみられるようになった。例えば、参考判例②は、特許庁職員の過失により特許権を目的とする質権を取得することができなかったことによる損害の額について、その立証が困難な場合であっても同条を適用して相当な損害額を認定しなければならないとし、また、参考判例③では、採石権者が侵害されたものの、被告がなくした採石した原石と、権限を越えて砕石した岩石が混合しており、損害を区別することが困難である場合に、裁判所は同条を適用して、相当な損害額を認定しなければならないと判示している。ここでは、類型的には損害の立証が困難とはいかなくても、個別具体的な事情の下で、過去に発生した損害の認定が困難である場合に同条を適用することが肯定されている。さらに、同条が単に「認定することができる」と定めるのであるのに対して、これらの判例では、裁判所に同条の適用を義務付け、相当な損害額を認定しなければならないとしている。3 本問と民事訴訟法248条参考判例①の立場によれば、Xは、価格協定の直前に価格と現実の購入価格の差を基礎をもって認定することをもち得ないとするときの価格協定実施時から購入時までとの間に、商品の小売価格形成の前提となる経済条件、市場構造その他の経済的事情要因等に変動がないことについて立証が必要なとなる。すなわち、一般消費者が物価指数の上昇とは関係なく、すなわちその上昇以上に、灯油の価格が上昇したことなどを主張・立証しなければならない。本問では、そこまでXが主張・立証しているとはいえず、損害額の立証には成功せず、請求は棄却されることになりそうである。そこで、民事訴訟法248条を適用して、裁判所は相当な損害額を定めることはできるであろうか。同条は参考判例①の後に新設されたものであり、同条が本問のようなケースに適用されるかについては明らかではない。そして、同条の適用範囲が判例の蓄積によって広められたとしても、本問の場合には、以下のような特殊性があるため、同条の適用の可否が問題となる。損害については、加害行為がなかった場合の利益状態と、加害行為があった現在の利益状態の差額を損害とする差額説と、個々の違法行為について被った不利益こそが損害であり、損害額は、裁判官がこれを金銭評価したものであって、損害額の算定には、本問のような独占禁止法違反による損害賠償事案と、る損害は本来的、かつ、金額の損害額である。ところが、民事訴訟法248条の立証は、本来的に損害がありそうはずである。ところが、民事訴訟法248条は、損害が生じたことが認められても、損害額の立証が困難である場合に適用されるのであり、損害自体の発生については通常の立証を要求している。したがって、本問では、同条が適用されたとしても、損害の発生自体が立証できないとして、請求が棄却されることになりそうである。そこで、本問のように損害の発生自体の立証が極めて困難な場合にも、同条が類推適用されるかが問題となる。この点、学説では、損害の発生の立証に同条を適用することを疑問視するが、学説では、類推適用を否定する見解と肯定する見解とがある。類推適用の有無を検討する前に、損害の立証の性質についてあらためて考える必要がある。判例・通説の採用する差額説の立場は、損害の発生と損害額が重なり合うことを前提としているようだが、民事訴訟法248条がその適用対象を損害額の立証に制限しているのは、立証の場面では、そもそも何らかの損害が発生したことを立証できれば、損害の発生を認めることを前提としているからとも考えられる。参考判例③は、権限なく採石された石の量自体が立証できない場合であったが、金銭評価の損害の発生は認め、損害額についてのみ民事訴訟法248条を適用している。ここから、具体的な量として把握できる損害の発生自体が立証できなくても、何らかの損害が発生したことが立証されれば、同条の「損害が生じたことが認められる場合」となり、あとは損害額の算定に同条を適用すれば足りることになりそうである(これは、本問の損害を損害事実説に親和的である)。この考え方を前提とすると、本問のケースでは、価格協定があり、その結果、わずかでも灯油価格が上昇したことを立証すれば、損害の立証としては足り、損害額の立証の場面において、具体的には想定購入価格の立証の場面において同条を適用すれば足りることになろう。公共工事の談合事例において同条を適用する下級審裁判例(東京地判平18・4・28判時1944号58頁、東京地判平18・11・24判時1965号23頁、東京高判平20・7・2LEX-DB25440325等)も、そのような損害論を前提としているようである。これに対して、具体的な額として立証できる損害の発生自体の立証が必要だという見方もあり得る。とすれば、本問のような独占禁止法違反の場合には、想定購入価格が現実購入価格よりも高いことの立証できなければ、損害の発生自体が立証できないのであり、価格が安かったと認めるためには、想定購入価格についての通常の立証が必要になりそうである。このような考え方を前提とした場合に、民事訴訟法248条の適用を否定するか、あるいは原告救済の必要性を強調して同条の類推適用をするかどうかが問題となる。後者の見解を採用するのであれば、本問のケースでも、裁判官は裁量に基づき、あるいは低い証明度でも損害の発生を認定し、さらに損害額についても相当な額を定めることができることとなる。ところで、民事訴訟法248条を用いて損害額を算定する場合には、裁判所がどの程度の額を認定すべきかが問題となる。下級審裁判例には、同条が損害額の算定を中核で中核に損害賠償義務を負わせる以上、ある程度の額で訴えても全額をもって認定することもやむを得ないとするもの(公共工事の談合事例で契約金額の5パーセントを損害額と認定した前掲・東京地判平18・4・28、前掲・東京地判平18・11・24、名古屋地判平21・12・11判時2072号88頁、有価証券報告書等虚偽記載に基づく損害賠償額に関する東京地判平24・6・22金法1958号87頁)と、不法行為に基づく損害賠償請求権が社会に生じた損害の公平な分担という見地から認められていること等に配慮し、損害額を厳格に算定して果たそうと考えられる範囲に抑えて認定するのが相当であり、訴訟上提出された資料等から合理的に考えられる中で、実際に生じた損害額に最も近いと推測できる額を認定すべきであるとしたものに分かれている(契約金額の7~10パーセントで認定するものとして東京地判平19・9・26判時2012号29頁、名古屋高判平21・8・7判時2070号77頁、東京高判平23・3・23判時2116号32頁、東京高判平28・9・14判時2323号101頁も参照)。