表見代理
Aは、知人のBに誘われて、2022年7月15日に、D骨董店で開催されている「陶磁器展」を訪れた。そこでは展示販売も行われており、購入された作品は、陶磁器展が終了した後に、代金と引換えで買主に引き渡されることになっていた。Bは、Aと一緒に会場を回っていたが、陶芸家のCが出品した大きな花瓶(販売価格8万円)の前で立ち止まり、次のような話をした。「Cは自分の知人で毎回出品しているが、今回売れないともう出品できなくなるかもしれない。そこで自分が買うことにしたが、そのことがCに伝わるとお節介かもしれないので、あなたが買ったことしてくれないか。代金は、もちろん自分が支払うから安心してほしい。」Aはその場で断って帰宅したが、後になってBから電話があり、「自分がもう一度店に行って代わりに入れておくから」と何度も頼まれた。Aは、曖昧な返事を続けたが、Bは「じゃあ、そうするから」といって電話を切った。翌7月16日、Bは、1人でDを再訪し、Aの名の下でCの製作した花瓶を購入する契約を締結した。Bが契約書にAの住所や電話番号をみずからずら書きで記入したので、Dの担当者はBが本人であると思い込んでいた。8月6日に陶磁器展が終了した後、Dから花瓶の引取りを求める電話があったので、AはBに連絡をとろうとしたが、AはBと連絡が取れなかった。そこで、Aは、DにBが購入したものなので代金はBに請求してほしいと告げたが、Dは、Aの名前で契約されていることを理由に代金の支払を請求してきた。これに対して、Aは、どのような反論をすることができるか。参考判例最判昭和35・10・21民集14巻12号2661頁最判平成7・11・30民集49巻9号2972頁最判昭和45・7・28民集24巻7号1203頁(関連問題)解説Dの請求:売買契約に基づく代金支払請求本問において、Dは、Aとの間で花瓶の売買契約が成立したことを前提として、売買契約に基づく代金支払請求をしているものと考えられる。これに対して、Aは、売買契約がDとBとの間で成立したものであり、Bに対して請求するように主張している。したがって、Dの請求が認められるためには、まずDとAとの間で売買契約が成立したといなければならない。売買契約は、当事者の一方(売主)がある財産権を相手方(買主)に移転することを約し、相手方(買主)が代金を支払うことを約することで成立する(555条)。すなわち、売買契約の成立要件は、財産権移転の合意(条文上は「約束」とされているが、最終的に双方がそれぞれの「約束」を受け入れて「合意」する必要がある)とその対価としての代金支払の合意である。そうなると、本問では、これらの2つの合意が誰と誰との間でなされたかということを、まず検討しなければならない。他人名義の契約の当事者本問では、Dとの間で実際に契約書を作成したのはBであるが、BはAの名で行っているため、契約自体はAが締結したことになっている(なお、契約は申込みと承諾の意思表示が合致すれば成立し(522条1項)、本問のような売買契約については、本来は契約書の作成は要求されない(同条2項)。仮に、Aが、Bの依頼を受け、Aの名で花瓶の売買契約を締結し、とりあえず代金をAが支払うつもりでいたのであれば、DとAとの間で売買契約が成立したと評価できるであろう。しかしながら、本問では、Aは花瓶の代金を負担するつもりはない。むしろ、Aとしては、Bが自分の名を手許にものと考えられる。逆に、BはAも自らが花瓶を購入するつもりであるし、仮にAの名で売買契約を締結したとしても、そもそも本人であるAのためにすることを示さずにした意思表示は自己のためにしたものとみなされるのであるから(100条本文)、実際にはDとBとの間で成立したと考えることもできよう(この場合には、Aという名は、いわばBの通称やペンネームと同様の形で用いられていると考えるとかわりやすいかもしれない)。いずれにせよ、契約名義はともかくとしても、Bが代金を支払って花瓶を引き取るのであれば、実際には何ら問題は生じない。ところが本問では、最終の段階になってBが行方をくらませてしまっているので、結果的には、Aがいくら契約の当事者Bだと主張しても、Dとの間の関係を清算するしかない。そこで、結局のところ、DとAとの間で契約が成立しているといえるかどうかを検討しなければならないことになる。名義利用許諾の有無と表見代理成立(109条1項)の可否本問では、Aは、自らが契約を締結したつもりはもちろんそうである。しかしながら、BからAの代わりに花瓶を購入するという提案を受け、それに明確な返事をしないままでいるうちに、Bが自らの提案どおりとする一方的に宣言し、実際にそのようにしてしまっている。この状況をどのように評価すればよいのであろうか。もし、Aが自ら花瓶を購入するつもりであってBの提案に同意したのであれば、Aは、Bに売買契約を締結したことになり、それに従ってAのために代理行為として売買契約を締結させることになる。いわば、このような場合には「有権代理」が成立することになる。有権代理の成立にあたっては、①本人Aのためにすることを示す(顕名)、②代理人による意思表示(代理行為)、③本人の代理権限が存在したこと(代理権授与)を証する必要がある(99条1項)。ついでに「A代理人B」と署名する状況等が示すのが一般的であるが、Bがその代理権の範囲内において、Aの代理人であることを示すにあずからず自己がAであるかのように契約書等に「A」と記入した場合であっても、有効に有権代理行為がなされたと考えるのが判例(大判大正9・4・27民録26輯606頁)・通説の立場である。本問では、たしかにBはAであるかのように振る舞って契約書にAの名で署名している。しかしながら、Aはそもそも自ら花瓶を購入する意思はなく、また、それを前提にBに代理権を授与してもいない。そうすると、いくらAの名で契約が成立したとしても、上記の③の要件を満たさないのであるから、有権代理の成立したことはもとよりない。AがDに対して、売買契約の成立を前提として代金を請求するとしても、BがAの代わりに花瓶を購入するという提案に対して明確な返事をしていなければ、そもそも、AとDとの間で売買契約を締結したとはいえない。それでは、BがAに代わり花瓶を購入するという提案に対して、明確な返事をしていなければ、そもそも、AとBとの間で契約を締結したとはいえない。それでは、BがAに代わり花瓶を購入するという提案に対して明確な返事をしていなければ、AはDに対して、本来は代理権を授与していないが、代理権を与えたかのような外形があり、いわば第三者であるDに対して本来は代理人ではない他人であるBに代理権を与えた旨を表示した、すなわち、「代理権授与の表示による表見代理」(109条1項)が、あらたに問題となることも考えうる。とはいえ、本問では、たとえばBが代理人であると記載した委任状を交付するようなことをしたという事情はない。Bが代理人であるという表示をしたわけではないから、「代理権授与の表示」がそもそも存在しない。もっとも、109条をはじめとする「表見代理」の規定は、本来は「無権代理」であるにもかかわらず、あたかも「有権代理」であるかのような外観を作出したことについて本人にその責任を負わせなければならないという(本人の帰責性を理由として)設けられている。そうであるとすれば、AがBに代理権を授与した旨を直接表示しなくても、そのような表示をしたと受け取れる行動をしたのであれば、同条1項が適用される余地は十分にあるといえる。名義利用許諾をした者の責任をめぐる最高裁判例実は、前述した「表見代理」の規定をめぐる考え方は、従来の最高裁判例でも前提とされているが、それが典型的に現れているのが、「東京地方裁判所厚生部」事件をめぐる最高裁判決である。以前は、まず、この厚生部の事業の経営を任せていた。これに対し、最高裁判所は、職員の中から職員の福利厚生を目的として生活物資の購入や配布を行っていた「東京地方裁判所厚生部」が設置されていた。これは同裁判所の正式な組織ではなく、その職員は退職後に経営を正式な部局である「東京地方裁判所総務部厚生課」に引き継がれ、これまでどおりの事務を引き継ぎ処理し、同厚生課の1室で「東京地方裁判所厚生部」という名義で看板を掲げて取引を継続してきた。厚生部の職員は、庁用の用紙を使用して取引を継続し、また、厚生部の様式で「発注票」や「支払証明書」を作成し、また、受注者の請求書は「東京地方裁判所厚生部」宛と記載し、さらに支払請求書には厚生部の公印を用いたうえで厚生部の銀行口座から振り込むなどしていた。その過程で、厚生部に繊維製品を販売した会社がその代金の支払を求め、東京地方裁判所に対して国が支払えと訴えを提起した。最高裁判所は、次のように述べて、国が責任を負う可能性があると判断した。一般に、他人に自己の名義の利用を許諾し、もしくは、他人が自己の名義で取引するのを冒用するのを許諾し、もしくは、他人が自己の取引で自己の名義で取引するのを冒用するのを許諾し、もしくは、他人が自己の取引で自己の取引を見るに外部からはその取引が自己の取引であるかのような外形を信頼して取引した第三者に対し、自ら責任を負うべきであって、このことは、民法109条、商法23条等の法理に照らし、これに違反することができる。ここには、他人に自己の名義等の使用を許諾した、あるいは、その他人が取引のために自己の名義を使用することを許諾した者は、その他人がした取引の責任を負わされるものとされており、その他人があたかも自己の取引であるかのような外形を作出したことが挙げられている。これに、まさに民法109条(2017年改正前109条)の背景にある考え方である。ただし、注意をしなければならないのは、この判例は、109条…等の法理に照らして判断したとして、民法109条を直接適用しているわけではないことである。その理由は、2017年改正前民法109条が厳しい文言で規定していることである。京地方裁判所が積極的に「厚生部」に対して代理権を授与したのではなく、そのような誤解の外形を作出するような行為をしていたにとどまり代理権を授与したとの明確な外形を作出したとはいえないためであると考えられる。なお、上記の判例でも引用されている2005年改正商法23条(現在の商法14条の会社法9条)は、他人に自己の商号の使用を認めるという、いわゆる「名板貸人の責任」を定めたものである。これに関しては、スーパーマーケット内にあるテナント(ペットショップ)について、前者(スーパーマーケット)の経営主体と買主側が誤認するにもかかわらず、その営業の一部門であるかのような外観が存在したことを理由に、同条を「類推適用」して、その経営主体は、名板貸人と同様に、後者のテナントと買物客の間で取引によって生じた責任を負うとされた(参考判例②)がある。ここでも、経営の社会的信頼に外観を作出したとはいえない状況を踏まえて、同条を直接適用ではなく類推適用したものと考えられる(もっとも、同条は、名板貸人は、名板借人とその相手方との間で取引が成立することを前提としつつ、名板貸人と名板借人に連帯責任を負わせる規定であることから、参考判例③のように、外観を作り出した者に直接責任を負わせることを目的として直接適用ではなくという指摘もある)。本問では、Aは、Bの要領に対して曖昧な返事を終始しており、Bの一方的な主張に対して何ら対応もしておらず、それらが外形を作出したとまではいえないであろう。もっとも、たまには、Bの求めに応じて、自らが所有する土地の登記識別情報の身分証明に必要となる書類を提供したこと、それをを用いて契約をしたという場合は、BがAであるかのような外形を作出したと評価される可能性もあろう。相手方の悪意・無過失ところで、民法109条が適用されるに際しては、代理権授与の表示を受けた第三者が、代理人と称する者に代理権がないことを知り(悪意)、または過失によりてこれを知らなかった(有過失)場合には、本人はそのような表示をしたとしても責任を負わない旨を規定している。逆にいえば、第三者が善意・無過失でなければならない(もっとも、第三者が善意・無過失であることは、代理権授与の表示をした者が主張・立証しなければならない)。先に紹介した参考判例①は、将来を直接適用したものではないが、やはり「厚生部」の取引相手である会社が「善意・無過失」であったか否かをさらに審理判断すべきであるとして、原審に差し戻している。本問では、Aが、仮にBに対して自己の名義の使用を許諾したと考えられる場合であっても、AはDがBにはAに代わって陶磁器を購入する権限がないことにつき善意・有過失であったことを立証すれば、責任を免れることになる。問題文からすると、DはBがAであると信じており、少なくとも善意である(悪意ではない)ことは容易に読み取れる。もっとも、たとえば、本人であることについて証明書の提示を求めて確認を怠らなかったことは、Dに過失があると判断される可能性もあろう。関連問題本問において、Bが、Cの出品した花瓶ではなく、別の陶芸家が出品した皿(販売価格15万円)を購入する契約をDと締結したとする。Aは、Dの支払の請求を拒否できるか。Aは、どのような反論をすることができるか。参考文献野澤正充・百選Ⅰ 68頁 / 原田昌和ほか『民法Ⅰ START UP!』(有斐閣・2017)68頁 / 鎌田薫「名板貸と109条」椿寿記念『現代契約法体系の展開』27頁 / 中舎寛樹編著『詳解 債権法改正の重要論点と実務』(日本加除出版・2018)57頁(宮下修一)