表見代理
Aは、Bから100万円を借り受け、その担保としてAの所有する甲土地にBを抵当権者とする根抵当権登記手続をBに任せることにし、言われるがまま、代理人権限および登記申請権限が空欄の白紙委任状に署名押印し、甲土地の登記識別情報通知および印鑑証明書とともにこれをBに交付した。Bは、借金の保証人になってほしいと友人であるCから頼まれたものの、自らが保証人になることを断った。Bは、Bは、代わりの甲土地に根抵当権を設定することを提案し、Aの承諾を得ているとも話した。Cがこれを了承したので、Bは、実際にはAの承諾がなかったにもかかわらず、白紙委任状および登記識別情報通知、印鑑証明書をCに交付した。Cは、上記白紙委任状の代理人欄に自分の名前を、委任事項欄に「甲土地に対する根抵当権の設定に関する一切の事項」と記入した。そのうえで、Cは、Dから500万円を借り入れるに当たり、Dに上記白紙委任状および印鑑証明書を提示し、Aの代理人としてDとの間で、甲土地にDのためにする貸金債権を被担保債権とする根抵当権を設定する契約を締結した。このとき、Aから根抵当権を設定する旨の話を信じたDは、Aに直接問い合わせをすることをしなかった。その後、CおよびDは、上記白紙委任状等を利用して、甲土地につき根抵当権設定登記をした。上記根抵当権設定登記の存在を知ったAは、Dに対して、根抵当権設定登記の抹消登記手続を請求することができるか。参考判例最判昭和39・5・23民集18巻4号621頁解説白紙委任状任意代理人による代理行為の効果が本人に帰属するためには、当該代理人が本人から代理権を与えられ、その範囲内で代理行為をなすことが必要である(99条1項)。代理権の授与は、口頭のみによることが可能であるが、委任状を交付することが一般的である。委任状は、誰が誰にどのような範囲で代理権を与えたかを示す。しかし、代理人の氏名(代理人欄)や代理権の範囲(委任事項欄)を空欄にしたまま交付される場合がある。これを白紙委任状という。白紙委任状は、交付後の事情を考慮した柔軟な対応を可能とするメリットがあるが、本人が想定していない者が代理人となり、あるいは(かつ)、本人が想定していない範囲で代理権が行使される危険がある。このような場合、白紙委任状を交付した本人と代理行為の相手方との間で、代理行為が、有権代理として、あるいは、表見代理として、本人に帰属するかが争われる。本問では、甲土地の所有者であるAが、抵当権設定登記をするDに対し、所有権に基づく妨害排除請求として、抵当権設定登記の抹消登記を請求する。これに対し、Dは、甲土地につき抵当権を有しており、したがって、抵当権設定登記を保持する権限を有すると反論する。この反論が成り立つためには、DがCとの間で交わした抵当権設定契約が、有権代理として、あるいは、表見代理として、本人であるAに帰属したことが必要である。問題の構造白紙委任状を利用して代理行為がなされた場合に、どのような法律関係となるか。この問題は、白紙委任状がどのような趣旨で交付されたか、および、白紙委任状がどのように行使されたのかによって、区別して論じられる。第1に、白紙委任状が転々流通し、正当に取得した者が白紙委任状を行使することができるものとして交付された場合(権限者型)と、白紙委任状が転々流通することを予定せず、白紙委任状を行使する者を一定の範囲に限定することを予定した場合(非権限者型)とを区別する。権限者型とは、白紙委任状が有価証券たることを受付され、その正当な所持人が年金を受領することを予定するといった例外的な事情がある場合を指す(大判大正7・10・30民録24輯2087頁)。原則として、代理人の氏名が記載されているか否かにかかわらず、非権限者型であると解される。したがって白紙委任状は、上述のような例外的な事情の下に交付されたものではなく、Bによって行使されることが予定されていたのであるから、非権限者型である。第2に、非権限者型の白紙委任状が行使された場合、それをBみずからが予定された者により行使されたのか(権限者)、それ以外の者により行使されたのか(権限者)をなそう。問題の状況が変わる。たとえば、本問で、Bが白紙委任状を行使した場合には直接Bとなり、Bが白紙委任状を行使した場合には問題となる(関連問題1がいずれに当たるか検討してみよう)。権限者型や非権限者・直接型の場合、白紙委任状を行使して代理行為をなした者が何の代理権を有していることが争いがない。したがって、その者が当該代理権の範囲内で代理行為をした場合、その行為は有権代理として本人に帰属する。これに対し、代理権が与えられていない場合や、代理権の範囲を超えて代理行為をした場合は、それは無権代理となる。しかし、代理権の交付は、本人から白紙委任状の行使者に代理権を与えたものである。したがって、相手方が代理権があると信じたものとして民法110条の適用も問題となる(何らかの代理権が与えられた場合には民法110条の適用も問題となりうる)。第3に、非権限者型かつ間接型の場合、白紙委任状を行使した者がその代理権の範囲内で代理行為をしたのか(委任事項濫用型)、それとも、代理権をなしえなかったのか(委任事項無権限型)によって区別される。権限者型では、白紙委任状の交付は、それを行使することが予定された者以外の者が何らの代理権を有しない。したがって、当該行使者が、白紙委任状を行使することが予定された者に与えられた代理権の範囲内で代理行為をなそそれを行えて代理行為をなそうが、その代理行為が無権代理であることに変わりはない(民法110条の適用も問題となり得ない)。しかし、委任事項非濫用型では、本人が覚悟していた不利益のみが生ずるのに対し、委任事項濫用型では、本人に想定外の不利益が生ずる危険がある。したがって、両者を質的に異なる状況であると評価することができる。本問は、Aが自ら設定したBの甲土地に対する抵当権につき抵当権設定登記手続をBにのみ委任事項としていたのに対し、実際になされた代理行為は、Dの甲土地に対する抵当権設定契約の締結であった。委任事項が適用されたものといえる。以下では、本問のような非権限者型・間接型・委任事項濫用型の場合に、民法109条1項がどのように適用されるのかを検討していく。代理権授与表示本人が相手方に対して自己の代理権をAに与えた旨の表示をしたこと、が民法109条1項の要件となる。非権限者型・間接型の場合、本人が相手方に対して白紙委任状の行使者に代理権を与えた旨の表示をしたかが問われる。参考判例①は、不動産の所有者Aが、抵当権設定登記手続をBに委託し、権利証および白紙委任状、印鑑証明書を交付した後、BがさらにこれらをCに交付し、Cが、これらを用いてDとの間で根抵当権設定契約を締結したという事案につき、本人の責任を否定した。最高裁は、これらの書類が転々流通することを常態とするものでなく、第三者がこれらを利用したときにまで本人が責任を負うべきではない、とした。参考判例③は、CがBを通じて融資を受けるに当たって保証してほしいとCから頼まれたが、Bに代理権を与える目的で、白紙委任状および印鑑証明書をCに交付したが、Bを通じて融資が失敗したので、自身が、Dとの間で消費貸借契約を締結し、それに当たり、白紙委任状等を用いてAを代理して、Dとの間で連帯保証契約を締結したという事案につき、代理権授与表示の存在を認め、本人Aの責任を肯定した。これらの判例は、委任事項濫用型と委任事項非濫用型を区別したものとして位置づけられる。そのような区別によれば、委任事項濫用型は、非濫用型に比べ、本人を保護する必要性が大きく、本人の責任が否定される場合が多い(参考判例②も参照)。代理権授与表示自体を否定し、民法109条1項の適用を一歩排除した参考判例に対し、批判もある。代理権授与表示を肯定する見解は、白紙委任状の客観的性質を重視し、仮に本人が予定していなくとも、それが転々流通する危険性を有するものとして代理権授与表示に当たるとしつつ、相手方の悪意有過失を判断する際に、本人と相手方の利益衡量を図るべきだとする。なお、委任事項濫用型の場合には、民法109条2項を適用する余地がある(→本書132参照)。本問は、上述のとおり、非権限者型・間接型・委任事項濫用型の事案であり、判例の一般的判断に従えば、AからDに対する代理権授与表示を否定することになる。しかし、本人の意図にかかわらず白紙委任状が転々流通する危険を重視する立場を採用するとすれば、Aが白紙委任状をBに交付した事実をもって、AのDに対する代理権授与表示があったものと認定することができる。相手方の善意無過失代理権授与表示があったとしても、相手方が善意または有過失であった場合には、本人は責任を負わない(109条1項ただし書)。権限者型の場合には、本人に責任を負わせてもよいが、委任事項濫用型の場合、本人に責任を負わせてもよいとは限らない。参考判例①は、不動産の登記識別情報および白紙委任状、印鑑証明書を所持した代理人が、実際には代理権を有しないにもかかわらず、代理人として、根抵当権設定契約を締結したという事案につき、本人の責任を否定した。相手方の過失の有無が問題となったところ、最高裁は、根抵当権設定契約が白紙委任状を白紙委任状とする株式会社に対する代理権を担保する目的で締結されたものであること、相手方が本人と面識をもち、本人と代理人との関係についても知らなかったこと、相手方が本人に代理権の有無を確認しなかったことなどの事情から、相手方に代理人の代理権の有無を確かめる取引上の義務があるとし、それを果たさなかった相手方の過失を認めた。参考判例③の本件の事案では、代理行為が、本人の利益ではなく、自称代理人ないし小会社の利益になることが明らかであるか。このような場合には、無権代理ではないかと疑念を抱くのが相当であり、代理権の有無を本人に直接確認する義務を負うと考えるべきである(代理権限があったとしても利益相反の問題が生じる)。特に不動産取引は、本人に与える不利益が大きく、また、慎重に確認する時間的余裕があるので、このような義務を果たさない相手方の表見代理による保護を受けないとしても、取引の安全を過度に害するとはいえない(関連問題2をどのように考えるべきか、同様との事案の違いに注意しながら考えてみよう)。関連問題(1) Aは、Bから100万円を借り受け、その担保としてAの所有する甲土地に抵当権を設定した。その際、Aは、Bに抵当権設定登記手続を任せることとし、言われるがまま、代理人権限および委任事項が空欄の白紙委任状に署名押印し、登記識別情報通知および印鑑証明とともにこれをBに交付した。Bは、Cから500万円の借金についてDの保証人になることを引き受けた際、DがCに担保の提供を求められたことから、Cは、上記白紙委任状の代理人欄に自分の名前を、委任事項欄に「甲土地に対する根抵当権の設定に関する一切の事項」と記入した。そのうえで、Cは、Dから500万円を借り入れるに当たり、Dに上記白紙委任状と印鑑証明書を提示し、Aの代理人としてDとの間で、甲土地にDのためにする貸金債権を被担保債権とする根抵当権を設定する契約を締結した。このとき、AからDへの抵当権設定の許諾を受けたとのCの言を信じたDは、Aに直接問い合わせをしなかった。その後、CおよびDは、上記白紙委任状等を利用して、甲土地につき根抵当権設定登記を具備した。上記根抵当権設定登記の存在を知ったAは、Dに対して、抵当権設定登記の抹消登記手続を請求することができるか。また、CがBの従業員ではなく、司法書士であった場合はどうか。(2) Aは、自ら所有する甲土地の売却を決め、売却先の選定および買主との間の具体的な交渉をBに任せることとした。その際、Aは、代理人欄および委任事項の空欄の白紙委任状に署名押印し、甲土地の登記識別情報通知および印鑑証明書とともにこれをBに交付した。Bは、Aの承諾がないにもかかわらず、それらをCに交付した。Cは、上記白紙委任状を行使してAの代理人と称し、甲土地をDに売却し、所有権移転登記手続を行った。上記所有権移転登記の存在を知ったAは、Dに対して、所有権移転登記の抹消登記手続を請求することができるか。参考文献水巻善巳・百選Ⅰ 56頁 / 北居功一・百選Ⅰ(第5版新法対応補正版)(2005)58頁(大塚智見)