不利益変更禁止
XはYに対し、貸金債権の支払を求めて訴えを提起した。Yはこの訴訟で予備的に、Xに対する反対債権による相殺を主張した。第1審はXの貸金債権の存在は認めつつ、予備的相殺の抗弁を容れて、結論としてXの請求を棄却した。これに対しXは控訴したが、Yはしなかったとき、控訴審における審理の結果、第1審とは逆に、Xの貸金債権はそもそも存在しないと判断した場合、控訴審はどのような判決ができるか。参考判例最判昭61・9・4判時1215号47頁解説1 控訴審の審理構造控訴審の審理対象は、控訴の適否と第1審判決に対する当事者の不服申立ての当否である。控訴審では控訴が不適法でその不備を補正できないときを除き(290条参照)、必ず口頭弁論を開かなければならないが(87条1項)、控訴審の審理対象は不服の当否であるから口頭弁論もその限度で行われる(296条1項)。不服申立てを認めて第1審判決を取り消す場合には(315条・306条)、請求自体について判断することになる。控訴審は第1審の事実審として必要な範囲で独自に事実認定を行う。その資料は第1審に提出された資料に控訴審で新たに提出された資料を加えたものである(続審主義)。ただし、控訴審の裁判は第1審に参与していないので、第1審で提出された資料を控訴審判決の資料とするためには、裁判官が交替した場合と同様に直接主義の要請に基づき、第1審における弁論の結果を当事者が陳述しなければならない(296条2項、弁論の更新)。控訴裁判所は控訴または附帯控訴によってされた不服申立ての限度でのみ第1審判決の当否および変更をすることができる(304条)。上訴による確定遮断および移審の効力は、上訴人の不服申立ての範囲にかかわらず、上訴の対象となった判決全体について生ずるが、上訴人の不服のない部分についてまで裁判所は判断する権限はもたない。この結果、不服申立てのない部分について裁判は確定し(上訴不可分の原則)、この結果の範囲を拡張し、被上訴人が附帯控訴をしない限り一部のみが控訴審の対象とする。控訴人は、被控訴人の利益を害さなく、その一部のみを控訴審の対象とすることができる。例えば被告が500万円の請求を認容し、300万円の一部認容一部棄却判決を得た場合、原告は棄却部分の200万円の限度で控訴することができるが、100万円の限度にとどめることもできる。それを控訴審の口頭弁論終結時までに200万円まで拡張できるとする。これに対応して、被控訴人も審判の対象を自己に有利に拡大することを求めるため、その申立てでは500万円全額が移審しているところで、第1審で認容された300万円の部分について審判対象とするよう求めるのが、附帯控訴である(293条)[→問題73]。2 不利益変更の禁止控訴審の審理の範囲は、控訴によってきた不服申立ての限度に画されるので(304条)、控訴がない限り、控訴審は第1審判決を不利益に変更されることはなく、被控訴人の場合も控訴審の判決が下されるにとどまる。これを不利益変更禁止の原則という。例えば第1審で300万円の支払を命じられ、原告が200万円しか存在しないから心外だとし、被告が原告の請求権は200万円しか存在しないから心外だと判決し、控訴人が300万円の支払を求める訴えを認めて控訴を棄却して300万円の支払を命じるにとどまる。逆に原告が不服を申し立てた場合に控訴審が第1審の500万円認容判決よりもさらに原告に有利に800万円のうち100万円だけを不服として、控訴審が300万円の請求権はあると判断したとしても、100万円円を越えて200万円を認容に変えることはできない。控訴していない部分は不服申立ての対象ではないからである。不利益変更禁止の原則により控訴人の保護が図られるのに対し、被控訴人が自己に有利な(控訴人に不利益な)判決を得たいのであれば、審判の対象を拡張するために前述の附帯控訴をすればよい。不利益変更禁止の原則は、当事者の不服申立てがない限り、それに対応する裁判をすることさえできないということであり、一応は処分権主義(246条)に基づくものとされてきた(これに対し、控訴制度の趣旨に基づくとする説もあり、処分権主義で説明できない場合に不利益変更禁止の原則独自の窮屈を認めるのは、宇野・不利益変更禁止原則の機能と限界(2・完)民商法雑誌103巻4号(1991)601頁)。したがって判例通説によれば、処分権主義と関連させれば、不利益変更禁止の原則は適用されない(最判昭38・10・15民集17巻9号1220頁)。また、職権調査事項についても、例えば一部認容判決に対する原告の控訴において、第1審が判断した請求について不存在と判断し、請求棄却とするのは不利益変更ではない。訴え却下の判決が下される。とされ、訴訟費用の妥当性から、一部認容部分も取り消して、控訴人に不利益訴え却下判決ができるというのである。3 予備的相殺の抗弁控訴審の裁判が申立てに拘束され、控訴人に不利益に変更できないというのは、判決の主文を基準としている。判決理由には既判力が生じない限り、不利益変更禁止は問題ない。そこで、例えば請求を理由とした請求棄却判決を、消滅時効を理由として控訴審がすることは差し支えないとされる。他方、本問の、判決理由中に既判力が生じる相殺(114条2項)について、不利益変更が問題となる。予備的相殺が認められて請求棄却判決を得た被告も原告の利益もそこから[→問題72]、本問はこれに被告が控訴する。この控訴が認められれば控訴審で原告の請求権があると判断されるのであれば、原判決取消、請求棄却となる。控訴審が訴求債権は認めつつ、第1審と異なり反対債権なしと判断した場合、もし請求棄却にすれば、これは不利益変更になるので、控訴審にとどめなければならない。次に、本問の通り、予備的相殺で請求棄却となった原告の控訴が申し立てられ、請求認容と判断された場合に、これと理由とする棄却判決は第1審の判決の認容と判断を認めたことの違い、反対債権の不存在に判決を下したという点で被告への不利益となる。そこで学説としては、その判断内容で、被告への不利益とはならず、請求棄却として控訴棄却を維持するにとどめなければならず、被控訴人が附帯控訴を提起して、請求認容判決を得て、あらためてその請求権なしという理由での棄却判決をするためには、Yの控訴または附帯控訴が必要となる。以上の通り判示するのが、参考判例である。この事案は、XがYに貸金をしたところ、Yは「賭博債務である」ことを知ってXの貸金請求を棄却した(民708条)。仮にそうでないとしても反対債権で相殺すると主張し、第1審は予備的相殺を認めて請求棄却とした。Xが控訴したのに対し、控訴審は、賭博につき反対債権として相殺として原判決を取り消し、請求を認容した。Yが控訴したところ、最高裁は本件貸金債権は民法90条により無効であると判断した。このような場合、最高裁は原判決を破棄するが、すると控訴申立てに対する応答がない状態になるので、原々裁判所に差し戻し(325条)、自ら判決をする(326条)[→問題76]。そしてこの事案では本案は相殺について判断するまでもなく請求棄却であるので、Yがしていない(上告したのはYだが原審被告としては不利益にはならない)ので、控訴審としては、Xに認容してはならず請求を棄却し、Yの控訴を棄却した。4 審判範囲の限定しかし、このように原告のみが控訴した場合、被告が附帯控訴もしない場合は、控訴審は請求権を棄却する部分の当否を審判するのか。控訴審は控訴の対象として、控訴部分である反対債権に絞られ、請求権の存否は審判対象とならず、控訴審は反対債権の存否しか審判判断できないという考え方もある。この説によれば、控訴裁判所は、訴求債権が存在しないと判断するときも、反対債権が存在しないと判断するときは、原判決を取り消し、請求を認容することになる。そもそも請求債権について審理判断すること、自体、許されない。不服を申し立てた原告が反対債権を審判対象としていること、被告が附帯控訴での機会を利用せず、請求債権について審判対象としなかったことを重くみており、当事者の申立てによる審判の範囲を厳格に捉える立場といえよう。この少数説に対しては、控訴審の判断内容に反する処理の落ち着きの悪さが問題とされているほか、次のような批判がある。すなわち、不利益変更を処分権主義から導く立場からは、被告が不服申立てをしなかったのは、判決主文において請求棄却された結論はよしとし、基準時における反対債権の不存在について生じる既判力を争わないという意思にとどまるから、請求を認容することは許されないのであって、控訴棄却にとどめるべき、と。なお、固有的必要的共同訴訟において不利益変更禁止の原則が問題となった判例(最判平22・3・16民集64巻2号698頁)については、同じく合一確定の要請が働く独立当事者参加のところで紹介している[→問題2、3]。参考文献山本=本問表題215頁/瀬崎=百選222頁(安西明子)