筆界確定訴訟
2025/09/03
Yは、2002年に前所有者から乙土地を買い受け、所有権移転登記を経由した。同年、Yは abcdで囲まれた部分(網掛け部分)に自宅を建て、以降中断することなくここに居住してきた。Yが買い受けた当時、不動産登記上、甲土地の所有権名義人はAであった。当時より甲地と乙地には建物はなく、Aが時々様子を見に来る程度であった。2020年にAが死亡し、Xが甲地を相続した。2022年、Xは、甲地・乙地の境界はcdを結ぶ線であると主張し、Yに対して筆界確定訴訟を提起した。Yは、筆界はabを結ぶ線であると主張し、仮に筆界がcdを結ぶ線であったとしても、abcdで囲まれた部分について取得時効が成立しているので、Xは当事者適格を欠くと述べた。裁判所が、網掛け部分についてYの取得時効が成立すると判断する場合、Xの当事者適格を認めてcdを筆界とする判決を出すことはできるか。また、仮にこのような判決が出され、Yが控訴したとし、控訴審がアイを筆界とする判断に至った場合、どのような判決をするべきか。●参考判例●① 最判平成7・3・7民集49巻3号919頁② 最判昭和38・10・15民集17巻9号1220頁③ 最判昭和43・2・22民集22巻2号270頁④ 最判昭和55・10・18民集37巻8号1121頁●解説●1 筆界と所有権界筆界は、不動産登記法上、「表題登記がある一筆の土地……とこれに隣接する他の土地……との間において、当該一筆の土地が表題登記された時にその境を構成するものとされた二以上の点及びこれを結ぶ直線をいう」(123条1号)と定義される。土地の所有権の境界(所有権界)とは異なり、不動産登記に公示された土地区画の区画(筆)を示す公法上の境界線である(登記所が不明の場合にも私人が筆界を定めることは許されず、裁判所が「発見」ないし「形成」すべきものとされる(最判昭和42・12・26民集21巻10号2627頁など参照)。判例は、このような公法・私法二元論を前提とし、筆界は、公法上の境界(現行法上の「筆界」)を確定する特殊な訴訟類型として、境界(筆界)確定訴訟のルールを確立してきた(参考判例①など。②参照)。ところで、一般的には筆界と所有権界は合致する(あるいは事実上そのように推認される)が、地図の未整備、筆界の目印とされた土筆の変動等により、あるいは、1つの筆の内部につき時効取得や所有権移転がされたが分筆がなされていない等の理由で、筆界と所有権界にずれが生ずる場合もある。このような場合、不動産取引においては、公法上の公示に基づき行われていることから、不動産取引による公信に基づき筆界が正しいということにはならない。結局、取引当事者たる権利者(登記名義人)の私的利益を害することになる。そのため、公示の原則からすると、法人に公示された筆界について、公法上のインセンティブが生ずるのである。上記のとおり、判例によれば筆界確定訴訟の結果と所有権の範囲は異なり得るが、その場合には、確定された所有権の範囲にあわせて分筆し、必要ならば隣接する区画(筆)と合筆することになる(ただし、後述のように、このような二重性を不合理とする批判もある)。2 筆界確定訴訟の特色と問題性第1に、当事者の処分権が制限される。まず、原告は筆界を定めるべき特定の場所を主張して申し立てを主張して確定を求めるのであるが、筆界の当否について特定した申立を認容(205条)は適用されない。同条の適用を認めると、原告の主張する筆界と裁判所が判断する筆界とがわずかでもずれる限り原告の請求は請求棄却判決をせざるを得ず、当事者の負担が重いばかりか、客観的に正確な筆界を画定するという公益も満たされないからである。そのために、当事者の主張にかかわらず真の筆界を発見すべきであり、訴訟の進行も裁判所の主導の下に進むことを要請する(これを実質的当事者主義ないし職権進行主義という)。また、当事者間の和解も、これで当事者の主張する事実を前提になし(実質的には、判決の効力を有する(267条))、当事者間に訴訟が終結する効力を認められないから、これに基づき訴訟が終了する効力も認められない。第2に、当事者の客観的な適格を担保するために、訴訟承継の規定も認められないから、これに基づき訴訟が終了する効力も認められない(承継主義の不採用)。第3に、判決の効力も当事者恒定主義も採用されない。つまり、訴訟の係属中に当事者が死亡し、またはその地位を譲渡した場合でも、判決の効力は承継人に及ばない。これに対して、筆界確定訴訟が実体権の所在を争うものであることを理由に、上記のような訴訟手続を緩和するべきであるとの見解も有力である。しかしながら、筆界確定訴訟は、あくまで公法上の筆界を確定するための手続であり、私法上の権利関係を確定するものではない。したがって、上記のような訴訟手続が妥当であると考えられる。(2) 筆界特定制度との関係2005年の不動産登記法改正により、筆界特定制度が創設された(不登123条以下)。これは、筆界に関する紛争を、訴訟によらずに、より簡易迅速に解決することを目的とするものである。筆界特定登記官が、土地の所有権の登記名義人等の申請に基づき、外部の専門家である筆界調査委員の意見を聴いて、筆界を特定する行政手続である(142条)。この筆界特定制度は、筆界確定訴訟とは別に設けられた手続であり、両者は併存する。したがって、当事者は、いずれの手続を選択することもできるし、一方の手続が進行中に他方の手続を申し立てることもできる。また、筆界特定の結果に不服がある当事者は、筆界確定訴訟を提起して争うことができる。ただし、両者の手続は、目的、手続、効力において、いくつかの重要な相違点がある。まず、目的については、筆界特定制度は、公法上の筆界を特定することを目的とするのに対し、筆界確定訴訟は、公法上の筆界を確定することを目的とする。次に、手続については、筆界特定制度は、行政手続であり、非公開で行われるのに対し、筆界確定訴訟は、司法手続であり、公開の法廷で行われる。最後に、効力については、筆界特定の結果には、既判力はなく、紛争解決の終局性がないのに対し、筆界確定判決には、既判力があり、紛争解決の終局性がある。3 本問の扱い本問では、Yは、Xの提起した筆界確定訴訟において、abcdで囲まれた部分について取得時効が成立しているので、Xは当事者適格を欠くと主張している。しかし、筆界確定訴訟は、公法上の筆界を確定する手続であり、私法上の権利関係である所有権の範囲を確定するものではない。したがって、Yの取得時効の主張は、筆界確定訴訟の当事者適格とは無関係であり、裁判所は、Xの当事者適格を認めて、本案の審理に入ることになる。そして、裁判所が、網掛け部分についてYの取得時効が成立すると判断した場合でも、筆界確定訴訟の目的は、公法上の筆界を確定することにあるので、裁判所は、当事者の主張に拘束されずに、真実の筆界を判断して、cdを筆界とする判決を出すことができる。また、控訴審が、一審判決を取り消して、アイを筆界とする判断に至った場合には、控訴審は、自らアイを筆界とする判決をすることになる。筆界確定訴訟は、形成訴訟であり、裁判所が新たな法律関係を形成するものであるから、控訴審が自ら判決をすることが相当である。
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
訴訟代理人の代理権
2025/09/03
Xは、Yに対して、建物収去土地明渡しを求める訴えを提起した。Xは地区では、Yに対して、建物収去土地明渡しを求めたのであるが、Yが代金を支払わないので、建物収去土地明渡しを求めたのである。Xには訴訟代理人としてA弁護士が、Yには同じくB弁護士が代理しており、それぞれの弁護士に対して訴訟はどの段階についても委任がされていた。この訴訟において、以下の内容の訴訟上の和解が調停された。(1) YはXから係争物を金1億円で買い受ける。売買代金は、5年間の分割払とする。(2) 上記売買代金の支払を担保するため、係争地および建物にXのために抵当権を設定する。AやBは、以上のような和解をする権限があったものといえるか。●参考判例●① 最判昭和5・5・17新聞3561号10頁② 大判昭和08・2・21民集17巻1号182頁③ 最判平成12・3・24民集54巻3号1126頁●解説●1 訴訟代理人の権限民事訴訟手続における代理としては、法定代理と訴訟代理があり、訴訟代理にはさらに、個別の訴訟委任によって代理権が発生する任意代理と、会社の支配人のように、本人の意思に基づき一定の地位に就いたことから当然に代理権が生じる法定の訴訟代理とがある。訴訟委任に基づく訴訟代理となることができるのは、原則として弁護士に限られる(54条1項)。訴訟委任に基づく訴訟代理の代理権の範囲については、法律の定めを置いている。すなわち、委任を受けた事件について、反訴、参加、強制執行等に関する訴訟行為をし、弁護士である訴訟代理人については、当然にその権限を有し(55条1項)、弁護士である訴訟代理人については、それを制限することができない(同条3項)。他方、反訴の取下げ、和解、請求の放棄、上告、控訴等の訴訟行為については、特別の委任を受けなければすることができない(同条2項)。民法において、任意代理権の範囲については、代理権授与の意思表示である授権行為の意思解釈に基づくものを定める。これに対して、訴訟代理権の範囲については当事者の意思そのものに規定するものである。この趣旨は、民事訴訪では画一的で定型的なものが多く、代理権の範囲を法定して、①手続の明確性・円滑性を確保する趣旨、および、②弁護士に資格を有する代理人に対する信頼に基づくものとされる。他方、和解などの一定の行為については、特別の授権事項としているが、これらの行為が通常当事者(本人)の重大な意思決定に属するものではないことや、当事者に対しても重大な結果をもたらすものであることを、委任契約とすることからである。実際上は、特別授権事項の不動産明渡しと解される一定の委任状を作成し、相手方名、事件名等を記入して弁護士に交付する委任状作成の一般化が見られる。したがって、実務上、特別の委任があることが通常である。ただ、とりわけ訴訟上の和解の権限を巡って、それがどのような範囲に及ぶかと問題とされる。訴訟上の和解にあっては、その内容が非定形的なものであり、また訴訟物である権利義務関係をその内容とすることが多く(和解における互譲の対象として訴訟物以外の法律関係を取り込むことが当然に考えられており、そのような和解の射程(機能の柔軟性をもたらしている)、その点で訴訟代理人の和解がどこまで及ぶかが問題になるからである。2 和解の権限に関する訴訟上の範囲訴訟代理人の権限が訴訟物の範囲に限定されるかどうかの点について、は、学説上、以下のような考え方がある。(1) 同一性説訴訟代理人の明示の授権がない限り、訴訟物またはこれと同一の権利関係の範囲で処理することしかできないとする見解がある。これは、訴訟代理人が訴訟物の権利義務を処分する権限を有すると考える。したがって、訴訟代理人がおよそ無関係な財産を処分することになる。そして、特別授権の実施、上記のような一定の委任状によってされている状況も援用される。しかし、実務上は、訴訟物以外の権利についても和解の対象とすることは日常的であり、その際に常に個別授権を必要とすることは煩雑に堪えないとの批判がある。(2) 無制限説これは、いったん訴訟代理人の代理権が授与された以上、その代理権の範囲は本人の権限と同様、無制限であると解する。訴訟物以外の権利関係をも含めて和解することができると見る見解である。これは、上記のような実務をふまえた実務上の便宜に加え、訴訟代理人について、ほぼ無制限の内容についてまで裁判所のチェックもあることから、その範囲を制限しても、当事者本人の利益が害されることはないという。しかし、弁護士代理と裁判所の監督に過度に期待することは相当でないという立場からは、なお本人の利益の観点から、何らかの制限が必要であるとの批判がある。(3) 折衷説訴訟代理人の権限は無制限説の中間的な見解で、訴訟代理人の和解権限は訴訟物たる権利関係に限定されるものではないが、一定の基準に基づき、なお当事者本人の利益の利益を害すべきでないとの要請がある。判例は、制度の趣旨を重視し、個別的な利益を考慮した上で、本人の利益を害しない範囲で、訴訟物に関連した権利関係にまで和解の権限を認めるべきものとするようである。(4) 一致説当事者がどのような和解を望むかについて、一定の意思表示に基づいて和解する旨の意思表示が表明された場合には、その内容を基準に判断すべきであるという見解もある。本問で問題となるのは、訴訟上の和解の内容である。具体的には、①YはXから係争物を買い受ける、②係争地にXのために抵当権を設定する、という2つの点である。まず、①についてであるが、これは係争物の売買契約であり、訴訟物である建物収去土地明渡請求権とは異なる権利関係である。しかし、Yが係争物を買い受けることによって、Xの建物収去土地明渡請求権は消滅し、紛争が解決されることになる。したがって、これは訴訟物と密接に関連する権利関係であり、訴訟代理人の和解権限の範囲に含まれると解するのが相当である。次に、②についてであるが、これは係争地に対する抵当権設定契約であり、訴訟物とは直接関係しない。しかし、これは①の売買代金の支払を担保するためのものであり、①と一体となって紛争を解決するためのものである。したがって、これも訴訟物と密接に関連する権利関係とみることができ、訴訟代理人の和解権限の範囲に含まれると解するのが相当である。以上より、AおよびBは、本問の和解をする権限を有していたと解するのが相当である。以上のような学説の対立があるところ、この点についてはいくつかの判例がある。まず、参考判例①は、一部請求訴訟において、請求されていない残部を含めた全部について和解を認めた。その理由として、訴訟代理人は訴訟追行のための代理権を有するにすぎず、訴訟物である債権の分割払の合意をすることは、元来の債務とは異なる新たな債務を負担させるものであり、本来の訴訟物の範囲を超えるものとして、特別の授権を要するとした。その根拠として、訴訟代理人は訴訟物について訴訟を追行するための代理権を有するにすぎず、訴訟物以外の権利関係についてまで処分する権限はないとしたものである。3 本問の取扱い以上の判例、学説の立場は必ずしも明らかものではないが、本問で問題となるのは、①係争地の賃貸借の終了による土地の明渡し請求において、訴訟物となっていない土地上の建物に抵当権を設定する権限をBが有するか、という点である。仮に厳格説を採るとすれば、①および②ともに、訴訟代理人の和解権限は否定されることになり、和解は無権代理となって無効と解されることになる。したがって、XおよびYは、ともに訴訟上の和解に強制執行を負うことはない。Yは請求異議の訴えによって争うことができ…る。しかし、判例の採用するところは前述のとおりである。他方、無制限説によれば、①および②ともに、訴訟代理人の和解権限は当然に認められることになる。問題は、折衷説による場合で、この場合は、結局、当事者本人の意思の観点と和解の趣旨の観点からさまざまな要素を考慮すべきことになるが、本問のような場合には、特に当事者本人への意思確認をすることになるように思われる。係争関係の紛争に関連して、他人間における買受けのことや紛争が終結することはしばしばみられるところであるし、和解で合意されることが一般であるからである(後者については、参考判例②において、判例上和解が認められうる場合にも当事者、本人にその利益が帰属する、と解してよいであろう)。なお、以上のように、和解権限が認められるとしても、本問におけるなお問題となるのは、訴訟代理人の行為の観点である。すなわち、弁護士・依頼者間の問題を生じる。しかし、当事者本人の意思が明確ではない場合には、判例内容がきわめて多様なものであり、本人の意思が反映する可能性が否定し難いことにも問題がある(Xの本件では、係争地はXの父の代からの所有であり、どうしても所有権を維持したいと考えていたかもしれない)。和解が紛争の解決に内容に及ぼす影響が甚大であることなどを考え、和解における本人の意思確認を徹底させることの重要性も、さらにその点を一定の程度で和解の効力に反映させることも考えられよう(国内・後掲新堂古稀117頁以下参照)。ただ、このような問題は、他方で和解の円滑性を害するとの懸念もあろう。結局、民事訴訟法上の和解の性質とそのようにどのようなものと考えるか、検討を要しよう。●参考文献●福沢潤・百選38頁/国内秀夫・争点68頁/国内秀夫「訴訟上の和解と代理権の範囲」新堂古稀417頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
代表権と表見代理
2025/09/03
XはY株式会社との間で建設用機械の売買契約を締結して、当該機械を引き渡したが、Y社が代金を支払わないので、2022年12月、売買代金支払請求の訴えを提起した。その際、訴状には、Y社の代表者として、Y社の商業登記簿に代表取締役として記載されていたAの名を記載して提出した。ところが、その当時、Y社では、Aが代表取締役に登録されていたことはなく、Aは単なるY社のいち従業員であった。すなわち、同年9月、Y社は臨時の株主総会を開催し、従来の取締役は全員辞任し、新たにほか1名が取締役に選任され、翌日Aらが取締役辞任の登記を経て、同日取締役による互選をへて、AがY社の代表取締役に選任され、この点についてAの承諾を得ていたことである。ところが、Aは、当時会社に出向いたこともなければY社は出向いておらず、登記担当社員がY社の取締役がだれであるかを確認したこともなく、事後にその承諾を求められたが、これを拒絶していたとされる。第1審では以上のような事実は判明せず、訴状はAの住所に宛てて送達され、第1回口頭弁論にY社側は誰も出頭せず、Xの請求を全部認容する判決がされた。ところが、当該判決書がY社の本店に送達されたためY社の訴訟の帰趨を初めて知ったY社の関係者は、Aを被告として、Aの名で弁護士を代理人として選任し、控訴を申し立てた。控訴審では、以上の事実関係を主張して、AはそもそもY社の代表取締役ではなく、同社の代表者としての適格を有するものではないから、AをY社の代表者として提起された本件訴えは不適法であるとし、Xの請求を認容した第1審判決を取り消し、Xの訴えを却下することを求めた。控訴裁判所はどのような判決をすべきか。●参考判例●① 最判昭和45・12・15民集24巻13号2072頁② 最判昭和43・11・1民集22巻12号2402頁③ 最判昭和41・9・30民集20巻7号1523頁●解説●1 訴訟における法人の代表権原告は、訴えを提起するに当たり、被告を特定する必要があるが、具体的には、訴状に被告の「住所(居所)」を記載しなければならない(138条2項1号)。そして、当事者が法人である場合には、法人はその代表者によって訴訟追行することになるところ、民事訴訟法中法定代理人に関する規定は法人の代表者について準用されるので(37条)、訴状に法人の代表者の氏名を記載されるべきことになる。原告が被告法人を訴訟上代表する権限を有している場合、このものが被告の住所にあてて、商業登記簿に従って、そのものが訴訟における法人の代表者としての権限を証明することになる。問題は、その記載がある何らかの事情によって誤っていた場合である。裁判において誤って被告の代表者が記載されていたときは、その後の手続の進行はどのようになろうか。まず、被告法人に訴状が送達されることになると(138条1項)、法人が訴状を受け取るまでに、代表者が誤っていることに気づけば、「送達を受けるべき者」として受領を拒否することができる。そして、送達場所は代表者の住所・居所等が準則となるが、本人である法人の営業所等においても送達することができる(103条1項)。仮に法人営業所等に送達されて、代表者が受領を拒否することが可能となり、その結果による訴訟の遅延となる)、真の代表者が訴状を閲覧するに至ることが可能となり、その申立てによって裁判所が原告の補正を命じることになる。他方、登記簿に誤って記載されている代表者の住所等において送達がされた場合、(その後、その者が受領する限り)法人関係者が訴訟係属を知る機会はなく、訴訟手続がそのまま進行する可能性が高い。その場合、結局、被告側は口頭弁論に出頭せず、被告欠席のまま判決がされることとなる。被告が欠席すると、原告が主張する事実すべてが自白したものとみなされ(159条3項)、原則として原告の請求が認容される判決がされることになる。判決書は被告に送達されるが(255条参照)、その判決書に被告の代表者が誤って記載されていたときは、これが被告法人に届かず、判決言渡し後に被告が気づくような場合には、もはや控訴の追完の途が開かれることになる。ところが、判決言渡し後に被告が気づくような場合には、もはや控訴の追完の途が開かれることなく、訴訟手続はそのまま終了し、その判決も確定する。そして、確定判決に基づいて強制執行がされることになるが、その際、判決書に被告の代表者が誤って記載されていたときは、執行官は執行することができず、原告としては、訴訟をやり直すことになる。このような事態を避けるために、判例は、代表者の表示の誤記の訂正を広く認めている。すなわち、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断して誰が訴えられているかを判断すべきであると解するのが相当である(これを実質的表示説という)。その際には、誰が被告として表示されているかという点だけでなく、請求の趣旨・原因からみてどのような者が被告となることを意図していたか、という点も考慮する(参考判例①)。その上で、表示の訂正が認められる場合には、その訂正は訴えの変更とは異なり、訴訟係属の当初に遡って効力を生じる。その結果、訂正された当事者が当初から訴訟係属していたことになるので、時効の中断(147条)や期間の遵守(158条)が認められる。2 訴訟における表見代理の適用法人の代表者に関するものとして、代理権授与の表示による表見代理(民109条)および権限外の行為の表見代理(同110条)および代表取締役(会社354条)、代表執行役(同421条)などが考えられる。使用人などについて不実の登記をした者は、その事項の不存在を善意の第三者に対抗することができない」ものとされる(商9条2項)。仮にこの規定が民事訴訟手続における代表権にも類推適用されれば、法人の真の意思に基づき誤った登記に信頼した者を保護できることになる。しかしながら、判例は、このような観点からの民法上の表見代理の規定を一般に否定している。この点について、最高裁判所は、まず商法の9条2項と民訴法58条にいう訴訟上の代表権への適用を信頼した相手方の意思表示の保護という趣旨(参考判例③)、そして、商業登記自体の効力(商条)についても同様の判断をした。本問と類似の事案について、会社代表者の代表権については実体法上の表見代理の法理を否定したのが、参考判例①である。そもそも、民法109条および354条(現行354条)の規定は、いずれも取引の相手方を保護し、取引の安全を図るためである。そこから、取引行為と異なる訴訟行為に会社を代表する権限を予定するものとは解されていないのである。この判例は、同様に取引の相手方保護を図った規定である商法42条1項(現行会社13条)も、その本文において代表支配人とした行為について一定の制限を認めるが、その但書において代表支配人とした訴訟行為についても本文の規定が適用されるものと考えても何ら矛盾しないと判示した。以上のように、判例は、①表見代理は取引行為を保護する規定であり、訴訟手続は取引行為とは異なること、②同じく表見代理を定める表見支配人に関する旧商法42条1項は訴訟行為を明文で除外している(会社法13条も同様の趣旨の規定がある)ことである。これに対し、学説は現在でも、適用肯定説が圧倒的多数である。その論拠は、①真の代表者による訴追の要請、②登記を信頼した原告の保護を考えるとするにしてもその解決は、民事訴訟法36条の代表権に関する規定に基づいて外観を信頼するものを保護することはできないこと、③会社法13条も本問のような場合には、その趣旨、特にその信頼の対象を信頼した原告の保護の要請や訴訟経済の観点を考慮すれば、商法の9条2項の類推適用を肯定する可能性はあり得よう(上記判例②はその点なお議論の余地あり)。3 本問の扱い以上のように、表見代理の訴訟適用を認めれば、本問においては、Aを代表者として訴訟が追行されることになる。なお、原告側には、代表権の不存在を調査して訴訟が追行されることになる。ただ、Aに代表権が存在しないことが判明したことによる訴訟代理権の不存在をめぐる訴訟をすべきであり、口頭弁論の期日に呼出し等Y社の真の代表者またはその特別代理人による…他方、表見代理の制度を認めない場合には、控訴審ではY社の主張するように判断すべきであろうか。この点について、参考判例①は以下のように判断する。すなわちこの場合は、「……Y社の真の代表者に宛てて送達されなければならないところ、記録によれば、本件訴状は、Y社の代表者として代表されたAに宛てて送達されたものであることが認められ、Aに訴追上代表権のないことを前提とすれば、違式な訴訟追行の結果を生じないものというべきである。したがって、このような場合には、裁判所としては、……Xに対し訴状の補正を命じ、またY社に代表者のない場合には、Xにその申立てにより特別代理人を選任する機会を与えるなどして、正当な権限を有するものに手続を追行させるなど、その必要な措置を講ずべきであるのであって、Xにおいて右のような補正手続をとらない場合に初めて訴えを却下すべきものである。そして、右補正命令の手続は、事件の性質上第1審裁判所においてこれをなすべきものであるから、このような場合、原審としては、第1審判決を取り消し、第1審裁判所に差し戻し、前記事前補正命令を命じさせるべく、事件を差し戻すべきもの」とする。したがって、本問の控訴審は、訴えを差し戻し、事件を差し戻しに際してXに補正の機会を与えるべきことになろう(このような場合の民事訴訟法308条による差し戻しは必要的なものと解される)。●参考文献●田頭章一・百選36頁/金井史子「合意管轄」争点148頁/竹下守夫「訴訟行為と表見法理」新木志郎=三ヶ月章監修『実務民事訴訟講座①』(日本評論社・1969)169頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
当事者能力
2025/09/03
Yはいわゆる権利能力なき社団会のゴルフ場を運営する株式会社であり、Xは本件ゴルフ場の会員によって組織され、会員相互の親睦等を目指すことを目的とするクラブである(なお、Xには定款はあるが、規則等にもとづき活動を管理する方法について具体的に定めた規定もない)。XとYとの間には協約が締結されており、そこでは、Xは一定の要件を満たす場合に、Yの経理内容を調査することができる旨の規定がされていた。Yは、いわゆるバブルの崩壊を受けて経済状況が悪化の一途を辿っており、会員に対する預託金の返還が困難になり、預託金の返還猶予を求める状態にあった。そこで、Xは本件協約に基づき、Yの計算関係書類等の謄本の交付を請求したが、Yは応じようとしなかった。そこで、Xは訴えを提起して、上記謄本の交付を請求した。この訴訟において、Yは、Xは固定的資産を有しておらず、他にYの財産から独立して積立基金となり得るX固有の財産は存在せず、また経理書類の作成についても具体的に定めた規定がないので、独立した権利義務の主体たるべき社団としての財えい的基礎を欠くと主張して、Xには当事者能力が認められないとして、訴えの却下を求めた。裁判所はどのように判断するべきか。●参考判例●① 最判平成6・7・14民集56巻5号899頁② 最判昭和37・12・18民集16巻12号2422頁③ 最判昭和42・10・19民集21巻8号2078頁●解説●1 法人格のない団体の当事者能力ある法主体が民事訴訟において当事者となるためには、その者に当事者能力が認められることが大前提となる。民法上の権利能力が認められる主体(自然人・法人)については当然に当事者能力が認められるが(28条)、実体法上法人格を有しない団体が当事者能力を有するかがは1つの問題である。法人が一体となって社会に活動をしている以上、その団体を当事者として紛争解決を図ることが団体にとっても紛争の相手方にとっても便宜に資する場合も多い。そこで、法は、法人でない社団または財団であっても、一定の要件を満たす場合には当事者能力を認めることとしている(29条)。ただ、問題は、どのような要件を満たしていれば、このような団体にも当事者能力が認められるかである。この点について、一般的に団体の目的を主としたと考えられている判例として、参考判例③がある。これは、特定地域の住民によって構成される団体が当事者能力を有するかが問題となった事案であるが、判例は、実体法上の権利能力なき社団の要件を満たすには当事者能力を有するものとして、実体法上の団体と手続法上の団体を一致させたものである。この判決ではその点については理由は示されておらず、当然の前提であるかのように民事訴訟法46条(現29条)にいう「法人でない社団」とのみ規定しているので、実体法上権利能力なき社団を問題とすることに相当であるし、実体法上権利能力なき社団という概念の下で独立した目的を達成する、構成員から独立した団体という要件のほか、社団の取引相手等を保護する趣旨に鑑みると、その要件を満たすに足りる組織を備えることなども自然であるといえる。そして、そのような前提の下では、組合が民法上の要件を満たしているかどうかが問題となる。最高裁昭和39・10・15(民集18巻8号1671頁)がその要件を明示しているが、そこでは、①団体としての組織性、②多数決の原則、③構成員の変更に影響されない団体の存続(対内的独立性)、④団体としての主要な点(代表方法、総会運営、財産管理等の規定が挙げられている(これは民法学の通説の考え方を引用したものとされる)。参考判例③でとくに問題とされた点は、本問地方公共団体の下部組織にすぎないのではないかという点であった。仮に地方公共団体の下部組織にすぎなければ、団体としての組織性ないし対外的独立性を欠き、独立の主体とはいえず、権利能力なき社団としては認められないことになる。しかし、本件団体は、特定地域の住民を構成員とするが、それも住民が当然に構成員となるものではなく、加入には住民の承諾等を必要とし、現に加入していない区域内の住民もおり、その一定の住民を排除する規定も存在せず、行政区画とは異なり、そして、上記4つの要件についてはもはや問題ないものとされ、権利能力なき社団としての性質が認められたものである。これに対して、「訴訟法上当事者能力を有する」とは実体法上の権利能力なき社団であるという通説がある。この判例は、あくまで裁判所が報告を権利能力なき社団と認定したことの当否を論じているのであり、権利能力なき社団に当たるか否かを当事者能力を判断することで足りると考えていることを意味していないと思料されるからである。しかし、この点は、参考判例③においては、「民訴法29条にいう『法人でない社団』に当たるとうためには、団体としての組織を備え、多数決の原則が行われ、構成員の変更にかかわらず団体そのものが存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していなければならない」とされ、民事訴訟法29条の「法人でない社団」と民法上の権利能力なき社団の要件が完全に同一視されている。これにより、少なくとも現在は判例法理が民法上の要件を満たさない場合には、当事者能力が認められないとの判例が確立しているとみられる。その結果、権利能力なき社団の要件を満たしているといえるかは、法人でない社団の組合について当事者能力が認められるかが問題となる。当事者能力については、参考判例②がある。これは、民法上の組合について当然に当事者能力を認めるものではない。この判決と後述判例との関係については、さまざまな見解がありうるが、少なくとも現在では、民法上の組合については…2 財産的基礎の必要性以上のように、現在は当事者能力の権利能力なき社団の要件を満たすかどうかが当事者能力を認める判断基準になると解されるが、その際に団体の財産との関係は、財産に関する要件である、判例も「財産的基礎のしっかりした団体として財産を管理していること」が求められてくる。本問のように、団体の財産管理の方法についても具体的に定めがないような場合に、当事者能力が認められるかという問題である。この点について判断した判例として、参考判例①がある。これは、財団の財産について、上記判例②の判断枠組みによれば、必ずしも固定資産ないし基本的財産を有することは不可欠の要件ではなく、そのようにみなしうる実質的な基礎をおいてもよい。具体的には、団体の目的、内部的に活動するための必要に応える財産を保有し、かつ、その収支を管理する体制が備わっているなど、他の諸事情と併せ、総合的に勘案して、判例も「法人でない社団」として当事者能力が認められる場合があるとしたものである。判例では、実質的な財団的基礎の存在、つまり財産面での構成員からの独立性(財産の独立性)が独自の要件となるとは明確ではない。学説は、構成員から独立して管理される独自の財産の存在を必要とする見解もあったが、金銭請求の場面となる場合は要件となるが、それ以外の場合には独立の基礎とはならないとする見解や独立の財産を特定する見解もあった。参考判例①は最後に見解を援用したものとみられる。ただ、参考判例①も、財産的基礎をまったく不要とするものではなく、「固定的資産ないし基本的財産」までは必要なく、「必要な収入を得る仕組み」や「収入を管理する体制」などが備わっているといった総合的な考慮をすべきものとしており、財産の財産的基礎はやはり必要と考えているものとみられる。団体固有の財産を完全に欠如して団体の運営が可能であるとは考えにくい。参考判例①の下でもやはり財産的基礎は団体性を検討する重要な要素の1つであることは否定されず、本問の場合には、Yの主張どおり、そのような財産を取得する見込みを管理する法人格を前提とする必要がある。仮に、そのような判断を変化するものを、代表者がいるか、法人格を管理する団体があるかなどが備わっているといえるか、さらに判断を要するものと解される。3 当事者能力の実体―当事者適格最後に、実体法上権利能力が認められない主体に当事者能力が認められる場合、その判断はどのようなものであろうか。当事者能力が認められても、その者に判決効が及ばない以上、その者の実体権が帰属することを前提とした判決はすることができないと解されるからである。この点について、当事者能力が認められる以上、当該訴訟手続の限りで権利能力も認められるべきであるとする見解も有力に存在する。しかし、それは判例の採用するところではないとみられる。例えば、最判昭和47・6・2(民集26巻5号957頁)は、権利能力なき社団に帰属する不動産に係る登記請求をする場合には、社団の名義の登記請求はできず、代表者個人名義の登記を求めるべきことを示唆する。この判決は、登記請求の場面において、権利能力なき社団に当事者適格を否定する趣旨とも解されるが、一定の場合に、当事者適格を認める判例として、最判平成6・5・31(民集48巻4号1085頁)は、入会団体が当事者能力を前提に、「財産権が法人格団体を形成し、それが権利能力のない財団に当たる場合には、構成員全員の総有に属する不動産につき、これを争う者と被告とする共有権確認請求訴訟を提起する資格を有するものと解するのが相当である」とした。入会権の対外的な主張における原告適格についてであるが、権利主体である村民全体の共有に関する場合についても、権利の帰属主体である村民全体の共有に帰属するとするものであるが、共有である(最判昭和41・11・25民集20巻9号1921頁)、本判決は手続上の便宜から団体自身にも当事者適格を認めたものである(最判平成26・2・27民集68巻2号192頁も、社団の原告適格を認めるが、登記名義については信託法上も同様と解する)。これは、実体権は団体構成員に総有的に帰属することを前提にしながら、団体に訴訟担当(法定訴訟担当か任意的訴訟担当かは議論がある)としての当事者適格を認めたものである。以上のように、権利能力なき社団に当事者能力を認めるか、問うかだちに解決するわけではなく、そのような主体に実体権を認めるかどうか、実体権を認めない場合にどのような論理で当事者適格を認めるか、その場合にどのような要件や訴追添付を認めるか、などさまざまな派生問題が生じることに注意はしなければならない(さらに権利能力なき社団を被告として判決をした場合に、その強制執行がどのようになるのかも問題となる。1つの判決を示した判例として、最判平成22・6・29民集64巻4号1235頁参照)。●参考文献●中島弘雅・争点58頁/栗原伸輔・百選18頁/酒井博行・百選20頁/工藤敏隆・百選22頁/山本弘「権利能力なき社団の当事者能力と当事者適格」新堂古稀849頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
忌避事由
2025/09/03
XはYに対し、土地の所有権確認の訴えを提起した。第1審はXの請求を認容したところ、Yが控訴したが、控訴審は、Yの控訴を容れてXの請求を棄却する判決をした。ところが、控訴審判決の後、Xの訴訟代理人Aは、司法修習の同期会に出席して同期生と話をしている中で、たまたま本件訴訟の裁判長の裁判官であったB裁判官がYの訴訟代理人であったC弁護士の元上司(Bの良きがCの妻である)という事実を知った。聞いたAは早速Xに連絡して協議をしたところ、Xとしては、それでは控訴審がYを勝たせたのは当然であり、あまりに不公平な裁判であり、許し難いと激怒した。そこで、Xは、B裁判官が、裁判官の職務の公正を妨げる事情があったのにもかかわらず、それを秘匿して裁判したもので、Xの忌避権を不当に侵害したものであると主張して、上告した。Xの上告は認められるか。●参考判例●① 最決平成11・2・28民集9巻1号83頁② 最決昭和30・1・25民集45巻2号117頁●解説●1 除斥・忌避制度の存在意義裁判は、常に公平中立な裁判官によって行われなければならない。裁判官がいずれかの当事者に肩入れして不公平な裁判をするとき、裁判制度の正統性は崩壊する。また、裁判官が当事者と一定の関係があったとしても実際に公平を期そうと職務を執行することが期待できるが、当事者…親族の立場からみると、そのようにみえないことがある。裁判官が相手方当事者の代理人であったことがある、裁判官が相手方当事者と親しい友人である、といった場合である。裁判官の制度の正統性・信頼性を維持するためには、公平・中立性が担保されていることが、外観的にも担保する必要がある。ただ、裁判官も「市民」ではなく社会的な活動をする人間である以上、民事訴訟の当事者や訴訟事件との間に一定の関係が生ずることがある。そこで、民事訴訟法は、担当裁判官とその訴訟の当事者や事件との間に一定の関係が存在する場合に、裁判官をその裁判の職務から排除する制度を設けている。これが除斥・忌避の制度である。具体的には、まず民事訴訟法23条において、一定の事由が裁判官と訴訟事件との間に一定の関係(近親婚・共同権利者・義務者等の関係)があったこと、裁判官と事件との間に一定の関係(前の審理に関与、代理人、補佐人、調停員の関与等)があることといった画一的・定型的な理由を理由として、そのような事由が存在した場合には、当事者の申立て等がなくても当然に裁判官が職務から排除されることになる(そのような裁判官が排除されないまま判決に関与した場合には、絶対的上告理由(312条2項2号)のみならず、再審事由(338条1項2号)にもなる)。ただ、このような定型的事件だけでは、公平・中立性の外観を確保するためには十分ではない。以上のような事由に該当しなくても、裁判官の公平性を疑わせる事情は多く、例えば、担当する裁判官が当事者の一方の親友である場合、逆に不倶戴天の敵である場合、また、裁判官が(弁護士であった時代に)その事件について法律意見書を執筆している場合などである。そこで、民事訴訟法は、そのような場合に裁判官を忌避する制度を設けている。すなわち「裁判官に職務の執行を妨げるべき事情」があるときに、当事者の忌避の申立てに基づき、裁判官を職務から排除するものである。このように、忌避は、除斥を補い、多様な状況の下で公平・中立性の保障を確保可能にしたものであるが、除斥とは異なり、忌避の裁判は確認的な裁判であるが、忌避の裁判は形成的な裁判ということができる。2 忌避の判断以上のように、忌避の制度は、裁判にとって最も重要な公平性・中立性を確保するための制度である。他方で、その要件は一般条項的なものになっているので、裁判所の運用がその具体的な意義を決定することになる。この点で、最高裁判所の判断レベルは必ずしも高くないが(参考判例①)、裁判規範が明らかにされたものが多い(参考判例②が挙げた除斥事由に準ずるような客観的な事情の存在を重視する)。そこでは、一般条項として、本問と同様に、裁判所と当事者の一方の訴訟代理人の女婿であったという事案について、参考判例②は「除斥における裁判官が…原審におけるYの訴訟代理人の女婿であるからといって、右の事実は民訴35条〔現行23条〕所定の事項に該当せず、又これがため直ちに民訴37条〔現行24条〕にいわゆる裁判官につき裁判の公正を疑うべき事情があるものとはいえない」として忌避に理由がないとしている。本判決は、忌避要件について一般論を示さず、本件におけるそれに当たらない旨の結論を述べるにすぎない。また学説は、裁判官と当事者・事件との特殊な結び付きが、裁判官の公平な裁判をするおそれをうかがわせるに足りる、客観的な事情を必要とする。あくまで当事者・事件との特殊な結び付きを示す客観的事情が必要とされ、訴訟の過程での証拠の採否や訴訟指揮などは通常それ自体では忌避理由には該当しないと解される。この判決によれば、本問においてもXの上告は認められないことになろう。上記判決が忌避理由を否定した理由は明らかではないが、おそらく裁判官は、その訓練や倫理から、たとえ訴訟代理人と客観的な関係があったとしてもそれによって訴訟指揮や事実の認定を左右することのないよう自らを律することが可能であると信ずる、との信念があるのではなかろうか。確かに、日本の裁判官の公平性や倫理観は一般に高い評価に値すると考えられる。しかし、忌避制度を考える際に重要であるのは、前にも述べたように、現実に中立かどうかということにも増して、外部(当事者・一般国民等)から中立にみえるかという中立性の外観の問題である。そのような観点からすれば、参考判例①の判断は、一般国民の視点からみて大きな疑問が否定できない。ほとんどの国民が忌避を参考判例①を批判するところである。国民の司法に対する信頼性が大きく揺らぐ参考判例③と批判するところである。この世論の司法に対する信頼性が大きく揺らぐ現代社会においては、この種の判決が有する意味を今後吟味する必要はとくに、参考判例③が判例としての価値以上の判例を今後吟味する必要があることは難しく、現在のこのような場面では、通常最も有力な省察には、疑問を呈しうることは難しく、現在のこのような場面では、通常最も有力な判断を下しているといえるが、その結果、このような状況が以前から争われる当事者対等の原則に悖るのではないかと指摘されるかもしれない。このように考えれば、現在では、Xの申立は認められる余地もある。参考判例③を含めて、従来の忌避理由に関する判例は、上記のような中立性の外観に関する国民の信頼を離れたものが多いように感じられる。例えば、当事者の一方と敵対する国の行政機関の判決に立つ当事者である場合の判決(例えば昭和58・10・28判時100号125頁)や、裁判官がかつて一方当事者の顧問弁護士事務所に所属していた場合(東京地決平成7・11・29判タ901号254頁)などにも忌避を否定しているが、疑問のきわめつけないところである。「手続に瑕疵を正さず」との目的は対極的に国民の信頼に寄与するのではなかろうか。ただ、裁判所がこのような対応をとることについては、裁判官の不足や濫用的な忌避申立ての実現が危惧されることがある。前者は、特に支部など裁判官の少ない裁判所では、ある裁判官が忌避されることにより他の裁判所からの転補等が必要になる(その結果、事件処理が遅滞する)おそれもあることから、忌避を認めるのに躊躇するという事情である。実務の問題として理解できなくはないが、中立性の外観の確保が司法の要であることに鑑みれば、むしろ司法行政上の配慮が必要となろう(当該裁判所の裁判官全員を訴えるなど濫訴に当たるような場合の施策は別の問題としてあろう)。また、後者も濫用的な忌避申立てに対処する必要はあるが(これについては、後述3参照)、真面目な忌避申立ての場合とは区別して考えるべき問題であろう。3 忌避をめぐる議論忌避をめぐる議論の中で、いくつか取り上げておくと、1つは、2でもふれた濫用的な忌避申立てに対する対策として、申立ての対象となった裁判官が自らその申立てを却下できるという問題である。一般には、忌避申立ての対象となった裁判官はその裁判に関与できない(25条3項)。自己の公正を問題とする裁判に自ら関与することは、忌避の裁判の中立・公正自体に疑いを生じさせるからである。しかし、その忌避申立てが忌避権の濫用であることなどが明らかな場合には、当該裁判官が、自らその申立てを却下できるとする見解もある。その見解を裏付ける下級審裁判例が多く(参考判例③)、東京高決昭和39・10・1民集15巻10号1168頁、名古屋高決昭和53・12・7判タ378号110頁、東京高決昭和56・10・8判時1022号68頁、大阪決昭和58・10・18判タ510号127頁など)。これを簡易却下とよぶ。学説は、簡易却下は訴訟の遅延を目的として消極濫用が有力であったが、最近は、訴訟の遅延の防止する趣旨が一般的に見てとれている。公正な裁判と濫用的訴訟遅延の防止とのバランスの問題であるが、判例が明らかな場合は簡易却下を認めてもよいと解される。なお、刑事訴訟法には明文で簡易却下を定める規定があり(刑訴24条)、民事訴訟法改正の際には同様の規定を設けることが検討されたが、他方では忌避権の濫用をより実質化すべきであるとの意見も出される中で、忌避権の濫用に対する措置のみを立法化することには強い反対があり、断念された(法務省民事局参事官室『一問一答新民事訴訟法』〔商事法務研究会・1996〕51頁)。ただ、この点は近時の非訟事件手続法等の改正の中で、立法がされた(非訟13条5項、家事12条5項)。将来的には民事訴訟法の改正につながる可能性もあろう。また、学説上議論されている問題として、裁判官が忌避になうような事由を認識している場合には、その点を当事者に開示する必要があるのではないか、という点がある。忌避事由開示義務の問題である。参考判例①でも、忌避事由に該当する事情が当事者に明らかにされていなかった点が上告理由であったが、仮に裁判官が、忌避事由の開示義務を認め、義務違反が問題となった場合においては忌避権は失われず、当事者の経済的負担が拡大されよう。この点について、仲裁法において、仲裁人の忌避事由の開示義務を明定し(仲裁18条3項)、義務違反があった場合には仲裁判断の取消事由になる(同条44条1項6号)も参考になろう。●参考文献●谷口康平・争点48頁/谷口康平・百選10頁/小島武司「忌避制度再考」『手続法の理論と実践(下)』(有斐閣・1981)1頁(山本和彦)その場合、当事者であるとして、原告の第三者が名前を騙って原告または被告として訴訟に関与する場合がある(共同訴訟担当)と、当該事件の係属中に当事者でなくなった者を当事者とすると、当該事件の係属中に当事者でなくなった者を当事者とすると、訴訟手続は大きく停滞することになる。いずれもこうした問題を避けるため、当事者の表示の誤記の訂正は訴訟手続の安定を目的として新法により許されることになった。例えば、甲土地の所有権の確認の問題となる場合、すでに判決言渡前に死亡しており、相続人によって新設された事業体の実体があるか、実体法上法人の地位が甲社に新たに設立され、旧社の権利義務の承継がなされることがある(例えば、旧有限会社から株式会社への変更など。昭和56・10・26民集9巻1240頁参照)。2 確定基準に関する考え方以上のように、当事者の確定が問題となる場合、どのような基準で当事者を確定するのかについて、さまざまな考え方が提唱されている。最も基本となる考え方として、表示説がある。これは訴状における当事者の表示を基準に当事者を確定するという考え方である。訴状において原告が表示した者が当事者であるとする。しかし、本問のような場合は、訴状の表示を客観的な記載を基準として判断するだけではなく、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断して誰が訴えられているかを判断すべきであるとする、合理的意思説ないし行動説も有力である。後者は、訴訟手るべきであると考える。その判断の状況について判例はどのように考えているのであろうか。原告がすでに死亡している者を被告として訴えを提起した場合には、訴状の記載を形式的に判断するのではなく、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断して誰が訴えられているかを判断すべきであると解するのが相当である(これを実質的表示説という)。その際には、誰が被告として表示されているかという点だけでなく、請求の趣旨・原因からみてどのような者が被告となることを意図していたか、という点も考慮する(参考判例①)。その上で、表示の訂正が認められる場合には、その訂正は訴えの変更とは異なり、訴訟係属の当初に遡って効力を生じる。その結果、訂正された当事者が当初から訴訟係属していたことになるので、時効の中断(147条)や期間の遵守(158条)が認められる。これを本問についてみると、原告は、Yの死亡の事実を知らずに訴えを提起している。しかし、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断すれば、Yの相続人であるAが訴訟の相手方として意図されていたことは明らかである。したがって、被告の表示をYからAに訂正することが認められ、Aが訴訟の当事者として扱われることになる。以上のような実質的表示説に対しては、訴訟の当事者の確定という訴訟の基本構造に関わる問題を、原告の主観的な意図によって左右することになり、訴訟の安定性を害するという批判がある。しかし、訴訟の当事者の確定を、訴状の記載のみによって形式的に判断することは、当事者の合理的な意思に反する不当な結論を導くことになりかねない。当事者の合理的な意思を尊重し、実質的な紛争解決を図るという観点からは、実質的表示説が妥当であると考えられる。当事者が確定するとする見解(行動説)などがある。例えば、被告とした者がすでに死亡している場合に被告として訴訟を継続したとすれば、原告が実際に訴訟を提起し、被告もこれに応訴し、訴訟を維持している。しかし、訴訟は被告を確定するわけである。しかし、意思説を徹底すれば、その意思が明確である場合、訴訟の行為、行動から当事者を判断すべきである。最近では、学説も多岐にわたるが、訴訟遂行の程度に応じて当事者確定の基準を異ならしめる複合的な基準も有力である。例えば、訴状の表示に当たるべき当事者を選定する場面(規範分担説)では表示説による一方、すでに訴訟が進行し、当事者の交代が生ずるなど複雑な問題が生じたケースとして、昭和56・10・26民集9巻1240頁参照)。本問のように、当事者の確定が問題となる場合、どのような基準で当事者を確定するのかについて、さまざまな考え方が提唱されている。最も基本となる考え方として、表示説がある。これは訴状における当事者の表示を基準に当事者を確定するという考え方である。訴状において原告が表示した者が当事者であるとする。しかし、本問のような場合は、訴状の表示を客観的な記載を基準として判断するだけではなく、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断して誰が訴えられているかを判断すべきであると解するのが相当である。3 判例の状況それでは、この問題について判例はどのように考えているのであろうか。思想的、客観的な立場としては、判例は表示説によって考えているといわれる。原告がすでに死亡している者を被告として訴えを提起した場合には、訴状の記載を形式的に判断するのではなく、訴状の当事者の記載と請求の趣旨・原因を総合的に判断して誰が訴えられているかを判断すべきであると解するのが相当である(これを実質的表示説という)。その際には、誰が被告として表示されているかという点だけでなく、請求の趣旨・原因からみてどのような者が被告となることを意図していたか、という点も考慮する(参考判例①)。すると、そこでは、訴状の当事者欄のみならず、提訴可能ではないか、意思表示がされているかという、実質的表示説からの説明も理解ありうる。他方、本問のような事案について、原告は被告の記載を誤ったものと解して、訴状の訂足によるべきものであったと解して、訴状の請求の趣旨によるような場合、訴状によれば、Aが被告となり、訴状却下という結論になるのに対し、訴訟では、Xの合理的な意思を勘案し、相続人であるYを被告としたものであると解して、訴状の記載の誤りを訂正して被告に対する訴訟を維持するという扱いが可能となる。参考判例①もまさにそのような措置をとったものであり、訴訟経済にも理解できなくもない。しかし、参考判例①後の判例の流れをみると、必ずしもそのようなことは言えない。すなわち、大判昭和16・3・15(民集20巻191頁)は、死者名義に訴訟は判決の確定した意思がその効力は相続人には及ばないとするが、これは訴えの提起した意思の確定したものではないことで、訴訟追行の意思が原告に実質的帰属することがない限り相続人が当事者となるものではないと考えるから。昭和41・7・14(民集20巻6号1173頁)は、やはり死者名義で訴訟が提起され、原告が訴訟追行しても、上告審段階で訴訟追行者の相続人の死亡を主張することは信義則に反するとした。これも、当事者は本来相続人であることを前提になし、当事者として訴訟追行してきたYの死亡した後に相続人がその死亡を主張することは信義則違反となるとして、上告を棄却したものである。以上のように、判例の判断は、被告死亡の時期によらず、当事者として誰を訴え、Yと請求の趣旨を考慮するに、当事者としてのYの地位をAが主張するのであれば、Aの訴訟追客を前提に死者Aがする。他方、当事者の死亡の時期は、当事者の判断は、被告の死亡の時期によらず、当事者としての地位に問題はなく、訴訟追行は被告当事者に及ばない判決とした。大判大正6・30民集23巻1129頁、大判昭和2・2・3民集6巻13頁)。これらの学説は、当事者死亡という行動をどう考えるかによって判断が分かれる。しかし、当事者死亡による訴訟が追行されたときは、被告名義の訴状の送達がされた…その者に判決効が及ぶこととして、再審の訴えを認めたのであり、従来の判例を変更して表示説を採用したものと理解された。ただ、同判決は、氏名冒用訴訟について、①訴訟行為者が冒用行為の行為者として、判決が冒用者に対して言い渡された場合と、②訴状の偽造により訴訟代理人を選任し、被冒用者名義で訴訟行為をさせ、判決が被冒用者に対して言い渡された場合とを分け、①は冒用者が当事者となり判決も冒用者には及ばず、②は冒用者は当事者となりその判決効は被冒用者に及ぶとしている。すなわち、従来の判例①の射程に関するものであり、本件は②の類型に当たるものとして、区別を図ったものとも解されよう。以上のように、この点に関する判例はやや混迷したした状況を呈している(いずれにしても大審院時代の判例が多く参照されることからもわかる)。このような問題が発生することも自体が稀有であり、最近の民事訴訟法判決どおり、問題が生じた場合に誰が訴えの解決を図っていくかは大きな問題であろう。ただ、民事訴訟法の基本的な考え方を学ぶためには大変興味深い題材を提供しており、皆さんにもぜひ自分の頭で考えていただきたい問題である。●参考文献●松浦馨・争点58頁/松下淳一・百選12頁/小田司・百選14頁/福永有利「民事訴訟当事者論」(有斐閣・2004)42頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
移送
2025/09/03
A銀行(本店・東京都中央区)は、Y1社(本店・奈良県奈良市)に対し、手形貸付をしたが、その債務についてY1の代表者であるY2が連帯保証をしていた。この取引は、すべてA銀行奈良支店において行われていた。A銀行とY1の間の銀行取引約定書には、当該銀行取引に関して紛争が生じた場合には、A銀行の本店所在地を管轄する地方裁判所を専属管轄裁判所とする旨を定める条項があった。その後、Y1は業績不振に陥り、債務の履行を遅滞したので、A銀行は、上記貸付債権等を不良債権としてX社(本店・東京都新宿区)に譲渡した。X社は、Y1およびY2を被告として、東京地裁に上記手形貸付債権および連帯保証債権の履行を求めて訴えを提起した。X社は、範囲銀行取引約定書の合意に基づき東京地裁が管轄権を有すると主張したが、Y1らは、①上記条項は公序良俗ないし独占禁止法に反して無効である、②奈良地裁における審理のほうが当事者の衡平に資するなどと主張し、民事訴訟法16条および17条に基づき奈良地裁に移送を申し立てた。このようなYらの移送の申立ては認められるか。●参考判例●① 東京高決平成15・5・22判タ1136号256頁② 東京地決平成20・7・18民集60巻1019号294頁③ 大阪地決平成11・1・14判時1699号99頁●解説●1 移送制度の意義日本には第1審の審理を担当する複数の裁判所があるので、原告としてどの裁判所に訴えを提起するかが問題となる。裁判所の管轄(土地管轄・事物管轄)については、いずれかの裁判所がいずれかの問題を担当する。そしてどこに所在するかは地方裁判所・簡易裁判所のいずれに提起するのかという問題(事物管轄)、そしてどこに所在するかは地方裁判所・簡易裁判所の問題(土地管轄)である。後者については原則140万円が基準とされ(裁24条1号・33条1項1号)、前者については原告として訴訟の承認地を管轄する裁判所が管轄権を有する(普通裁判籍、5条)。さまざまな訴訟類型ごとに例外が定められている(特別裁判籍、5条)。提訴された裁判所が管轄権を有することは訴訟要件である。したがって、管轄権をもたない裁判所に提訴された場合、本来であれば訴えが却下されることになるが、それでは裁判をやり直すために既に費した時間と費用が無駄になるので、一種のサービスとして管轄権を有する裁判所に事件を移送することとしている(16条1項)。これによって、原告は訴えを提起し直す必要はなく手続が省けるし、提訴手数料を二重に負担したり、提訴期間(時効期間)を徒過したりするおそれがなくなる。なお、当該裁判所が管轄権を有しないと考える場合は移送の申立をすることができるが、裁判所はそれに応じなければならず、移送決定や移送の申立を却下する決定に対しては即時抗告をすることができる(21条)。以上のように、管轄権を誤った場合が典型的な移送の対象であるが、管轄権を有する裁判所に訴訟が提起された場合であっても、なお移送が認められることがある。そのような場合で最も重要なものが、遅滞を避ける等のための移送(いわゆる裁量移送)である(17条)。ほかに、簡易裁判所から地方裁判所への裁量移送(18条)や当事者の申立てで同意による必要的移送(19条1項)などがある。前者の根拠は、さらに16条2項および最決平成20・7・18民集60巻9号(参照)もこれに当たる。当事者や証人の住所等から考慮して、訴訟の著しい遅滞を避けるために必要があるためであると認められるときに、他の管轄裁判所に移送されることがある。管轄裁判所が複数ある場合、当初の裁判所選択権を有する原告であるが、原告の選択した裁判所が便宜の観点から相当でなく、また被告にとって著しく不利益を及ぼすような場合には、裁判所の裁量によって、管轄権を有する他の裁判所に移送することを可能にしたものである。本問では、合意管轄を基礎とする東京地裁の管轄について、当該管轄合意が民事訴訟法16条の規定の主要な根拠である、東京地裁に管轄権がないとして移送の申立がされた場合(なお、Y1について、被告の住所地に基づく普通裁判籍は奈良地裁にあるので、Y2についても、Y1に対する請求の併合請求の当然(7条)に基づくものと思われるので、Y2に対する請求が管轄違いとなる。また、仮に東京地裁に管轄権があるとしても、奈良地裁における審理のほうが当事者の衡平に適うという理由で、同法17条により奈良地裁に移送するよう求められている。以下では、順次に両者について検討する。2 民事訴訟法16条による移送―管轄合意の効力まず、民事訴訟法16条に基づく管轄違いによる移送である。本問では、A銀行とY1との間で専属的管轄合意が存在するとされる。有効な管轄合意があれば、本件管轄権がない裁判所に管轄権が生じる(11条)。そこで、本件管轄合意の有効性が問題となるが、その前提として、本問の管轄合意はX銀行から債権譲渡を受けたものである。このようなX間での管轄合意を援用できるかが問題となる。この点について、参考判例①は、合意管轄は「訴訟法上の合意であるけれども、内容的にはその債務履行地の合意として、その権利関係と不可分一体のもの」であり、いわば債権の属性をなすものである。そして、本件のような記名債権においては、その内容、当事者間の自由で定めるものであり、その譲渡の際には、それらの属性、内容もそのまま譲渡人に引き継がれるべきものである。とすれば、本件債権に基づく管轄合意の効力は、Xにも及ぶことになる。専属的管轄合意を締結している。単なる債権の譲渡によって、訴訟追行上の合意管轄の拘束力は引き継がれないとする反対説もあるが、一方的な債権譲渡によって合意地を失う債務者の地位を憂うことには相当でないので、上記判例のような立場は正当なものであろう。次に、Yらは、このような管轄合意が公序良俗に違反し、または独占禁止法に違反して無効であると主張している。後者の主張は、独占禁止法における優越的地位の濫用の問題である(独禁19条)に違反するというものであろう。ただ、判例は、ある合意が不公正な取引方法の禁止に反しても、それだけでその合意が無効になるものではなく、公序良俗に反してはじめて無効となると解するもののようなので(最判昭和52・2・20民集31巻8号参照)、実際には公序良俗違反が問題となる。この公序良俗違反の判断に際する事情の考慮であるが、すべての取引が奈良支店で行われているにもかかわらず、いったん紛争が生じた場合に、東京地裁での所属管轄権とするような合意は、紛争案件の本店への集中というA銀行内での立場からみた経済合理性はあるかもしれないが、Y1との取引上の力関係の格差を利用した不合理な合意として、公序良俗に反すると解される余地もあるように思われる。仮に管轄合意が有効とされたときは、民事訴訟法16条に基づき管轄違いによる移送が問題となる。ただ、本問ではなお注意を要すると思われるのは、義務履行地の裁判籍(5条1号)である。本件請求債権の債務者らの現在の住所はX債務者になっているところ、特段の合意がなければ、債務者の現在の住所地である東京にあるので、義務履行地管轄もない(民法484条1項)。Xの支店所在地である東京であるので、義務履行地管轄を有することになる。3 民事訴訟法17条による移送―裁量移送の考慮要素以上のように、Y1らの①の主張が認められない場合には合意管轄によって東京地裁の管轄権が認められることになるとし、あるいはその主張が認められても、義務履行地管轄が認められる場合にも東京地裁の管轄権が認められる。このような場合には、奈良地裁にも、被告の本店の所在地(4条1項・4項)に基づく管轄権が存在する。そこで、複数の管轄裁判所が併存する場合の裁量移送(17条)の可否が問題となることになる(17条移送は裁判所の裁量による裁量に基づくものであり、性質上最高裁判所が判断を遅延することは期待し難く、下級審裁判所における個別事情の尊重が重要な分野である)。なお、民事訴訟法1条による移送は認められていない(30条1項)。専属管轄が合意によって形成されたものである場合(いわゆる専属的管轄合意の場合)には、そのような適用は排除されず(20条1項括弧書)、裁量移送が可能とされるので、Yら①の主張が認められなくても、17条移送は可能である(その意味で、民事訴訟法17条による移送が相当と認められるのであれば、管轄の効力をあえて判断する必要はない)。そして、移送の効力の有無を判断するにさまざまなものが該当する。代表的なものとしては、証拠調べの便宜(証人や検証物の所在地)、原告・被告の本拠地、原告・被告の経済力などがあり得る。そして、本問では、仮に管轄合意の効力が否定され、義務履行地の管轄のみが問題となる場合、それが債権譲渡によって生じていること(A銀行がそのまま債権を保有していれば、義務履行地は奈良であったと解されること)、をどのように評価するかという問題も生じうる。この点につき、参考判例①は、管轄権限(義務履行地)の脆弱性というべきものを考慮している点が興味深い。すなわち、債権譲渡によって債権者の住所が変更され、義務履行地が変わることが債務者の予測可能性を害すること、それが合意管轄により予測可能性を担保しようとした趣旨に反することなどから、移送を肯定したものである。とくに債権譲渡(あるいは債権者の本拠地変更)によって生じた義務履行地のみが管轄権限である場合にには、裁量移送を肯定する方向に働くファクターとなり得よう。また、本問では、仮に争点とされるのがY2の保証意思の有無という点であるとすれば、その証拠方法は、Y1本人のはか、A銀行の奈良支店の担当者やY2の関係者など奈良に多く所在すると考えられるし、XとY1との経済力の格差を考えても、Y2を東京に来て裁判に臨むよう要求することは相当に酷である可能性がある。以上のような要素を勘案すれば、「訴訟の著しい遅滞を避け、又は当事者間の衡平を図るため」、本問では事件を奈良地裁に移送して、奈良地裁において審理判断をする必要があると解される余地が十分にありえよう。●参考文献●花村良一・争点48頁/安西明子「当事者間の衡平を図るための移送」判タ1084号(2002)4頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
民事訴訟のIT化
2025/09/03
(1) 原告Xの申請求において、金銭貸付の事実を立証するため、被告Xの申請により、貸付の場に立ち会っていたとされる証人Aを尋問することになった。Aは、足が不自由であるため、ウェブ会議に参加を希望した。Xはこれに同意したが、被告Yは法廷での尋問を求めている。裁判所は、ウェブ会議での尋問を認めることはできるか。(2) B弁護士は、2026年4月1日、依頼者から不法行為に基づく損害賠償請求訴訟の提起の依頼を受けた。同月10日に時効期間の経過が迫っていたので、Bは急いで訴状を作成し、4月10日の朝、訴状を裁判所の事件管理システムにアップロードしようとしたところ、インターネットが使えないことが判明した。Bとしては、どのようにすればよいか。●解説●1 民事訴訟のIT化の進展:令和4年改正の概要従来の民事訴訟においても、情報通信技術の利用は一定程度可能であった。例えば、電話会議システムによる争点整理、テレビ会議システムによる証人尋問、ファクシミリによる準備書面の交換等である。ただ、インターネット時代にITには十分対応しておらず、諸外国のIT化に比べてその遅れが顕著になったこともあり、2017年頃から積極的なIT化を進めていくことが政府の方針とされた。そこで、まず現行法でも可能な方策として、2020年以降、争点整理手続におけるウェブ会議の利用が可能とされ、折からのコロナ禍もあって急速に普及した。その後、さらに準備書面の提出や交換も裁判所の事件管理システム(mints)を通じて行うことも可能となった。ただ、現行法ではできることに限界があるので、IT化に向けた民事訴訟法の全面改正が企図された。その結果、2022年に民事訴訟法の改正(令和4年改正)が実現した。改正法は、①オンラインにより訴状その他の文書の提出を可能とすること(e提出)、②ウェブ会議によりさまざまな期日を実施を可能とすること(e法廷)、③訴訟記録をデジタル化し、裁判所外からの閲覧やダウンロードを可能とすること(e事件管理)という「3つのe」を実現し、民事訴訟の全面的なIT化・デジタル化を図ったものである。これによって、諸外国に比べて大きく遅れているとされた日本の民事訴訟のIT化に貢献し、世界標準に近づいたものと評価できよう。ただ、訴訟を利用しやすくするためには、このようなIT化をいかに利用者の利便につなげるかという実務上の工夫が重要になってくると考えられる(その一例として、IT化を活用し、当事者の意向に基づき最初の期日から原則として6か月以内に審理を終結する特別な訴訟手続として、令和4年改正で新たに設定整理期間手続(381条の2以下)を新設した)。また、民事訴訟法以外の分野(民事執行、民事保全、倒産、人事訴訟、非訟・家事事件等)についても、令和5年改正によって同様にIT化が図られている(その施行は原則として2028年頃になる予定である)。2 ウェブ会議による期日令和4年改正によるIT化として、まずウェブ会議による期日の実施がある。すでに令和4年改正前から、争点整理手続についてはウェブ会議システムの利用が可能となっていた。すなわち、弁論準備手続では電話会議システムによって期日を行うことができたし、書面による準備手続でも電話会議を用いた協議が可能とされていた(→本書66頁)。そして、コロナ禍の中、このような規定に基づきウェブ会議を用いた争点整理が活用された(ウェブ会議で口頭弁論準備手続が行われたものであり、従来の実務を実質上解釈されたものである)。そこでは、一方当事者の出席が必要である弁論準備手続ではなく、両当事者ともにウェブ会議でできる書面による準備手続が活用された。これをうけて、令和4年改正では、弁論準備手続において、一方当事者出席型、遠隔地居住者もウェブ会議の活用を可能とした(170条3項参照。この改正事項については2023年から施行されており、今後、争点整理期日でウェブ会議が実施される、注目される)。令和4年改正では、口頭弁論期日についてもウェブ会議による実施が可能とされている。口頭弁論期日は、裁判所と当事者が、公開法廷で実施されるものである。令和4年改正では、裁判所は、当事者の意見を聴いて、ウェブ会議の方法によって口頭弁論期日を実施できるものとし(161条の2第1項)、その際、裁判所・裁判所書記官は、当然法廷に出頭することとされている。これと併せて期日の呼出もウェブ会議の方法によって行うことができるとされ、当事者・代理人が期日で実際に出頭することが困難でないと認めるときはこの限りでない。この規定は、2024年から施行されている。なお、このほか、準備期日でも電話会議・ウェブ会議の利用が可能とされる(87条の2第1項・187条3項)。検証においてもウェブ会議の利用が認められる(232条の2)。ウェブ会議の活用は証人尋問においても利用できる。ウェブ会議については特に直接主義の要請が強く、出廷において裁判官が証人の表情や仕草を直接観察して心証をえる必要が大きいと考えられる一方、証人はその訴訟には無関係の者であり、審理に協力を求めるという観点からは、特に遠隔地に居住する証人にまで出廷についてウェブ会議を認める、その便宜を図る必要が大きいとも考えられるからである。このような観点から、令和4年改正は、ウェブ会議で証人尋問を実施する要件として、証人の住所・年齢・心身の状態等から出廷への困難を緩和することを優先したものとした(134条)。これによれば、本問(1)のような場合は、Yがウェブ尋問に異議を述べたとしても、証人Aの出廷困難の要件が認められるのであれば、裁判所は、Yの反対があってもウェブ会議尋問が可能である。この要件を満たすとして、その要件を満たすとして、証人Aの承諾などに鑑み、なお対面で尋問する必要があると考える場合には法廷に出頭を命ずる場合もある。3 オンラインによる訴状の提出次に、訴訟の提起に関するさまざまな手続がデジタル化・オンライン化される(以下の記述はいずれも民事訴行法システムに関する今後の措置が前提とされており、施行日も2025年から施行の予定である)。オンラインで訴状等の文書を提出することが可能となるとともに、手数料の納付も、オンラインで電子納付が可能となる。すなわち、民事訴訟における申立等の文書は、当事者は、書面に代えて、オンラインで電子情報処理組織(いわゆるナショナル・センター経由で、裁判所のシステムに接続する)を提出することができる(132条の10)。具体的には、裁判所が設置する新たな事件管理システム(Treesと呼ばれるもの)に直接アクセスするのではなく、裁判所が作成する民間事業者のPDFを変換したり、フォーマットに入力したりした形式で申立等をを行うことができる。そして、本人でこのようなオンライン利用は当事者の選択に委ねられるが、代理人弁護士については、その利用が強制され、原則として書面により訴状等を提出することは許されなくなる(132条の11第1項)。なお、裁判所外の専門機関に既に認証を願っていたが、今後はマイナンバーと公共料金等の支払システムと結び付けることとなる。このように、オンライン利用が義務化された場合に問題となるのは、さまざまな事情でオンラインが使えなくなる場合の取扱いである。規定上は「裁判所の使用に係る電子計算機の故障その他の責めに帰することができない事由によりオンラインで申立てができないときは、書面でも申立て可能とされている(132条の11第3項)。問題は、この「責めに帰することができない事由」の解釈であるが、裁判所に問題が生じた場合にこれが認められることは(条文の例示からも)明らかである一方、申立人のコンピューターの故障等はこれに当たらないものとされる。議論があろうものは、本問(2)のように、インターネットが使えなくなったような場合であるが、プロバイダ側に問題があるような場合にはこれに含まれると解してよかろう(他方、事務所の所属するマンションの回線等についてはなお議論があろう)。以上のように、オンラインで訴状等の提出がなされることを受けて、提出された訴訟記録もオンラインで保管される。オンラインで訴訟記録もオンラインで送達される仕組みもとられる。これをメールアドレスに届けておくと、裁判所は、送信書類を事件管理システムにアップロードし、その旨をメールで相手方に通知することで、その閲覧を可能にするものである。もちろん、相手方当事者の閲覧やダウンロードが可能である。これらがなくても、上記通知から1週間が経過すると送達が効力を生じる(109条の3)。また、システム送達が一般化していくことを前提にすると、(120条の3)、また、システム送達が一般化していくことを前提にすると、令和4年改正では民事訴訟費用に関する法律も改正し、忌避等の郵便費用を手数料に組み込み、郵券の予納は不要としている。なお、公示送達についても、従来の公示に裁判所の掲示場に掲示すること等に加えて、裁判所のウェブページにおける公示が示される(111条)。さらに、証拠調べの分野でもデジタル化が進展する。社会生活のデジタル化によって、従来紙で作成されていたものの多くが電子データの形をとることになっている。例えば、契約書も紙ベースではなく、電子データでの交換によって作成されることが一般的になっている。そこで、訴訟になった場合にも、電子データの証拠調べが必要になることが多い。従来はそのようなデータを一旦紙にプリントアウトして書証として取り調べていたが、令和4年改正は、電子データを直接証拠調べの対象にすることを可能とした。「電磁的記録に記録された情報の内容に係る証拠調べ」である(231条の2以下)。そこでは、書証の規定の多くが準用されているが(231条の3)、オンラインで提出された電子データをそのままの形で証拠調べすることが想定されている(例えば、従来の文書提出命令は「電磁的記録提出命令」と呼ばれる)。4 訴訟記録の電子化・裁判所外からの閲覧等さらに、裁判所において作成されるさまざまな書類も、今回の改正によってすべてデジタル化されることになる。例えば、裁判官の作成する判決書は電子判決書となるし(252条)、裁判所書記官の作成する調書は電子調書となる(190条など)。このように、裁判所に作成する文書が電子化され、また当事者の提出するさまざまな文書も多くは電子化されることになるになると、訴訟記録もデジタル化することが効率的となる。そこで、訴訟記録も原則としてデジタル化し、それを電磁的訴訟記録と呼んでいる(91条の2第1項参照)。ただ、そのためには、例外的に当事者が書面で提出する文書についても電子化する作業が必要となり、それは裁判所書記官が担当するものとされる(132条の12・132条の13)。以上のような形で訴訟記録の電子化が完成すると、その閲覧・謄写の形態も変化する。当事者や訴訟代理人はいちいち裁判所に出向かずに、オンライン経由で、裁判所外からの訴訟記録の閲覧等が可能になるからである。したがって、当事者および利害関係人の電磁的訴訟記録の閲覧等については、裁判所外の端末からの閲覧やダウンロード(複写)が可能とされる(91条の2第2項など参照)。その具体的な方法は最高裁判所規則に委ねられている。なお、営業過程では、より一般的な形でオンライン閲覧を求める意見もあったが、当事者のプライバシーに対する侵害のおそれもあり、訴訟の提起を躊躇する弊害が生じうるので、利害関係のない者は引き続き裁判所に行って裁判所内の端末から記録にアクセスする必要がある(ただ、ある裁判所に行けば日本全国の電磁的訴訟記録にアクセスが可能とされる予定である)。●参考文献●山本和彦「民事手続のIT化」(弘文堂、2023)(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
裁判所の審判権
2025/09/03
Aは、宗教法人山和寺の代表役員であった。山和寺は、周辺地域の高齢化・過疎化の中で檀家が減少し、収入が激減する状況にあった。そこで、Aは、アルバイトとして日本文化協会の主催する「僧侶心得養成講座」の講師に就任し、同講座を受講した者に有償で僧侶の資格を授与していた。ところで、山和寺は、包括宗教法人である恵信宗の傘下にあったが、宗教法人山和寺の規則では、同法人の代表役員は、恵信宗の規規によって山和寺の住職の職にある者を充てることとされ、住職は恵信宗の檀名であることとが要件とされていた。恵信宗の規律によれば、①教義を異にする異端を唱えて同宗の秩序を乱した場合には、恵信宗処分(僧名のを剥奪する処分)ができる旨、②宗制に反してはなはだしく宗の秩序を乱した場合には懲戒処分(僧派の職務を罷免する処分)ができる旨が規定されていた。なお、恵信宗の教典は、「邪義邪見の門戸を伝承した開祖大和神衛ー派の神霊ー如」であるとされている。Aの前記アルバルイトが露見したため、恵信宗は、①の規定を適用し、Aを異端処分とし、Aに代わって山和寺の新たな住職としてBを任命した。そこで、宗教法人山和寺(代表者B)は、Aに対し、山和寺の境内地の明け渡しを求める訴えを提起した。これに対し、Aは、反訴として、宗教法人山和寺に対し、Aが山和寺の住職の地位にあることの確認を求めた。これの訴訟において、裁判所は本案判決をすることができるか。本案判決をする場合にどのような判決をすることになるか。●参考判例●① 最判平成21・9・15判時2058号62頁② 最判昭和56・4・7民集35巻3号443頁③ 最判昭和元・9・8民集43巻8号899頁●解説●1 審判権に関する判例と学説の批判宗教団体に関する紛争が裁判所に持ち込まれた場合、裁判所が本案判決をすることができるかどうかが問題となる。裁判所法3条は、裁判所が裁判することができるのは、日本国憲法に特別の定ある場合を除いて「一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」と規定する。そこで、宗教団体に関する紛争が「法律上の争訟」に該当するかが問題となる。「法律上の争訟」の意義としては、一般に、①当該争訟が当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関するものであり、かつ、②当該争訟が法の適用によって解決されるものであるものをいう。この点に関する判例の理解は、まず、当該訴訟における訴訟物が、例えば住職の地位の確認のように、単なる宗教上の地位にすぎない場合には、具体的な権利または法律関係の確認を求めるものということはできず、確認訴訟の対象となるべき資格を欠くとする(最判昭和44・7・23民集23巻8号1223頁、最判昭和55・1・11民集35巻1号1頁なども参照)。換言すれば、法律上の争訟の確認①の要件を欠くと考えている。他方、訴訟物が具体的な権利義務・法律関係に関する場合であっても、信仰の対象の価値や宗教上の教義に関する判断が訴訟の当否を判断する前提として当該訴訟の帰趨を左右する必要不可欠の争点に係わる場合には、その実質において法令の適用による終局的解決が不可能なものとして法律上の争訟に当たらないとされる(最判・昭和55・1・11、参考判例①などを参照)。換言すれば、このような場合には、前記の要件を欠くと考えているのである。このように、判例は2段階の判断枠組みをとり、訴訟物の段階で宗教上の事項の確認を求める訴えはそもそも許されないとし、訴訟物が世俗的な請求であっても、その前提問題として宗教上の判断が不可欠な場合にも訴えを却下するという考え方をとる。しかし、以上の判例がどのような判断の方法に対しては、学説からの批判も強い。まず、訴訟物レベルの判断についても、基本的に確認の利益の問題として捉え、宗教判断の有無(判例の判断)であっても、それを前提とすることでよって権利義務・法律関係に関する紛争を抜本的に解決することができるのであれば、確認の利益を認めるべきであるとの批判がある。次に、前提問題が宗教的な判断に関する場合には、それをもって訴えを却下しようと、訴訟物である世俗的な法律関係について司法上の解決が図られないことになり、原告の泣き寝入りを強いたり、原告の自己救済を招いたりするおそれがある。これは司法権の役割を放棄することになりかねない。そこで、①宗教団体に自律的な決定の尊重(②自己決定の尊重)を重視し、それに基づいて本案判決をすべきとする考え方(自主的決定尊重説)、②宗教的な主張がされた場合には、その主張は疎明に止まらないものとして扱い、一般的な主張・立証責任の法理により本案判決をすべきであるとする考え方(主張立証説)などが提唱されている。2 宗教上の地位の確認請求本問において、Aは、反訴として、宗教法人山和寺に対し、Aが山和寺の住職の地位にあることの確認を求めている。住職の地位は、一般に、寺院の挙動や重要な物の管理、教義を宣布するなどの宗教的活動の主宰者としての地位にとどまり、法律上の地位ではないと考えられている。その意味で、判例によれば、確認の対象としての適格を欠くものということになる。また、宗教法人山和寺の規則では、同法人の代表役員は、恵信宗の意によって山和寺の住職の職にある者を充てることとされているため、住職の地位は必然的に宗教法人の代表役員という世俗上の法律関係の基礎となる(「枢機思想」と呼ばれるものであり、多くの寺院で一般的にこのような形がとられている)。しかし、判例は、このような関係がある場合であっても、確認対象は代表役員の地位とすべきであり、住職の地位について確認請求を認める根拠とはなり得ないとする(最判・昭和55・1・11参照)。したがって、判例に従えば、本件Aの反訴は却下されることになる。これに対し、前述(1参照)の学説によれば、本件反訴が認められるそうか、論者の判断枠組みの相違によって判断が分かれることになる。では、Aの反訴を認めることが紛争の抜本的解決のために有用であるかどうかを考える。Aが住職の地位にあることが代表役員としての地位を基礎付け、またその法律関係の前提となっているのであれば、その点について確認する判決をすることはおよそ、紛争の抜本的解決に有益であるといえよう。ただ、このような判断をするのではなく、訴訟物の判断としてにおいて宗教的事項を直接問題とすること、山和寺や恵信宗における自動の自律に直接国家権力(裁判所)が介入するとの印象を与えるとの批判もあり得よう。しかし、この見解によれば、そのような介入は、理由中の判断の幅を大きくはしなく、むしろ紛争解決という司法の本来の役割に由来するものであり、裁判は失当であると答えることになろう。3 境内地の明渡請求本問における本訴の訴訟物は、宗教法人山和寺のAに対する(所有権に基づく)境内地の明渡請求であり、権利義務に関する訴訟であることは明らかである。ただ、そのような請求の理由としてはAの宗門追放の決定が主張され、その根拠として、「教義に異議を唱えて宗門の秩序を乱した」ことが挙げられている。そして、恵信宗の教典には、「邪義邪見の門戸を伝承した開祖大和神衛ー派の神霊ー如」であるとされるので、結局、裁判所は、原告の請求の当否を判断するためには、Aが行った行為(僧侶養成講座の講師に就任し、同講座を受講した者に有償で僧侶の資格を授与したなど)が「恵信宗の法門を伝承した開祖大和神衛ー派の神霊ー如」の判断をすべきことになる。ただ、そのために、必然的に、「恵信宗の法門を伝承した開祖大和神衛ー派の神霊ー如」とは何かを判断することを確定する必要がある。しかし、裁判所はそのような判断をすることは望ましくないし、またそのような判断は必然的に宗教の教義の解釈に介入し、国家権力をもってその内容を確定する結果を招くことになるからである。そすると、本問は実質的にみて法律上の争訟に当たらず、山和寺の訴えは却下されるべきことになろう。(ただし、境内地内はAが占有を継続することになり)、恵信宗の正統な手続により任命された新住職Bがその活動を行うためには、自力救済の手段が許されるとはいえない。前述のとおり、学説では、このような判例の帰結は厳しく批判されている。①上記教義に違反している事実を原告が主張していないのと同視され、その主張責任を尽くしていないとして、請求棄却の判決をすべきとする見解や、②Aの教義違反による異端処分について、恵信宗の自律的決定に当該と認められるのであれば、請求認容の本案判決をすべきとする見解も呈されている。ただ、このような考え方については、①宗教上の決定がされていてもそれを訴訟で採用できず、結果として宗教団体の活動が制約されてしまうとの批判や、②自律的決定を尊重することは宗教団体の恣意をそのまま司法が追認することになりかねないとの批判などがあり得る。他方、近時の参考判例①は、判例法理に対する上記のような批判も考慮したものか、本問のような場合には、宗教団体としてはむしろ教義の解釈を含まずに判断できる手続を執るべきであり、あえて処分するに当たっては裁判所の審査にも耐えうる程度の理由を示すべきである(宗教団体の自己責任である)という考え方を示唆するような判断をしている。学説の上記①のような考え方も、結局、裁判所が判断できるような世俗的要件を宗教団体の責任で用意するべきであるとの発想を前提にしているようにも思われ、その点での近時の判例と通底するものがあるようにみえる。●参考文献●高橋宏志・争点12頁/長谷部恭男・起訴・百選6頁/中野「日本基本・問題33頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5
訴訟と非訟
2025/09/03
AはBと婚姻していたが、Bとけんかをして不仲になり、実家に帰った。そこで、Bは、Aに対して夫婦同居の審判(家事別表第2第1項)を家庭裁判所に申し立てたところ、Aはその住居でもBと同居しなければならない旨の審判がされた。この審判の手続では、Aの口頭での弁論をする権利の手続が行われたが、それは非公開の準備室で行われたものであった。Aは上記審判を不服として即時抗告を申立てたが、抗告も棄却された。そこで、Aは、夫婦同居問題は、公開の法廷の対審によらなければこれを処理する5目の家事審判手続の規定(家事33条)およびこれに基づく本件審判は憲法32条および82条に違反するとして、特別抗告(336条)の申立てをした。最高裁判所はどのような判断をすることになるか。●参考判例●① 最決昭和35・7・6民集14巻9号1657頁② 最決昭和40・6・30民集19巻4号1089頁③ 最決昭和41・3・2民集20巻3号360頁●解説●1 非訟事件の意義と訴訟の非訟化裁判所は「一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するが、それに加えて「法律において特に定める権限」を有するものとされる(裁8条1項)。そのうち、後者のものとして、非訟事件を取り扱う権限がある。非訟事件は、当事者間の権利義務の存否を確定する問題ではなく、むしろその実質は行政的作用を裁判所が行使するものとされ、非訟事件手続法の適用がある場合があります。具体的には、商業非訟事件・民事非訟事件などが代表的なものであるが、そのほかに、会社非訟事件(会社986条以下)、構成非訟事件(借地借家41条以下)、労働審判事件(労審1条以下)など多様な非訟事件手続がある(家事審判法は非訟事件手続法の特別法と位置付けられる)。非公開事件では、訴訟事件のように、公開法廷での口頭弁論は前提とされず、非公開で審判が行われる(非訟30条・家事30条)。また、その裁判も、訴訟のように判決ではなく、決定(家事審判では審判)という簡易な形式で行われ、それに対する不服申立も、訴訟のように控訴・上告ではなく、抗告という形式による。このような公開・対審を原則とする訴訟事件手続に比べて、秘密保護性や簡易迅速性に優れている。訴訟事件と非訟事件との境目も必ずしも固定したものではなく、時代の進展に応じて変化してきている。最も大きな変化としては、戦後の民法(親族法・相続法)の改正および家庭裁判所の新設の中で、親族関係事件として位置付けられていたものが、家事審判事件(例えば、遺産分割審判等)を非訟事件とし、家事審判法(現在の家事事件手続法)を適用することとしたことがある。このような改正にはさまざまな理由があるが、家事問題での裁判所の後見的関与が重視され、またプライバシーが関わる問題で秘密保護の要請もあったものと考えられる。その後、このような「訴訟の非訟化」と呼ばれる現象は、さまざまな分野で認められることになる。例えば、借地借家関係では、借地権譲渡の許可などは従来の訴訟事件から非訟事件とされ、新たに借地非訟事件というジャンルが形成された。そこには、やはり裁判所の裁量や後見的な紛争解決の迅速化等の要請が働いていた。その他も、裁判所の新たな関与が求められる場面で、事件を非訟事件として構成する傾向は強くある。これは、現代社会において、紛争解決の迅速性、秘密保護に対するニーズが高まっていることとも関連している。実質は非訟事件の裁量による紛争処理に対するニーズが高まっていることを示しているともいえる。の下で、非訟事件として取り扱うことができるのはどのような事件であるかについてリーディング・ケースとして、参考判例①がある。これは、戦時についてリーディング・ケースとして、参考判例①がある。これは、戦時中の司法代執行法上の調停に代わる裁判(抗告が可能である民事特別法・金銭債務臨時調停法上の調停を代替する裁判)について憲法に反するが問題とされたもので、この種の財産上の権利の存否を裁定する裁判について「性質上純然たる訴訟事件」であるとして、「当事者の上訴権を奪うような裁判」を非訟事件として扱い、公開の法廷における対審・判決を認めなければ、それは憲法に違反するとしたものである。そして、そこで問題とされた金銭債務に係る裁判は、性質上純然たる訴訟事件であり、それを非公開の裁判で処理することは憲法に反すると判断した。それでは、本問のような夫婦の同居義務はどうであろうか。この点について判断したものとして、参考判例②がある。同決定は、上記の判断の趣旨を確認し、「法律上の実体権保護自体に争があり、これを確定する」ことは司法権固有の作用であり、立法をもってしても決定の形式で裁判をすることは許されないとした。このような判断は確定判になってきている(その後ろのものとして、破産の免責手続の合憲性について、最決平成3・2・21金法1285号21頁なども参照)。同決定は、少数意見及び、少数意見7のきわどい判断であったが、その最大の焦点となったのが、同居義務とその具体的内容の形成の当否であった。少数意見は、後者を非訟事件とすることは許されるが、前者は訴訟事件となるとするのに対し、少数意見は(その理由は付言にはあるものの)いずれも、婚姻破綻の申立が同居義務についてまでは訴訟による確認を認めない立場による。すなわち、とりわけ同居請求が権利の濫用であるからこれに応じる義務がないという主張がされる場合に、少数意見はその確定は訴訟によらなければならないとするのに対し、少数意見はこの点も含めて審判によることができるものとする。後者の根拠は、実質的にはプライバシーの保護や裁判所の裁量権の尊重にあり、これが同居義務履行の具体的態様に関する判断とも解するものである。この点は、家庭裁判所の位置付けや人事訴訟の公開性の評価に関する困難な問題であるが、司法制度改革に基づく平成15年の改正によって人事訴訟が家庭裁判所に移管され、また人事訴訟法でも一定の場合に秘密保護を図り得る手続(人訴22条)が設けられたこともあり、多数意見の妥当性が高まっているとはいえるであろう。このような判断によれば、本問のAの特別抗告は認められないことになろう。以上のような判例理論を前提にするとき、次に問題となるのは、上記のような非訟事件において前提問題として実体法上の権利義務を判断できるのか、判断した場合はどのような法的効力をもつのか、という点である。この点について、参考判例③が判断している。これは、遺産分割の前提問題として相続権の範囲の確認などを非訟事件に当たる家庭裁判所の判断をすることができるとか、判断した場合その効力(訴訟で再度争えるか)といった問題に関する。後記の判例参照から、このような訴訟事項について終局的に確定するには、公開の訴訟手続によらなければ憲法に反することは明らかである。問題は、非訟事件の前提問題としてこれらの事項について判断できるかという点であるが、同判決はこれを積極的に解した。前提問題としての訴訟事項を判断すること自体は憲法に反せず、そのような判断を前提に終局の審判をできるとする。ただ、そのような事件においてなされた前提問題の判断について、爾後に訴えが提起されうること、そしてその訴訟手続で異なる判断がされうることを前提にし、その場合、それを前提とした審判も効力を失う。このような事態の発生は望ましくないが、彼は実務的な工夫により対処するほかないということであろう。3 判例理論に対する批判とその現代的意義以上のように、純然たる訴訟事件と性質上の非訟事件を区分し、例えば、夫婦の同居義務の存否自体は純然たる訴訟事件であるが、そのよう義務の存在を前提に、同居の時期・場所・態様等につき具体的内容を定めることは性質上の非訟事件であるとするのが判例理論である。しかし、これに対して、学説などでは、両者を截然と区別することができるのかについて疑問を呈し、そのような考え方を実質的には非訟事件の権限の無限定な拡大を招くという批判も大きい。そこで、実質的に憲法32条の趣旨をまっとうするため、2つの方向が提唱される。第1の方向は、非訟化が目的とするところを実質的に捉え、正当化が可能な目的が現実に存在する場合に限って非訟化を認めようとするものである。非訟事件のメリットはいくつかあるが、その主要なものは迅速化と秘密保護にある。そして、このような迅速性と秘密保護の要請は、現代社会においてとくに重要性をもっている。社会的に、とくに経済活動ではスピードがとくに重要視されるに至っているし、プライバシーを個人情報、企業秘密の保護されるに至っているからである。そこで、それに適合した非訟事件手続の積極的活用が社会の各方面から生じるものであるが、そのような要請が真に合理的なものであるか否かを実質的に判断して非訟化の当否を考えるという方向ということができる。ただ、そのような迅速性・秘密性の要請は他では当事者の手続保障を害する重大なデメリットを生じ得るという点に注意が必要である。そこで、第2の方向として、非訟化を認めながらも、その中で当事者の最低限の手続保障を非訟事件手続でも確保しようとすることが考えられる。そのような方向を示す1つの制度として、借地非訟事件手続がある。これは、1967年に、彼は訴訟手続で扱われていた借地条件の変更や借地権の譲渡の許可等の裁判について、その迅速な処理を目的として非訟事件とする一方、当事者の手続保障を図るため、非訟事件手続法の特則として、借地非訟事件手続規則を定めたものである。そこでは、当事者の立ち会うことのできる審問期日の保障、当事者が互いの主張を展開できる機会を保障し、また裁判官が複雑な事案を処理するときは必ず当事者にその点を告知し、反論の機会を与えなければならないなどのルールが定められている。このような方向性は、2013年から施行されている非訟事件手続法および家事事件手続法においても、当事者の手続保障を重視してきめ細かい規律を設定することで引き継がれている。このように、非訟事件においても、当事者の手続権を実質的に保障する形で、一方では社会の要請となっている迅速性・秘密保護を実現するとともに、他方では憲法32条の保障する裁判を受ける権利を実質的に担保しようとするのが現在の潮流ということができる。●参考文献●高田敏雄・判批12頁/高田敏雄・百選4版12頁/三ヶ月章『民事訴訟法研究⑸』(有斐閣・1972)49頁(山本和彦)
『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』 山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著・2024年
ISBN978-4-7857-3092-5