不法行為の成立要件
Aは、2024年12月10日、東京都内にある自己所有の土地に、鉄筋コンクリート造り陸屋根3階建ての建物(以下では「本件建物」という)を代金3000万円で建築する請負契約をYとの間で締結し、その設計および工事監理をY’に委託した。Yは本件建物完成後、Aは、その引渡しを受け、しばらくの間そこで居住していたが、2025年12月頃、勤務先会社から突然札幌への転勤を命じられ、長期にわたり単身赴任が見込まれたことから、新築の早い本件建物を手放すことに決めた。そして、Aは、2026年2月10日、Xとの間で、本件建物およびその敷地をそれぞれ代金2000万円と3000万円で売却する旨の契約を締結した。この契約に基づき、Xは、同年3月20日、本件建物およびその敷地の引渡しを受けた。ところが、Xが引渡しを受けた後しばらく経って、本件建物に多数の瑕疵があることが判明した。その瑕疵は、建物の外観をただちに危うくするほどのものではなかったが、天井・床・壁のひび割れ、はりの傾斜、鉄筋量の不足、バルコニーの手すりのぐらつき、排水管の亀裂など、多数箇所にわたっており、すべて補修を要するものであった。そこで、Xは、2028年12月、YおよびY’に対し、上記の瑕疵について修補費用相当額の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。[参考判例]① 最判平成19・7・6民集61巻5号1769頁② 最判平成23・7・21判時2129号36頁[解説]1. はじめに本問では、建物取得者が、建物の設計者・施工者・工事監理者(以下では単に「設計・施工者」という)であるYおよびY’に対し、本件建物の瑕疵について修補費用相当額の損害賠償請求をすることができるかどうかが問題となっている。前提として、Yは、本件建物の売主であるAに対し、売買契約に基づく責任を追及することも可能である。すなわち、本件建物に多数の瑕疵があることから、引き渡された目的物の品質が契約の内容に適合しないものとして、追完請求(562条)、代金減額請求(563条)、損害賠償請求(415条)または解除権の行使(541条・542条)が認められる可能性がある。ところが、通知義務による失権(566条)やAの無資力といった事情により、Aに対する責任追及が実質上不可能な場合もある。このとき、Xとしては、Yを相手方として請求していくほかないが、X-Y間に契約関係が存在しないため、不法行為(709条)を請求の根拠とすることになる。この問題については、本問とほぼ同じ事案に関する最高裁判決(参考判例①およびその後の民法改正までを参考判例②)によって一応の解決が与えられており、そこでは、建物の設計・施工者は不法行為により修補費用の賠償義務を負うことが認められている。しかし、この責任をどのようにして正当化するかということについては、なお検討すべき点がないわけではない。このような事情から、以下では、参考判例の立場を説明したうえで、それを出発点として検討を進める。2. 判例(1) 建物としての基本的安全性を損なう瑕疵についての不法行為責任の肯定参考判例①は、次のように判示して、直接の契約関係にない建物取得者との関係で、建物の設計・施工者に不法行為責任が成立する可能性を認めた。すなわち、建物は、建物利用者や隣人、通行人等(以下では「居住者等」という)の生命・身体・財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は建物としての基本的な安全性というべきである。そうすると、建物の建築に携わる設計・施工者は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負う。そして、設計・施工者がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命・身体・財産が侵害された場合には、設計・施工者は、特段の事情のない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負う。そして、参考判例①によれば、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵とは、居住者等の生命・身体・財産を危険にさらすような瑕疵をいい、建物の瑕疵が、居住者等の生命・身体・財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず、これを放置すればいずれは居住者等の生命・身体・財産に対する危険が現実化することになる場合を含む。具体的には、建物の構造耐力にかかわる瑕疵のほか、建物の利用者の身体の安全にかかわる瑕疵があるときには、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるとされる。これが、建物の瑕疵が居住者の居住環境の快適さを損なうにとどまる瑕疵はこれに当たらないとされている。これによると、本問のような瑕疵(バルコニーの瑕疵により建物利用者が転落して人身被害が生じたり、漏水が生じたりして建物としての基本的な財産が毀損されたりする危険がある)から、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に当たる。また、瑕疵がただちに建物の外観を危うくするまでにはいたらないとしても、そのことは不法行為の成立を妨げるものではない。(2) 修繕費用額の賠償の肯定以上を前提として、参考判例①によれば、建物取得者は、自らが取得した建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵がある場合に、特段の事情がない限り、設計・施工者に対し、当該瑕疵の修補費用相当額の損害賠償を請求することができる。この場合、修補費用を現に支出ししていなくても、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があることにより、修補費用相当額の損害が生じていると考えられるのである。以上によれば、Y、Y’に注意義務違反があることとなる。(3) 不法行為の成立要件との関係裁判例においては、民法709条の各要件が明示的に認定されないことも多く、このことは参考判例でも当てはまる。そこで、上記の参考判例の立場を、同条の要件との関係でどのように理解することができるかということを、次に検討しておきたい。本案では関係ないのであるが、その後の要件(故意・過失、因果関係、損害)について順次検討する。(1) 権利・利益侵害参考判例は、当該事案において侵害された権利・利益の内容について何も述べていない。そのため、ここで不法行為を理由とする瑕疵修補費用の賠償請求を認めるならば、権利・利益侵害要件がどのようにして基礎づけられるかという疑問が残る。仮に建物の瑕疵により居住者等の生命・身体が侵害されれば、故意・過失が認められる限り不法行為責任を負うことに疑いはないが、本件のような財産的ではない。また、本件のような財産的ではない、ただ、本件のような財産的ではないため、Xが居住する建物の瑕疵が居住者の居住環境を害し、Xに精神的苦痛が認められる場合には不法行為の成立を認める見解として、次のようなものがある。第1に、何らかの財産権が侵害されることを前提として、その定式化を試みる見解もある。この見解の内部でも、危険にさらされない利益、建物の安全性を居住権と構成し建物の設計に際する注意義務など、さまざまに見解がある。第2に、権利侵害の要件は侵害されてないことを前提としつつ、建物の瑕疵修補費用の支出が、建物取得者の生命・身体に対する危険を除去し、その結果、無形的な利益を認めるためのものであることとして、この場面では権利が侵害される場合に準じて不法行為責任を成立させるべきであるという見解がある。(2) 故意・過失第1説のように何らかの権利侵害を観念することは不可能ではないか。しかし、本問における瑕疵修補費用が、将来において生じる損害を回避するために必要となる主な目的として支出されるものであることに鑑みれば、むしろ第2説のほうが正確を射たものというべきであろう。ただし、第2説は、権利が現実には侵害されておらず、侵害の危険があるにすぎない段階で不法行為の成立を肯定するものである。したがって、ここでは民法709条の例外ないし拡張が承認されていることになるが、建物が居住者等の生命に対する危険を有することが明らかであるにかかわらず、これを放置したままではいずれは危険が現実化してしまうのであり、こうした保護の要請にも妥当性が認められる。しかも、仮に建物の危険が現実化して居住者が侵害されても、それから、建物の設計・施工者はいずれにしても責任を負うべき立場にあるのだから、このような責任が少しでも責任を負わなければならない。もっとも、こうした責任の拡張が、本問のような場合にまで認められるかどうかについてはさらに検討する必要がある。建物の設計・施工者に故意があるという事態は考えにくいため、ここでは過失の有無が重要である。通常とは、一般に結果回避義務を意味するとされるが、本問では、参考判例①のように「建物としての基本的な安全性を確保すべき注意義務」への違反がある場合には、この場合の結果回避義務に当たると考えられる。ただし、建築基準法令の違反が認められる場合であっても、それがただちに不法行為上の過失と評価されるわけではない。建築基準法は、行政上のさまざまな考慮に基づいて定められたものであるから、同法における1つの考慮要素にはなるとしても、それだけでただちに私法上の注意義務違反となるとは限らないのである。(3) 損害損害に関していえば、後述のように、参考判例①は、建物の設計・施工者に対する修補費用相当額の損害賠償を認めている。損害には財産的損害と精神的損害があるが、本問では問題にならないが、参考判例によれば、建物の所有者が当該建物を第三者に賃貸するなどしてその対価を取得する機会を失った場合であっても、修補費用相当額の賠償を求めたこととの関係で積極的損害はいったん補てんされたとみることができるので、建物の瑕疵が居住者の精神的苦痛を惹起するに足りない場合、その後の損害に対する賠償についてなお請求をできないという趣旨だと考えられる。(4) 契約責任との関係最後に、やや異なる観点から、参考判例の立場を検討しておきたい。本問のような建物の設計・施工者は不法行為責任と請負契約の瑕疵担保責任との関係でいかなる責任を負うのかを検討する。すなわち、売買目的物に関する瑕疵修補費用の賠償は、契約内容に適合する物が引き渡された利益を享受するものであるから、これは本質的に契約の責任である。原則として不法行為は認められないと考えられる。なぜなら、契約の瑕疵担保責任は、給付義務違反を認めるものであり、契約で予定されているはずのリスク配分に留まるものとみられるからである。たとえば、本問とほぼ同様の事例で、Y-A間に瑕疵担保責任の特約をAとBが合意すると、合意がなされることにより、Xが直接Yに不法行為による損害賠償の請求を認めることはできず、Y-A間の合意が結果的にXに負担になってしまう。もとより、Y-A間の合意が不法に物の効力を及ぼすわけではないが、参考判例①は、それでもなお、Yについて責任を負わなければならないというYの期待を完全に無視して良いわけではない。仮に、参考判例①の立場で無過失責任を認めても、Xはこのような観点から、強度の違法性が認められる場合でない限り、建物の設計・施工者に不法行為責任は成立しないとされた。[関連問題]介護施設は、Yの製造した機械式の介護ベッド(以下では「本件介護ベッド」という)を卸売店Aから購入し、要介護者に貸与していた。ところが、本件介護ベッドには、その設計に起因する欠陥により、電動駆動部分に水が侵入した場合に発火する危険およびサイドレールに利用者が挟まれる危険があることが明らかになった。Xは、Aがすでに倒産していたことから、Yに対し、本件介護ベッドの修補にかかる費用の負担を求めたが、Yは費用の支払を拒絶した。そこで、Xは、本件介護ベッドの修補をBに委託し、自ら修補費用を支出したうえで、Yに対し、その費用の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。[参考文献]山口・判例時報1993号(旬刊2002号2008)23頁/瀬川・現代消費者法14号(2012)90頁/山本・民事法22号172頁(山本浩平)