不法行為責任の効果
Y社は、非公開会社を募集・販売とする株式会社であり、2019年9月30日、その株式を取引所に上場している。Y社は、2021年度(2022年3月末日終了)の決算において、別途コンテンツについて架空の売上高の計上により利益を水増し、真実3億円の赤字を生じているのに、2億円の利益を水増しする会計処理をするという方法で虚偽記載の有価証券報告書を提出した。2022年6月6日にY社は、株式市場の信頼を裏切り、公衆の信頼を当初から失い、株式の市場から信頼を失っており、もしYが当初から真実の情報を開示していたら、Yは取引所に上場されていなかった。2022年7月に、個人投資家であるXは、取引市場を通して、Y株を1株2000円で1万株購入した。その後、Yが正しく公表していた事業に係る業績が悪化し、同年9月にはY株の市場価格は1700円程度となった。2022年10月1日、Y社の独立委員会がYに記者会見を開き、2021年度の有価証券報告書に上記の虚偽記載があること、真実3億円の赤字であったことが、Yが市場から同様の粉飾決算を行っていたこと、Yの代表取締役を交代させることを公表した。Yは、その日の取引時間中に市場の信頼を失い、株価の維持を困難とするために対処処理をするとともに、同日11月10日に、Y株の市場価値を決定した。取引所におけるY株の株価は、同日10月1日の虚偽記載の公表の前の取引日の終値1700円(公表前1か月間の市場価格の平均も1700円)まで下落し、Y株は11月1日に300円まで下落し(公表後1か月間の市場価格の平均は500円)、Y株の市場価値は200円となり、その後の回復は見られず、Y社はやむなく、上場廃止前の最終の取引日の終値1株800円であった。Xは、Y社が上場廃止になるよりも前に取引所でY株をすべて売却するのではないかと考える。2022年11月1日に取引所でY株を1株300円で保有する1万株を売却した。Xは、Yの虚偽記載によって被った損害の賠償をYに求める訴訟を提起した。Xは、どのような請求をすることが考えられるか。Xの請求は認められるか。[参考判例]① 最判平成23・9・13民集65巻6号2511頁② 最判平成24・3・13民集66巻5号1957頁[解説]1. 金融商品取引法に基づく請求の枠組み上場会社が作成・公表することを義務付けられている有価証券報告書等の法定開示書類に重要な事項についての虚偽の記載があり、または重要な事実の記載が欠けているとき(以下、虚偽の記載と記載の欠缺を合わせて「虚偽記載等」という)、虚偽記載等に基づいて形成された市場価格で有価証券を取得した投資者は、虚偽記載等があったという事実(虚偽記載等の事実)が公表されたときに有価証券の市場価格が下落することにより、損害を被る。このような投資家の損害の回復を図るために、金融商品取引法(以下、「金商法」という)21条の2は、法定開示書類に虚偽記載等があった場合の投資者の損害賠償請求について、2つの点において不法行為の特則を定めている。第1に、金商法21条の2第1項によると、虚偽記載等を知らないで、法定開示書類の提出者が発行した有価証券を取得した投資者に対し、発行者は、有価証券の取得者が虚偽記載等を超えない限度において被った損害賠償を負う。この責任は、無過失の立証責任が発行者に課せられた有価証券であれば(同条2項)、同条3項によると、虚偽記載等の事実の公表がされた日(公表日)前1年以内に有価証券を取得した者は、公表日前に取得した当該有価証券の市場価格の平均額から当該1か月間の当該有価証券の市場価格の平均額を控除した額を、虚偽記載等により生じた損害の額として賠償することができる。有価証券取得後の因果関係の証明を要するが虚偽記載等の範囲で推定する。このことが難しいことを考慮して、投資者の負担を軽減するため、虚偽記載等の公表がされたときに取得した有価証券を保有する投資者が被った損害を推定する規定がある。推定額は、当初、虚偽記載等の存在を知らないで取得した有価証券の市場価格が、虚偽記載等の公表によって下落した部分について損害賠償を負う(同条5項)。本問のXは、虚偽記載等の事実が公表された2022年10月1日より前1年以内にY株を取得しているので、虚偽記載21条の2第3項の損害額の推定規定を利用することができ、その推定額は、1株につき、公表日前の1か月間のY株の平均価格である1700円と公表日後の1か月間のY株の平均価格である500円の差額の1200円ということになる。しかし、Yは、虚偽記載の事実の公表によってY株の平均価格が下落したのではなく、Yが発表したYの業績の悪化によってY株が下落したと主張すると、Yは1700円から900円まで下落したのであるから1400円がY株当たりの損害であると主張しうるが、1株当たり1700円(2000円-300円)の損害を被っているようにも思われる。Yは、不法行為のように損害額の賠償を請求できるのではないか。Yは、不法行為の規定とYの間の因果関係を否定してもよいではないか。虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったといえるか否か不法行為がなければ有価証券の取得をしなかったと考えるべき場合と、不法行為がなかったとしても、有価証券を取得したと考えるべき場合とで区別して考えるべきであるから、有価証券の虚偽記載等がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみられるか否か、不法行為がなければ投資者が有価証券の取得をしなかったとみられるか否か、不法行為がなかったとしても投資者が有価証券を取得しなかったであろうかという反実仮想をすべきである。廃止の決定がなされた事例について、投資者が当該有価証券を取得する意図が虚偽記載を確かめていたとしたら、その後も市場に当該有価証券を取得する対象が投資家にとって内外において当該有価証券を取得するという具体的事情が生じたと認定した(参考判例②)。虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得したか否かは、投資家の取引の判断の過程で、虚偽の記載がなければY株を取得しなかったか否かという事情を具体的に判断しなければならない。本問のXが、虚偽記載がなければY株を取得しなかったと主張するためには、どのような事実を示したらよかろうか。虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみるべき場合は、有価証券を取得したこと自体が投資者の損害であるから(ここで、このような損害を取得自体損害と呼ぶことがある)、その賠償額は、取得価格と処分価額との差額(もし、有価証券を保有しているときは、取得価額と現在の市場価額との差額)となるのが損害額の自然な帰結であろう。これに対し、取得自体損害の前提を投資者の自己決定の尊重の原理的な基礎が認められるには、虚偽記載等の事実が投資家の自己決定に影響を与えたという決定的な理由がなければならないとする。参考判例①は、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかった場合の損害額について、虚偽記載との差額を考慮して、経済情勢、市場動向、当該会社の業績等、虚偽記載に起因しない市場要因の影響を控除して算定すべきであるとした。その理由として、そのような場合は、投資家は虚偽記載と無関係の要因に基づき変動することを予想して株式を取得し、かつ虚偽記載について開示された情報に基づいて株式を処分するか保有し続けるかを自己の判断ですることはできた状態にあったことを挙げる。もっとも、参考判例②においては、投資家は有価証券を取得しなかった以上、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動から損害を被ることがないとみるべきである、という反論がある。本問において、虚偽記載の公表の直前のY株1株当たりの300円の値下げが虚偽記載と無関係の要因に基づくものか、虚偽記載の事実の公表がなければ投資者の損害額の算定の基礎であるか。この点、3で検討しよう。虚偽記載がなければ有価証券をより低い価格で取得したとみるべき場合本問の虚偽記載がなくてもXはY株を取得していたと認められるが、真実が公表されていれば、その情報を反映して、より低い市場価格が形成されていたであろうから、より低い価額でY株を取得していたといえる場合に、XがYから得るべき投資者の被害については、取得価格が真実が公表されていたら形成されていたであろう市場価格(想定額)と実際(取得時価額)であるとすると、虚偽記載の事実の公表がされたことによって生じた市場価額の下落は、不法(取得時価額)であるとすると、虚偽記載と処分時価額との差額であるとして市場が下落した場合にこれを賠償の範囲に含める見解がある一方、取得価額と処分価額との差額は株主の地位に基づくもので発行会社との間の取引行為に当たる場合には認められないとして、株主が会社に請求できる損害を取引時価額に限定する見解がある。有価証券報告書の法定開示書類の重要な虚偽記載等の事実が公表されると、虚偽記載を信頼して発行市場で有価証券を取得するものが生じるなどして発行市場が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれが生じるとして発行された価格が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれがあるから、いわゆる「ろうばい売り」を誘発し、真実なら発行市場の価格が形成されていたであろう市場価格が大きく下落することが多い。本問でも、Y株の市場価格は、1株当たり1700円から300円にまで下落しており、その要因には、Yの代表取締役が交代したこと、Yに上場廃止のおそれが生じたことも含まれているだろう。この点について参考判例①は、いわゆるろうばい売りが集中することによる過剰な市場価格の下落は、有価証券報告書の虚偽記載があれば、それが利用されることによって通常生ずべきと予想される損害であって、これを虚偽記載とは無関係な要因に基づくものというべきではないとした。参考判例②は、金商法21条の2第3項が適用された事例であるが、同項の「不法行為の規定による損害賠償」に相当因果関係のある損害のすべてを含み、これを取得時価額に限定すべきではなく、発行者の行為に関する独立性、代表取締役の解任、株式の市場性の確保、これらをめぐるマスメディアの報道、発行者の信用失墜といった各種事情から全て市場価額の下落についての賠償を認めた最高裁の判断を確認した。これらの判例の考え方によると、Xに与えられるべき損害賠償額はいくらになるだろうか。4. 過失相殺と損益相殺投資者が虚偽記載に基づく損害賠償を不法行為により請求している場合はもちろん、金融商品取引法に基づいて請求している場合にも、民法722条2項の過失相殺の規定が適用される。しかし、法定開示書類の虚偽記載請求訴訟において、過失相殺が認められた事例はないようである。被害者(投資者)側の過失を理由に発行者の損害賠償額が減額されるべき場合として、どのような場合が考えられるだろうか。Xは、上場廃止直前までY株を保有していれば、1株800円程度で売却できたのだから、早期に売却したことはXの損失を評価すべきだろうか。また、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったとみるべき場合に、虚偽記載以外の要因によって市場価額が下落した部分を控除して損害額を求める(参考判例①)の考え方は、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動を被害者の過失によって負担を負わせているとみることによって説明できないだろうか。損益相殺の主張が認められた事例も見当たらない。虚偽記載が行われた期間に取得した有価証券の一部につき、投資者がこれを虚偽記載の発表前に売却して利益を得ていたときは、当該利益は、売却しなかった有価証券について生じた損害の賠償額から控除すべきだろうか。虚偽記載がなければ取得した有価証券を保有し続けるべきだろうか。損益相殺の対象とすべきだろうか。損益相殺については、夫婦間の問題が多い。[関連問題]Xは、2022年9月30日に、取引所市場を通じて、Y株式会社の発行するY株を1株2000円で1万株購入した。2022年10月1日、Yは突然、投資手続開始の申立てを行い、裁判所より破産手続開始の決定を受けた。Yの株価は1株2000円より連日ストップ安となり、5日後に1株1円となった。Xは、この間、Y株の市場での売却を試みたが、売買が成立せず、10月6日にようやくY株を1株1円で売却することができた。Y株は同月15日に上場廃止となった。破産管財人が調査した結果、Yは、株式の上場後である2019年3月期より、架空の売上高および利益を計上する粉飾決算を続けていたことが判明し、Yは当該事業を2022年12月1日に公表した。Xは、Yに対する損害賠償を民法上の不法行為を理由として提起した。Xの損害はどのように算定されるか。[参考文献]黒沼悦郎・金融商品取引法判例百選(2013)12頁/松岡啓祐・民商法雑誌(黒沼悦郎)