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訴訟物

Aは自転車で横断歩道を横断中、Bの運転する自動車に衝突し、傷害を負った。そこで、Aは、Bに対して、自動車損害賠償保障法に基づき、損害賠償請求の訴えを提起した。(1) Aは、治療費100万円、逸失利益600万円、慰謝料300万円の合計1200万円の支払を求めて訴えを提起したところ、裁判所は、証拠調べの結果、治療費50万円、逸失利益500万円が当該事故に起因する損害であると判断したが、慰謝料については450万円を認め、合計1000万円の支払を命じる一部認容判決をしようと考えている。このような判決をすることは適法か。(2) 上記1000万円の支払を命じる一部認容判決が確定した後、Aに前訴当時予測できなかった後遺症が発生し、それについての治療費、逸失利益および慰謝料の合計1500万円の支払を求めて、AがBに対して再度訴えを提起した。裁判所はどのように判断すべきか。●参考判例●① 最判昭和48・4・5民集27巻3号419頁② 最判昭和61・5・30民集40巻4号725頁③ 最判昭和42・7・18民集21巻6号1559頁●解説●1 訴訟物に関する考え方民事訴訟においては、裁判所による法的判断になじむように、原告は特定された権利の対象を提示しなければならない。このような審判の対象のことを訴訟物と呼ぶ(なお、「訴訟物」の概念は講学上のものであり、民事訴訟法は訴訟物を指して「請求」という語を用いることが多く〔258条1項・259条1項など〕、従来実務の言葉遣いでは「訴訟上の請求」とも呼ばれてきた)。訴訟物概念は、本書において判断すべき事項の最小の基本単位を構成し、訴訟のさまざまな局面で基準を提供する。例えば、訴えの併合(136条)、訴えの変更(143条)、二重起訴(142条)、申立事項と判決事項(246条)、既判力の客観的範囲(114条)などの場面である。その意味で、訴訟物は民事訴訟手続の全体像を特徴づける重要な概念であるということができる。訴訟物は、審判の対象を画するものであるから、訴状における請求の趣旨・原因の記載によって訴訟手続の当初から特定されていなければならない。訴訟物が同一とみなされるような基準で決定されるかについては、安定的な規準は存在せず、解釈に委ねられている。この点で、実体法上の権利または法律関係ごとに訴訟物を認識する実体法説(実体法説)と、各訴訟類型ごとの差を強く意識して、実体法上の請求権から独立した形で訴訟物を観念する新訴訟物理論(訴訟法説)とが対立しているところ、旧訴訟物理論の用法による理解と問題意識を中心に、かつて激しく展開されたところである。ただ、現在では、学説においてはなお新訴訟物理論が有力であるものの、実務においては旧訴訟物理論が支配的であり、膠着したまま沈滞化の方向をたどることができよう(詳細は、山本・後掲111頁参照)。いずれにせよ、本問との関係では、本問との関係で問題となるのは、同一の事実関係・法律関係を基礎としながら、どの範囲の請求権が単一の訴訟物として考えられるかという問題である。本問(1)との関係では、損害の種目(治療費、逸失利益、慰謝料等)がどの範囲で単一の訴訟物と考えられるか、が問題となり、本問(2)との関係では、時間的にどの範囲の請求が訴訟物として単一のものととらえられるか(事故後に生じた後遺障害も本問の訴訟物に含まれるとして考えてよいか)が問題となる。本問(2)については、一部請求や既判力の問題とも密接に関連するが、ここでは考えてみよう。2 新訴訟物理論の基準損害賠償請求訴訟において、どのような範囲で訴訟物をひと固まりのものと考えるか。という点については、かつてさまざまな議論のあったところである。一方の説では、人身事故で生じた損害についてはすべて単一の訴訟物であるとする理解があり、他方の説には、個々の損害費目ごとに異なる訴訟物を理念とする理解があり、その中間にさまざまな考え方が存在した。本問(1)においては、損害の総額については1200万円の支払請求に対して1000万円の請求を認容しているので、両者の考え方によれば問題は生じないことになる。これに対し、損害費目ごとにみれば、慰謝料について、300万円の請求に対して450万円の判決をしているものであり、慰謝料請求と単一の訴訟物と捉えれば、これは原告の申立てを超えた判決であり、民事訴訟法246条に反することになる。この点について、参考判例①は、「同一事故により生じた同一の身体障害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、原因事実および被侵害利益を共通とするものであるから、その賠償請求権は1個であり、その両者の賠償を合わせて請求する場合にも、訴訟物は1個であるとすべきである」と判示している。したがって、これによれば、本問の場合にも、裁判所はそのような判決をすることができることとなる。実質的からしても、実体法において慰謝料の調整的機能をどうみるかということもある。積極的損害(治療費等)や消極的損害(逸失利益)は損害を積み上げて算定していくが、慰謝料は損害を積み上げて必ずしも十分な賠償額にはならないと裁判所が考える場合に、慰謝料額を積み増して補正する機能を確保するということは十分にありうると考えられる。そのような場合に、慰謝料について原告の請求額に拘束されるとすれば、そのような調整が柔軟に図られないおそれが生じ、相当ではないと考えられる。それでは、判例は一般論として訴訟物の単一性をどのような基準で判断しているのであろうか。参考判例②は、「原因事実および被侵害利益(事故等による事故等による単一性)とを重視し、原因事実(事故の単一性)と被侵害利益(人格利益)をメルクマールとして理解しているようである。そのような理解を前提とすれば、参考判例②がある。これは、無断撮影した写真について、同一の雑誌にセンターフォリオ写真を作成発表したとして、複数回にわたる著作権(複製権)および著作者人格権(同一性保持権)を侵害したとして合計50万円の損害賠償請求をしたところ、判決は「同一の行為により著作権侵害と著作者人格権侵害がされた場合であっても、著作権侵害による財産的損害と著作者人格権侵害による精神的損害とは両立しうるものであるので、両者の賠償を訴訟上併せて請求するときは、訴訟物を異にする2個の請求が併合されているものであるから、被侵害利益の相違に従い著作権侵害の賠償請求額と著作者人格権侵害に基づく慰謝料額とをそれぞれ特定して請求すべきである」とした。ここからも、原因事実と被侵害利益の同一性が認められる(原因事実が同一であっても被侵害利益を異にすれば訴訟物は別である)ことが明らかにされている。3 後遺症の扱い同一事故(原因事実が共通)において、後日新たな損害が発生した場合に、そのような損害の賠償請求はどのように考えられるか。これが後遺症の取扱いの問題である。1つの考え方として、後遺症は新たな損害であり、被侵害利益を別にするので、別個の訴訟物であるとする理解があり得る。これに依れば当然に後訴は可能ということになる。これは「被侵害利益」の捉え方に係る問題であり、新たな障害を後遺症と理解すればこのようになり訴えも可能である。一般には、被侵害された身体の完全性が回復されればよく、後遺症もその枠内にある、すなわち、被侵害利益としては同一性を失わないものと解されているように見える。仮に後遺症とされる障害が事故と同時に発生していたとすれば、その分の損害賠ย่อม当然同一の訴訟物と考えられていたはずだ。時期的に遅れて発生したからといって、訴訟物を異にするとする理解は便宜的にすぎるからである(ただし、後遺症が被害者の死亡に起因する場合には、傷害に基づく慰謝料請求と生命侵害に基づく慰謝料請求とは被侵害利益の基礎が異なるとする見解もある。最判昭和43・4・11民集22巻4号862参照)。そこで、このような損害は、訴訟物としては同一であるとしても(その結果前訴判決の既判力が及ぶものであるとしても)、前訴判決の基準時(口頭弁論終結時)後に生じた新たな損害であるとする理解が生じ得る。そのように考えられるとすれば、後訴判決の既判力は及ばず、原因事実の同一が考えられる。しかし、実体法の一般的な理解によれば、不法行為による損害は、観念的には、原則としてすべての行為の時点で発生すると解されている。たとえば人身の目はまったく新たに発生したものであっても、罪の時から見ればその原因はすでに事故の時点に存在していたのであり、損害賠償請求権も事故の時点で発生していたとされる。したがって、それが現実に発覚したのが基準時後であっても、基準時前の新たな事由とはいえないこととなる。そこで、確かに神の目から見れば、そのようにいえるかもしれないが、現実に訴訟を追行する人間である以上、前訴の事実審理における基準時までの損害については、既判力は及ばないとする理解があり得る。既判力の範囲は、場合によっては訴訟物よりも狭い範囲に限定されるとの考え方である。しかし、既判力の範囲という概念は、訴訟手続の具体的な状況によっては左右されるというものではなく、そのような具体的な事情をいちいち考慮すると、既判力の範囲が一般的に定まらず、法的安定を害し、不当な紛争の蒸し返しの解決の指針に適用されるおそれがあるからである。そのような理解を前提にすれば、このような考え方は問題となることを前提にすれば、このような考え方は問題となることを前提として処理した。すなわち、前訴は、後遺症部分の損害を除外した明示の一部請求であると理解し、後遺症部分の損害には既判力は及ばないとするものである。後遺症部分を排除するということが必ずしも明確に表示されていないとしても、いわば弁論の全趣旨の中で明示があったものとみなすという考え方と関わる。このような明示の黙示の理解はやや技巧的かと思われるが、個別の事案を類型化した柔軟な処理が可能だとして評価される。これは、たしかに、判例による損害賠償に関する議論(→問題50)を含め、なお学説上はさまざまな議論があるところである。●参考文献●山本克己・争点108頁 / 垣口千尋・争点112頁 / 我妻栄・百選146頁 / 谷口千尋・百選162頁 / 伊藤眞ほか「民事訴訟法の争点」(有斐閣・2007)31頁以下(山本和彦)