過失相殺
2022年9月2日、Yは、原付バイクを運転して住宅街を走行中、子供用自転車に乗った5歳の幼児Xを追い越そうとした際に、バイクを自転車に接触させて、Xがバランスを失って自転車ごと転倒した。接触事故の原因は、Yが十分な間隔をとらないで自転車を追い越そうとした、また、急にXが進路を妨げたため、YがXを避けきれなかったことにある。Xの両親A・A'も、日頃、Xに対し交通安全を十分に教育していなかった。Xは、転倒により右肘を骨折し、右膝にも打撲傷を負ったが、幸い、それ以外に怪我はなかった。医師の診断によれば、骨折は全治1か月、打撲傷は全治3週間とのことであった。Xは、9月10日になって、突然、右膝に激しい痛みを訴え、骨髄炎と診断された。これは、Xが以前に罹患した骨髄炎(Xは、2022年5月、右大腿骨に骨髄炎を発症し、7月までの治療を受けていた)が、本件事故の打撲の刺激が引き金となって再発したものである。この骨髄炎の治療のため、Xは、12月末までA病院に入院を余儀なくされたほか、左足に運動障害の後遺障害が残った。なお、右肘の骨折は、当初の診断どおり、9月末には完治した。Xが、Yの不法行為に基づき損害全部の賠償を請求した場合に、Yは、どのような事由をもって賠償額の減額を主張することができるか。[参考判例]① 最判昭和39・6・24民集18巻5号854頁② 最判昭和42・6・27民集21巻6号1507頁③ 最判平成4・6・25民集46巻4号400頁[解説]1. 総説(1) 問題の所在不法行為による損害の発生・拡大には、しばしば、加害者側の行為以外の原因が関与する。このような場面で、加害者に損害の全部を理由として責任の全部を負わせるのは、公平の見地から妥当ではない。そこで、民法は、不法行為において被害者にも過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる、と規定している(722条2項)。これを過失相殺という。この問題について、民法は、被害者の過失があった場合に損害額を減額しうるとする。もっとも、同条を、単に「被害者の過失」が問題となる場合に限定する趣旨と解するべきか。判例・学説は、同条を、損害の公平な分担を図る趣旨の規定と解して、加害者の過失と被害者の過失が競合している場合に限らず、もっぱら被害者の過失のみによって損害が発生した場合(自損事故)や、双方に過失のない不可抗力によって損害が発生した場合にも類推適用される、と解している。(2) 過失相失の要件まず、Yの過失とXの損害との間では、過失相殺の要件として、被害者の側に過失が認められることが要求される(「被害者に過失があったとき」)。かつての判例は、過失相殺について、責任成立要件とパラレルに被害者の責任能力を要求するとともに、その立場に立って、加害者の責任能力を要求する立場と相俟って、20世紀後半まで、交通事故が急増する中で、最高裁は、判例により事理弁識能力について、論者にとって有利な判断が示された。2. 被害者側の過失(1) 被害者本人の過失被害者本人に過失が認められるためには、被害者に事理を弁識するに足りる知能(事理弁識能力) が必要である。この事理弁識能力は、不法行為責任が認められるための責任能力(712条)よりも緩やかに解されており、判例は、5~6歳程度を基準としている。本問のXは5歳であるから、事理弁識能力の有無が微妙である。ところで、被害者の能力の問題と深く関連する判例理論として、最高裁は、同時期に、「被害者側の過失」論を展開した。それは、民法722条2項の過失は、被害者本人の過失だけでなく、広く被害者側の過失、すなわち「被害者と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられるような関係にある者の過失」が含まれるのであり、「被害者側」が幼児である場合に、「被害者側の過失」は、被害者の監督者たる父母が負う身上監護義務違反としての過失を意味するものではないので、その者の過失をいう(参考判例②)。この事例によれば、被害者に事理弁識能力がない場合であっても、その父母らが被害者の過失を防止しなかった監督義務違反が問われれば、その父母の監督義務違反の有無が「被害者側の過失」として斟酌されることになる。このような取扱いは、その後も、被害者本人の事理弁識能力を前提として、その監督義務違反という形での過失相殺を、被害者本人の事理弁識能力を前提に、その監督義務違反という形での過失を、実質的に被害者の事理弁識能力を擬制化するものである(なお、被害者側の過失は、父母の監督義務違反のほかにも、まったく異なる機能をもつ。この点については、最判昭和31・25民集30巻2号160頁を参考に後期提出を検討されたい)。最後の点を捉えて、学説は、判例の論理構成をさらに一歩進める立場も有力化している。この見解によれば、被害者の過失の有無・程度をもっぱら行為の客観面(態様)から判断することを提唱する。被害者の能力をそもそも過失相殺の要件から除外する。このような構成によれば、被害者が事理弁識能力を欠く場合にも、被害者側の過失を介在させることなく直接に、被害者本人の過失を認めて過失相殺をなしうることになる。(2) 被害者の素因被害者が有する身体的な特徴(素因)が損害の発生・拡大に寄与した場合、これを過失相殺において斟酌できるか。判例は、疾患については、原則として、被害者側の過失として斟酌することを否定している(最判平成8・10・29判時1593号63頁)。なぜなら、人の生命・身体は、人の人格的利益の根幹をなすものであり、その人の個性(疾患の有無やその程度、体質など)を尊重すべきだからである。もっとも、判例は、その疾患が「治療の機会を逸したことに起因する」など、被害者側の過失と同視できるような事情があるときは、例外的に斟酌を認めている。本問でXが骨髄炎に罹患していたことは、身体的素因に当たる。Yの不法行為がなければ骨髄炎の再発はなかったのであるから、原則として斟酌は否定される。しかし、Xの親権者であるA・A'が骨髄炎の治療を怠っていたなどの事情があれば、例外的に斟酌される余地がある。(3) 過失相殺の方法過失相殺は、損害の発生・拡大に関する当事者双方の過失の割合を比較衡量して行われる。具体的には、認定された損害額の全体から、被害者側の過失の割合に応じて減額される(判例)。本問のXの損害額については、①右肘骨折と右膝打撲による傷害、②骨髄炎の再発による傷害と後遺障害とに分けて考える必要がある。①については、Yの過失と、X本人(5歳児の飛び出し)およびA・A'(監督義務違反)の過失とが競合している。②については、これらに加えて、Xの素因(骨髄炎の既往症)が関与している。これらの事情を総合的に考慮して、過失相殺の割合が決定される。[関連問題]2022年9月7日の夜9時頃、Aが、自家用車(甲車)を運転してX県Y市Z町を走行中、幹線道路上でUターンを行って反対車線に乗り入れようとした際に、ちょうど反対車線を走行してきたY運転のトラック(乙車)との衝突事故を起こした。この事故により、A・Yがそれぞれ軽傷を負ったほか、Xが、背部挫傷の重傷を負って身体が不随となった。本件事故の原因は、次のとおりである。AがUターンを行った場所は、交通量が多いため転回禁止区域に指定されていたうえ、Aは、乙車が自車(甲車)に気づいて速度を緩めるものと軽信していた。他方、Yは、携帯電話を操作しながら乙車を運転しており、甲車の動静にまったく気づいていなかった。XがYに対し損害全部の賠償を請求した場合に、Yは、どのような事由をもって賠償額の減額を主張することが考えられるか。[参考文献]橋本佳幸・百選Ⅱ 212頁/高橋成光・基本判例 187頁/橋本佳幸・注釈456号(2018)38頁(橋本佳幸)