保証と時効
2025/09/03
2020年4月に、Aは、友人Bから、子どもの進学資金のために貸してほしいと頼まれ、Bに100万円を無利息、1年後に全額を一括して返済する約定で貸し付けた(本件貸付金債権)。Bの兄Cは、Bからの委託を受け、Aとの間で、Bの本件貸付金債権に係る債務を主たる債務とする連帯保証契約を書面で締結した。以上の事実に続いて下記の要望があったとして、各問いに答えなさい。(1) 本件貸付金債権の弁済期到来後もBからの弁済がないので、Aは、弁済期から3年後に、Cに対して内容証明郵便を送付して支払を請求したところ、Cは1か月後に元本全額を支払うので連帯保証金の支払を免除してほしいと回答した。しかし、その後Cからの支払がないままさらに3年が経過したので、AはCに対して連帯保証債務の履行を求めて訴えを提起した。Cは、本件貸付金債権の消滅時効を援用したうえで保証債務も消滅したと主張して、Aの請求棄却の判決を求めた。Aの請求は認められるか。(2) 本件貸_付金債権の弁済期到来後も、Aは、Bの事業がうまくいっていないことを知っていたためBに請求をせずにいたが、本件貸付金債権の弁済期から7年後、Cに対して連帯保証債務の履行を請求した。Cは、時効完成を知らずに元本は1か月後に全額支払うので連帯保証金の支払を免除してほしいと回答した。その翌月もCからの支払がないので、AはCに対して連帯保証債務の履行を求めて訴えを提起した。Cは、本件貸付金債権の消滅時効を援用したうえで保証債務も消滅したと主張して、Aの請求棄却の判決を求めている。Aの請求は認められるか。(3) (2)において、CはAの請求に応じて全額を支払った。これについてCがBに求償した場合、Bはどのように反論しうるか。●解説●1. 保証債務の消滅時効の基本的考え方(1) 保証債務の別個性と付従性保証債務は主たる債務と別個の債務であるため(保証債務の別個性)、保証債務の消滅時効は、主たる債務の消滅時効とは別に進行して完成するというのが原則である。他方で、保証債務は主たる債務に付従するため、主たる債務が消滅すると保証債務も消滅する(消滅における付従性)。保証債務の消滅時効の問題は、これら2つの性質に加えて、主たる債務とその履行の担保を目的とする保証債務の内容が実質的に重なり合っていることも考慮に入れて、検討されなければならない。(2) 時効の起算点と時効期間債権の消滅時効については、「債権者が権利を行使することができることを知った時」(主観的起算点)から5年間の短期時効と、「権利を行使することができる時」(客観的起算点)から10年間の長期時効の二重の時効制度が採られている(166条1項)。期限の定めのある契約上の債権については、債権者が期限を知っているのが通常であるため、これら2つの起算点が事実上一致する。したがって、主観的起算点から5年の経過によって消滅時効が完成する(同項1号)。保証債務の弁済期は、保証契約において特に定められていない限り、主たる債務の弁済期と同時期に到来すると考えられる。主たる債務が期限の定めのない債務である場合、保証契約締結時に既に発生しているものであれば、保証債務の弁済期も保証契約締結時に到来する。(3) 時効の援用保証人は、保証債務の時効の援用権を有する者はもちろん、主たる債務の時効が完成すると、主たる債務者の時効に対する援用とは無関係に、主たる債務の時効を援用することもできる。保証人は、主たる債務について「権利の消滅について正当な利益を有する者」として、「当事者」に含まれるからである(145条)。保証人が主たる債務の時効を援用すると、債権者と保証人との間において主たる債務が消滅し、付従性によって保証債務も消滅するが、債権者と主たる債務者との関係においては主たる債務は存続する(援用の相対効)。したがって、債権者には、保証債務のない主たる債務に係る債権のみが残ることになる。これに対し、主たる債務の権利義務の当事者である主たる債務者自身が主たる債務の時効を援用する場合には、主たる債務は債権者と保証人との間でも絶対的に消滅し、保証債務も付従性により消滅するため、保証人による時効の援用は問題とならなくなるというのが、現在の通説的理解である。2. 主たる債務の時効完成前における保証人の承認と主たる債務の時効の更新(1) 保証債務の承認保証人が時効期間満了前に「保証債務」を承認した場合、保証債務の時効は更新される(152条1項)。しかし、承認による時効の更新は、更新事由が生じた当事者およびその承継人の間でしかその効力を生じないので(153条3項)、保証債務の時効が更新されても、これによって主たる債務の時効が更新されることはない。連帯保証債務が承認によって更新された場合も同様である(458条・441条本文参照)。なお、主たる債務について、履行の請求その他の事由によって時効の完成猶予および更新が生じると(147条〜152条)、主たる債務の時効が更新されれば保証債務にも及ぶが(457条1項)、これは、判例は付従性の帰結として説明するが(最判昭和43・10・17刑時34巻5号頁)、通説的理解によれば、債権の担保を確保するという政策的・便宜的配慮から、主たる債務よりも保証債務が時効消滅しないように時効の完成猶予および更新の範囲を拡張したものである。実質的には、主たる債務について債務の履行催告等による時効障害事由が生じた以上、その担保である保証債務については同様の措置をとらなくてよいので、債務者の帰責管理上の負担が軽減されている。これに対し、「履行の請求その他の事由」(457条1項)によらない絶対的相対権思想の完成猶予(138条〜161条)については、民法下の解釈を前提にすると、民法457条1項が適用されないので、債務ごとに完成猶予事由の有無を判断することになる。(2) 保証人による主たる債務の承認の可否保証人が時効期間満了前に「主たる債務」を承認することによって、主たる債務の時効も更新するだろうか。承認は相手方の権利の存在の事実を認めさえすればよいから、承認をするには、相手方の権利を処分する効力や権限(152条2項)は必要としない。しかし、相手方の債務の承認は自己の権利の保存または利用(管理行為)に当たるため、管理能力・権限が必要である。主たる債務について権利義務の当事者でない保証人は、管理能力・権限を有しないため、主たる債務を承認してもその存在に関する蓋然性は生ぜず、主たる債務の時効は更新されない(参考判例①)。もっとも、保証人が主たる債務を相続した場合において、主たる債務者兼保証人の地位にある者が主たる債務を相続したことを知りながらした弁済は、これが保証債務の弁済であっても、債権者に対して主たる債務を承認した包含しており、特段の事情のない限り、主たる債務者による承認として主たる債務の時効が更新される。主たる債務者が保証人の地位にある個人が、両地位にある者が異なる行動をすることは、想定しがたいからである(最判平成29・9・12民集67巻6号1356頁)。3. 主たる債務の時効完成後における保証人の時効利益の放棄・承認の効果(1) 保証人による「主たる債務」の時効利益の放棄主たる債務の時効完成後においては、保証人は、「保証債務」の時効利益を放棄することもできるし(145条)、時効利益を放棄することもできる。他方で、主たる債務者は、自らの負担する主たる債務の時効を援用することも放棄することもできる。時効利益の放棄の相対効により、主たる債務者が時効利益を放棄した場合であっても、保証人は主たる債務の時効を援用することができる(大判昭和6・6・4民集10巻401頁)。この場合、前述(1)のように、債権者には、保証債務のない主たる債務に係る債権のみが残される。反対に、保証人が主たる債務の時効利益を放棄した後も、主たる債務者が主たる債務の時効を援用することもできる。この場合にも、主たる債務の消滅(絶対効)に消滅って保証債務も消滅するというのが付従性からの素直な帰結である。しかし、学説では、付従性の原理を重視して帰結を支持する見解と、主たる債務の時効を放棄した保証人と主たる債務者との間の求償を巡る利害調整の観点から、主たる債務の時効を放棄した保証人は、主たる債務の時効を援用できないとする見解、保証人の「主たる債務」の時効利益の放棄の意思表示を解釈し、①主たる債務者の時効の利益を援用しないという意思の表明と、②主たる債務者の承認が時効完成したことを清算したうえで弁済するといった意思の合致と解釈する見解とに分かれている。(2) 「保証債務」の時効利益の放棄・承認の効果保証人が「保証債務」の時効を放棄した後、自ら「主たる債務」の時効を援用することができるかについても問題となる。これは、これを肯定する(前掲・大判昭和7・6・21)。主たる債務の時効完成後に保証人が保証債務を承認した後で、主たる債務の時効を援用した場合、保証人は主たる債務の時効完成を理由に保証債務の履行を拒絶できるとされている(大阪高決平成10・4・10民集40巻3号79頁)。もっとも、保証人による保証債務の時効利益の放棄の意思表示の中に主たる債務の時効利益の放棄の趣旨が含まれることがある場合には、そのように解釈する。主たる債務の時効を援用することができ、その趣旨に付従性によって保証債務の時効を援用することは、信義則でないことになろう。小問(2)では、CはBの主たる債務の時効に対する意思が定まっていない間に、弁済期到来を知らずにAに対して保証債務の一部免除と弁済の猶予の懇願(自認行為)をしており、判例の考えによれば、これによって保証債務の時効の援用権を信義則上喪失しているところ(前掲昭和41・4・20民集20巻4号702頁参照)、主たる債務の時効を援用し、その履行の拒絶を主張して保証債務の履行を拒絶できるかが問題となる。この問題は保証人が保証債務を一部履行した場合に主たる債務の時効完成を理由に、主たる債務の時効消滅による保証債務の履行拒否をすることが、信義則に反するか否かにかかわらず保証債務を履行する趣旨に反するものでないかという問題である。このような考え方を手がかりに考察すると、保証債務については時効利益を放棄していないとして、主たる債務の時効利益の放棄の効果も意思を及ぼすものではないというのである。もっとも、保証人が、主たる債務の時効の完成の事実を知らなくても、保証債務者がその債務を承認したという事実を知りながら保証債務を承認した場合には、判例によっても、保証人がその承認に主たる債務の時効を承認することは義則上許されないとされている(最判昭和44・3・20判時557号237頁)。小問(3)においては、保証債務の時効援用権の主張の放棄、保証人が主たる債務者の時効完成後に、保証人が主たる債務者が時効を援用しない段階で保証債務を履行した場合において、保証人は主たる債務者から求償を受けることができる。
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
時効利益の放棄・喪失
2025/09/03
貸金業者であるX株式会社は、2024年12月14日、Yに対し、70万円を利息年9.8パーセント、損害金年14パーセント、弁済期を1年後の約定で貸し付けた。Yは、2026年1月17日、Xに対し、本件債務のうち1年間の利息分に相当する6万8600円を支払ったが、その後は2032年3月7日にいたるまで本件債務を弁済していない。2032年5月3日頃、XからYに対し、裁判にかける、差押えをする等の記載のある督促状が届いた。督促状を見て怖くなったYは、同月6日、Xに対し電話をかけたところ、Xの男性従業員Aが対応した。Aは、Yの現在の生活状況を聞いたうえで、Yは長期にわたる延滞状況にあるため、一括弁済が必要であり、分割弁済に応じるのは困難であると説明した。Yは、年金生活者で経済的に困窮していたが、同月7日、1万円を知人Bから借り入れ、Xの指定した銀行口座に1万円を振り込んだ。その後、Yが本件債務を一切弁済しないので、2032年10月10日、XはYに対し、残元本およびこれに対する遅延損害金の支払を求め、訴訟を提起した。これに対し、Yはどのような反論をすることができるか。●参考判例●最判昭35・6・23民集14巻8号1498頁最判昭41・4・20民集20巻4号702頁最判昭45・5・21民集24巻5号393頁最判平28・6・6金法2055号91頁大判大正8・5・12民録25輯851頁●解説●1. Xの請求とYの反論XはYに対し、貸金返還請求権と履行遅滞に基づく損害賠償請求権を行使しているが、この請求を斥けるために、Yとしては、請求権の消滅時効を主張することが考えられる。本問では、この消滅時効の援用が問題となる。(1) XがYに対し貸金返還および遅延損害金を請求する場合において、返済時期の合意があるときは、Xは、請求原因として、次の事実を主張・立証する必要がある(貸金返還と遅延損害金とで訴訟物は異なるが、両請求を立証するには、両請求を成立させるために必要な事実をすべて挙げている)。金銭消費貸借契約の成立(金銭授受の合意、金銭の交付、返還期限の合意、利息の合意)返還時期の到来・経過(2) それに対して、Yは、次の事実を主張・立証することにより、請求権の消滅を抗弁することができる。2017年民法改正により、債権は、①権利者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき、または、②権利を行使することができる時から10年間行使しないときに、時効によって消滅することになった(同条1項)。①が改正により付け加えられた点である。契約に基づく一般的な債権については、その発生時(契約時)に債権者は権利の発生原因および債務者を認識しているのが通常だから、客観的起算点と主観的起算点とは一致する。したがって、貸金返還請求権は5年の消滅時効にかかる。権利行使可能の到来(ただし、Xが①を主張・立証するので、Yによる主張・立証は不要となる)①から5年の時効期間の経過YによるXに対する時効の援用(145条)(3) (2)の抗弁に対して、Xは、YによるXに対する利益支払の事実を主張・立証することにより、時効更新の再抗弁を提出することができる。消滅時効完成前の利息支払は、元本債権の承認(152条)となる(大判昭3・3・24新2873号)。(4) 他方、Yは、利益支払から5年の時効期間の経過とYがXに対して時効の援用をした事実を主張・立証することにより、消滅時効の抗弁を提出することができる。この抗弁は、利息支払を起算点とする貸金返還請求権の消滅を主張するものであり、(2)の抗弁とは別個の抗弁であるから、(3)の再抗弁に対する再々抗弁ではない。また、時効の援用に関する不確定効果説を前提にすると、(2)と(4)の両者の消滅時効が完成したときにいずれを援用するかにYは委ねられるから、(4)の抗弁は、(2)の抗弁に対する予備的抗弁ではなく、選択的抗弁となる。(5) (4)の抗弁に対して、Xは、YによってXに対する債務の一部弁済があったという事実を主張・立証することにより、信義則(民法1条2項)による時効援用権喪失の再抗弁を提出することができる。2. 時効利益の事前の放棄民法146条は、通常弱い立場にある債務者が時効利益の事前放棄を強いられるおそれがあることを考慮して、「時効の利益は、あらかじめ放棄することができない」と規定している。これに対して、時効完成後は、時効利益を受けるか否かは当事者の意思(援用)に委ねられており、時効利益の放棄を許さない理由はないから、同条の反対解釈により、債務者は時効利益を放棄することができる。ただし、会社法31条1項・地方自治法236条2項には、時効利益を放棄することができないものとする例外規定がある。時効利益の放棄は、債務者の意思表示だけで効力を生じ、債権者の同意を要しないが(大判大正8・7・4民録25輯1215頁)、債務者が時効完成の事実を知らなければ、行うことができない(大判大正3・4・25民録20輯342頁)。3. 時効完成後の行為他方、債務者が、時効完成の事実を知らずに、債務の承認や一部弁済等、債務の存在を前提とした行為(自認行為)を行った場合については、民法典に規定がなく(制定法の欠缺)、その取扱いが問題となる。(1) 判例かつての判例は、時効利益の放棄には、債務者が時効完成の事実を知っていたことを要しつつ、自認行為をした場合、債務者は時効完成の事実を知っていたものと推定して(しかも判例はこの推定を破る証拠はなかなか認めないことによって)、時効利益の放棄を認めていた(参考判例①)。いわゆる、「時効利益の放棄の効果を肯定するためには、債務者において時効完成の事実を知っていたことを必要とすることは所論のとおりである。しかし、債務承認のような場合には、債務者は時効完成の事実を知っていたものと推定すべく、従って債務者たる上告人において所論弁済をするに当り時効完成の事実を知らなかったということを主張且立証しない限りは、時効の利益を放棄したものというべきである」とする。しかし、学説は、判例の結論を是認しつつも、時効完成を知らないからこそ自認行為をしたとみるのが自然なので、判例による推定は事実の蓋然性に矛盾するという理由で、その理論構成を批判した。(2) 新判例最高裁は、このような学説の批判を受けて、時効完成後の承認が時効完成の事実を知ってなされたものと推定することは経験則に反するとして、参考判例①を変更しながらも、時効完成後の承認は「時効による債務消滅の主張と相容れない行為であり、相手方においても債務者はもはや時効の援用をしない趣旨であると考えるであろうから、その後においては債務者に時効の援用を認めないものと解するのが、信義則に照らし、相当である」という理由により、「時効完成の事実を知らなかったときでも、爾後その債務についてその完成した消滅時効の援用をすることは許されない」として、旧判例の結論を維持した(参考判例②)。参考判例②の傍論については、判決文の「時効の援用をすることは許されない」を、「時効援用権は存在するが信義則上それを行使することはできない」という意味ではなく、「時効援用権は失われる」という意味に解し、「債務者は自認行為をした場合には時効援用権を喪失する」という法定ルールを信義則に依拠しつつ創造したという理解が一般的である。その後、再び時効が進行する。これを認めた参考判例③も、時効援用権の存続を認めたもの。4. 信義則の機能新たな時効の進行を認めるのは合理的だから、時効援用権は失われるという理解を前提としている。この理解の下では、信義則は欠缺補充機能(根源的機能)を果たしており、事案に直接適用されるのは、信義則ではなく、信義則によって創造された上記の法定ルールである。「時効利益の喪失」という本テーマの表題や、「時効援用権喪失の再抗弁」という(5)の記述は、かかる理解を前提にしている。しかし、以前から「時効完成後、承認等がなされても具体的妥当性の観点より債務者の救済方法として、承認後の時効援用が信義則に反せず許される場合もありうる」という指摘があったが、近時は、実際に信義則違反を否定して時効援用の再抗弁が覆されている(東京地裁平成7・7・26金監1011号98頁、札幌地判平成10・12・22判タ1040号211頁、東京高判平成11・3・19判タ1045号169頁、福岡地判平成13・3・13判タ1129号148頁、宇都宮地判平成24・10・15金法1968号122頁など)。本問の基になった参考判例④は、参考判例②の引用に向けて、「そうすると、時効が完成した後に、債務者が債権者に対して債務の承認をしたとしても、承認後の具体的的事情を総合考慮して、債務者において、債務の承認が時効の援用をしない趣旨であるとの保護すべき信頼が生じたといえないような場合には、消滅時効を援用することは信義則に反せず、許される」と述べ、事案の具体的解決としても、時効の援用を認めた。また、2017年の民法改正時には、参考判例②の法明文化が検討されたが、法制審議会では、実際上、時効が完成したことを知らずに債務の承認をさせられたり、時効が完成した債権のうち少額の一括弁済を迫られ、それによって時効援用権を喪失したと主張されたりすることがしばしばあるため、明文化するのであれば、援用権を喪失しないことをすべきである、という意見がむしろ有力であった。他方で、個別の事情に応じた裁判所の判断に委ねるべきだとして、明文化に反対する意見もあり、結局、規定は見送られた。従来の一般的理解とは異なり、参考判例③のように、信義則違反の有無は個別の事情に応じた裁判所の判断に委ねられるという趣旨に参考判例②を理解する場合には、信義則は、欠缺補充機能ではなく、個別事案に直接適用されることにより、具体的妥当性を図る機能(規範具体化機能)を担う。この場合、(5)以下は、次のように書き換える必要がある。(5) (4)の抗弁に対して、Xは、Yによる時効援用は信義則に反し許されないという再抗弁を提出することができる。評価根拠事実と評価障害事実を総合的に評価して信義則違反の有無を判断する。【評価根拠事実】(信義則違反を基礎づける事実)ⓐ YによるXに対する債務の一部弁済ⓑ Xは、貸金業法の規定を遵守して取り立てにあたっていた。【評価障害事実】(信義則違反の評価を妨げる事実)ⓓ Yは、生活困窮の状況にあった。ⓔ Yに、Xを欺罔するなどの悪質な意図はなかった。ⓕ Xは、Yとの交渉の過程で、本件債務について消滅時効が完成していることを知ったのにもかかわらずYに説明しなかった。ⓖ Xは、時効の援用を阻止する目的で、Yに対して強圧的言辞を用い、分割弁済である旨を言明して一部の弁済をさせた。ⓗ Xは、Yに恐喝心を抱かせるような言動をした。ⓘ Yは、1万円を支払った後は一切支払っておらず、Yには本件債務を任意に履行する意思はなかった。信義則違反の成否は、評価根拠事実と評価障害事実の総合判断によって決まる。総合判断の枠組みとして、ⓐⓑにプラスのポイントを、ⓓ~ⓘにマイナスのポイントを与え、ⓐ~ⓒの和が一定のポイント以上であれば信義則違反を認める、というモデルが考えられる。しかし数値化は現実的でないので、実際には類似の先例の判断を基点として、それとの比較により結論が導かれる場合が多いと思われる。また、先例がなければ、最終的には裁判官の自由裁量に委ねるしかない。なお、主張された評価根拠事実だけで信義則違反を根拠づけることができない場合は、主張自体失当であるから、評価根拠事実・評価障害事実の立証や総合判断は不要となる。民法1条2項は、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」と規定する。これを信義誠実の原則(信義則)と呼ぶ。法解釈方法論の観点からは、信義則の機能について、本来的機能と技術的機能を区別することが重要である。●関連問題●(1) 本問において、督促状を受け取ったYが、Xに電話をかけることなく、Xが指定した銀行口座に1万円を振り込んだ場合はどうか。(2) 本問において、Yが、Xの指定した銀行口座に1万円を振り込む際、本件債務の消滅時効の完成を知っていた場合はどうか。(3) 関連問題(1)(2)において、2032年の時点で、Yが被後見人であった場合はどうか。●参考文献●広中俊雄「民法第1条の機能」法教109号(1989)10頁遠藤賢治・百選Ⅰ[第9版](2019)96頁(参考判例②解説)石松稔・岡山商大論叢34巻2号(1998)1頁
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
時効の完成猶予・更新
2025/09/03
Aは友人Bに、2025年1月10日、200万円を年利10パーセント、1年後に元利一括で返済するということで貸し付けた(甲債権)。同年3月10日、Aは再びBに頼まれ、300万円を同一条件で貸し付けた(乙債権)。さらに、Aは、同年4月10日、当時交際中のCに頼まれ、CがBに400万円を1年後に返済するということで、無利子で貸し付けた(丙債権)。以下の場面において、Aの請求は認められるか。現時点は、2035年7月とする。(1) Aは、Bから生活が苦しいと聞かされていたこともあり、長らく返済の催促をしてこなかったが、ついに、2030年11月、甲債権と乙債権の元本合計500万円と利息の返済を求める訴えを提起した。同年12月15日、Bに訴状が送達された。それを読んだBから、2031年4月21日、Aの銀行口座に100万円が振り込まれたが、以後Bからの連絡は何もない。そこで、AはBに対して、同年6月10日、残金の支払を求めて訴えを提起したところ、口頭弁論期日(同年7月28日)においてBは消滅時効を援用してAの請求棄却の判決を求めた。(2) Aは長らくDに返済を求めることはしなかったが、Cと別れたのを機に、強くDに返済を求めた。これに対し、DはAに対し、2030年8月10日、丙債権の不存在確認の訴えを提起し、すでにCがDに代わって全額返済していると主張したが、同年11月12日、D敗訴の判決が確定した。そこで、AがDに対して、2031年5月5日、丙債権の履行を求めて訴えを提起したところ、Dは消滅時効を援用してAの請求棄却の判決を求めた。●解説●1 時効の完成猶予と更新事由2017年改正前民法は、権利行使により時効の完成が妨げられるという効力と、それまでに進行した時効がまったく効力を失い、新たな時効が進行を始めるという効力(2017年改正前民法157条参照)を、いずれも「中断」という同一の用語で表現していたため(同民法147条1号・2号・149条以下参照)、このことが時効制度を難解にしている一因であると考えられた。そこで、民法は、両者の概念を区別し、時効の完成が妨げられるという効力を持つ時の「完成猶予」、新たな時効が進行を始めるという効力を持つ時の「更新」という言葉を用いて再構築した(ただし、占有の中止等により取得時効の進行が止まることについては、民法改正の前後で変更はなく、「中断」と呼んでいる(164条))。すなわち、民法は、裁判上の請求や強制執行などの一定の権利行使があると時効の完成を猶予している(147条1項・148条1項)。そして、それらの猶予事由が終了した時(裁判上の請求などの場合は「確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定した」とき)から、新たに(つまり、ゼロから)その進行を始める(147条2項・148条2項)。なお、権利行使なくとも時効の完成猶予由となる催告については更新の効力がなく(149条参照)、催告の時から6か月は完成猶予するのみである(150条参照)。また、権利の承認がなされると同時に(完成猶予という時間的経過を経ることなく)更新の効力が生じる(152条)。なお、これらの効力は、2017年改正民法の施行日であった2020年4月1日以後に時効の完成猶予事由・更新事由が生じた場合に認められる(附則10条2項)。2 一部弁済と時効の更新債務の消滅時効は、「債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき」、または、「権利を行使することができる時から10年間行使しないとき」に完成する(166条1項1号・2号)。そうすると、Aは丙債権について、弁済期を定めて貸し付けているので、弁済期には権利を行使することができることを知っていたといえる。したがって、甲債権・乙債権・丙債権の消滅時効は、完成猶予・更新がなければ弁済期(貸付から1年後)の翌日から進行して10年(本問より初は算入されないので〔民法72条の2第3号の反対解釈〕についての判例を示した最判昭37・10・19民集36巻10号2163頁がある)5年(甲債権は2031年1月10日、乙債権は同年3月10日、丙債権は同年4月10日)の経過により完成する。しかし、甲債権・乙債権については、AがBに対して訴えの提起(150条1項)をしているので、手続がBに到達(被告は訴状の送達であるが、民法97条1項が類推適用される)してから6か月(2031年5月15日)が経過するまでは完成しない。そうすると、Aから甲乙両債権の支払を催告されたBは、当初の時効期間満了後ではあるが催告後6か月以内である2031年4月21日、いずれか一方の債権の存在を特に否定することなく一部(100万円)弁済しているので、甲乙両債権を承認したことになり、甲乙両債権の消滅時効は更新されたことになる(152条1項)。新たに5年(166条1項1号)の消滅時効が進行するが、完成前の2031年6月10日にAは訴えを提起しているので、Aの請求は認められる。なお、Bは100万円を振り込むに際し甲債権と乙債権のいずれに充当されるものであるか指定しておらず、Aも同意済であるので、法定充当され(弁済期が先に到来した甲債権の一部(利息)が弁済されたことになる(488条4項3号・489条1項・2項))。3 反訴と時効の完成猶予・更新民法147条1項1号は裁判上の請求を時効の完成猶予・更新事由としており、訴えの提起(民訴133条1項・147条)がこれに当たる。被告が原告の請求棄却の判決を求めて応訴することは、訴えの提起そのものではないが、判例は、これに時効の中断(完成猶予・更新)の効力を認めていた。たとえば、④債務者から提起された債務不存在確認訴訟の被告として債権者が債権の存在を主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(大判昭和14・3・22民集18巻298頁)、⑤抵当権者が債務者である抵当権設定者から提起された抵当権設定登記抹消登記請求訴訟の被告として被担保債権の存在を主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(参考判例①)、⑥占有者から提起された移転登記手続請求訴訟の被告として所有者が自己に所有権のあることを主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(最判昭43・11・13民集22巻12号2501頁)には、裁判上の請求に準じて時効の中断(⑤では取得時効)の中断(完成猶予・更新)が認められるとしていた。この判例に考えによれば、小問において、丙債権の消滅時効は2031年4月10日に完成するところ、完成前に提起されたDの債務不存在確認の訴えに応訴しD敗訴の判決が確定したので、丙債権の消滅時効は更新されて2030年11月12日から新たに10年(169条1項)の消滅時効が進行している(147条2項)ことになりそうである。したがって、このように解するときは消滅時効は完成していないのでAの請求は認められる。なお、判例は、裁判上の催告という考え方も認めている。たとえば、所有権に基づく返還請求の訴えにおける被告が占有権原を主張した場合には、賃借権を主張した時点から判決が確定するまでの間は被担保債権について催告が継続していたものとして、判決確定から6か月以内に裁判上の請求等により時効の完成猶予・更新につなげることができる(参考判例③)としており、学説も一般的には支持している。しかし、上記の訴訟で権利を主張すれば確定まで所持者が所有権を確保できると考えるのが普通であろうとして、権利承認がなされると同時に(完成猶予という時間的経過を経ることなく)更新の効力が生じる(152条)、なお、これらの効力は、2017年改正民法の施行日であった2020年4月1日以後に時効の完成猶予事由・更新事由が生じた場合に認められる(附則10条2項)。4 時効の援用権者・更新の効力の及ぶ範囲時効の援用権者について、民法は「当事者」としている。そして、消滅時効については、援用権者の具体例として、判例・学説に異論のない、保証人、物上保証人、後順位抵当権を挙げたうえで、一般的基準として「権利の消滅について正当な利益を有する者」としている(145条)。後述の発展問題では、Fは、物上保証人であるから、被担保債権である丁債権の消滅時効が完成していれば、これを援用して抵当権の実行を阻止できる。しかし、債務者Eの一部弁済(民法152条1項の承認に当たる)により丁債権の消滅時効は更新されている。そうすると、Fは丁債権の消滅時効を援用できなくなりそうである。ところが、民法153条2項は、承認による時効の更新は更新の事由が生じた「当事者」(更新行為をした者とその相手方)と「その承継人」(当事者から更新の効果を受ける権利または義務を承継した者)の間においてだけすると規定しているため、丁債権の時効更新の効力を主張できる(あるいは、主張される)のは、AとE、丁債権の譲受人などに限定され、「当事者」にも「その承継人」にも当たらないFは丁債権の消滅時効を援用できるようにもみえる。判例は、物上保証人が債務者の承認により被担保債権について生じた消滅時効の更新の効力を否定することは、担保権の付合性に抵触し、民法396条の趣旨にも反し許されないとしている(参考判例①)。学説には、民法153条は、時効完成の猶予・更新の効力を主張できる者の範囲(人的範囲)を規定したものではなく、特定財産の猶予・更新が生じた当事者間で進行していた時効だけが猶予・更新するということを規定したものであるとするものがあるが、この説では、丁債権の消滅時効は更新されたため完成していないので、Fは援用できないということになる。なお、債務者が自己の不動産に設定した抵当権の抵当権債務者(抵当権者)が申し立てると被担保債権の消滅時効の完成は猶予され更新される(148条1項2号・2項)が、物上保証の場合は第三者が自己の不動産に抵当権を設定しているため、民法154条が適用されると解されている。すなわち、物上保証の場合に債権者が抵当権の実行を申し立てることは、競売開始決定の正本が債務者に送達された時に時効の開始があったものとし(最判昭和50・11・21民集29巻10号1537頁)、その時点で猶予・更新の効力が生じるとされている(最判平成6・7・12民集50巻7号1901頁)。●発展問題●AのEに対する1000万円の債権(丁債権)を担保するため、FはEに頼まれて自己の不動産に抵当権を設定した。丁債権の弁済期は、2024年8月7日である。Eは2029年7月10日に300万円を返済したのみで、以後支払はない。そこで、Aが2031年3月5日、抵当権の実行の申立てをしたところ、Fは丁債権の消滅時効を援用して抵当権の実行を阻止しようとした。Fは、Eの300万円の返済により丁債権の消滅時効が更新されても、自分との関係では更新されたことにはならないと主張している。Aの抵当権の実行は認められるか。●参考文献●講義26頁〔中田裕康〕/ 野田宏・最判解昭和44年度(下)862頁 / 阿久三郎「時効制度の構造と解釈」(有斐閣・2011)1頁・141頁・181頁・244頁
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
賃借権の取得時効
2025/09/03
Xは、2002年当時、甲土地を所有し、X名義の移転登記を具備していた。2002年4月1日、甲土地について何ら権原を有さず、かつXから賃貸のための権限を与えられていないAが賃貸人となり、甲土地につき賃借人Yとの間で賃貸借契約を締結した。その契約に基づき、YはAに直ちに敷金を渡して乙建物を建築し、Y名義で乙建物について保存登記をした。その後、Yは賃借人Aに対し賃料を支払いつつ甲土地を継続的に占有し、2024年4月時点で引き続きYが甲土地を占有している。2024年4月頃、Xは、Yが甲土地に乙建物を所有し、甲土地を占有していることに気づき、Yに対し立退きを求めたが、Yは、甲土地をAから賃借しているとして拒絶した。その後、X-Yは、それぞれAから事情を聞こうとしたが、その直前にAは行方不明となった。Yはやむを得ず、甲土地の賃料を供託しつつ、甲土地の占有を継続した。2024年10月1日、Xは、Yに対し建物収去と土地明渡しを求めて訴えを提起した。これに対し、Yは、どのような反論が可能か。●参考判例●① 最判昭43・10・1民集22巻10号2145頁② 最判昭62・6・5判時1260号7頁③ 最判平23・1・21判時2105号9頁●解説●1 賃借権の取得時効(1)「財産権」としての賃借権と取得時効民法163条は「所有権以外の財産権を、自己のためにする意思をもって、平穏に、かつ、公然と行使する者は、前条の区別に従い20年又は10年を経過した後、その権利を取得する」と規定する。また、ここに引用される「前条」である同法162条1項は20年間の占有継続による所有権取得を、同条2項は占有の開始の時に「善意であり、かつ、過失がなかったとき」の10年間の占有継続による所有権取得を要する。したがって、所有権以外の財産権は、占有開始時の主観による区別に従い、20年または10年間、自己のためにする意思をもって、平穏に、かつ公然と行使されることにより、時効取得されうることになる。財産権は財産上の私権であり、親族権、人格権、社員権などと対置される。財産権の主要なものは、物権、債権、無体財産権である。民法典に「債権」として規定される賃借権は「財産権」である。そこで、民法163条の文言を形式的に適用すれば、賃借権は取得時効の対象となることになる。(2)「債権」としての賃借権と取得時効「債権」は形式的に「財産権」であるけれども、取得時効の目的となるかについては、若干の議論がある。たとえば、他人にお金を貸したとして継続的にその返還を請求し続ければ、それによって金銭消費貸借上の金銭返還請求権を時効によって取得するというのにはなんら実体性を欠く。このような債権の時効取得は認められない。しかし、賃借権のように占有(継続的な使用・収益)を権利の内容とするような債権は、占有を基礎として時効取得が認められる所有権や、継続的履行行為を基礎として時効取得が認められる地役権(283条参照)と対比上、さらには賃借権化した不動産権についてもはや特に(ただし、「物権化」は、取得時効の可否とは無関係という反論がある)、取得時効を認めるべきだという結論には異論がない。ただし、以下にみるように賃借権の取得時効には理論的な問題があり、契約上の地位の取得時効、あるいは債権者側関係の取得といった質の法律構成にようとするものがあるほか、事実的契約関係論を背景に賃借権契約の存在の認定を省略し、取得時効を論ずるまでもないとする見解も主張されている。判例は、理由を述べることなく「土地賃借権の時効取得については、土地の継続的な用益という外形的客観的な事実が存在し、かつ、それが賃借の意思に基づくことが客観的に表現されているときは、民法163条に基いて土地賃借権の時効取得が可能であると解するのが相当である」(参考判例①。ただし、破棄差戻判決)とし、一般論として土地賃借権の時効取得を可能として以来、一貫してこれを肯定する。学説は、不動産賃借権の取得時効を論ずるけれども、実際上、裁判所で問題となるものは、土地賃借権のみである。もっとも、判例は、「土地の継続的な使用収益という外形的客観的な事実が存在し、かつ、その使用収益が土地の借主としての権利の行使の意思に基づくものであることが客観的に表現されている」場合に、土地の使用借権の時効取得を認める(最判昭48・4・13民集109号93頁。ただし、事実審としては否定)。他方で、学説では、使用貸借権の物権的色彩がうすいことを強調して時効取得を肯定するものがあるもののまだ十分な議論はない。(3) 類型化とそれぞれの機能判例が示した要件のうち「賃借の意思に基づくことが客観的に表現されているとき」とはどういう場合かが議論の中心となった。その際、土地賃借権の取得時効に多様なものが存在することが認識され、類型化して検討することが通常となった。類型化の基準には論者によって相違がある。論じられている類型を単純並列的に挙げれば、①賃借権の時効三者対抗型(参考判例③)、②賃貸借契約対象範囲・効果紛争型(参考判例③)、③無断転貸型(最判昭44・7・8民集23巻8号1274頁、最判昭62・10・8民集41巻7号1445頁)、④無断譲渡型(最判昭53・12・14民集32巻9号1658頁)、⑤賃貸借契約無効(強力保護信託)型(最判昭63・2・18民集26巻3号261頁、最判平16・7・13判時1871号76頁)、⑥他人地賃貸型(参考判例②)、⑦代理権欠缺型(最判昭52・9・29判時866号127頁)の類型がある(それぞれの類型がどのような事案を射程とするものかは、それぞれの引用判例を確認していただきたい)。それぞれの類型では賃借権の取得時効の機能とその有無を観念することができ、④型:対抗要件補充機能なし、⑤型:契約内容明確化機能あり、⑥型:承諾補充機能あり、⑦型:原承諾補充機能あり、⑧型:瑕疵治癒機能あり、⑨型:権原治癒機能あり、⑩型:権原回復機能あり、にまとめうることができよう。2 無権原者による土地賃貸 (他人地賃貸型) の問題点: 土地所有者への義務の帰属上にみたした類型の甲で理論的に最も難問な問題が生ずるのが、土地の所有者でない者(無権原者)が自己の所有権として賃貸し、賃借した者が賃借権の取得時効の要件を満たし、その主張をした場合である(他人地賃貸型)。判例は、参考判例①が示した一般論に従い、他人地賃貸に類する参考判例②において土地賃借権の時効取得を認めた。ところが、参考判例①は、参考判例①を引用して「土地の所有者に対する関係において」土地の賃借権を時効取得すると述べるのであり、理由を示さない。判例が実質的かつ説得的な理由を示さないことも相まって、この類型の存在自体がそもそも賃借権の取得時効を肯定すべきとする学説を基礎づける大きな理由の1つとなっている。この点については、判例は、民法163条の文言解釈および結論の妥当性(土地賃借権の時効取得を認めることの必要性)を重視しているといえようか。この類型の要件に関する課題として、「賃借意思の客観的表現」が誰に向けられるべきかという問題がある。大多数の見解は、貸主たる無権原者に対するもので足り、土地所有者に向けられる必要はないとしている。他方、効果に関する問題として、賃借権が最終的には土地所有者に対するものとなることを前提として、いかにして土地所有者が賃貸人としての義務を負うことになるのかという問題がある。この問題については、従来、ほとんど論じられていない。数少ない議論をあえて整理すれば、次のようになる。まず、そもそも誰に対する賃借権が取得されるのかという点から、①土地所有者に対して取得されるというものと、②いったん無権原者に対して取得された賃借権が土地所有者に対するものに移転するというものに分けられる。①をさらに、③土地所有者に対する賃借権の取得により土地所有者が当然に義務を負うとするものと、④土地所有者からの契約関係が承認されるとするものがある。また、②はさらに、⑤あたかも無権原者から土地所有者に土地所有権が移転するのかのように扱い、その所有権移転に伴って賃貸人の地位が無権原者から土地所有者へ移転するとするものと、⑥⑦所有権の移転は問題とせず、無権原者から土地所有者へ賃貸人の地位が移転するとするものがある。⑥⑦については、賃借人側の要件のみにより認められる賃借権の取得によって、それを無権原者と土地所有者がなぜ義務を負うのか、という問題がある。⑥⑦については、賃貸意思のない土地所有者との関係で賃貸借契約関係を承認できるか、という問題がある。⑥⑦については、そもそも土地所有権のない無権原者からの所有権移転を擬制できるかという問題がある。⑥⑦については、なぜ賃貸人の地位が無権原者から土地所有者へ移転するのかを説明しなければならないという問題がある。以上の問題点を理論的に解決することは、かなりの難問である。先にみたように、この問題を回避するため、そもそも賃借権の時効取得を否定し、別の法律構成を示唆する見解もある。ただ、賃借権の取得時効を認めることは確定した判例であり、これを踏まえると、判例を理解するうえで、賃借権の時効取得を認めることを前提とした理論構成が必要になろう。他人地賃貸型の土地賃借権の時効取得により土地所有者に義務を負わせるための理論的課題については、ある程度割り切り、民法典の債権編に規定されるもの以外にも債権発生原因を承認することを前提に「賃借権の時効取得により時効取得者と土地所有者の間で賃貸借契約が締結されたとみなす」という法定効果が生ずるとする構成もありかもしれない(まったく法状況および法感性が異なり、類推はもちろん参考にも値しないという批判もあろうが、仮登記担保法10条の法定地上権(法定賃借権)の効果を「借用」できないだろうか。同条の効果は「土地の賃借権がされたものとみなす」である。)。●関連問題●2002年2月1日、Xは、Aとの間で、Xが所有する甲土地について建物所有を目的としてAに対し賃貸する契約を締結した。ところが、直後にAは、子どもの通学の関係で近隣に引っ越すことになった。Aは、甲土地の借地権を失うより、有効に活用したいと考え、Xに相談したまま、2002年4月1日、Yとの間で甲土地について転貸借契約を締結した。当然、乙の転貸借について、Xは承諾していなかった。Yは、転貸借契約に基づき甲土地に乙建物を建築し、2002年10月1日、乙建物について保存登記をした。その後、Yは、甲土地を継続的に占有するとともに、Aに対し転借賃料を継続的に支払い、またAは、Xに対し賃料を継続的に支払ってきた。2024年4月頃、Xは、Yが甲土地上の乙建物に居住していることに気づき、Yに事情を聞いたところ、Xの承諾なくYがAから無断で甲土地を転借し甲土地上に乙建物を所有していることが判明した。XはYに対し甲土地の明渡しを求めた。が、Yが拒絶するので、2024年10月1日、Xは、無断転貸を理由としてX・A間の賃貸借契約を解除したと主張するとともに、Yに対し、建物収去土地明渡しを求めて訴えを提起した。これに対し、Yはどのような反論が可能か。●参考文献●可部問雄・最判解民事篇昭和43年度 1179頁 / 奥村長生・最判解民事篇昭和44年度473頁 / 大久保邦彦・百選196頁(尾島茂)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
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無権代理と相続
2025/09/03
A (57歳) は甲土地を所有しており、登記上、その所有名義人となっていた。Aの配偶者はすでに死亡しており、子としては、その配偶者との間に配偶者が死亡しており、子としては、その配偶者との間にもうけたB (28歳)、C (25歳) の2人がいる。Bは1人暮らしをしている。CはAと同居し、A宅から勤務先に通っている。Cには配偶者はなく、子や孫もいない。2024年12月1日に、Cは、Xとの間で、甲土地をXが購入し、代金1000万円の支払と引換えに2025年4月1日に所有権移転登記をする旨の契約を結んだ。この売買契約の際に、Cは、甲土地を売却する権限をAがCに与える旨が記載された委任状、甲土地の登記識別情報通知の紙、Aの実印および印鑑登録証書をAに示し、Aの代理人としてのふりをした。しかし、上記のうち、委任状はAに無断でCが作成したものであり、また登記識別情報通知の紙および実印は、A宅の金庫に保管されていたものをCがAに無断で持ち出したものであり、印鑑登録証明書も、A宅のタンスに保管されていたAの印鑑登録カードを用いて、Cが市役所でAに無断で交付を受けたものであった。なお、AがCに代理権を与えたことは一度もない。(1) 2024年12月10日にCは交通事故に遭い、同月15日に無遺言で死亡した。AはCの死を看取った。現在 (2025年4月10日とする) に至るまで、Cの相続については、相続放棄も限定承認もしていない。Xは、2025年4月1日に、Aに対して、代金1000万円を提供して、甲土地の所有権移転登記をするよう裁判外で申し入れた。Aはこの間に初めて、上記売買の事実を知ったところ、Xの上記申入れを拒絶した。XがAに対して甲土地の所有権移転登記手続を請求した場合に、請求は認められるか。(2) 小問(1)の設定を変えて、2024年12月10日にCは交通事故に遭ったのはAであったとする。すなわち、Aは同月15日に無遺言で死亡し、BとCはAの死を看取った。Aは、死亡するまで上記売買の事実を知ることはなかった。現在 (2025年4月10日とする) に至るまで、Aの相続について、BとCのいずれも、相続放棄も限定承認もしていない。B・C間での遺産分割協議の結果、甲土地はBが取得する旨合意され、2025年3月25日に甲土地につきBへの所有権移転登記がされた。Xは同年4月1日に、Bに対して、代金1000万円を提供して、甲土地の所有権移転登記をするよう裁判外で申し入れた。BはCの時に初めて、上記売買の事実を知ったところ、Xの上記申入れを拒絶した。XがBに対して甲土地の所有権移転登記手続を請求した場合に、請求は認められるか。参考判例① 最判昭和37・4・20民集16巻4号955頁② 最判昭和48・7・3民集27巻7号751頁③ 最判昭和49・9・4民集28巻6号1169頁④ 最判昭和40・6・18民集19巻4号986頁⑤ 最判平成5・1・21民集47巻1号265頁解説相続関係の確認小問(1)では、Cには配偶者はおらず、子や孫もいないため、Cの相続人となるのは親Aだけであり、AはCの相続人となる(889条1項)。また、小問(2)では、Aの相続人となるのは、子BおよびCであり(887条1項)、法定相続分は各2分の1である(900条4号)。小問(1) (2)のいずれにおいても、いわゆる熟慮期間(915条1項)は、被相続人の死亡の事実およびそれにより自分が相続人となることを知った2024年12月15日から起算され、その時から3か月以内に、相続放棄も限定承認もされていないので、相続人は単純承認したものとみなされる(921条2号)。単純承認により、被相続人が負っていた権利義務をそのまま承継する(896条・920条)。小問(1)について(1) 売買契約に基づく請求Cは、Aの代理人であることを示して(顕名、99条)、Xと売買契約を締結したが、Cは本人Aから事前に「権限」(99条、代理権のこと)を与えられていなかった。このとき、Cが結んだ売買契約は無権代理行為であり、その効力は、原則として本人Aには及ばない(113条1項)。しかし、本人AがCの無権代理行為を追認すれば、売買契約の効力が本人Aに及ぶため(113条1項)、Xは売買契約の履行を請求として、甲土地の所有権移転登記手続をAに請求することができる。もっとも、小問(1)では、Xの裁判外での甲土地を拒絶している。Cの行為は、Cの無権代理行為につきAが追認を拒絶した行為として解釈される。追認がなくとも、表見代理が成立すれば、本人は、無権代理人がした行為について「責任を負う」(109条1項などの表現)、つまりCに代理権があったのと同じように扱われるため、Xは、甲土地の所有権移転登記手続をAに請求することができる。もっとも、本問では、本人がAに代理権を与えた旨を表示した行為をまったくしていないから、民法109条の表見代理は成り立たない。また、AがCに代理権を与えたことは一度もないというのであるから、民法110条の表見代理も112条の表見代理も成り立たない。よって、本問では、表見代理はおよびそうにない。関連して、次のような主張が考えられる。すなわち、無権代理人の地位と本人がAにおいて融合したことをもって、本人Aにおいて融合したこととみると、売買契約の効力は当然にAに及ぶことになると。(融合ないし資格融合説と呼ばれる)。Aが単純承認をすれば、本人Aが単純承認をしたという事例(無権代理人相続型)に関する最高裁判例で採用された。しかし、小問(1)は、本人が無権代理人を相続したという事例(本人相続型、相続はこれに当たる)において、無権代理人が勝手にした行為が本人に当然に帰属するという姿でない結果を招来し(判例は、3(1)で述べるように、無権代理人が無権代理人でない者と共同で本人を相続するという事例(無権代理人の共同相続、本問はこれにあたる。)において、そのような適用を否定しない趣旨と解されるものが多く、この適用を限定して無権代理人が相続しても、本人Aの資格において追認拒絶しても、本人として無権代理行為の追認拒絶ができる配慮的である(資格併存説)。そして、資格併存説によれば、小問(1)では、無権代理行為をしたつき、AがDのとおりに本人Aの資格において追認拒絶している。Aのこの追認拒絶は有効となり、何の信義則にも反しないと解される(参考判例①)、すると、⑥の主張は成り立たないことになる。(2) 民法117条に基づく請求もし、小問(1)で民法117条の責任の成立要件が満たされるのであれば、Xは、同条に基づき無権代理人Cが負うべき責任を、それを相続によって承継したAに対して追及することができる(参考判例②)。そして、Xは、(1)の請求ができない場合でも、同条の責任を追及して銀行のほうを尽くせば、Aは甲土地の所有権の移転を請求(560条)を選択すれば、Xは甲土地の所有権の移転を請求することができる。しかし、仮に小問(3)で民法117条の責任の成立要件が満たされているとしても、本人はAに代わらずに、②において甲土地の自分はどうにか自由履行をAに返還することができる。しかし、その履行責任を負うのは、Cの相続について単独相続しているはずだから、Cが負うべき責任をそのまま承継したにすぎず、したがって、CがAとの間で選択した場合は履行義務を負われることになるが、ほとんどすべきではない。という考え方もある。成り立ち得ない場合には、ほとんどすべきではない。(1)で追認を拒絶する自由をAに与えた趣旨からすると、(2)において、仮に同条の責任の成立要件が満たされていたとしても、XはAに損害賠償責任を追及できるにとどまり、履行責任のほうは追及できないと考えている(このことの論拠として、他人の物を売却する契約をした売主が、PがQを相続した、という本人相続型とよく似た事例において、原則としてPはQからの履行請求を拒絶できるとした参考判例⑤が、しばしば援用される)。後者の見解にたつと、仮に民法117条の責任の成立要件が満たされていたとしても、Aは、甲土地の所有権移転登記をXに履行させる義務を負うことはないため、XのAに対する請求は認められない。(3) 補足小問(1)の解答は必要ないが、2点補足しておく。第1に、民法117条の責任が成立するためには、売買契約の当時に、Cに代理権がないことについてXが知らなかったことが必要である(117条2項1号。なお、同項ただし書の場合には、小問(1)では、Cは自己に代理権がないことを知りつつDの行為をしたので、相手方Xが、Cに代理権がないことにつき善意であれば、同条の責任は成立する)。第2に、小問(1)で、甲土地ではなく金銭を請求したいだけであれば、民法117条の責任が成立しない場合であっても、Xは、代理権がないことを知りつつ代理人としてふるまったCが負うべき不法行為責任(709条)を、Cの包括承継によって相続したAに追及することが可能である。もっとも、民法117条の責任の場合には、履行利益の賠償の請求が認められるのに対して、不法行為責任の場合には、履行利益の賠償は請求できないことになろう。また、不法行為責任の場合には、一般論としては、賠償額の算定にあたり、被害者であるXの過失が考慮される(722条2項)。もっとも、小問(1)においては、Cは故意の不法行為を犯しているので、過失相殺の主張は認めがたいと考えられる。小問(2)について(1) 売買契約に基づく請求(2)でみたように、本問では、Cは無権代理人であり、Cが結んできた売買契約の効果は原則として本人Aに及ばない。しかし、仮に追認があって売買契約の効果が例外的に本人に及ぶこと(113条1項)、本人はA、甲土地の所有権の登記をXに備えさせる義務(560条)を、売買契約の当事者でもないBに負っている(116条本文)。Aの遺産は相続分に応じてBとCが共有するが、この遺産は相続分に応じてBとCがAを相続すること、XはBとCのいずれに対しても、登記の全部の履行を請求することができる(428条・436条)。なお、この結論は、被相続人が成立した代理権があったのと同じように、本問では無権代理行為であっても、BとCはいわば過失によってその行為を追認したことに帰し、これは2(1)で述べたように、本問では無権代理行為の効果は相続分はないので、これ以上は述べないことにし、追認を巡る状況に。小問(2)で、Aは無権代理行為をしたことを知らないうちに、したがってそれにについて追認するか追認拒絶するかを選択すべき地位にあることを意識しないうちに、死亡した。Aの権利義務を包括的に承継したBの相続人が、Aに代わって、追認するか追認拒絶するかを決めるべき地位にたつ。仮に小問(2)で、Aの相続人が、無権代理行為をした本人であるだけであったとしたら、この場合、結論として、売買契約の効果はBに及ぶので、遺産分割は認められない。しかし、2(1)で論じたように、共同相続の場合に立つ場合とで、その結論の法的構成が異なる。すなわち、Cは、本人として無権代理行為につきBが追認を拒絶した行為として行動したのであるから、BとCの共同相続により、相続人Aから承継した地位は一体としてBとCに帰属する。当事者の地位はCにおいて融合しており、その間の法律関係は相続により、当然に売買契約の効果はAに及ぶので、Aの相続分に応じて、Cの相続分はA=Cにおいて、このような説明をしている。しかし、参考判例によれば、無権代理行為との関係で、相続によりAから承継した本人としての地位は、Cにおいて併存し、小問(1)と同様に、Cは追認拒絶することも妨げられないはずである。しかし、無権代理行為をした当人であるCが本人としての地位で追認を拒絶することは、信義則に許されるべきでない。したがって、Cは追認したものと同視することができ、そうすると売買契約の効果は本人Aに、ひいてはAを相続したCに、及ぶこととなる。以上は、無権代理人が単独相続についての議論であるが、では、無権代理人が共同相続についてはどうか。資格融合説によるとどのような帰結になるのかは、はっきりしない。これに対して、資格併存説からは、次のように説明される。すなわち、追認するか追認拒絶するかを決めるべき本人Aの地位は、共同相続により、不可分的にBおよびCに承継される。そして、無権代理行為の追認は、本人に対して効力を生じていなかった法律行為を本人に対する関係で有効なものにするという効果を生じさせるものであるから、BとCが共同して追認しない限り、その法律行為の効果が本人Aに及ぶことはない(参考判例③)。したがって、一方で、Bが追認拒絶すれば、BとCの全体として追認拒絶したことになる。他方で、Bが追認している場合にそれににもかかわらず無権代理行為をした当人であるCだけが追認を拒絶することは、信義則に反し許されず(参考判例③の結論)、したがって、Bの追認さえ得られれば、BとCの全体として追認したのと同じことになる。以上によれば、小問(2)で、追認があったことを理由として、甲土地の所有権移転登記手続をBに請求できるためには、BがCの無権代理行為を追認する必要がある。しかし、小問(2)では、BはXの裁判外での申入れを拒絶しており、この行為は、Cの無権代理行為につきBが追認を拒絶した行為として解釈されるので、結局、Xの請求は認められないことになる。(2) 民法117条に基づく請求(1)でみたように、BがCの無権代理行為について追認拒絶すると、BとCの全体として追認を拒絶したことになる。この場合、Xは、(2)と同様にして、民法117条の責任を追及し、その際に履行のほうを選択することによって、甲土地の所有権移転登記手続を請求することが考えられる。しかし、小問(2)で、仮に民法117条の責任が成立するとしても(2(3)の第1も参照)、その責任を負うのは無権代理人Cであって、Bではないため、Bに対する移転登記手続の請求の根拠にはならない。なお、仮にCに対して民法117条に基づき履行責任を追及したとしても、甲土地は現在、B・C間の遺産分割協議によってBに分割され、Bへの所有権移転登記がなされている。そのため、CがXへの履行義務を果たすためには、その前提として、甲土地をBから調達する必要がある。それができない場合には、履行は社会観念上、不能である(412条の2)。そのため、Xとしてはせいぜい、Cから損害賠償を得ることで満足するしかないことになる。関連問題小問2の第2段落を次のように改めたとするとどうなるか。Bは2025年2月1日にXからの電話で上記売買の事実を知ったが、上記売買について追認を拒絶する旨ただちにXに伝えた。その後、B・C間での遺産分割協議の結果、甲土地はCが取得する旨が合意され、同年3月25日に甲土地につきCへの所有権移転登記がされた。Xは同年4月1日に、Cに対して、代金1000万円を提供して、甲土地の所有権の移転登記手続をするよう裁判外で申し入れたが、Cは上記申入れを拒絶した。XがCに対して甲土地の所有権移転登記手続を請求し上訴した場合に、請求は認められるか。参考文献前田陽一・百選Ⅰ 72頁 / 後藤巻則・百選Ⅰ 74頁 / 民法(債権法)改正検討委員会編『詳解 債権法改正の基本方針Ⅰ』291頁・312頁(金子敬明)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
表見代理
2025/09/03
2024年9月頃、Xは、X所有の甲土地(更地・時価2000万円)を担保にしてA銀行から500万円を借りる内諾を得ていた。その手続にXの印鑑証明書・実印・所得証明書が必要だったため、同月7日、Xは、勤務先のB社の社長Cに対し、事情を説明して所得証明書の交付を求めたところ、Cから「融資を受けるなら銀行よりも会社の公庫から借りたほうが金利が安いし、個人の手続よりも会社が手続したほうが早く借りられるから、代わって手続してあげよう」といわれたので、これに従うことにし、ただちにCに対し、Xに代わって甲土地を担保にして公庫から500万円の融資を受けることを委任し、Xの実印と印鑑証明書をCに交付した。他方、不動産業者であるYは、2024年9月14日、知人Eから、「B社の社長Cから従来に金を使うとする者がいて、甲土地を担保に1500万円貸してくれないかという話が持ち込まれているが、受けてくれないか」といわれ、「自分は金融業者ではないから金を貸すのはできない。ただし、買うのならよい」と返事したところ、EはYに「売買でよいが、買戻しの特約をつけてもらいたい」というので、同月23日、F司法書士事務所にY、C、Eが集まり、Xが甲土地を買戻特約付きでYに対し代金1500万円で売り渡すという旨の契約書を作成した。F司法書士とCに甲土地の登記手続を依頼することになり、同月24日、その登記がなされ、Yは甲土地の売買代金として1500万円をCに支払い、CはXに500万円を渡した。この場合、XはYに対して、甲土地の所有権移転登記の抹消登記手続を求めることができるか。参考判例大判昭和17・5・20民集21巻571頁最判昭和34・7・24民集13巻8号1176頁最判昭和35・12・27民集14巻14号3234頁最判昭和39・4・2民集18巻4号497頁意判昭和46・6・3民集25巻4号455頁解説Xの請求とYの反論本問では、XのYに対する所有権に基づく妨害排除請求権としての所有権移転登記抹消登記手続請求権の成否を検討することが求められている。この請求を斥けるために、Yとしては、甲土地の売買契約の効果がXに帰属することを主張する必要があるが、それを基礎づけるために表見代理構成を展開することが考えられる。(1) XがYに対し、所有権移転登記抹消登記手続を請求する場合、請求原因として、Xは次の事実を主張・立証する必要がある。Xが甲土地を所有していること甲土地についてY名義の所有権移転登記が存在することそれに対して、Yは、次の事実を主張・立証することにより、所有権喪失の抗弁を提出することができる。Xがその間で甲土地の売買契約を締結したことしかし本問では、Xは自身の売買契約締結のための意思表示をしておらず、CがYに対し売買契約締結のための意思表示をしており、Yは、③に代えて、次の事実を主張・立証する必要がある。CがXを代理してYとの間で売買契約を締結する旨の意思表示をしたこと(法律行為)その際、CがYとの間で売買契約を締結したこと(顕名)Cの契約効果がXに帰属するための代理権の授与(代理権の発生原因事実(任意代理人については代理権の授与行為))(4) しかし本問では、Cは、Xの甲土地売買契約のための代理権を有していない。そこでYとしては、Xの表見代理責任(110条)を追及することにより、Cの代理行為の効果がXに帰属することを主張することが考えられる。この場合、Yは、(3)に代えて、次の事実を主張・立証する必要がある。YがCのように信じたことについて「正当な理由」があることを前提とする具体的な事実(評価根拠事実)Cの当該法律行為以外のある特定の事項について代理権(基本代理権)の発生原因事実として、XがCに対し、Xに代わって甲土地を担保にして公庫から500万円の融資を受けることを委任したこと(5) それに対して、Xは、(4)の「正当な理由」の前提障害事実を主張・立証することにより、「正当な理由」はない、という再抗弁を提出することができる。Cの無権代理行為にXが拘束される理由問題の焦点は、本問が民法110条の要件(1/4)をどのように充足するか、あるいは、充足しないかにある。この問題の鍵を握るのは、Cの無権代理行為にXが拘束される理由である。Xが拘束される理由により、同条の法理の適用が異なってくるからである。表見代理の成立する場面のように異なったルールの適用をみせているのは、法ルールの背後には、それを支える法原理が見えている。法解釈学(ドグマーティク)は、特定の法制度に属する諸々の法ルール(制定法だけでなく判例をも含む)を正当化する法原理を探るのをその目的にもつ。その際、判例はひとまず正しいことを前提として法原理を希求すべきだが、それに失敗したときは、見出された法原理が他の法制度を支える法原理と矛盾する場合等には、法全体の統一性(インテグリティー)を確保するために、判例を批判してもよい。以下では、諸説の、制定法のルールの適用範囲が、それを支える法原理の違いによって異なりうることをしめし(1) 取引安全説伝統的通説は、民法110条の表見代理責任の根拠を取引安全に求める。その一方で、この説は、本人の静的安全を保障する最小限の要件として「基本代理権」の存在を要求するが、「基本代理権」が代理人の権限の外観の存在の根拠に資する代理権の範囲を画していない。その後、この説は、民法代理への適用の通説が肯定されている。(2) 表見法理説それに、近時の有力説は、表見代理を法理によって正当化する。民法代理では、権限を前提にして信頼を保護するという考え方であり、①外観の存在、②外観に対する信頼、③本人の帰責性に対しては、次の2点が問題となる。まず、問題の帰責性として、何が要求されるかである。基本代理権の授与を要求する説(基本代理権説)と、事実行為等の権限授与で足りるとする説(基本権限説)とが対立している。次に、判例は、積極的に要件のもとでの帰責性を顧慮する下での総合判断である。そのため、根拠規範には、「正当な理由」を相手方の善意・無過失の代替としてでなく(参考判例①)、③を「正当な理由」の相手方の善意・無過失との関連で判断していることもあるが(善意過失説)、実質的には「正当な理由」のもとで下で続けなくとも考慮しているという説もある(総合判断説)。民法117条2項2号における相手方の過失と表見代理における相手方の過失を判断する際、本人の帰責性を考慮して処理の成否を判定するために認定された相手方は、同号ただし書が適用されるという問題、無権代理人の責任(117条)も追及できなくなるという問題を生じる。法による場合は、本人が無責任意識の場合を考えることでその表見代理による場合は、本人が無責任意識の場合を考えることでその表見代理による場合は、民法代理によってその表見代理が適用されないことになる。もっとも、「利益の帰属」を本人に帰属する者が増える結果、本人が代理人の継続的使用により対外的関係において自己の能力の帰属元が利益を得ている場合には代理人の行為から生じる不利益も負担すべきあるという理由で、法定代理には同条の適用を認める余地はある。(3) 表示責任説近時、民法110条の表見代理責任を、本人が代理人を使って相手方に代理権授与表示をしたことによる表示責任と解し、同条を民法109条と同様の趣旨とみる説が有力に主張されている(なお、この説による場合には、1(4)で述べた主張・立証責任の所在が両正を受けるか)。代理権において本人への効果帰属を基礎づけるのは代理権だが、代理の相手方の関知することは困難であり、それを怠ると相手方に求めることは代理取引の障害となる。そこで民法は表見代理制度を設け、本人から相手方に対してなされる代理権授与(代理権限証明)の表示によっても、本人への効果帰属が基礎づけられるとした。代理権授与表示は、法律効果の発生を目的とするものではないから意思表示ではなく、本人と相手方との間の信頼関係形成の基礎にするものであり、果たす機能は意思表示とまったく同一だから、法的には意思表示と同等に扱われるべきなので、代理権授与表示には意思表示に関する諸準則が類推適用されるべきなのである。類推適用が問題となる準則として、まず、意思表示の成立要件のうち、表意者の表示意識の要請に関する準則を挙げうる。通説は表示意識不要説だが、表示意識が欠ける場合に意思表示の成立を肯定することによって、意思表示に関する準則を類推するならば、不要説からは代理権授与表示の成立が肯定されるが、必要説からは代理権授与表示は成立せず、本人が表見代理責任を否定される。次に、代理権授与表示が成立する場合にも、基本代理権と現実の代理行為との違いの程度の大きいときは、錯誤の規定(95条)を類推して代理権表示を取り消すことが考えられる。さらに本問では、代理権授与表示の詐欺による取消し(96条)の本題も問われることになる。なお、代理権授与表示の不成立や無効により本人の表見代理責任が否定される場合にも、過失ある本人は、相手方に対し、契約締結上の過失責任ないし不法行為責任を負う可能性がある。民法112条2項の新設判例(参考判例①等)は、代理権消滅後の表見代理について定める2017年改正前民法112条と110条の重畳適用を認めていたが、民法112条2項はその判例法理を明文化した。規定新設の趣旨は、民法109条2項と同じである(→本書132参照)。関連問題(1) 本問において、XがCに登記申請行為のための代理権を授与するに際し、実印と印鑑証明書を交付していた場合はどうか。(2) 本問において、XがCに印鑑証明書付申請の下部の代理権を授与する旨を口にし、実印を交付していた場合はどうか。(3) 本問において、成年被後見人Xの親族Aが見、後見監督人の同意を得ずに、Xを代理して甲土地をYに売却した場合はどうか。(4) 本問において、2024年9月22日にXが死亡し、Zが単独相続していた場合はどうか。参考文献川井健・銀行取引判例百選(新版)(1972)10頁(参考判例②の解説)/ 難波譲治・百選Ⅰ(初版)(1974)76頁(大久保拓也)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
表見代理
2025/09/03
Aは、知人のBに誘われて、2022年7月15日に、D骨董店で開催されている「陶磁器展」を訪れた。そこでは展示販売も行われており、購入された作品は、陶磁器展が終了した後に、代金と引換えで買主に引き渡されることになっていた。Bは、Aと一緒に会場を回っていたが、陶芸家のCが出品した大きな花瓶(販売価格8万円)の前で立ち止まり、次のような話をした。「Cは自分の知人で毎回出品しているが、今回売れないともう出品できなくなるかもしれない。そこで自分が買うことにしたが、そのことがCに伝わるとお節介かもしれないので、あなたが買ったことしてくれないか。代金は、もちろん自分が支払うから安心してほしい。」Aはその場で断って帰宅したが、後になってBから電話があり、「自分がもう一度店に行って代わりに入れておくから」と何度も頼まれた。Aは、曖昧な返事を続けたが、Bは「じゃあ、そうするから」といって電話を切った。翌7月16日、Bは、1人でDを再訪し、Aの名の下でCの製作した花瓶を購入する契約を締結した。Bが契約書にAの住所や電話番号をみずからずら書きで記入したので、Dの担当者はBが本人であると思い込んでいた。8月6日に陶磁器展が終了した後、Dから花瓶の引取りを求める電話があったので、AはBに連絡をとろうとしたが、AはBと連絡が取れなかった。そこで、Aは、DにBが購入したものなので代金はBに請求してほしいと告げたが、Dは、Aの名前で契約されていることを理由に代金の支払を請求してきた。これに対して、Aは、どのような反論をすることができるか。参考判例最判昭和35・10・21民集14巻12号2661頁最判平成7・11・30民集49巻9号2972頁最判昭和45・7・28民集24巻7号1203頁(関連問題)解説Dの請求:売買契約に基づく代金支払請求本問において、Dは、Aとの間で花瓶の売買契約が成立したことを前提として、売買契約に基づく代金支払請求をしているものと考えられる。これに対して、Aは、売買契約がDとBとの間で成立したものであり、Bに対して請求するように主張している。したがって、Dの請求が認められるためには、まずDとAとの間で売買契約が成立したといなければならない。売買契約は、当事者の一方(売主)がある財産権を相手方(買主)に移転することを約し、相手方(買主)が代金を支払うことを約することで成立する(555条)。すなわち、売買契約の成立要件は、財産権移転の合意(条文上は「約束」とされているが、最終的に双方がそれぞれの「約束」を受け入れて「合意」する必要がある)とその対価としての代金支払の合意である。そうなると、本問では、これらの2つの合意が誰と誰との間でなされたかということを、まず検討しなければならない。他人名義の契約の当事者本問では、Dとの間で実際に契約書を作成したのはBであるが、BはAの名で行っているため、契約自体はAが締結したことになっている(なお、契約は申込みと承諾の意思表示が合致すれば成立し(522条1項)、本問のような売買契約については、本来は契約書の作成は要求されない(同条2項)。仮に、Aが、Bの依頼を受け、Aの名で花瓶の売買契約を締結し、とりあえず代金をAが支払うつもりでいたのであれば、DとAとの間で売買契約が成立したと評価できるであろう。しかしながら、本問では、Aは花瓶の代金を負担するつもりはない。むしろ、Aとしては、Bが自分の名を手許にものと考えられる。逆に、BはAも自らが花瓶を購入するつもりであるし、仮にAの名で売買契約を締結したとしても、そもそも本人であるAのためにすることを示さずにした意思表示は自己のためにしたものとみなされるのであるから(100条本文)、実際にはDとBとの間で成立したと考えることもできよう(この場合には、Aという名は、いわばBの通称やペンネームと同様の形で用いられていると考えるとかわりやすいかもしれない)。いずれにせよ、契約名義はともかくとしても、Bが代金を支払って花瓶を引き取るのであれば、実際には何ら問題は生じない。ところが本問では、最終の段階になってBが行方をくらませてしまっているので、結果的には、Aがいくら契約の当事者Bだと主張しても、Dとの間の関係を清算するしかない。そこで、結局のところ、DとAとの間で契約が成立しているといえるかどうかを検討しなければならないことになる。名義利用許諾の有無と表見代理成立(109条1項)の可否本問では、Aは、自らが契約を締結したつもりはもちろんそうである。しかしながら、BからAの代わりに花瓶を購入するという提案を受け、それに明確な返事をしないままでいるうちに、Bが自らの提案どおりとする一方的に宣言し、実際にそのようにしてしまっている。この状況をどのように評価すればよいのであろうか。もし、Aが自ら花瓶を購入するつもりであってBの提案に同意したのであれば、Aは、Bに売買契約を締結したことになり、それに従ってAのために代理行為として売買契約を締結させることになる。いわば、このような場合には「有権代理」が成立することになる。有権代理の成立にあたっては、①本人Aのためにすることを示す(顕名)、②代理人による意思表示(代理行為)、③本人の代理権限が存在したこと(代理権授与)を証する必要がある(99条1項)。ついでに「A代理人B」と署名する状況等が示すのが一般的であるが、Bがその代理権の範囲内において、Aの代理人であることを示すにあずからず自己がAであるかのように契約書等に「A」と記入した場合であっても、有効に有権代理行為がなされたと考えるのが判例(大判大正9・4・27民録26輯606頁)・通説の立場である。本問では、たしかにBはAであるかのように振る舞って契約書にAの名で署名している。しかしながら、Aはそもそも自ら花瓶を購入する意思はなく、また、それを前提にBに代理権を授与してもいない。そうすると、いくらAの名で契約が成立したとしても、上記の③の要件を満たさないのであるから、有権代理の成立したことはもとよりない。AがDに対して、売買契約の成立を前提として代金を請求するとしても、BがAの代わりに花瓶を購入するという提案に対して明確な返事をしていなければ、そもそも、AとDとの間で売買契約を締結したとはいえない。それでは、BがAに代わり花瓶を購入するという提案に対して、明確な返事をしていなければ、そもそも、AとBとの間で契約を締結したとはいえない。それでは、BがAに代わり花瓶を購入するという提案に対して明確な返事をしていなければ、AはDに対して、本来は代理権を授与していないが、代理権を与えたかのような外形があり、いわば第三者であるDに対して本来は代理人ではない他人であるBに代理権を与えた旨を表示した、すなわち、「代理権授与の表示による表見代理」(109条1項)が、あらたに問題となることも考えうる。とはいえ、本問では、たとえばBが代理人であると記載した委任状を交付するようなことをしたという事情はない。Bが代理人であるという表示をしたわけではないから、「代理権授与の表示」がそもそも存在しない。もっとも、109条をはじめとする「表見代理」の規定は、本来は「無権代理」であるにもかかわらず、あたかも「有権代理」であるかのような外観を作出したことについて本人にその責任を負わせなければならないという(本人の帰責性を理由として)設けられている。そうであるとすれば、AがBに代理権を授与した旨を直接表示しなくても、そのような表示をしたと受け取れる行動をしたのであれば、同条1項が適用される余地は十分にあるといえる。名義利用許諾をした者の責任をめぐる最高裁判例実は、前述した「表見代理」の規定をめぐる考え方は、従来の最高裁判例でも前提とされているが、それが典型的に現れているのが、「東京地方裁判所厚生部」事件をめぐる最高裁判決である。以前は、まず、この厚生部の事業の経営を任せていた。これに対し、最高裁判所は、職員の中から職員の福利厚生を目的として生活物資の購入や配布を行っていた「東京地方裁判所厚生部」が設置されていた。これは同裁判所の正式な組織ではなく、その職員は退職後に経営を正式な部局である「東京地方裁判所総務部厚生課」に引き継がれ、これまでどおりの事務を引き継ぎ処理し、同厚生課の1室で「東京地方裁判所厚生部」という名義で看板を掲げて取引を継続してきた。厚生部の職員は、庁用の用紙を使用して取引を継続し、また、厚生部の様式で「発注票」や「支払証明書」を作成し、また、受注者の請求書は「東京地方裁判所厚生部」宛と記載し、さらに支払請求書には厚生部の公印を用いたうえで厚生部の銀行口座から振り込むなどしていた。その過程で、厚生部に繊維製品を販売した会社がその代金の支払を求め、東京地方裁判所に対して国が支払えと訴えを提起した。最高裁判所は、次のように述べて、国が責任を負う可能性があると判断した。一般に、他人に自己の名義の利用を許諾し、もしくは、他人が自己の名義で取引するのを冒用するのを許諾し、もしくは、他人が自己の取引で自己の名義で取引するのを冒用するのを許諾し、もしくは、他人が自己の取引で自己の取引を見るに外部からはその取引が自己の取引であるかのような外形を信頼して取引した第三者に対し、自ら責任を負うべきであって、このことは、民法109条、商法23条等の法理に照らし、これに違反することができる。ここには、他人に自己の名義等の使用を許諾した、あるいは、その他人が取引のために自己の名義を使用することを許諾した者は、その他人がした取引の責任を負わされるものとされており、その他人があたかも自己の取引であるかのような外形を作出したことが挙げられている。これに、まさに民法109条(2017年改正前109条)の背景にある考え方である。ただし、注意をしなければならないのは、この判例は、109条…等の法理に照らして判断したとして、民法109条を直接適用しているわけではないことである。その理由は、2017年改正前民法109条が厳しい文言で規定していることである。京地方裁判所が積極的に「厚生部」に対して代理権を授与したのではなく、そのような誤解の外形を作出するような行為をしていたにとどまり代理権を授与したとの明確な外形を作出したとはいえないためであると考えられる。なお、上記の判例でも引用されている2005年改正商法23条(現在の商法14条の会社法9条)は、他人に自己の商号の使用を認めるという、いわゆる「名板貸人の責任」を定めたものである。これに関しては、スーパーマーケット内にあるテナント(ペットショップ)について、前者(スーパーマーケット)の経営主体と買主側が誤認するにもかかわらず、その営業の一部門であるかのような外観が存在したことを理由に、同条を「類推適用」して、その経営主体は、名板貸人と同様に、後者のテナントと買物客の間で取引によって生じた責任を負うとされた(参考判例②)がある。ここでも、経営の社会的信頼に外観を作出したとはいえない状況を踏まえて、同条を直接適用ではなく類推適用したものと考えられる(もっとも、同条は、名板貸人は、名板借人とその相手方との間で取引が成立することを前提としつつ、名板貸人と名板借人に連帯責任を負わせる規定であることから、参考判例③のように、外観を作り出した者に直接責任を負わせることを目的として直接適用ではなくという指摘もある)。本問では、Aは、Bの要領に対して曖昧な返事を終始しており、Bの一方的な主張に対して何ら対応もしておらず、それらが外形を作出したとまではいえないであろう。もっとも、たまには、Bの求めに応じて、自らが所有する土地の登記識別情報の身分証明に必要となる書類を提供したこと、それをを用いて契約をしたという場合は、BがAであるかのような外形を作出したと評価される可能性もあろう。相手方の悪意・無過失ところで、民法109条が適用されるに際しては、代理権授与の表示を受けた第三者が、代理人と称する者に代理権がないことを知り(悪意)、または過失によりてこれを知らなかった(有過失)場合には、本人はそのような表示をしたとしても責任を負わない旨を規定している。逆にいえば、第三者が善意・無過失でなければならない(もっとも、第三者が善意・無過失であることは、代理権授与の表示をした者が主張・立証しなければならない)。先に紹介した参考判例①は、将来を直接適用したものではないが、やはり「厚生部」の取引相手である会社が「善意・無過失」であったか否かをさらに審理判断すべきであるとして、原審に差し戻している。本問では、Aが、仮にBに対して自己の名義の使用を許諾したと考えられる場合であっても、AはDがBにはAに代わって陶磁器を購入する権限がないことにつき善意・有過失であったことを立証すれば、責任を免れることになる。問題文からすると、DはBがAであると信じており、少なくとも善意である(悪意ではない)ことは容易に読み取れる。もっとも、たとえば、本人であることについて証明書の提示を求めて確認を怠らなかったことは、Dに過失があると判断される可能性もあろう。関連問題本問において、Bが、Cの出品した花瓶ではなく、別の陶芸家が出品した皿(販売価格15万円)を購入する契約をDと締結したとする。Aは、Dの支払の請求を拒否できるか。Aは、どのような反論をすることができるか。参考文献野澤正充・百選Ⅰ 68頁 / 原田昌和ほか『民法Ⅰ START UP!』(有斐閣・2017)68頁 / 鎌田薫「名板貸と109条」椿寿記念『現代契約法体系の展開』27頁 / 中舎寛樹編著『詳解 債権法改正の重要論点と実務』(日本加除出版・2018)57頁(宮下修一)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
表見代理
2025/09/03
Yは、土地甲を所有していたが、甲の有効な活用方法を思いつかず、特に手をつけるないまま放置していた。しかし、このまま甲を所有していても管理にコストがかかるだけであることから、甲の取得に関心を見せるAに甲を売却することにした。そこでYは、Aの代理人Bとの間で、代金を2000万円として甲の売買契約を締結した。Aから代金全額の支払を受けたYは、売買契約に基づくYからAへの甲の所有権移転登記手続をAに委任することにし、甲の登記済証、Yの印鑑証明書、甲の売渡証書(Yの記名押印があり、代金額・名宛人・年月日欄は白地)、甲に関する登記一切の権限を授与する旨の委任事項が記載された委任状(Yの記名押印があり、受任者・年月日欄は白地)を、Bに交付した。その後Aは、YからAへの甲の登記名義の移転手続をしないまま、甲を所有する土地乙と交換することにした。しかし、Aは、再びBを代理人として、BがYから受け取った後B自身で保管していた上記書類一式をそのままもたせて、Xとの交渉に当たらせた。ところがBは、自らが代理人であることを明示することに思い至らず、甲は自己の所有地であるとYの代理人としてふるまった。Xは、Bの呈示した書類やその振舞いから、BはYの代理人であると信じた。そこでXは、Yの代理人であると信じたBとの間で、甲と乙の交換契約を締結した。Xは、前記交換契約に基づき、Yに対して、甲の所有権移転登記手続を求めた。この請求は認められるか。参考判例大判昭和19・12・22民集23巻626頁最判昭和45・7・28民集24巻7号1203頁最判昭和45・6・3民集25巻4号455頁解説民法上の表見代理に関する規定無権代理行為の効果は、本人に帰属しないのが原則である。それにもかかわらず代理行為の効果を本人に帰属させてよいか、表見代理が成立するかどうかが、本問における無権代理行為を追認するか。表見代理の成立が認められる必要がある。このうち、表見代理の成立が認められる場合として、民法109・110条・112条の3か条が設けられている。そこで、民法の規定に基づき表見代理の成立が認められるには、これら3か条の定めるいずれかの条項の適用があることが基礎づけられなければならないことになる。それを踏まえると、これらの条項が、それぞれ、どのような要件を定めており、いかなる場面・範囲に適用されうるかを把握することが重要だということができよう。民法109条・110条・112条の適用可能性設問のBは、Xとの間で交換契約の締結に当たり、Yの代理人として振る舞っている。しかし、Bは、この交換契約についての代理権はもとより、Yを代理する何らかの権限が一度でも授与されたことがあるかどうかも、設問の文中では明示されていない。(1) 民法110条・112条の適用可能性かりに、代理行為者Bが現在までに一度も本人Aのための代理権を授与されたことがないとすれば、民法110条、および112条1項・2項による表見代理の成立を基礎づけることができないことになる。というのは、まず、民法110条の適用があるというためには、代理行為者が何らか「権限」を有していることを相手方は信じなければならないところ、この「権限」は、判例によると、代理権、それも原則として私法上の代理権に限られる(例外も含めて、参考判例③参照)。また、民法112条は、「他人に代理権を与えた者」がその「代理権の消滅後」において一定の場合には表見代理責任を負うものと定めるのである―その限りで、同条1項と2項は共に共通している―ところ、代理権が授与されたことを相手方が主張・立証しなければならないと解されるからである。(2) 民法109条1項の適用可能性それでは、残る民法109条の適用可能性はどうであろうか。まず、民法109条の適用を基礎づけるためには、①代理行為の存在、②その際に代理人が行ったこと、③代理行為に先立って本人Aが代理行為者Bに与えた代理権を旨を相手方に表示したことを主張・立証する必要がある。代理権授与表示については、特に次の点が問題となる。第1に、代理権授与表示を本人Aがしたと評価できるのはどのような場合であるか。このことが問題となるのは、上記③の行為が②となっていることにある。この点に関しては、特に白紙委任状が交付された場合を中心に議論が行われている(詳しくは→本書126頁、判例によると、本人から白紙委見状を直接交付された者を利用して無権代理行為をした場合、本人による代理権授与表示があったと評価しうるとされる(参考判例①参照)。第2に、本人による代理権授与表示がどのような内容のものと確定されるか。このことが問題となるのは、上記③の行為は同②で表示された代理権の範囲内のものでなければならないところ、これを判断するには、代理権授与表示の内容を確定しておく必要があるからである。代理権授与表示の内容をどのようにして確定するについては、それほど議論が蓄積されているわけではないものの、意思表示の内容確定に関する一般論で考えられていると思われる。これは、次の民法における意思表示の趣旨をたどる当事者の意思の表明であること、代理権授与表示とは、権利変動を目的とする法律行為ではない。代理権授与表示は、ある者が代理権限を与えられたと相手方に説明するものにすぎず、この表明によって代理権の授与という私人間での権利変動が生じるわけではない。代理権の授与は、任意代理の場合、代理権を与える旨の契約(委任)などの法律行為によって認められるからである。したがって、意思表示に関する諸原則が代理権授与表示にただちに適用されるとはいえない。しかし、代理権表示に関する事項は、民法109条1項により代理行為の効果が本人に帰属されることから、意思表示に関する準則の類推が認められてよいであろう。そして、意思表示の内容確定については、一般に、表示行為の社会的意味を客観的に明らかにするとの考え方(客観的解釈説)と、当事者の意思に重点を置いた表示を基礎として明らかにするとの考え方(意思的解釈説)がある。もっとも、代理権授与表示の内容確定については、客観的解釈説を基礎に置き、相手方の主観的事情が問題となる。これには、表示行為の意図や目的の判断の段階では考慮されないと考えるからである。客観的解釈の各類型には、相手方に呈示された白紙委任状およびその他の書類等のような表示内容を有するから、客観的に明らかになった内容を基礎に代理権授与表示の内容を確定していくことになる。この点につき本問では特に、呈示書面の記載が定かではないことが問題をもつと考える。これらの各類型においては、(交換契約でなく)売買契約の代理権授与表示と解釈されうるのではないか、という点に留意すべきだと考えられるからである。(3) 民法109条2項の適用可能性ともあれ、以上を前提とすると、たとえ次のような場合にも、民法109条1項・110条・112条1項・2項の各条により表見代理の成立を基礎づけることはできないことになる。本人Aが代理権授与表示を行ったものであり、かつこの表示によって示された代理権の範囲外の行為を代理行為者がしかし、かつこの表示によって示された代理権を一度も授与されたことがかった場合もある。この場合には本人Aもとく代理権授与表示をしており、その表示の範囲内で代理人が代理行為をしたので、その行為の効果が本人に帰属することもある。他方で、代理権を有する者が、その代理権の範囲外の代理行為を称して代理行為をした場合には、民法110条により、本人は責任を負うことがある。そうであっても代理権授与表示によってあたかも代理権があるかのように扱われる場合も、その表示された代理権の範囲外の行為を代理人がした場合には、本人Aが表見代理責任を負うことがあるとする。すると、このような場合に表見代理の成立が認められうるとすると規定を、民法は設けている。それが、民法109条2項である。民法109条2項は、2017年改正民法のもとで判例(参考判例②)により認められていた表見代理が認められるとの法理―「民法109条と民法110条の重畳適用」などと呼ばれていた法律構成を明文化し、同改正において新設されたものである(その新設に伴い、同改正後においては109条1項となっている)。3 規定の構造と主張・立証すべき事実2017年改正民法109条2項の重畳適用における主張立証責任の所在は、各規定の趣旨(本人の帰責性(本人・ただし書の構造)を1つの根拠として、一般に以下のようにも整理されていた。民法109条における主張立証責任の所在について、その規定振りからは必ずしも明確ではないものの、以下のような理解がこの条の趣旨によって裏づけられたとは限らない。それを前提とする民法109条2項の適用を基礎づけるためには、相手方は、①代理行為の存在、②代理権の存在を信じたことについて③代理行為に先立って本人Aが代理行為者Bに与えた代理権を旨を相手方に表示したこと、を主張・立証すべきことになる。これに対して、本人Aは、上記③における表示された代理権の存在が存しないこと、それについての相手方の善意または無過失を主張・立証する可能性がある。もっとも、この無権代理については相手方に代理権の不存在につき善意または無過失を主張・立証する責任はないとされる場合が多い。この見解は、民法109条の趣旨を代理権授与の表示という外観に対する信頼の保護を認めたと捉えたうえで、代理権授与表示について錯誤取消しの主張を認めるのと同様、錯誤による法律行為の無効を主張した。これに対し、民法95条の錯誤による意思表示の無効を主張しうるとする見解がある。意思表示に錯誤が介在した場合、本人が予定していた表示と実際になされた表示に大きな相違がないため、錯誤の重要な部分について錯誤(委任事項欄)が認められれば、本人による取消しの主張を認めてよい。これに対し、委任事項欄に錯誤が認められ顕名主義を適用した場合に、両者の間に大きな相違があるため、錯誤の客観的重要性が認められうると考えられるからである。代理権授与表示に民法95条の錯誤を認める場合、相手方としてはさらに、本人の重過失を再抗弁として主張・立証することにより、本人による錯誤取消しの主張を退けることができる(95条3項柱書参照)。関連問題本問の事例において次のような事情があった場合、Xは、Yに対する請求を、どのような法律構成に基づいて行うことが考えられるか。(1) YがBに交付した書類が、いったんBからAに引き渡された後、AがBに交換契約に関する代理権を授与した際に再度AからBに交付された場合。(2) Aが、BをXとの交渉に当たらせる以前に、Yの承諾を得て、YからAへの甲の所有権移転登記手続についてBをYの代理人に選任していた場合。(3) (2)の場合において、その後、甲と乙の交換契約が締結される以前にYが登記手続に関するAとの委任契約を解除していた場合。参考文献臼杵・百選Ⅰ 66頁 / 磯村保・百選Ⅰ(第7版)(2015)66頁 / 鈴木・最判解昭和45年度(T)803頁 / ポイント44-46頁(鎌野邦樹)(野々上敬介)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
表見代理
2025/09/03
Aは、Bから100万円を借り受け、その担保としてAの所有する甲土地にBを抵当権者とする根抵当権登記手続をBに任せることにし、言われるがまま、代理人権限および登記申請権限が空欄の白紙委任状に署名押印し、甲土地の登記識別情報通知および印鑑証明書とともにこれをBに交付した。Bは、借金の保証人になってほしいと友人であるCから頼まれたものの、自らが保証人になることを断った。Bは、Bは、代わりの甲土地に根抵当権を設定することを提案し、Aの承諾を得ているとも話した。Cがこれを了承したので、Bは、実際にはAの承諾がなかったにもかかわらず、白紙委任状および登記識別情報通知、印鑑証明書をCに交付した。Cは、上記白紙委任状の代理人欄に自分の名前を、委任事項欄に「甲土地に対する根抵当権の設定に関する一切の事項」と記入した。そのうえで、Cは、Dから500万円を借り入れるに当たり、Dに上記白紙委任状および印鑑証明書を提示し、Aの代理人としてDとの間で、甲土地にDのためにする貸金債権を被担保債権とする根抵当権を設定する契約を締結した。このとき、Aから根抵当権を設定する旨の話を信じたDは、Aに直接問い合わせをすることをしなかった。その後、CおよびDは、上記白紙委任状等を利用して、甲土地につき根抵当権設定登記をした。上記根抵当権設定登記の存在を知ったAは、Dに対して、根抵当権設定登記の抹消登記手続を請求することができるか。参考判例最判昭和39・5・23民集18巻4号621頁解説白紙委任状任意代理人による代理行為の効果が本人に帰属するためには、当該代理人が本人から代理権を与えられ、その範囲内で代理行為をなすことが必要である(99条1項)。代理権の授与は、口頭のみによることが可能であるが、委任状を交付することが一般的である。委任状は、誰が誰にどのような範囲で代理権を与えたかを示す。しかし、代理人の氏名(代理人欄)や代理権の範囲(委任事項欄)を空欄にしたまま交付される場合がある。これを白紙委任状という。白紙委任状は、交付後の事情を考慮した柔軟な対応を可能とするメリットがあるが、本人が想定していない者が代理人となり、あるいは(かつ)、本人が想定していない範囲で代理権が行使される危険がある。このような場合、白紙委任状を交付した本人と代理行為の相手方との間で、代理行為が、有権代理として、あるいは、表見代理として、本人に帰属するかが争われる。本問では、甲土地の所有者であるAが、抵当権設定登記をするDに対し、所有権に基づく妨害排除請求として、抵当権設定登記の抹消登記を請求する。これに対し、Dは、甲土地につき抵当権を有しており、したがって、抵当権設定登記を保持する権限を有すると反論する。この反論が成り立つためには、DがCとの間で交わした抵当権設定契約が、有権代理として、あるいは、表見代理として、本人であるAに帰属したことが必要である。問題の構造白紙委任状を利用して代理行為がなされた場合に、どのような法律関係となるか。この問題は、白紙委任状がどのような趣旨で交付されたか、および、白紙委任状がどのように行使されたのかによって、区別して論じられる。第1に、白紙委任状が転々流通し、正当に取得した者が白紙委任状を行使することができるものとして交付された場合(権限者型)と、白紙委任状が転々流通することを予定せず、白紙委任状を行使する者を一定の範囲に限定することを予定した場合(非権限者型)とを区別する。権限者型とは、白紙委任状が有価証券たることを受付され、その正当な所持人が年金を受領することを予定するといった例外的な事情がある場合を指す(大判大正7・10・30民録24輯2087頁)。原則として、代理人の氏名が記載されているか否かにかかわらず、非権限者型であると解される。したがって白紙委任状は、上述のような例外的な事情の下に交付されたものではなく、Bによって行使されることが予定されていたのであるから、非権限者型である。第2に、非権限者型の白紙委任状が行使された場合、それをBみずからが予定された者により行使されたのか(権限者)、それ以外の者により行使されたのか(権限者)をなそう。問題の状況が変わる。たとえば、本問で、Bが白紙委任状を行使した場合には直接Bとなり、Bが白紙委任状を行使した場合には問題となる(関連問題1がいずれに当たるか検討してみよう)。権限者型や非権限者・直接型の場合、白紙委任状を行使して代理行為をなした者が何の代理権を有していることが争いがない。したがって、その者が当該代理権の範囲内で代理行為をした場合、その行為は有権代理として本人に帰属する。これに対し、代理権が与えられていない場合や、代理権の範囲を超えて代理行為をした場合は、それは無権代理となる。しかし、代理権の交付は、本人から白紙委任状の行使者に代理権を与えたものである。したがって、相手方が代理権があると信じたものとして民法110条の適用も問題となる(何らかの代理権が与えられた場合には民法110条の適用も問題となりうる)。第3に、非権限者型かつ間接型の場合、白紙委任状を行使した者がその代理権の範囲内で代理行為をしたのか(委任事項濫用型)、それとも、代理権をなしえなかったのか(委任事項無権限型)によって区別される。権限者型では、白紙委任状の交付は、それを行使することが予定された者以外の者が何らの代理権を有しない。したがって、当該行使者が、白紙委任状を行使することが予定された者に与えられた代理権の範囲内で代理行為をなそそれを行えて代理行為をなそうが、その代理行為が無権代理であることに変わりはない(民法110条の適用も問題となり得ない)。しかし、委任事項非濫用型では、本人が覚悟していた不利益のみが生ずるのに対し、委任事項濫用型では、本人に想定外の不利益が生ずる危険がある。したがって、両者を質的に異なる状況であると評価することができる。本問は、Aが自ら設定したBの甲土地に対する抵当権につき抵当権設定登記手続をBにのみ委任事項としていたのに対し、実際になされた代理行為は、Dの甲土地に対する抵当権設定契約の締結であった。委任事項が適用されたものといえる。以下では、本問のような非権限者型・間接型・委任事項濫用型の場合に、民法109条1項がどのように適用されるのかを検討していく。代理権授与表示本人が相手方に対して自己の代理権をAに与えた旨の表示をしたこと、が民法109条1項の要件となる。非権限者型・間接型の場合、本人が相手方に対して白紙委任状の行使者に代理権を与えた旨の表示をしたかが問われる。参考判例①は、不動産の所有者Aが、抵当権設定登記手続をBに委託し、権利証および白紙委任状、印鑑証明書を交付した後、BがさらにこれらをCに交付し、Cが、これらを用いてDとの間で根抵当権設定契約を締結したという事案につき、本人の責任を否定した。最高裁は、これらの書類が転々流通することを常態とするものでなく、第三者がこれらを利用したときにまで本人が責任を負うべきではない、とした。参考判例③は、CがBを通じて融資を受けるに当たって保証してほしいとCから頼まれたが、Bに代理権を与える目的で、白紙委任状および印鑑証明書をCに交付したが、Bを通じて融資が失敗したので、自身が、Dとの間で消費貸借契約を締結し、それに当たり、白紙委任状等を用いてAを代理して、Dとの間で連帯保証契約を締結したという事案につき、代理権授与表示の存在を認め、本人Aの責任を肯定した。これらの判例は、委任事項濫用型と委任事項非濫用型を区別したものとして位置づけられる。そのような区別によれば、委任事項濫用型は、非濫用型に比べ、本人を保護する必要性が大きく、本人の責任が否定される場合が多い(参考判例②も参照)。代理権授与表示自体を否定し、民法109条1項の適用を一歩排除した参考判例に対し、批判もある。代理権授与表示を肯定する見解は、白紙委任状の客観的性質を重視し、仮に本人が予定していなくとも、それが転々流通する危険性を有するものとして代理権授与表示に当たるとしつつ、相手方の悪意有過失を判断する際に、本人と相手方の利益衡量を図るべきだとする。なお、委任事項濫用型の場合には、民法109条2項を適用する余地がある(→本書132参照)。本問は、上述のとおり、非権限者型・間接型・委任事項濫用型の事案であり、判例の一般的判断に従えば、AからDに対する代理権授与表示を否定することになる。しかし、本人の意図にかかわらず白紙委任状が転々流通する危険を重視する立場を採用するとすれば、Aが白紙委任状をBに交付した事実をもって、AのDに対する代理権授与表示があったものと認定することができる。相手方の善意無過失代理権授与表示があったとしても、相手方が善意または有過失であった場合には、本人は責任を負わない(109条1項ただし書)。権限者型の場合には、本人に責任を負わせてもよいが、委任事項濫用型の場合、本人に責任を負わせてもよいとは限らない。参考判例①は、不動産の登記識別情報および白紙委任状、印鑑証明書を所持した代理人が、実際には代理権を有しないにもかかわらず、代理人として、根抵当権設定契約を締結したという事案につき、本人の責任を否定した。相手方の過失の有無が問題となったところ、最高裁は、根抵当権設定契約が白紙委任状を白紙委任状とする株式会社に対する代理権を担保する目的で締結されたものであること、相手方が本人と面識をもち、本人と代理人との関係についても知らなかったこと、相手方が本人に代理権の有無を確認しなかったことなどの事情から、相手方に代理人の代理権の有無を確かめる取引上の義務があるとし、それを果たさなかった相手方の過失を認めた。参考判例③の本件の事案では、代理行為が、本人の利益ではなく、自称代理人ないし小会社の利益になることが明らかであるか。このような場合には、無権代理ではないかと疑念を抱くのが相当であり、代理権の有無を本人に直接確認する義務を負うと考えるべきである(代理権限があったとしても利益相反の問題が生じる)。特に不動産取引は、本人に与える不利益が大きく、また、慎重に確認する時間的余裕があるので、このような義務を果たさない相手方の表見代理による保護を受けないとしても、取引の安全を過度に害するとはいえない(関連問題2をどのように考えるべきか、同様との事案の違いに注意しながら考えてみよう)。関連問題(1) Aは、Bから100万円を借り受け、その担保としてAの所有する甲土地に抵当権を設定した。その際、Aは、Bに抵当権設定登記手続を任せることとし、言われるがまま、代理人権限および委任事項が空欄の白紙委任状に署名押印し、登記識別情報通知および印鑑証明とともにこれをBに交付した。Bは、Cから500万円の借金についてDの保証人になることを引き受けた際、DがCに担保の提供を求められたことから、Cは、上記白紙委任状の代理人欄に自分の名前を、委任事項欄に「甲土地に対する根抵当権の設定に関する一切の事項」と記入した。そのうえで、Cは、Dから500万円を借り入れるに当たり、Dに上記白紙委任状と印鑑証明書を提示し、Aの代理人としてDとの間で、甲土地にDのためにする貸金債権を被担保債権とする根抵当権を設定する契約を締結した。このとき、AからDへの抵当権設定の許諾を受けたとのCの言を信じたDは、Aに直接問い合わせをしなかった。その後、CおよびDは、上記白紙委任状等を利用して、甲土地につき根抵当権設定登記を具備した。上記根抵当権設定登記の存在を知ったAは、Dに対して、抵当権設定登記の抹消登記手続を請求することができるか。また、CがBの従業員ではなく、司法書士であった場合はどうか。(2) Aは、自ら所有する甲土地の売却を決め、売却先の選定および買主との間の具体的な交渉をBに任せることとした。その際、Aは、代理人欄および委任事項の空欄の白紙委任状に署名押印し、甲土地の登記識別情報通知および印鑑証明書とともにこれをBに交付した。Bは、Aの承諾がないにもかかわらず、それらをCに交付した。Cは、上記白紙委任状を行使してAの代理人と称し、甲土地をDに売却し、所有権移転登記手続を行った。上記所有権移転登記の存在を知ったAは、Dに対して、所有権移転登記の抹消登記手続を請求することができるか。参考文献水巻善巳・百選Ⅰ 56頁 / 北居功一・百選Ⅰ(第5版新法対応補正版)(2005)58頁(大塚智見)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
代理権の濫用
2025/09/03
資産家のAは、自己の土地を複数の知人に賃貸し、その管理を、娘婿とその妻のBに委ねていた。2024年4月頃、賃借人の1人から土地(甲)を返還したいとの申出があった。Aは、これを機に甲を売却しようと考え、娘夫婦に相談したところ、(娘の)夫の兄であるBが自分に売却してほしいといってきた。Bと多少の面識もあったAは、売却のため登記を、委任状を交付した。多額の借金を抱えたBは、甲の売却代金を着服し借金の返済に充てようと考えていた。Aから委任状を受け取ったBは、ただちに中古車販売業を営む知人のCに甲を1500万円で買わないかともちかけた。Cは、Bが金銭がらみの揉め事を何度か起こしているのを知っていたし、甲の路線価(市場において取引される価格)が2200万円は下らないことも認識しており、この話に少なからず不安を覚えた。しかし、BがAの委任状を示したうえで契約交渉を行い、甲の登記識別情報も持参していたことから気を許し、甲を1500万円で購入する契約をCとBとの間で締結し、その全額を自己の預金口座に振り込ませた。他方、所有権移転登記を完了したCは、Bとの契約から13日後、不動産業を営むDに甲を1800万円で売却し、移転登記を行った。Dは、甲が格安でBに譲渡されたCは、知人から安く譲ってもらったとBに説明していた。諸々の事情を知ったAは、Dに対して、Aへの所有権移転登記を求めた。また、Bに対しても、損害賠償の請求を行った。これらの請求は認められるか。参考判例最判昭和38・9・5民集17巻8号909頁最判昭和42・4・20民集21巻3号697頁最判昭和44・11・14民集23巻11号2023頁最判平成4・12・10民集46巻9号2727頁解説代理権の濫用とは本問のAは、所有権に基づく妨害排除請求権に基づき、C・D間の所有権移転登記の抹消に代えて、DからAへの移転登記を求めていると考えられる。これに対して、Dからは、A・C間の売買契約は有権代理によるものであり、その結果、Aは甲の所有権を失ったとの反論がなされることになろうが、この反論に対してAからは、Bが代理権を濫用したことを理由に、Bのした代理行為の効力には帰属しないとの再反論がなされるものと予想される。そこで、まず問題となるのは、Bの代理行為が代理権の濫用(107条)に当たるかどうかである。代理権の濫用とは、「代理人が自己又は第三者の利益を図る目的で代理権の範囲内の行為をした場合」をいう。この場合の代理人には、本人のためにする意思、すなわち、代理行為の効果(債権・債務の発生)を本人に帰属させる意思はある。しかし、その目的ないし動機が、本人との関係からみて背信的と評価されるわけである。条文の体裁からわかるとおり、代理人が代理権を濫用しても、代理行為の効果は本人に帰属するのが原則である。代理人が代理人の目的を知り、または知ることができたときに限り、例外的に無権代理として扱われるにすぎない。この原則と例外の関係を、まずはしっかりと押さえることが大切である。民法107条は、2017年の改正で新設された規定である。改正前の学説には、代理人が背信的な意図でした行為には代理権の授与がないとして、これを相手方の主観的な態様を問うことなく無権代理と捉える見解もあった。この説によれば、相手方の保護は表見代理の規定(110条)によることとなる。しかし、代理権の範囲が、代理人の内心の意図といった揺らぎな基準で決まるとなると、相手方のうかがい知れない事情に代理行為の効果が左右されることになり、取引の安全が害される。代理権の範囲内の行為であるかどうかは、行為の外形から客観的に決まることが望ましい。そのような考えから、従来の判例の立場(参考判例①②)と同様、民法でも、代理人が背信的な意図をもってした行為を代理権の範囲内の行為とすることを原則とするルールが採用された(なお、参考判例①は、法人の代表取締役が権限を濫用した事案である)。代理権濫用の要件と効果自己または第三者の利益を図る目的本問のBは、甲の売却代金を着服する意思があり、実際に代金の全額を自己の借金の返済に充てた。このようなBの行為は、Aとの関係ではAに対する義務の違反となる。代理人は、任意代理であるか法定代理であるかを問わず、もっぱら本人の利益を図るために行為を負っている。この義務は、一般には忠実義務と呼ばれている(信託法30条参照)。代理人が自己または第三者の利益を図る目的(濫用目的)で行為をしたときに本人が(例外的にとはいえ)保護を受けられるのは、代理権濫用の違法があるためである。同様の配慮は、自己契約や双方代理等(利益相反行為)に関する民法108条にもみられるところである。なお、代理人の濫用目的は、代理行為をした時点では存在している必要がある。代理行為の後に濫用目的が生じた場合では、代理行為そのものの効力に影響はない。したがって、本問と異なり、Bが甲を売却した後で代金を着服する意図をもつに至ったような場合には、民法107条の代理権を濫用することはできない。では、代理行為の後に濫用目的が生じた場合に、信義則(1条2項)の規定を適用して代理行為の効果を否定することは可能か。同様の問題は、濫用目的の発生時期が代理行為の前か後かを特定することができない場合にも生じうる。この点は、代理権濫用の効果を例外的な場合に限って否定するとした民法107条の趣旨をないがしろにできない。信義則の規定による柔軟な解決が一切否定されるまでは言い切れないものと思われる。ところで、代理人のした行為が、本人にとって著しく不利なものである場合、すなわち、本人に重大な不利益・損害を被らせるものである場合、代理行為の濫用目的の要件は満たされるのか。たとえば、不動産業者である代理人が相対的な基準で不動産を売却したような場合である。重大な不利益行為は、代理行為の行為(客観的にみれば)本人の利益を図るものとはいえないから、相手方の主観的な態様によっては、本人を保護すべきであるとする見方がある。しかし、①代理人には背信的な意図まではないこと、②義務違反が重大でないかぎり代理人には背信的な意図まではないこと、③義務違反が重大でないかぎり代理人には背信的な意図まではないこと、④代理人が(不注意で)した行為の結果、本人が自殺したのと同様に引き受けさせる代理制度の趣旨に反すること、といった理由から、否定的な立場をとる見解が多い。相手方の悪意または過失代理行為の効果を否定するのは、相手方が、代理人の濫用目的を知り、または知ることができたとき、すなわち、相手方が善意または有過失のときに限られる。悪意や過失の立証責任は、本人側にある。2017年民法改正前の学説には、相手方の主観的要件を「悪意または重過失」とする有力な見解があった。「代理人がしているのは、あくまでも代理権の範囲内の行為である。円滑な代理取引を促進するためには、相手方が特にそれ以上の調査をしなくても、有効な代理行為と扱われるのが望ましい。また、代理人は本人との間の内部的な問題にすぎないから、本人が代理人の行為に対する責任を問われても仕方がない」とはいえない。代理人の濫用目的について悪意または(重)過失の相手方まで保護する必要はない。有力説の考え方は、以上のようなものである。これに対し、判例は、心裡留保との類似性に着目して2017年改正前民法93条ただし書を類推適用し、相手方に軽過失があるにすぎない場合でも、本人の保護を図ってきた。このような状況のもと、③本人の要件は合理性があると考えられる。①本人自身が心裡留保により意思表示をした場合には過失でもよいとされていることとのバランスをとる必要があること、②心裡留保が考慮され、その主観的要件を「悪意または過失」とするルールが採用された(ただし、代理権濫用の場合には、表示に対応する意思がない心裡留保とは異なり、代理行為の効果を本人に帰属させる意思はあることから、①の理由はつけにくい点もある)。相手方の「過失」は、立証責任を負担する本人の側が、その評価根拠事実(代理人の背信的な意図の存在を基礎づける具体的事実)を主張・立証し、それに対して相手方が反論(背信的な意図の存在を基礎づける具体的事実)を主張・立証する。本問のCは、Bが金銭的にルーズにしていることを、もはや価格が相場に比べて廉価であることも認識していた。にもかかわらず、BからBの委任状と甲の登記識別情報をBが持参しているのをみて気を許し、Bと取引を行った。過失の認定にあたっては、この点もどのように評価するかが問われることになろう。法定代理の場合民法107条は、法定代理人が代理権を濫用した場合にも適用される。もっとも判例は、親権者が子を代理して法律行為をする場合のように、法定代理人に広範な裁量が認められている場合には、その行為が本人を無視して自己または第三者の利益を図ることのみを目的としてされるなど、法定代理人に代理権を授与する趣旨に著しく反すると認められる特段の事情が存在しない限り、代理権の濫用に当たらないとする(参考判例④)。親権者は、子に対する愛情から、子の利益を最も優先してその子の財産管理に関する包括的な代理権を期待されている。もっとも、親権者には子の利益を不当に害しないかぎり、自己または第三者の利益を図るために子の財産を処分する権限が与えられていると考えられることから、民法には、親権者の利益と子が利益相反する場合に子の利益を守るための制度(特別代理人の選任)が設けられている(826条)。しかし、親子の間の利益が相反するとまではいえないが、経済的に子の利益となる行為をする者は稀である。そのような特段の事情に対する配慮として、民法107条はなお有用である。なお、法定代理人(特に制限行為能力者の法定代理人)が代理権を濫用した場合、相手方の過失を認定する際には、より柔軟な運用をすることが望まれる。というのも、法定代理人の場合には、本人が代理人を選任したわけではなく、代理人に対するコントロールも期待しがたいからである。代理権濫用行為の効果本問が、代理権濫用目的、および相手方の悪意または過失を主張・立証したとき、代理人のした行為は、代理権を有しない者がした行為(無権代理行為)とみなされる。判例は、従来、心裡留保の規定を類推適用し、代理権濫用行為の効果を「無効」と解していた(参考判例①)。しかし、代理権濫用行為の表示との間に齟齬のある意思表示のように無効とする必然性はない。本人が実際に自己の利益が害される場合に限って効果の不帰属を認めれば足りる。このような考えから、民法では、「無権代理」を原則とし、ここに無権代理に関する一連の規定も適用される。したがって、本人の追認(113条)のほか、相手方の催告権(114条)や取消権(115条)も、行使が可能である。なお、民法107条は、代理行為が本人に帰属しないことを認めただけであり、代理行為自体は有効な代理権の範囲でなされている。もっとも、無権代理の規定が適用されるとはいえ、まだ別の問題である。同条は、代理人の濫用目的につき善意・有過失の相手方に限る。すると、相手方には「代理人の権限があると信ずべき正当な理由がある」とはいえないことから、民法110条が適用される余地はない。代理権濫用と転得者代理権の濫用の適用により無権代理になることがある法律行為に基づき、第三者(転得者など)が新たな法律関係に入ることがある。この場合、第三者と本人との関係は、どのように処理されるのか。無権代理とされる取引を原因とする登記は、実際には登記をしていない無権利な登記である。このような登記を信頼して取引に入った転得者は、一般的には権利外観法理(具体的には民法94条2項の類推適用)によって保護される余地がある(目的物の価格が相当な場合は民法192条)。改正前民法の判例であるが、代理権濫用が2017年改正民法93条ただし書の類推適用によって無効とされる場合でも、代理権濫用について善意の第三者は民法94条2項の類推適用により保護されうるとの判断を示したものもある(参考判例③)。多少問題となりうるのは、代理人の濫用目的につき善意・無過失の相手方から、悪意または有過失の第三者に譲渡された場合である。従来の判例の代理権濫用の効果を「無効」とするのであれば、本人と転得者との間には、いわゆる相対的無効の関係も成り立ち得る。しかし、民法107条は、「無権代理」という構成を採択した。このため、有権代理が無権代理に転ずるという構成を採用した。したがって、代理権の濫用目的につき善意・無過失の場合は有効に権利を取得し、転得者は、善意・悪意にかかわりなく、権利を取得する。Bに対する損害賠償請求本問のAは、Bに対し損害賠償を請求することができる。民法107条により無権代理とされる場合は、相手方には、基づき、代理人の濫用をした代理人の責任を追及することができる。同条は、代理人として契約をした者に無権代理がなかったことを相手方が過失によって知らなかった場合でも、損害賠償請求ができると定めていることからすると、自己の代理権のないことを知っていた有権代理人を追求できると定めている(2号)。代理人は、自己の背信的意図につき相手方が悪意または有過失であったと認められても、代理権の濫用目的を知らなかったことにつき過失が関連問題駐車場を経営する株式会社Aの代表取締役であるBは、イベント会社の経営者と知り合い、その縁で、このイベント会社の取締役に就任し、Aに断りなく会社の預金を引き出して個人的な借金の返済に充てるための資金をAから融通してもらおうと考えた。そこで、Bは、「現在、Aの店舗の改修をしているが、地代や従業員の給料の支払の関係もあり、銀行から融資を受けるまでのつなぎ資金として至急現金が必要になった」と説明し、Cに融資を依頼した。Cの承諾を得たBは、2024年4月10日、7200万円を貸付期間3年でCから借り受け、現金を領収した。その際に、Bは同日付の金銭消費貸借契約書末尾の「連帯保証人」欄にAの住所と商号を記載するとともに、B個人の三文判を押印し、Aの社印を押した。なお、Cは、B個人が借主になる理由について、特にBには説明を求めなかった。また、Aが銀行から融資を受けられることになる予定日についても確認しなかった。以上の状況のもと、Cから連帯保証債務の履行を求められたAは、これに応じなければならないか(なお、利益相反取引の制限に関する会社法356条1号3号、および取締役会の権限等に関する同法362条4項の適用については考えなくてよい)。参考文献吉永一行・百選Ⅰ 54頁 / ポイント42頁(鎌野邦樹)(山田 希)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
利益相反行為・自己契約・双方代理
2025/09/03
未成年の子X、母Aは、Xの亡父(Aの亡夫)Bから甲土地、乙建物をそれぞれ相続した。その際Aの依頼を受けて、遺産分割協議を主導した伯父C(Aの義兄)が、甲土地と乙建物の所有権移転登記手続を代行した。その際Cは、乙建物の賃貸管理などを全面的にA・X母子の世話をしてきた。2022年5月、Cが代表取締役を務めるD会社は、Y銀行から事業資金の融資を受けるに迫られたところ、その条件として第三者による保証を求められた。そこでCに保証を頼まれたAが、17歳であったXの親権者として、甲土地にD Yからの借入金4000万円の担保として抵当権を設定することを承諾し、Cが、Aの了解を得て、契約書の作成および登記手続を代行した。この契約に際して、Yは、当該融資の用途がDの事業資金でありXの生活費などの利益にはならないことを知っていた。Xの身上保証により、Dは、Yから4000万円の融資を受けることに成功した。やがて上記事業は、成年になったXの知るところとなった。Xは、Yに対して、Aが親権者として締結した抵当権設定契約の効力を否定し、その設定登記を抹消するためには、どのような請求をすることができるか。またその請求は認められるか。[参考判例]① 大判昭和7・6・6民集11巻1115頁② 最判昭和43・10・8民集22巻10号2172頁③ 最判平成4・12・10民集46巻9号2727頁④ 最判平成16・7・13民集58巻5号1368頁[解説]1 民法108条自己契約・双方代理と利益相反行為民法108条の自己契約・双方代理の禁止は、代理権の行使をすべき内部的な減縮・拡張(裏表)に、代理人が自己の利益のために代理権を行使した場合であっても、代理権の性質(代理行為の効果を本人に帰属させるため)および取引の安全の要請との間で、客観的・類型的に範囲・内容を逸脱した内部関係(「義務違反」)から、独立した外部関係(「代理権の範囲・濫用性」)から、代理行為の効力に影響を及ぼさない。つまり、代理権の行使には「権限責任」と「信頼責任」の観点からすれば、不適切な代理行為の存在ははなはだまれながら本人への責任を負うべきである以上、濫用リスクを本人が負担せざるを得むやむを得ない。もっとも、この理由は当てはまらない自己契約・双方代理、すなわち、民法826条が親権者に包括代理権を付与した事例では、とりわけ未成年の子の利益を図るに「反して」と問題となる(後述2・3参照)。さて、いくら誠実義務が代理人の内部的義務であるとはいえ、本人が代理権を授与された代理人が自分自身を相手方とする「自己契約」と、相手方からも代理権を授与されてその代理人となる「双方代理」(その株主総会を客観的にみて、代理人が自分の裁量で任意に判断できるため、その濫用に対する危険性が類型的に高い。そこで「自己契約・双方代理」という外形的な行為を受けるという意味で、民法108条1項本文は「無権代理」とみなすこととした(不法行為補助)。この113条から117条までの無権代理の規定が適用されるため、本人は追認によるか可能となる。ただ例外的に、本人が、「債務の履行」のための事前・事後の必要がないため(108条1項ただし書)、前者は、弁護士が不動産の売買、売主双方から代理権の履行にすぎない移転登記申請(560条)につき代理権を授与されている場合(最判昭和43・3・8民集22巻3号540頁)がある。さらに自己契約・双方代理には該当しないが「利益相反行為」である場合にも、本人の利益保護のおそれが劣ることから、同様に「無権代理」と解することとした。たとえば、2017年改正により民法108条本文が新たに追加したことは、将来負担しうるであろうとの前提にたって、あらかじめ代理人に代理権を授与し、事後的にAが選任された代理人が賃貸人の代理人として賃貸借契約を締結した場合、実質的には自己契約に類似する(参考判例①)。もちろん、いったん包括的に代理権を授与した後で、本人が不利益を被る場合には、民法108条2項ただし書の要件は満たさない。金融商品取引業者に投資信託をすべて任せた場合に自己売買されたものの適正なものであったとして、信頼関係を害するものであったとしても、保証人がその債務につき保証契約を締結する場合も、主債務者が無資力につき保証人の負担となる利益となるだけなので、民法108条2項の適用対象となる。また代理人が自己の配偶者や親族とする代理行為と利益が相反するとする。利益相反行為の該当性について、本人が代理権を授与している場面であれば判断は難しいが、安全に配慮して、民法108条2項本文、当該行為の有効性を前提に無効が判断される。具体例も含めて、民法108条2項の外部判断(後述3)が参照されることになる。なお本問では、債権者(法定代理人A)が会社(第三者)の債務のために甲土地を物上担保に供した行為が(民法108条の利益相反行為)に該当するかが問われ、問題となる。このうち民法108条では、代理人による利益の抽象的危険性から本人を実質的に保護すべく、1項本文では利益の典型的な「自己契約・双方代理」、2項本文では「利益相反行為」一般について、規制することを想定し、1項ただし書では前者の「債務の履行」と本人から許諾がある行為を許容するのみならず、2項ただし書では前者をそもそも利益相反行為に該当しないとみなす。後者の許諾がある行為のみを許容する趣旨である。なお、民法108条については、不特定多数の者の取引相手方から目的物を転得した第三者との間では、とくに規定されなかったものの、不動産の場合は民法94条2項の類推適用、動産の場合は同法192条による保護が考えられる。ところで、商業登記簿上はもとより法定代理人の選任(参考判例②③)、遺言執行者の指定の際にも(826条、後見人等に関する860条・876条の2第3項および876条の7第3項も同様)、民法の内には利益相反行為(取引)を規制する特別規定が多数存在する(たとえば信託法31条、会社法上の利益相反取引については、後述4参照)。2 民法826条の利益相反行為の意義本問では、Xが、Aの行為は民法826条の「利益相反行為」に該当し無権代理であったと主張することが考えられるが、ここでいう「利益相反行為」とは一体的であろうか。民法826条は元来、自己契約や双方代理が必要であっても、未成年の子が自ら行う場合には親権者の同意を与えることができないことから、それに代わる特別代理人の選任を家庭裁判所に請求する必要がある。ところが親権者は、親としての自然的愛情に対する信頼(期待)と子の将来の思惑が客観的に相反し、包括的な財産管理権を授与されているにもかかわらず、早いうちから利益を保護すべく「利益相反行為」を広く解釈し、たとえば相続放棄を促進する(遺産分割協議をすることはできない)。たとえば、親権者が子を代理して相手方とする法律行為であっても子と親権者の利益が実質的に対立する利益相反行為に該当すれば、無権代理となる。たとえば親権者の債務につき子を連帯保証人としたり、不動産に抵当権を設定したりする。親権者が子の連帯保証人になったり、不動産に抵当権を設定したりする。このような民法826条も、子の保護のため利益相反行為の実質的禁止を志向してきた。3 民法826条の利益相反行為の判断基準次、「利益相反行為」は、もっぱら子の利益保護の観点から判断すればいいのか、それとも親権者の包括代理権を信頼する相手方にも配慮する必要があるかの問題となる。判例・通説は、取引の安全との調和とともに、特別代理人選任という事前手続の法定安定性を要素とする、代理行為の有効性を前提に、その判断基準の外形から客観的に判断する。この判断基準からすれば、①親権者が子を代理して、その財産を売却したり、子の名義で金銭を借り受け子の不動産に抵当権を設定したりする利益相反行為と、②親権者が子に教育費・養育費を目的として無償贈与を目的とする。このような不合理・硬直性を回避するには、親権者の動機・目的や行為の実質的な効果・結果を総合考慮し利益相反性を判断するべきである。この方法によれば、利益相反にあたるか否かの判断基準が事後的にしか知られず、相手方の取引の安全を害するため、特別代理人選任により適法な代理権を確保する途が遮断される(法定代理人の選任(民法826条の選任の要請)。さて本問のように、親権者が自己または第三者の債務のために子の不動産を物上担保に供する場合には、利益相反行為に該当する(参考判例②)。利益相反行為によれば、外形上は親権者が直接的な経済的利益を得ないものの、たとえば子の不動産に抵当権を設定し、これに伴って返済できれば可能となり、債務の肩代わりや代物弁済の場面で物上担保の提供が生じるおそれがあることから、利益相反性の承認にあたり(参考判例②)。また第三者が、親権者が子の財産を物上担保に供した場合と同様である。これらを踏まえて、DとCおよびAの関係(人的信用供与の基礎とした連帯保証)を慎重に吟味しつつ、外形判断説により(いわばCを介してAの個人営業とみなせるか)利益相反行為と解されるであろうとの判断を前提に、他方、実質判断説でも、親権者が子の利益と何の関係で本件契約を受けた以上、本問でいうXへの利益が明白であったとしても、それ足らずAが何らかの利益を得ていると評価できるかが判断の分かれ目となろう。そこで両説の優劣に鑑み、取引安全の保護に優れた外形判断説に従いつつも、子の利益保護に不十分な判断・過誤を克服すべく、利益相反性の判断基準を緩和し「子に不当な不利益を課し、親権者が事後評価する」、危険性に変更して厳格な運用を図ることが考えられる。この基準によれば、親権者が子の財産を担保提供した背景的要因として「(債務者)たる第三者との人的関係」さえ存在していれば、上記危険性、つまり利益相反性は承認されよう。本問ではAが、X所有の甲土地を物上担保に供したことで、自らはCからの心理的重圧はもとより所有する建物の物上保証を免れたわけだが、この要件はどのように評価すべきであろうか。なお本問で、Aの行為が外見上形式的には利益相反行為に該当しないと判断されたとしても、Xは、実質的にみれば「代理権の濫用」に当たるとし、民法107条により無権代理とみなされることを主張できないだろうか。判例・通説の外形判断説では、民法826条による子の利益保護に限界が生じるため、民法107条の適用いかんが焦点となるが、本解説ではとりあげない(→本巻115参照)。4 会社法の利益相反取引と民法108条会社法においては、取締役に対して、会社法330条で民法644条を準用して善管注意義務を負わせ(判例・通説によればその具体化として会社法355条で忠実義務を課す)、取締役(つまり厳格な意味での会社の代理人である代表取締役に限定されない)が会社の重要な決定に関与する地位(いわばその影響力)を利用して会社の利益のもとで自己または第三者の利益を図るのを予防するため、会社法356条1項2号・3号は、特に取締役と会社との「利益相反取引」について、取締役は事前に株主総会(取締役会設置会社の場合は会社法365条1項により取締役会)において「重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない」として手続的に規制する(会社法419条2項・428条2項・595条・651条2項も参照)。一般法人法84条・197条は同様の規定を置く)。この利益相反取引の規制対象には、取締役が直接、会社から財産を譲り受けたり金銭の貸付けを受けたりあるいは第三者の代理人として会社と取引をする(「直接取引」)(会社法356条1項2号、取締役同士で拮抗する可能性があるため、会社を代表する者の取締役である場合も含まれる)(ともとれる)、会社が取締役の債務の保証(債権者の債務者)との取引であっても「取締役の利益を保護」したりその債務を引き受けたりするなどの利益相反となる(「間接取引」)とも含まれる。なお、取締役に対する債務の履行などその性質上、会社の利益が害されるおそれのない取引については、判例により、当該承認は不要とされている。そして「株主総会の事前承認」を得た場合に、会社法356条1項2号の「直接取引」のみならず―2017年改正により民法108条2項で「利益相反行為」が追加・明文化されたことを受けて―会社法356条1項3号の「間接取引」にまで民法108条の適用排除が及ぶよう、会社法356条2項も改正された(つまり、上記承認を得た場合には有効に利益相反取引ができる)。他方で、この事前承認を得ずに利益相反取引がなされた場合の当該効力について、会社法上規定はないが、同法356条2項を反対解釈すれば、民法108条の無権代理に準じて無効とされる。ただ第三者との関係では、判例(最判昭和43・12・25民集22巻13号3511頁)・通説は、「取引の安全」を重視して(自ら規制違反の取引をした取締役は無効を主張できないという利益の保護を意味する意味に加えて)会社が「事前承認を得ていないことに関する第三者の悪意を主張・証明しない限り有効である」という意味で「相対的無効」であるとする(参考判例③)。利益相反取引を行った取締役が「その任務を怠った」ときは、会社法423条1項により、会社に対して損害賠償責任を負う。会社法423条3項・428条1項も参照)。なお、上記会社法との関係に2017年に改正された民法108条の影響がありうるのかについては、今後の成り行きを注視する必要があろう。関連問題Yは、所有する住宅をXに賃貸した。その際Yは、今後Xとの間で紛争が生じた場合に備えて、賃貸借契約書の書面に、「和解に際しては自らがXの代理人を選任しその者との間で交渉・締結を行う」という条項を定めていた。Xは、これを承諾し、将来必要となるかもしれない代理人選任のために白紙委任状をYに交付しておいた。その後、家賃の値下げ等をめぐり紛争が生じ、Xが賃料を支払わなくなったため、和解交渉が必要となった。そこでYは、知人AをXに無断でXの代理人として選任し、このAとの間で、すでに受領済みの白紙委任状を使い和解に至った。その内容は、Xが今後毎月の賃料とともに滞納額を分割で支払うべきこと、これに違反したときは、即座の利益を失い延滞分をすべて一括で支払い、賃貸借契約は即時解除となり、当該住宅をただちに明け渡すべきことであった。Xが、YとAの間でなされた和解の効力を否定するには、どのような請求をすることが考えられるか。またその請求は認められるか。参考文献石崎はる美・百選Ⅱ100頁 / Before / After40頁(林貴美)/ ポイント38頁(鎌野邦樹)(白井 徹)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2
代理
2025/09/03
A社は時計や装飾品を輸入・販売している。Aの商品の内、Aの子会社Bの倉庫で保管・管理され、注文が入ると、Aからの委託に基づいて、Bから顧客に発送されることになっている。その際、Bは長年にわたり、運送会社Cによる運送を利用している。Cは通常の運送サービスのほかに、比較的高価な物品を対象とした宅配サービスも行っている。この宅配便を利用する場合、運送料は通常の運送料よりも割高だが、運送中に運送品が紛失・破損したときには、30万円を上限とした補償がなされない。Bの倉庫事業部長は商品の価格に応じてこれらのサービスを使い分けていたが、コスト削減のために、30万円以上の商品を発送する際にも宅配便を利用することが何回もあった。また、こうしたやり方を、Aの経営者も黙認していた。Aは顧客Dからの注文を受け、スイス製腕時計1個(時価100万円相当)の発送をBに指示した。このとき、BはCの宅配便を利用して商品を発送したが、その運送の途中、商品が紛失した(詐欺等)。その後、商品はあらためてDに送り届けられた。この場合に、紛失した商品の価額に関するAからの損害賠償請求に対して、Cはどのような反論をすることができるか。[参考判例]① 最判平成10・4・30判時1645号162頁② 最判平成5・10・19民集47巻8号5061頁[解説]1 法律行為から生じる法律効果の帰属主体法律行為がなされた場合、原則として、法律行為を行った者、すなわち当該法律行為を構成する意思表示を行った者が、法律行為から生じる法律効果の帰属主体となる。したがって、契約当事者の契約の効力を主張できるのは、法律行為における相手方に対する関係においてのみである。また、こうした法律効果には、権利取得や義務負担だけでなく、責任制限や短期消滅時効にかかる契約条項の効力も含まれる。その契約当事者間で、債務不履行による契約責任とともに不法行為責任も制限することが合意されていたとしても、当事者は、当事者以外の者からの不法行為等に基づく損害賠償請求に対して、この契約上の責任制限を主張することができない。2 代理とその要件一方で、自己との権利関係にかかわる法律行為をすべて自身の意思表示を通じて行うことは、事実上・法律上の制約により、実際に不可能なことも多い。そのため、こうした制約を取り除き、私的自治による円滑な社会活動を促進するために、他人がした自己の法律行為のための手段として、代理制度が置かれている。代理では、本人に代わって代理人が意思表示のやりとりをし、相手方との間で法律行為を行うが、その法律効果は本人と相手方の間にのみ生じる。このように、代理による法律行為には、意思表示の主体と法律効果の帰属主体が異なるので、通常の法律行為と違いがある。こうした代理行為の例外的な効果を本人に帰属させるためには、法律行為の要件(とりわけ、代理行為の効果が本人に帰属させる旨の代理人の意思)に加えて、代理制度に固有の要件を(99条)、まず、代理人が代理行為を行えるなど、他人の法律行為を容易に侵害できることになる。そのため、代理行為を行える者は、本人の間において適法な代理権を有している者に限定される。こうした代理権には、法律の規定に従って生じる場合(法定代理)と、本人と代理人との法律行為による代理権授与に基づいて発生する場合(任意代理)がある。また、代理権を有する相手方が、相手方は代理人自身を法律行為の当事者とその代理権を相手方に表示し、代理人から代理行為である旨の主張が許されれば、相手方が契約当事者となり、特に債務者が誰であるかについて判断を有利にする相手方に、不利益は大きい。そこで、有効な代理行為のためには、相手方に対して代理意思の表示(顕名)が必要とされている。この顕名がない場合、代理人による意思表示の効果帰属はできず、代理人は帰属無効を主張することはできず、代理行為の効果は代理人に帰属することとされている(100条本文)。ただし、顕名に際しては、一定の場合に例外的な取扱いがなされる(同条ただし書、50条)。3 間接代理(取次ぎ)における委託者の地位以上のような代理行為の要件の充足がないと、委託者の地位が主張・立証しなければならない。この立証がなされれば、ある者が委託者の一定の法律行為を行うことを受託し、委託者の経済的利益の帰属を保全するために、さらに当事者との間で自己の名で当該法律行為(間接代理・取次ぎ)を行う。そして、その法律効果は、委託者の相手方の間にのみ生じ、委託者の法律地位に影響を与えない。したがって、運送品所有者である委託者が運送契約の当事者を訴え、受託者が運送委託の際に受託者に対して支払った賠償を請求したとき、この受託者に受託者が委託のために自己の名において運送人と運送契約を締結したとき、委託者は運送人の責任制限を主張することができる。4 運送取引の特質ところで、通常の物品運送取引では、運送人の責任限度に応じて、運送保険と連動させた運送料が設定されるのが通常であり、かつ、その内容を定める運送約款の適正性は、所轄官庁の認可や事業者間の協定などにより担保されている。また、運送契約の引受けは一般に船荷証券などにより担保されている。そうした中で、本問のような運送取引にある責任制限を越えて請求されると、Cは無断で運送契約の約款どおりに責任制限を失う。これでは、Cが引き受けた以上の責任を負わされる結果、運送取引システムのそのものが根底から覆されかねない。さらに、物品運送は荷送人以外の者のために行われることが多い。このとき、運送人の責任を際限なく享受することができ、運送事故の場合に運送契約上の責任制限を回避できることになれば、判例は、裁判例では、運送事故のリスクの分散を困難にすることになる。裁判所の裁判例では、こうした事情を踏まえて、運送事故を容認していた者が、責任限度額を越えて運送人に損害賠償を請求する義則により否定したものがある(参考判例①)。5 責任制限の対抗と第三者の保護に関する規定の根拠問題は、こうした結論を導くための理論構成である。1つには、契約外の損害賠償請求権者による当該運送の否認や同意、このへの責任制限の効力の拡張を求めることを正当化するに足らず、単なる否認や同意は、責任制限の対抗を求めることを正当化するに足らず、このような否認や同意の中に、他人の契約に限る意思を汲みとることも困難である。また、仮にそうした意思が確認されても、その法的位置づけについて不明確さが残る。契約外の第三者が運送実施を事実上享受している点も重視する見解もある。具体的には、自己の運送目的を達成するために、責任制限を伴う運送を承認して運送実施の利益を享受した者が、運送事故の際に契約当事者ではないことを理由に自身の責任制限の回避を図るなどしながらも、そうした他人が全てを責任制限の回避を図りながら自己の目的を達成しようとする態度、信義誠実の原則に照らして許されないとの主張である。こうした見解に対しては、これが運送取引の領域に限定されるものか、間接代理による取引一般にも及ぶものかのほか、契約外の第三者の要件や根拠を含めて、慎重な検討が求められる。さらに、運送取引に用いられる約款の特殊性に着目する立場も示されている。これによれば、運送取引約款のように、内容が合理的で、広く一般に普及している約款には、ある程度の拘束力が付与されるべきであるとされる。こうした見解では、そうした効力を認めるための約款の「合理性」や「普及性」につき、具体的基準が明確にされる必要がある。また、この考え方については、運送にまったく関与していない運送品所有者にも運送契約上の責任制限の効力が及ぶことにつながる点が承認されるとすれば、私人の設定した規範に法律と同等の一般的効力を承認することの可否や、その理論的根拠の所在など、より大きな問題もはらむ。いずれの法理によるにせよ、当該取引領域に固有の事情とともに、私的自治の原則・相対的契約の原則と代理制度との整合性をにらんだ解決が求められる。加えて、直接的な契約関係にない者の間の利害を調整する際には、利害の正当性に関する規範的評価への目配りも必要である三者間の不当利得に関する議論が参考になる(→本書89参照)。特に、契約中の特約が単なる形式的な合意にすぎないのか、実質的に機能しているのかも、契約の対外的効力を判断する重要な考慮要素となりうる。関連問題建築業者AはB建設会社から、C所有の宅地上での建物建設工事を請け負った。B・C間の下請負契約(代金4000万円)には、注文者は工事中断契約を解除することができ、その場合の工事の出来形部分は注文者の所有とする旨の特約が付されていた。A・B間の下請負契約(金員3000万円)では、そのような約定はなされなかった。また、CはAによる一括下請負の事実を知らなかった。AはBとの契約に基づき、自ら材料を提供して本件工事を行ったが、工事全体の25パーセント程度を終えた頃にBが事実上倒産してしまったため、工事を中止した。この時点で、AはBから下請負代金の支払をまったく受けていなかった。その後、CはBとの請負契約を解除し、Dとの間で、Aにより建設された出来形部分を基礎にした建物建設請負契約をあらためて締結した。Dによる工事完成後、Cは代金全額を支払い、建物の引渡しを受け、この建物について所有権保存登記を経た。上記の事実関係において、以下の場合につき、AはCに対してどのような請求をすることができるか。これに対してCはどのような反論がどの程度認められるか。(1) AはBとの契約の間、B・C間の契約に出来形部分の所有権帰属に関する特約が含まれていることにつき、説明を受けていた。また、CはAの工事中止の時点で、Bに請負代金の一部として2000万円を支払っていた。(2) AはBとの契約の間、B・C間の契約に出来形部分の所有権帰属に関する特約が含まれていることを知らなかった。また、CはAの工事中止の時点で、Bに請負代金の一部として400万円を支払っていた。[参考文献]奥田昌道・判時評1661号(1999)31頁 / 武川幸嗣=吉川愼一民事法II 164頁 / 大村敦志「もうひとつの基本民法Ⅱ」(有斐閣・2007)113頁 / 落合誠一 = 商法百選 200頁(岡本裕樹)
Law Practice 民法Ⅰ【総則・物権編】〔第5版〕 千葉 恵美子, 潮見 佳男, 片山 直也 (編者)・2022年10月15日 (第5版第1刷発行)
ISBN978-4-7857-2991-2