共同不法行為
Xは、2021年9月6日午後10時ごろ、制限速度が時速50キロメートル、終日駐車禁止の片側2車線の交通量の多い道路を自家用車で走行中、携帯電話の着信に気づき、左側の第1車線のハザードランプを点滅させて車を止めたところ、同じ車線を前方不注視のまま時速60キロメートルで走行するYの運転する自動車に後続に追突された。このとき、以下の2つの独立した過失に加えて、現在の論点は2022年3月1日である。(1) Yは、前方に駐車中のX車に気づき急ブレーキをかけたが、わずかに間に合わず、X車のリアバンパーの一部をへこませた。運転中にシートベルトを外していたXは、頭部をハンドルに強打したので、近くのA救急病院まで自ら車を運転して、当面の9日間の治療(脳神経外科が専門)の診察を受けた。Xは、当時、意識が鮮明であり、また、Bの問診に対してシートベルト未装着の事実を告げ、診察による首の痛みだけを訴えたため、Bは、Xが軽い鞭打ち症だと考えCT検査等をせずに経過観察を指示してXを帰宅させた。しかし帰宅直後、Xは急性硬膜外血腫により容態が悪化、救急車でA病院に運ばれ手術を受けたが、重い後遺症が残った。Xは、Yに対して、後遺症による損害の賠償を請求できるか。(2) Yは、駐車中のX車に気づき、後方確認をせず、右ウィンカーを出すのと同時に第2車線に進路変更したところ、第2車線を時速80キロメートルで走行中のZの運転に追突された。その衝撃でY車は、X車に衝突した。この事故でX、Y、Zはそれぞれ1200万円、Y・X・Yの過失割合は1対4対5である。X、Y、Zに、それぞれいくらの賠た償を請求できるか。●参考判例●① 最判平成13・3・13民集55巻2号328頁② 最判平成15・7・11民集57巻7号815頁●解説●1 小問(1)について小問(1)では、交通事故と医療過誤が複合的に競合している場合に、どのような法的処理に服せられるか。加害運転者と医療機関は、医療過誤で患者が死亡するにまで至らず、ある程度は後遺障害の程度が低減しているという点で、この事故について医療過誤がない場合であっても、Yの運転による交通事故という3次的ないしは副次的な関係に基づき、どこまで賠償責任を負うか、が争点となる。まず、Yの違反した注意義務は交差点の直前で、その射程は、駐車中のXに追突しないことにある。しかし、Yの行為に起因した硬膜外血腫は、治療が遅れれば死亡または重篤な後遺症が残る病気であり、本問では、まさにそのような事態による特別の危険が実現しているということになろう。もっとも、Yは後遺障害も賠償すべきということに反対するであろうか。もっとも本問では、傷害の程度が軽微だったのに、Xのシートベルト未装着の過失が競合して損害が拡大している点が問題となる。しかし、民法709条の文言から、加害者の過失に応じて損害賠償の範囲の変更という結論を導くことはできず、また、過失相殺(722条2項)の問題で考慮すべきである。それでは、医療過誤におけるBの対応は、どう考えたらよいか。Xは、硬膜外血腫が適切に治療されることを期待する権利に反するであろうが、この期待は保護されるわけではない。一般に、複数の治療法から最良も保護される権利に基づいて、事故の状況を正確に申告し、最善の治療法を選択し患者に治療することが、最善の治療法の選択や治療がなされた結果にあるからである。もっとも、本件で、当時の医療水準を大きく下回る治療がなされたかどうかは、Bに患者であるXに対する注意義務違反を理由に、Yへの損害賠償請求を否定する根拠にはならない。Xへの不適切な応答は、医療機関の判断で今後確定される。(2) 判例の立場以上、Y、Xの責任を賠償額という観点から検討したが、参考判例①は、交通事故と医療過誤が複合的に競合した病院の責任が問われた事例で、「本件交通事故により〔被害者は〕治療すれば必ず治癒する傷害を負った」が、被告病院において「適切な治療が施されていれば、高度の蓋然性をもって〔被害者を〕救命できた」のであるから「本件交通事故と本件医療事故とのいずれもが、〔被害者の〕死亡という不可分の一個の結果を招来し、この結果について相当因果関係を有する」としており、連帯責任を負うべきである。この請求権の法的根拠は、民法719条の共同不法行為にあり、各行為者は、損害の全額について連帯して責任を負うことを示している。近時の判例は、加害行為者が独立して不法行為の要件を満たしており、かつ、客観的関連共同性のある加害行為と相当因果関係のある範囲の損害賠償責任を認めている(いわゆる結果共同説)。これも参考判例には、過失相殺に加えて、一体の機会を捉えて請求の全額を認めている。この、判決は従来の判例の立場を維持しつつ、民法719条1項後段の適用一体・機会の判断を維持したと見ることができる。(3) 共同不法行為を議論する機会しかし、判例をどう理解するにせよ、機会が連続して被害者の治療が遅滞により死亡した場合、医師や病院は、初期治療開始後に患者に不注意がなければ(後続の過失)、被害者の賠償請求の対象となる。なぜならば、負傷や病気の程度が何であれ、医師は最善を尽くして患者を治療する義務を負い、かかる義務を怠ったことから生ずる損害の賠償責任を負う。患者または医師は自己の治療の結果について、第三者に対する損害賠償の請求権を留保した上で治療に臨んでいるわけではないからである。他方で、参考判例①によれば、医療過誤と交通事故が複合的に生じた全額の賠償責任を負うことでありうるが、医師に重大な過失が認められた事案について、医療機関は損害の賠償額を軽減すると主張する(1参照)。このように、共同不法行為と損害の賠償との一体性という観点から、運転者と医師の賠償範囲が自動的に決まるわけではない。参考判例①の意義は、医師の職業倫理に照らして勤勉義務に違反した加害者と交通事故の責任とを比べた方が、後続の過失に基づく全面的責任しか認めなかったため、共同不法行為という理論に依拠して病院の減責を否定した点にあり、それに尽きる。むしろ、本問のような事案では、競合的不法行為(独立の不法行為)の事例と捉えて、各加害者の賠償額と負担額を個別に議論すべきである。損害賠償の範囲がここで定まるかという検討こそが重要であり、その結果、各加害者が負うべき賠償が(偶然にも同一額に達して責任を負う)という結論に達したときに、共同不法行為というタームを用いてこれを説明するかどうかは、まさに言葉の問題ではないだろうか。(4) 相対的過失相殺相対的過失の議論を請求されたYは、損害の発生および拡大に関わるXの過失を基礎づける事実、①交通事故の多い道路上で駐停車したことおよび②シートベルト未装着だったことなどからなるBの治療の前提にも問題があったことを主張して、過失相殺を主張し、賠償額の減額を求めてくることが可能である(過失がXに寄与している以上、Yとの関係で適用も可能となる)。仮に、Xが病名を隠すなど、①と②の過失が認められ、Xの過失を基礎づける事実がある。Xの過失が損害の発生・拡大に与える影響も各異なっているので、各加害者との関係ごとに過失相殺を分ける方法(相対的過失相殺)について判例がある。過失相殺が不法行為による損害について当事者間で「相対的な公平の分担を図る制度である」という一般的な理由を挙げたほか、「加害者及び被害行為を異にする2つの不法行為が順次競合した結果被害が死亡した」事案では、各不法行為における「加害者の過失及び被害者の過失の内容や割合も個別に判断すべきである」という結論を説明して、相対的過失相殺を認めている。2 小問(2)について(1) 絶対的過失相殺説以上のように、性質を異にする不法行為の競合的な事例では、共同不法行為の成否は問題となるが、過失相殺の方法に大きな異論はない。それに対して、小問(2)のように同種の不法行為が時間と場所を同じくして競合した場合、共同不法行為の成立自体には異論はない。問題は、過失相殺の方法である。これについて参考判例②は、「複数の者の過失及び被害者の過失が競合する1つの交通事故」では、すべての過失を総合した絶対的過失相殺)を認定できるとした。その場合に、基づくべき過失相殺をした結果を前提として共同不法行為に基づくべき賠償責任を負う、としている。これは、本問では、X、Yに対して12分の7という過失割合による過失相殺をした残りの損害額の1100万円を請求できる。そしてXは1100万円をYに支払うと、Yは内部的な負担部分400万円を超える700万円をZに求償する。すなわち、Yはこの限りでYの無資力のリスクを負担することになる。参考判例②は、絶対的過失相殺説を採っており、相対的過失相殺では「被害者が同時に複数の不法行為のいずれかの過失相殺も受けられることによって被害者保護の保護を損う」とする民法719条の趣旨に反する」と明示する。仮に、相対的に過失相殺をすると、XはYに賠償請求をされるものの960万円をYには8分の7の1050万円しか請求できない。この理論は、たしかに絶対的過失相殺の場合よりも不利にであり、「被害者保護」に反するようにみえる。(2) 被害者にはなぜか酷かしかし、不法行為における「被害者保護」という言葉は、被害者が「なぜ」保護に値するのかという点を省略した議論をすることに容易につながるチームであり、慎重に用いる必要がある。絶対的過失相殺説をとり、XのYのみを相手どって960万円を請求したケースを想定すると、Xは残りの240万円を回収することになる。これが絶対的過失相殺をした場合のXの負担額(100万円)よりも多い。この240万円には、Yの絶対的過失相殺組合せ12分の7に相当する700万円をYにさえどの絶対的過失組合せ(4対1)で按分した140万円が含まれているからである。すなわち、相対的過失相殺の枠組みのもとでこそがYに賠償を請求するときには、Xは他の加害者のYの絶対的過失割合に相当する損害額の一部まで引き受けさせることになる。問題は、このことが共同不法行為の趣旨に照らして不適切なのかどうかである。仮に、YからXの行為が時間的・場所的に密接に関係し、社会的に一体性を有する一方で、Xがゆるい関連共同性とは無関係の単独の不法行為があったかつての戦場だったようなケースであれば、Xにほかの加害者の過失割合の一部を負担させることが公平性に適するであろうか。ここで絶対的過失相殺を当然とする、一の加害者の損害の加害部分について無資力のリスクを負わせるのが、加害行為の関連共同性に鑑みると望ましい(もっとも、このとき筆者にとっても過失割合は絶対的過失相殺を選定しにくい場合が多いだろう)。しかし、本問のXは、Yらと並んで、場所と時間を同じくしながら、自動車の運転者として互いに守るべき注意義務に違反している。たまたまYから1つの交通事故でいえば、「被害者」と呼ばれているいるが、本問のような相互的な事故では、事故の加害者を被害者とはっきり区別できるような「被害者」の強い関連共同性の場合には、被害者側の行為もまた関連共同性の一部を形成しているといえる場合には、相対的過失相殺の一部をYに賠償請求することがむしろ自然であるといえるか。絶対的過失相殺を採るのが妥当である。しかし、この点で民法に明文があるわけではないが、損害賠償額が縮減された場合に、公事事例の判例の見直し・是正が必要である。(6) 予測の正当性とその射程もっとも、学説の多くは参考判例②の立場に好意的である。小問(2)で、判例や多数説の立場に与し、これを正当化したいのであれば、「絶対的過失保護」という視点は民法719条の基本的な考え方とどう整合的かについて述べたうえで、加害者らと同じ共同不法行為の中にいるという点よりも、加害者らに強い連帯責任を負わせるには必ずしも着目して、加害者の一方の無資力のリスクをYに負わせてもかまわないという実質的な実質を基礎づけるべきである。さらに、絶対的過失相殺のほうが被害者の安定的な損害賠償である(相対的過失相殺の理論が保障されている。同法制度は、という司法政策的な観点に言及してもよいかもしれない。もっとも、参考判例②は、「絶対的過失相殺」を認識できることを前提に絶対的過失相殺を説いている。加害者と被害者の過失割合が1つの「交通事故」の事例では、単独の加害者との関係では、たしかに絶対的過失相殺が適合しやすいが、各当事者の過失がそれも同質であるとはいえない場合は絶対的過失相殺の算定が困難であり(不同質で複合的な場合には本事例のほか何割に相当すると考えられる)、その場合は絶対的過失相殺が相当とはいえず、相対的過失相殺をするほかはないだろう。なお、加害行為がそれぞれ異質である場合には、共同不法行為がなされるのか、それとも競合的不法行為(1(3)参照)と捉えるべきかという論点が同時に浮上することにも注意が必要である。設問関連(1) 小問(2)で絶対的過失相殺説をとる場合、Xが最終的に負担する金額について、絶対的過失相殺と同時に特に100万円と特に50万円と見積もる、Xの求償権額という見解があるが、理論的に金額が少なくなるといえるのは、Zは980万円をYに賠償して、連帯債務者になった場合、Xは100万円を負担するというのである。この立場に立った場合、Yらの負担部分、それぞれいくらになるか。(2) Xが夫の運転する自転車に同乗中、Y運転の自家用車と交差点で衝突し、Xが負傷した(Xの損害額は1000万円、Yとの過失割合は2対8)。Yは、Xにどのような賠償を請求できるか。本項目のテーマ(「被害者側の過失」)議論との関連でこの方の見解にしながら検討しなさい。最判昭和51・5・25民集30巻2号160頁と最判平成20・7・4判時2018号16頁を参照のこと。