特定物売買と手付
2024年6月1日、AはBとの間で、B所有の土地(以下、「本件土地」という)を800万円で買う契約(以下、「本件契約」という)を締結した。本件契約の当時、本件土地上にはB所有の木造建物が建っており、Bが自己の費用でこの建物を収去して更地にしたうえで、同年8月末日までにAに引き渡すこととされた。売買代金は、本件土地の引渡しと引換えに支払うこととされた。また、本件契約の締結に際して、AはBに手付金200万円を交付した。この手付に関して、売買契約書には次のような条項(以下、「本件手付条項」という)があった。「売主が本契約を履行しなかったときは、買主に既払手付金を返還すると同時に、手付金と同額を違約罰として支払うものとする。」この契約書は、市販の契約書書式をBが作成したものであり、本件契約の締結の際、Aは、手付金について協議はしたが、本件手付条項の内容には特に注意していなかった。以下の11および2について、それぞれ独立した問いとして答えよ。(1) 本件契約締結の初日、Aは、売買代金を返還するのを定期預金を期間満期前に解約した。ところが、2024年6月31日、Bは、本契約を解除したい意向をAに伝えた。Aはこれに異議を唱え、手付の倍額(400万円)を持ってきても受け取らないと述べた。Bは400万円を用意し、これをAに返すとともに、本件手付条項に基づき本件契約の解除を通知した。AはBに対して、売買代金の支払と引換えに本件土地の引渡しを求めることができるか。(2) 本件契約締結の初日、Bは、木造建物の収去を業者に依頼し、2024年6月9日に収去作業が始まった。ところが、同月14日、Aは、転勤が決まったことを理由に、本件手付条項に基づき手付の放棄と本件契約の解除をBに通知した。BはAに対して、同年8月31日に本件土地の引渡しと引換えに売買代金の支払を求めることができるか。●参考判例●① 最判昭24・10・4民集3巻10号437頁② 最判昭40・11・24民集19巻8号2019頁③ 最判平6・3・22民集48巻3号859頁●解説●1 手付の性質売買契約において、契約締結の際に買主が売主に対して、手付として一定額の金銭を交付することがある。このような手付の授受は、不動産売買においてしばしば行われる。手付には一般に、証約手付、解約手付、違約手付という3つの性質のものがある。証約手付は、契約成立の証拠としての性質を有するものである。すべての手付は、証約手付の性質を有している。解約手付とは、契約当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して、一方的に契約を解除することを認めるものである(557条1項)。民法が規定しているのは、この種の手付である。このことから、判例・通説は、当事者に別段の合意がない限り、手付は解約手付としての効力を有するとしている(最判昭29・1・21民集8巻1号64頁)。違約手付については、さらに2種類のものがある。損害賠常額の予定と、違約罰である。前者は、買主に債務不履行があった場合には損害賠償金として手付が売主により没収され、売主に債務不履行があった場合には損害賠償金として手付の倍額を買主が支払うというものである。他方、後者は、当事者の一方に債務不履行があった場合に債務を履行する点では前者に同じであるが、民法の規定に従い算定された債務不履行に基づく損害賠償を別に支払う必要がある点に、大きな違いがある。違約手付が合意された場合、損害賠償額が予定されたものと推定される(420条3項)。これらの手付は、損害賠償額の予定と違約罰を除けば、同一的な関係に立つのではなく、1つの手付に複数の性質が併存することがありうる。前述のとおり、すべての手付は証約手付を性質に有するため、1つの手付が、証約手付と解約手付の双方の性質、証約手付と違約手付の双方の性質を有するのは、ごく普通のことである。さて、本件手付条項は、文言上は違約手付(損害賠償の予定)のようにみえる。このような問題となろうか。前述のとおり、手付は原則として解約手付としての効力を有すると解されるが、民法557条1項は任意規定であるため、当事者が別の合意をすればそれが優先する。言い換えれば、手付条項から解約手付の性質を排除するためには、その旨の意思表示が必要となる(大判昭7・2・19民集11巻1552頁)。このような意思表示が認められない場合には、たとえ違約手付の合意があったとしても、これと両立して解約手付も認められる。すなわち、後者の手前においては解約手付として機能し、その後に債務不履行があった場合には違約手付として機能するという理解である。このように、両者が併存する場面は異なっているのであるから、両者が併存しても矛盾は生じない。そして、解約手付の性質を排除する旨の合意があったか否かについては、当事者の認識の齟齬がある場合には、諸事情から合理的に判断することになる。本問では、Bが市販の契約書書式をBが作成したこと、Aはこれについて条項の内容について気にとめていなかったことが明らかだろう。2 手付解除の方法本件手付が解約手付の機能を有しうるとすれば、次に問題となるのは、小問(1)でのAの解除、小問(2)でのAの解除が民法557条1項の要件を満たしているか否かである。本問では、A・B間における売買契約の成立、解約手付の合意、手付の授受が明らかであるから、解除の意思表示もされている。さらに、手付解除をするには、売主は手付の倍額を現実に提供し、買主は手付の返還請求権を放棄する必要がある。Bはこのような対応をしたが、Aは手付の倍額の提供をしなければならないのは、手付解除の方法の厳格性を表すものであるか。判例・通説は、買主が手付の倍額の受領をあらかじめ拒んでいるときでも、手付解除の効力が発するためには、手付の倍額が現実に提供されることを要するとしたうえで、これが現実に提供されることと解する(参考判例①)。すなわち、口頭の提供で足りるとする。Bが手付解除をする場合には口頭の提供で足りる。どの時点で解除の効果が生じたのか。Aが明確な準備態勢に入っても、手付解除をすると、その履行の意思表示を不要とする効果も発生しうるが、買主による手付解除の意思表示を不要とする効果も発生しうるが(557条2項)、などと解釈するのが通例である。この区別は客観的なものであるので、買主による解除の意思表示がなされたか否かを判断するのも、A・Bは手付解除の表示をしており、この点は問題とならない。3 履行の着手手付解除をしうるのは、相手方が履行に着手する前に限られる(557条1項ただし書)。なぜなら、相手方は、履行に着手するまでに手付解除の意思表示がなされなければ、契約が履行されるとの期待を抱き、履行の着手によって多くの費用を要する。もしその後でも手付解除を認めると、相手方は手付相当額では補えない不測の損害を被ることになってしまうからである。このような観点から、手付解除の時期限界を画する「履行の着手」は、「債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に認識し得るような形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合」と解されている(参考判例②)。その例は、当事者の一方、履行の提供、履行の遅延などである(最判平5・11・16民集47巻9号308頁)。本問では、解除の意思表示がなされた時点より、小問(1)では、Aが銀行の定期預金を期限前解約しており、小問(2)では、Bが建物の収去を業者に依頼しているが、これが「履行の着手」に当たるか否かが問題となる。Aが代金を調達する行為は準備行為にすぎないことから、履行の着手にはあたらないと解されるが、Bが建物の収去を行っている場合、履行の提供をするために欠くことのできない前提行為といえるかどうかによって結論が分かれる。他方、BがAにおける本件建物収去の作業は、引渡期限になされてはいないものの、本件土地の引渡義務を履行するための準備行為であることも、本件契約のBの引渡義務の履行とみることができよう。この評価が妥当する。●関連問題●(1) 本問において、本件土地の引渡期限前に、Bは手付の倍額を現実に提供して契約を解除することができるか。(2) 本問において、本件契約の締結後にAが本件土地の測量を実施したうえで、その結果を基に坪100万円にして代金額を確定することになっていた場合において、Aが測量を実施した後に、Bは手付の倍額を現実に提供して契約を解除することができるか。●参考文献●後藤=28頁/田村=33頁/奥田=25頁/田村=33頁