文書提出義務
XはAの取引先であり、Aの信用状態に不安を抱いていたが、AのメインバンクであるYが、Aを全面的に支援するとXに説明したために、Aとの取引を継続した。しかし、Aの経営状態は好転せず、Aに民事再生手続(法的倒産手続の1つであり、債務者の事業を継続させながら、債権整理を図る手続)の開始決定が出され、XはAに対する売掛債権が回収できなくなった。そこで、Xは、YがAの経営破たんの可能性が大きいことを認識しながらも、Aを支援するといってXらを騙し、また、Aの経営状態についてできる限り正確な情報を提供する注意義務を怠ったために損害を被ったとして、Yに対して不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。Xは不法行為の立証に必要があるとして、YがAについて作成、所持する自己査定文書につき、文書提出命令の発令を申し立てた。金融機関は、金融庁から業務の健全性や適切性の検査を受けるが、その検査の際に用いる手引書である検査マニュアル(現在は廃止されている)によると、債務者の財産状況、資金繰り、収益力等により、返済能力を判定し、債務者を、「正常先」、「要注意先」、「破綻懸念先」、「実質破綻先」および「破綻先」に区分することが求められていた。この区分を債務者区分というが、自己査定文書は、この債務者区分を行うために作成し、会社更生による査定結果の正確性を客観的に保証する目的で作成する文書であり、Yは従来の検査マニュアルに沿って自己査定文書を作成、保持していた。裁判所は自己査定文書について文書提出命令を発することができるか。●参考判例●最決平成11・11・25民集62巻10号2507頁最決平成19・12・11民集61巻9号3364頁最決平成19・11・30民集61巻8号3186頁●解説●1 自己査定文書の自己使用文書性参考判例③によれば、自己査定文書は民事訴訟法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(自己使用文書)には該当しない。銀行は、法令によって資産査定が義務付けられているところ、自己査定文書は、YがAに対して有する債権の資産査定のために必要な資料であり、監督官庁による資産査定に関する検査においても、資産査定の正確性を裏付ける資料として必要とされているものである。すなわち、Y自身が利用するのみならず、それ以外の者による利用が予定されているため、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であるということはできず、自己使用文書の要件を満たさないからである(自己使用文書の要件については問題41)。2 自己査定文書の職業秘密該当性自己査定文書の記載内容を考えると、自己査定文書は民事訴訟法220条4号ハ所定197条1項3号の「職業の秘密」を含む文書として、提出義務を免れるか。この問題を考えるに際しては、自己査定文書を、その記載内容に応じて分解し、それぞれについて職業秘密該当性を判断する必要がある。通常、自己査定文書には、①公表することを前提として作成される貸借対照表および損益計算書等の財務情報に含まれる財務情報、②金融機関が守秘義務を負うことを前提に顧客から提供された非公開の顧客の財務情報、③Yが外部機関から得た顧客の信用に関する情報、④顧客の財務情報等を基礎として金融機関自身が行った財務状況、事業状況についての分析、評価の過程およびその結果ならびにそれを踏まえた今後の業績見通し、融資方針等に関する情報(分析評価情報)が含まれていた。このうち、①については、そもそも公開が予定されているものであり、その事項が公開されると……当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるもの」(最決平成12・3・10民集54巻3号1073頁)といえず、職業の秘密には該当しない(職業の秘密の定義については→問題40)。(2) 金融機関が守秘義務を負うことを前提に顧客から得た顧客の財務情報②の部分は職業の秘密に該当するであろうか。金融機関が有する顧客情報が、職業の秘密に該当するか否か問題となる。参考判例①では、訴訟の被告となっている顧客の取引先である金融機関に対して、その取引履歴が記載された明細書の開示が問題となった。金融機関は、顧客との取引内容に関する情報を顧客との契約上の守秘義務の範囲にかかわる情報などと顧客情報につき、守秘義務を負うが、この情報が民事訴訟法上保護される「職業上の秘密」には該当せず、その根拠に提出義務を拒むことはできないとした。しかし、「金融機関が有する上記守秘義務は、上記の根拠に基づき顧客との間の関係において認められるにすぎないものであるから、金融機関が民事訴訟において訴訟外の第三者として開示を求められた顧客情報については、当該顧客自身が当該民事訴訟の当事者として開示義務を負う場合には、当該顧客が上記顧客情報につき金融機関の守秘義務により保護されるべき正当な利益を有せず、金融機関は、被告Y銀行において上記顧客情報を開示しても守秘義務に違反しない」のであり、金融機関が顧客情報につき「職業上の秘密」として保護の利益の帰属主体となる場合を完全に否定したものではない。秘匿される情報は顧客自身のものであるが、最高裁は、顧客自身の職業の秘密ではなく、その情報を所有している金融機関の職業の秘密として処理する姿勢を示している。もっとも、参考判例①は、顧客が訴訟当事者であり、金融機関が第三者である場合であり、本問のように、金融機関が訴訟当事者となり、第三者である顧客の情報開示が問題となるケースについても射程が及ぶか明らかではなかったが、参考判例③は、この場合にも同様の判断を示すことになった。したがって、顧客が訴訟上開示義務を負う顧客情報については、金融機関は、顧客に対する守秘義務を理由に開示を拒絶することはできず、金融機関がこれにつき職業の秘密として保護に値する独自の利益を有するとはいえない。別として、職業の秘密としては保護されない。本問で、非公開のAの財務情報についてAが開示義務を負うかを検討すると、Aに民事再生手続が開始し、手続開始前のAの信用状態に関する情報は手続を通じて債権者らに開示されているので、これを訴訟で開示してもAが被る不利益は小さく、職業の秘密として保護はされず(訴訟当事者以外の第三者の職業の秘密を判断する際の比較衡量に消極的な見解として長谷部・後掲54-56頁)、その他に文書提出義務を免れる事由もないため、本文では比較衡量説を採らず、Y自身にもこれを秘密にする独自の利益は認められない。そのため、Yの職業の秘密には該当せず、Yは開示義務を負う。(3) 分析評価情報③金融機関自身が行った分析評価情報は、顧客自身の情報ではない。この部分の職業秘密該当性を考える場合には、前掲・最決平成12・3・10の示した、「その事項が公開されると……当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるもの」に該当することに加えて、その情報が、比較考量の結果保護に値する秘密である必要がある。この点、報道機関の取材源について、職業の秘密に該当することを理由に証言拒絶を認めたケースにおいて、最高裁は比較衡量説を採用することを明示したが(→問題40)、このケースは、憲法上の表現の自由(憲法21条)によって保護される報道の自由、取材の自由の保護につながるものであり、かつ、文書提出義務の存在ではなく証言拒絶の可否が問題となったものである。そのため、その他の職業秘密一般、また文書提出命令の場合にも、比較衡量を行うのか明らかではなかった。ところが、参考判例③において、最高裁は、所持者提出命令の対象文書に職業の秘密に当たる情報が記載されていても、「所持者提出命令が民訴法220条4号ハ、197条1項3号に基づき文書の提出を拒絶することができるのは、対象文書に記載された職業の秘密が保護に値する秘密に当たる場合に限られ、当該情報が保護に値する秘密であるかどうかは、その情報の内容、性質、その情報が開示されることにより所持者に与える不利益の内容、程度等と、当該民事事件の内容、性質、当該民事事件の証拠として当該文書を必要とする程度等の諸事情を比較衡量して決すべきものである」として、取材源以外の秘密が問題となった文書提出命令の場合にも比較衡量説を採用する旨の判断をした。本問の分析評価情報は、これを開示することにより、Aが重大な不利益を被り、AのYに対する信頼が損なわれるなどYの業務に深刻な影響を与え、以後その遂行が困難になるため、Yの職業の秘密に当たる。しかし、分析評価の対象となったAについてはすでに民事再生手続が開始しており、それ以前のAの財務状況、事業状況等に関する分析評価結果を開示してもAが受ける不利益は小さく、Yの業務に対する影響も軽微である。これに対して、本問の民事事件の重要性は高く、また、分析評価部分には、Aの経営状態に対するYの率直かつ正確な認識が記載されている可能性が高く、証拠価値は高いため、これに代わる中立的・客観的な証拠を見いだせなければ、この部分は保護に値する秘密とはいえず、Yは提出義務を負わない(参考判例①の原審(東京高決平成19・1・10金法1826号49頁)ではこの部分は職業秘密に該当するとして開示を認めている。しかし、邦銀の自己分析ノウハウ等も含まれる可能性もあるので、この部分は外部機関の職業の秘密に該当し、外部機関は開示義務を負わないので、Yも提出義務を負わない。自己査定文書には、顧客とは無関係の第三者の財務情報等が含まれている可能性もある。この部分はそもそも証拠価値が低いので提出する必要がなく、通常は、第三者の情報に該当する部分のみを墨塗りして提出することになる。あるいは、この部分は第三者の職業の秘密に該当し、第三者は開示請求を負わず、これを所持する金融機関も第三者に対する守秘義務を負い、Yの職業秘密に該当するとして開示義務は否定される。