事情変更の原則
精密機器メーカーであるA社は、2021年4月に、B社との間で、同年6月から5年間にわたり、A社の製品で使用する部品をB社より固定価格で毎月5000個購入する契約を締結した。 同年6月以降、契約で定められたとおりに、B社は自社の工場で製造した部品を納品し、A社は納品の翌月末に代金を支払っていた。B社は、本件部品の製造に不可欠な希少金属をS国から輸入していたが、2021年11月、S国は、突如として、自国の産業振興を優先させるという政策のもと、S国外への輸出を原則として禁止する措置をとるに至った。B社は、T国産のCにかえ買えなどの対応をしたものの、世界的な価格の高騰もあり、2022年2月の時点で、本件部品の原材料コストは契約締結時と比べて約5倍にまで上昇した。2022年3月に、B社は、A社に対して事情を説明したうえで、同年4月から本件部品の代金を従前の4割増の額にしてほしいと申し入れた。A社は、部材原価においてB社の要請に応じることができなきを検討したが、すでに本件部品を使用する機器の需要層が形成されていることもあり、4割もの増額に応じることはできないと判断し、その旨をB社に回答した。返答を受けたB社は、2022年4月以降、A社に対する部品の納品を停止した。その結果、A社は、機器の製造を続けることができなくなり、製造ラインの停止を余儀なくされた。A社は、B社に対して、被った損害の賠償を請求したいと考えている。A社の請求は認められるか。B社としては、どのような反論をすることができるか。1 A社による損害賠償請求A社としては、B社による債務不履行を理由として、損害賠償を請求している (415条)。そのためには、A社は、①債務の発生原因 (A社とB社の間の契約の締結)、②「契約に基づいて発生した」債務の本旨に従った履行がなこと、③損害が発生していること、を主張・立証しなければならない。本問においては、要件①②は充足されていると考えられる。要件③について、B社がA社に負った債務の不履行によってA社に損害が発生したかどうかが問題となる。A社は、B社に負った債務の内容を具体的に主張する必要がある。本問では、B社がA社に対して負担した債務の内容はどのようなものか、B社がその内容に従った履行をしたといえるのか、といった点を検討しなければならない。本問では、A社とB社の間で締結された契約の解釈・補充を通じて、その範囲が明らかにされることとなる。具体的には、納品されるべき部品がA社の製品に用いられることが予定されていたことを踏まえると、A社が当該製品を売却することによって得られたであろう利益も、賠償されるべき損害に含まれると判断される可能性がある。当該損害の賠償請求が「債務の履行に代わる損害賠償の請求」に該当する場合、415条2項の定める追加的要件も充足する必要がある。本問では、債権者であるB社の履行拒絶 (同項2号)、契約の解除、または、解除権の発生 (同項3号)が問題となるだろう。また、B社としては、同時履行の抗弁 (533条) の存否も問題となる。上記の要件①から③までが充足された場合、B社は、債務不履行が不可抗力 (415条2項) に基づくものであることを主張して、損害賠мを免れることはできないか。同時履行の抗弁が存在しないことも主張・立証しなければならないと一般的に考えられている。このような理解の問題点についてはここで立ち入ることはできないが、こうした理解に従うならば、A社としては、同時に履行の抗弁が存在しないということ、具体的にはB社がその債務を先に履行する義務を負っていることなどを主張・立証しなければならない。以上を踏まえて、B社としては、損害賠償責任を免れるために、どのような反論をすることがでるのかを検討していこう。2 B社の免責の可否まず、B社は、債務の履行を自らの責めに帰することができない事由によるものであるとして、免責を主張することが考えられる(415条1項ただし書)。2017年改正前民法の下での広範な通説は、債務者の責めに帰すべき事由(「帰責事由」)は債務者の故意・過失または信義則上これと同視すべき事由を指すと解してきた。このような理解に立って本問におけるB社に帰責事由が認められるかを検討すると、一方で、B社には自らの意思で債務の不履行をしているのであるから、帰責事由が認められるという判断が考えられうる。他方で、B社の不履行の理由となったのがS国によるSの輸出禁止の措置であることに着目し、当該事由の下で、B社としては、債務を履行するために同種の地位にある者に一般に要求される程度の注意を尽したことを主張するアプローチも考えられる。以上に対して、近時の債務者の故意・過失が債務不履行の要件であるという理解に批判的な見解が有力になっている。つまり、伝統的通説が債務者の帰責事由を故意・過失のことであると単純に把握した背景には、民法が不法行為責任の類型を基本として債務不履行責任の根拠を探っていたという歴史的な経緯が存在するところ、債務者の帰責事由の判断に当たっては、契約内容、当事者の属性、債務不履行に至る経緯などを考慮したうえで、債務者の帰責が認められるかどうかが判断されるべきだとされる。したがって、債務者の帰責事由とは、不法行為法のように主観的に非難されるような心理的・抽象的な過失のことではなく、当事者が締結した契約に基づいて課される義務に違反したことを意味すると考えるのである。2017年改正民法415条1項ただし書は、「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由」に該当することによって債務不履行責任を免れる旨を規定しているが、その趣旨は、債務者間の契約においてどのような危険を負担しているのかが責任の基準になるということを示しているのである。この点を踏まえて本問をみると、債権者であるB社は、A社に部品を引き渡すという結果を実現する債務を負っていると考えられる。このような結果債務の場合、債務者が結果債務を履行できなければ、それが債務不履行となる。約束された結果が実現されていなければ、債務者は債務不履行責任を免れないのが原則である。 もっとも、 債務者が結果債務を負っている場合であっても、債務者が契約において引き受けていない事由によって不履行が生じたと評価されるときには、債務者は損害賠償責任を負うことはない。 そのような場合、 債務者は当該事由を克服して履行を行うことを契約において義務づけられていないからである。 本問では、 S国による輸出禁止措置がそのような事由に該当するかを評価できるかが問題となる。3 事情変更の原則の適用B社としては、事情変更の原則の適用を主張することも考えられる。事情変更の原則とは、①契約の成立時にその基礎となっていた事情の変更すること、②事情の変更が当事者の予見したものではなく、予見できたものではないこと、③事情の変更が当事者の責めに帰することができない事由によって生じたものであること、④事情の変更の結果、当初の契約内容に当事者を拘束することが著しく不当と認められることを要件として、契約の解除、または、改訂を認める法理である。近時の学説では、事情の変更に直面した契約当事者に、新たな暫定条件をめぐって相手方と再交渉をすべき義務を課すことが有力に主張されている。この法理は、一般論としては、判例・学説において広く承認されており(参考判例①)、2017年民法改正の際にも最終段階まで立法化することが検討されていた。もっとも、最高裁は、事情変更の原則の適用に対して謙抑的であるといえる。最近において同原則の適用が認められた裁判例は、平常時におけるものは存在すらしない(大阪高判昭19・12・8民集23巻63号)。参考判例①は、ゴルフ場の予約会員権によって保障した事業に隣接するものであったが、自然の地形を変動してゴルフ場を造成するゴルフ場経営会社としては、特段の事情がない限り、のり面に崩壊が生じることについて、予見不可能であったとも、帰責事由がなかったともいえないと判示している。ここで注目されるのは、ゴルフ場の経営に際して周辺環境を講じる必要が生じることは予見し得ないことではないという形で、一般的・類型的な判断がされている点である。このような最高裁の態度を踏まえると、本問においても、部品メーカーであるB社としては、部品の原材料コストが高騰したことだけを理由として、事情変更の原則の適用を主張することは難しいかもしれない。仮に同原則の適用が認められるとすると、B社としては、契約の解除または改訂によって部品の引渡義務を免れることができる可能性があり、さらには、増額された代金の支払をA社に求めることができる可能性もある。なお、ここでも事情変更の原則の適用要件としての予見可能性および帰責事由の有無を判断し、2で検討した、債務不履行による損害賠償に関する債務者の免責事由の判断は、どのような関係に立つつのだろうか。この点については、論者によって見解が分かれると思われる。債務不履行による損害賠償の要件をめぐる議論の変遷を意識しつつ、2と3の判断の間に相違があるのか、あるとすればそれはどのような理由によるのか、検討してみてほしい。関連問題(1) 2022年4月以降も、希少金属Cの価格は高騰を続け、同年末には、部品の原材料コストは契約締結時と比べて約10倍となった。この場合、A社はB社に対して部品の引渡しを請求することができるか。B社としては、どのような反論をすることができるか。(2) 2022年4月以降、A社は、契約で合意された価格で部品を納品するように主張し続けており、現在に至るまでA社の製造ラインは停止したままである。この場合、A社は、製造ラインの停止によって生じた損害のすべてを賠償するようB社に請求することができるか。B社としては、どのような反論をすることができるか。