釈明義務
XはAの不動産上に抵当権を有しており、当初Xは1番、Yは2番抵当権者であったが、その後順位変更登記がされてXが1番、Xが2番抵当権者となった。XはYに対して、順位変更の合意はなかったとして、順位変更登記の抹消登記手続請求訴訟を提起した。第1審での争点は、Yが抗弁権として主張した、X・Yが抵当権順位変更の合意をした事実が認められるかであった。が、立証のために提出した抵当権順位変更契約書のX作成名義部分の成立が争われたため、Yは、X代表者Bの署名がB本人の自筆によるものかを判断するために必要であるとして筆跡鑑定の申立てをした。ところが、裁判所は鑑定は申出を採用することなく、作成名義の真正を認め、Yの抗弁事実を入れず請求を棄却した。控訴審裁判所は、筆跡について特段の証拠調べをすることなく、人の証明のみに基づいて作成名義が真正に成立したとはいえないと判断し、Y抗弁事実を排斥し、第1審判決を取り消して請求を認容した。控訴審裁判所に釈明義務違反はあるか。●参考判例●① 最判平成3・2・22判時1559号46頁② 最判昭和39・6・26民集18巻5号954頁③ 最判昭和45・6・11民集24巻6号516頁④ 最判昭和51・6・17民集30巻6号592頁⑤ 最判平成22・10・14判時2098号55頁⑥ 最判令和4・4・12判時2534号66頁●解説●1 釈明権民事訴訟法149条によると、裁判長は、訴訟関係、すなわち当事者の請求、主張・立証に関するすべての事項を明瞭にするために、口頭弁論期日や期日外において、事実上および法律上の事項に関して当事者に問いを発し、または立証を促すことができる。これが釈明権である。弁論主義の原則によれば、判決の基礎となる事実や証拠の提出は当事者に委ねられる。裏を返せば、裁判所は、当事者が主張、提出しない事実や証拠についてはこれを考慮できない。弁論主義の結果、民事訴訟の対象となるのが私的自治の原則が妥当する私人間の権利義務に関する紛争であり、訴訟手続においてもこの原則を尊重したものであり、訴訟事件を当事者の意思であれば、当事者の主張が不明瞭であったり、重要な事実や証拠について提出であるがゆえに敗訴するのは当事者の自己責任であり、裁判所があえて提出を促したりする必要はなかろう。しかしながら、このように当事者の不注意から生ずる、真実とは異なる判決がなされるのを放置するのは正義感情に反し、裁判制度に対する信頼を損なうことにもなりかねない。このことは、現行法が本人訴訟を認めており、訴訟追行能力が十分でない当事者であることや訴訟の争点が必ずしも明確でないことを考慮するとさらである。また、弁論主義が承認されており、弁論主義が承認されているとしても当事者が不注意から重要な主張を提出されない場合に、当該主張を判決の基礎とすることができずに敗訴した責任のすべてを、弁護士を選任した当事者に押しつけるのも酷にすぎよう。弁論主義の根拠についても、私的自治の意義のみならず、真実発見に貢献する点からとか、当事者に十分な手続保障を与えるためであると説明されることもあり、このような立場からは、上記のような結果は容認できないであろう。そのため、裁判所に釈明権を認め、当事者の主張を指摘することが認められている。このような補充的な釈明を消極的釈明という。加えて、当事者が提出している張が不当・不適切である場合や、当事者が適当な申立てを怠る、証拠提出等をしない場合に、裁判所がそれを積極的に促す是正的な釈明も認められ、これを積極的釈明という。売買契約の連帯保証債務の履行を求める訴えを提起する債務者の消極的な釈明が問題とされている(参考判例①)。このように、弁論主義の形式的な適用による不都合を回避し、実質的な当事者間の平等を回復するとともに、事実の真相を解明して真の紛争解決を可能にするための制度であり、弁論主義を修正・補充するものとして認められている。もっとも、最終的に事実や証去を判断する権能は当事者にあるため、当事者は裁判所の釈明に応ずる義務はない。2 釈明義務裁判所に裁判所の釈明権であるが、いつ釈明権を行使することは裁判所の裁量に委ねられているといえよう。ただし、釈明については明文の規定がないが当然にあるものと考えられている。いかなる場合に釈明義務が認められ、これに違反した場合にいかなる効果・制裁が用意されているかは解釈に委ねられている。学説によれば、釈明義務の考慮要素として、以下の点が挙げられる。①判決における勝敗転換の蓋然性があったかどうか、釈明権を行使すると勝敗が逆転するとか、判決主文に変更が生ずる蓋然性が高い場合に釈明義務を肯定する。②当事者の申立て・主張における法的に不備が顕著であるか、③当事者の申立て・主張に法的に不備があることが明らかであるにもかかわらず、当事者が釈明に待たずに、釈明権者が適切な申立てや主張・立証することが期待できない場合、④釈明権の行使により、当事者が事件を審理しない、⑤その他の要素。訴訟の技術に習熟するか否かを肯定する方向に向かい、ここに訴訟遅延を招くおそれ等に否定する方向に考慮する。これらの諸要素を総合考慮して、釈明義務の有無が判断される(中野・後掲223頁)。また、当事者の不注意や懈怠による訴訟追行が不十分である、釈明権を行使しない場合に不合理な内容の判決が下されないかという実体的正義の側面と、当事者に不意打ちを与えざるおそれがあるか、当事者の実質的公平を図る必要性があるかという実質的手続保障の側面も考慮すべきである。裁判所が、釈明権を行使すべきであるにもかかわらず、これを行わなかった場合には、釈明義務違反として上告または上告受理申立ての理由(312条3項・318条1項)となる。判例においては、原告が自白した請求原因事実の成立が訴訟の状況に照応して問答した場合、これを認識して、当該区域の一部のみが原告に帰属するとする証言を得たとして、そこされた成立の数量等について回答を促すために、当事者に訴訟方法の証明を提出した価値に相反について、相続税が成立した事実についての当事者による釈明が考えられる(参考判例⑥)。また、第1審、第2審を通じて当事者に主張を提出する具体的な事情が示唆されているにもかかわらず、当事者がこれを避けなかったような法律構成を採用せず、信義則違反を認定したことには、釈明権を行使しなかったとしても違法とみるべきものがあるとする(参考判例⑤)。もっとも、信義則違反については一般条項(→問題28)の問題、事実認定の問題なので、釈明義務の判断に含めてよいものか。3 証拠調べと釈明義務(1) 証拠調べへの釈明義務 釈明義務は、当事者の申立てや主張のみならず、証拠の提出に関しても認められる。例えば、現に提出してある証拠によれば、当事者が証拠申出を行わない場合に争点事実を証明するにはすべてが揃わなければならない場合などである。とくに、判例が証拠調べの結果一定の心証を形成した場合に、相手方に反証の提出を促す釈明義務があるかについては、見解が分かれる。賛否両論があるが、原則として、かつては証拠申出が訴訟記録からみて可能な場合に、控訴審が事実の発見と事実評価を行うため、これら当事者に示して訴訟行為を行う機会を与えなければ不意打ちの判決となる場合に、証拠申出を促す義務があるという折衷的な見解もある(竹下=谷口=斎藤編『注釈民事訴訟法』(有斐閣・1993) 152頁[松本博之])。(2) 本問における釈明義務本問では、裁判所の積極的な釈明義務の範囲が問題となる。釈明義務に関する学説の基準に照らすと、本問では、②は問題とならないところ、①は、控訴審では、筆跡鑑定は一般に信頼性が高いといわれている専門性の高い鑑定人の確保が難しいため、決定的な立証手段とされてはいないが、筆跡鑑定を行えば申出の当事者Yに有利な鑑定結果が得られる余地があるので、勝敗転換の蓋然性がないとはいえない。③控訴審裁判所においては、第1審と同様に筆跡鑑定の申出を可能とする可能性を否定するかについては、例えば、Yが裁判所に対して、文書の成立の真正に疑問を抱いた場合に筆跡鑑定をするように申し出ているような場合には(参考判例①においてはかかる申出があった)、裁判所の釈明がなければ、Yが自発的に証拠を申し出る期待可能性もない。④第1審では、筆跡鑑定の申出がなされたにもかかわらずこれが黙示に却下されているので、控訴審で筆跡鑑定を申立てたとしても、裁判所による証明の申出を拒否するとはいえず、裁判所としてもXに不意打ちを与えるものではなく、当事者の公平を害するともいえない。また、仮に、上記のように、Yが控訴審裁判所に対して訴訟の申立てについて判例の釈明を行使することなく文書の真正について第1審と異なる判断をすることは、Yにとって不意打ちになり、実質的手続保障、当事者の実質的平等の点からも問題がある。したがって、釈明義務は肯定されよう。●参考文献●中野貞一郎「過失の推認」(弘文堂・1978)215頁 / 加藤新太郎「立証を促す釈明について」NBL614号(1997)56頁 / 加藤新太郎・百選(第3版)(2003)126頁(杉山悦子)