残部請求と信義則違反
XはYとの間で、Yの所有する別荘を代金1億円で購入する旨の売買契約を締結したが、履行期に別荘が引き渡されるまでの間に、同別荘は焼失してしまった。Xは、同別荘の焼失はYの責めに帰すべき事由によるものであり、Yの債務不履行(履行不能)による損害賠дося 3000万円であり、そのうち一部として500万円の支払を求める旨を明示して損害賠償請求訴訟を提起した(前訴)。裁判所において、Yは自らに帰責事由はなかったとしてXの請求を争ったが、審理の結果、裁判所はYの過失の存在は認定できないとして、Xの請求を棄却する判決が言い渡され確定した。その後、Xはあらためて上記損害額の残部である2500万円の支払を求める損害賠償請求訴訟を提起した(後訴)。この後訴は、認められるであろうか。●参考判例●最判平10・6・12民集52巻4号1147頁●解説●1 一部請求に対する残部請求の可否数量的に可分な請求権につき、当事者(原告)が、その一部についてのみ訴求すること(一部請求訴訟)については、処分権主義の観点からも当然に認められる。しかしながら、一部請求を認めて原告の利益のみを図ろうとすることは、他方で、実質的には同一の紛争についての応訴の負担や重複審理による非効率といった被告側や裁判所の不利益も大きいことから、一部請求後にする残部請求が一般に許されるか否かという点が、古くから論じられている。この点について、学説上はさまざまな見解が存在するが、大別して、全面肯定説、全面否定説、中間説といった見解が見られる(→問題50)。他方、判例は、明示的一部請求肯定説の立場に立っているとされ、黙示の一部請求の場合には、訴訟物は債権全体であり残部請求はもはや許されないが(最判昭32・6・7民集11巻6号948頁)、明示の一部請求の場合には、訴訟物は明示された部分に限定され残部請求は許されるとする(最判昭和37・8・10民集16巻8号1720頁)。このように従来の判例理論は、「訴訟物=既判力」といった枠組みを前提としたものといえる。2 一部請求棄却の場合の残部請求本問のように、前訴における残部請求が棄却された場合の後訴請求の可否について、学説上の考え方に従うと、全面肯定説の立場では当然に残部請求は認められるのに対して、全面否定説の立場では当然に残部請求は認められないことになる。また、中間説の立場からは、一部請求が棄却の場合には残部請求を認めないとする見解が多いといえる。明示的一部請求肯定説に立つ判例理論による場合には、どのように考えるべきであろうか。本問のように一部請求である旨を明示していた前訴において請求が棄却された場合であっても、従来の判例理論に従う限りにおいては、明示がなされている以上残部請求は許容されることになりそうではある(なお、従来の判例はいずれも前訴で一部であるか否かが問題となった)。しかしながら、前訴で請求棄却という結論にまで至った理由としては債権全体の不存在という判断(もっとも、これは判決理由中の判断ではあるが)がなされたからであり、そうだとする残部請求を許容したところで結局は同じような審理経済の繰り返しを招来することになりかねない。そこで、参考判例①に掲げた最高裁は、全損害額の数量的一部請求を棄却する旨の判決は、債権の全部について行われた審理の結果に基づいて、当該債権がまったく現存しないかまたは一部として請求された額に満たない額しか現存しないとの判断を示すものであって、後に残部として請求された部分が存在しないと判断を示すものにほかならないと前提したうえで、「一部請求訴訟で敗訴した原告が残部請求の訴えを提起することは、特段の事情がない限り、信義則に反して許されない」と判示し、信義則による残部請求の 後訴を制限する。これをどう理解するかについては、金融債権の数量的一部請求であってもおのずから債権全体の審理判断が必要となり、当事者の主張立証の範囲・程度も通常は全額請求の場合と変わらないこと、一部請求を棄却する判決は残部不存在の判断を示すものであるから、蒸し返し的後訴について被告の応訴についての被告の報告に理由がない、主張立証の負担を強いること、といった点が挙げられている。残部請求を既判力によって遮断することに対して疑問が呈され、一部請求の 後訴部分の矢櫃の可否が問題となり、信義則に基づく訴訟物の枠を超えた 失権効の一種であるとする見解も学説上では有力に唱えられているところで あり、信義則による残部請求の後訴を遮断する最高裁の考え方は、このよ うな有力説にも面する(ものでなく)。しかしながら、最高裁の論理は、債権全体の存否が一度は審理の対象とな りその不存在についての判断がなされたにもかかわらず、後訴においてこれ をあらためて主張することは蒸し返しであり信義則に反するとするもので あって、あたかも判決理由中の判断に拘束力を認めたともとられかねない。 そもそも従来の判例理論が、明示の一部請求に限り残部請求を許していたの は、一部請求訴訟を認めた場合に残部を証明すること可能性とを両方に 通じ、相手方当事者が前訴における訴訟において得ること期待した紛 争の全面的解決の幅をあらかじめ限定する場合にほかならない。したがって、 原告が一部請求で全部請求した場合に下した結論と矛盾が生じないことになり、それにもかかわらず前訴で一部請求が功を奏さなかったから あらためて残部請求をするというのは信義則(権利失効の原則)に反する、 と捉えるのであろう。3 信義則による残部請求の遮断参考判例①により用いられた信義則による残部請求の遮断という手法は、 従来の判例理論により構築された残部請求の可否を認める「訴訟物= 既判力」という枠組みを維持するものであるが、前訴における審理の対象が実質的には債権全体に及んでいるものであることから、従来の「訴訟物=既判力」の枠組みを超えて、実質的には紛争の蒸し返しと思われる後訴を信義則により遮断するという手法は、すでに最高裁自身も認めていたところであり(最判昭和51・9・30民集30巻8号799頁など)、参考判例①で示された最高裁の考え方は、一連の最高裁判例の延長線上にあるものともいえる。もっとも、信義則によって後訴が遮断されるのは、①後訴が実質的に前訴の蒸し返しであって、②前訴において後訴請求をすることに何ら支障がなかったのに、③後訴提起に至る時間経過により、被告の地位を不当に長く不安定な状態に置くことになること、といった要件を満たすことが求められるが、個別的に判断されるものである。これに対し、参考判例①の示す信義則による残部請求の遮断という手法は、一部請求の前訴の棄却判決となるためには、審理の範囲が債権全体に及ぶことになるところ、債権の存否が否定された部分については被告に紛争解決の合理的期待が生じているにもかかわらず、これに反して残部請求することは信義則に反するという理論に基づくものであることから、信義則の不遵守への「特段の事情」がごく例外的にしか当てはまらないとすれば、もはや信義則の個別適用の結果ではなく、制度的な効力に近いものとなるともいえ、信義則による残部請求の遮断を認める一連の判例理論よりもさらに踏み込んだものとなっている。それゆえ、参考判例①のいう残部請求が認められるための「特段の事情」がどのような場合に認められるか問題となる。この点については、棄却された理由として、事実認定を誤って事実を否定するものであり、この場合、請求棄却された損害項目についての残部請求は妨げられないとする(最判平20・7・10判時1463号4頁はその一例といえよう)。