訴訟上の証明
Xは3歳の頃、化膿性髄膜炎のため、Y国(被告)が経営するA大学医学部付属病院に入院した。Xは治療により一応症状は改善したが、これを契機として身体障害者となったところ、A病院に勤務するB医師によるルンバールの施療(脊椎からの髄液採取およびペニシリンの髄注)を受けたが、そのおよそ15分後に突然発作を起こした。その結果、Xには、知能障害および運動障害等の後遺症が残った。そこでXは、これらの障害の原因は本件ルンバールのショックによる脳出血であると主張し、BおよびYに対し、治療費、逸失利益、慰謝料等合わせて2000万円の損害賠償を求める訴えを提起した。これに対してYは、本件発作は、治療の経過中にたまたま発生した、化膿性髄膜炎に随伴する脳炎が原因であると主張し、Xの障害も化膿性髄膜炎による後遺症であり、ルンバールと本件発作や後遺症との間には因果関係はないと主張した。裁判所は、Bの作成したカルテ、Bの証言、および複数の鑑定意見(医学的に因果関係が肯定できると断定できないとするもの)を考慮した結果、次のような事実を認定した。癲癇、けいれん等の発作が、Xが経験したルンバール施療の15分後に起きたこと、Bの都合で施術がXの食事直後に実施され、Xが嫌がって泣き叫んだため、施術が通常より長時間かかったこと、Xにもともと脳出血の傾向があったこと、このような状況の下で脳出血を発症した可能性があること、発作後退院までにBはXの症状の原因を脳出血によるものとして治療をしていたこと、化膿性髄膜炎の再燃の可能性は非常に低く相当な事情は認められないと判明した。これらの事実を前提として、裁判所はXの障害とルンバールの因果関係を肯定することができるか。●参考判例●① 最判昭和50・10・24民集29巻9号1417頁② 最判平成12・7・18判時1724号29頁●解説●1 証明と証明弁論主義の第2テーゼの裏送として、当事者間で争いのある事実については、裁判所は原則として証拠調べをしなければならない。裁判所は、証拠調べの結果と弁論の全趣旨に基づいて、当事者が自由に形成する心証に基づいて行われる(247条)。自由心証主義、ここで、裁判官が自由に形成する心証に基づいて、ある事実を存在するものとして認定することができるが、裁判官が事実を認定することのできる心証の程度を証明度というが、証明度がどの程度のものであるかについては、明文の規定がないので、解釈に委ねられている。2 証明の程度(1) 判例 通説によれば、裁判官が事実に確信を得ることであるが、参考判例①によれば、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合的に検討し、特定の事実が特定の結果を生じた関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」。すなわち、裁判官の主観的な確信ではなく、通常人が疑いを差し挟まない程度の高度の蓋然性を基礎に確信を得ることが必要である。参考判例②は、脳神経外科が、患者の意識障害に起因する食道手術について医療費の給付を求めるのに必要な認定申請を却下した行政処分取消訴訟であるが、因果関係の立証は通常の民事訴訟と同じであり、相当程度の蓋然性を証明する立証とした。高度の蓋然性の立証を必要とした。通説も判例の立場に賛成する。証明の程度を、後述のように低く設定然と、事実の証明収集能力が必ずしも十分でない場合には、事実認定が偶然の要素によって左右される可能性があるので、そのような事態を防ぐ必要がある。訴状を変更するよりも事実を変更するよりも蓋然性を重視すべきであり、そうであれば、現状を変更しようとする者に、より高度な証明の負担を課すのが望ましい。さらに、公権力による権利の強制を基礎付ける訴訟の結論は特に確固たるものであるべきである。また、証明度が低いと十分な立証活動によっても勝訴することが可能になってしまうが、当事者による積極的な立証活動を促すためには、高度な証明が必要な蓋然性であるべきと主張する。(2t) 有力説 (1)に対して、訴訟法上証明があったというには、高度の蓋然性までは不要であり、証拠の優越されあれば足りないという学説も有力に主張されている。すなわち、ある事実の存在について立証する場合、立証活動の結果、その事実が存在しない可能性よりも、存在する可能性が高いと判断することができるのであれば、その事実を認定することができる。この見解は、証明度は、事実認定が誤った場合に原告と被告が被る損失、すなわち、誤った事実認定がなされた場合に、当事者および社会が被る損失に比して求められるべきであるとする。そして、民事訴訟においては、通常、原告と被告は対等であるため、原告側に誤って不利益な事実認定がなされるコストと、被告側に誤って不利益な事実認定がなされるコストは同じであるはずである。したがって、証拠の優越、すなわち50パーセントを超える心証を裁判官に得させることができれば、立証に成功したものとして扱うべきであると主張する。また、当事者の中には必ずしも証拠収集能力が高くないものもいるので、常に高度の蓋然性の程度まで立証を要求するのは酷であるとも主張する。さらに、控訴審や上告審が成立するからといって、訴訟という形態のなかで認められているものではない以上、現状維持の価値を重視して現状変更を主張する者に証明責任を重くすべきということにはならない。また、証明度が低い場合には、裁判官の心証は当事者からはわからない以上、当事者は懸命に立証活動を行わなければならないからである。当事者の立証活動を促すために高度な証明を上げる必要性はない、とも主張する。最高裁は高度の蓋然性の基準を使用しているが、参考判例①では、実質的には高度の蓋然性よりも低い証明度を事実認定の基礎としており、参考判例②でも、証明度を軽減した原判決を維持している点などから、その結論とは異なり、証拠の優越を採用しているとも評価されている。3 本問の場合本問では、ルンバールの施術とXの症状との間の因果関係が証明できたといえるかが問題となる。鑑定意見でも示されているように、医学的見地からは因果関係が証明できたとはいえないのである。しかしながら、民事訴訟で最終的に裁判官が行うのは法的評価であり、自然科学的な分析とはではない。また、自然科学的な立証を要すると、訴訟に不毛な科学論争を持ち込む可能性がある。したがって、訴訟上の証明は自然科学とは区別され、むしろより実践的要請の真理に沿った判断といえる。紛争解決をするのが望ましいので、自然科学の見解を重視することはできない。そのため、判例のように、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得る程度の立証があれば、因果関係を肯定することが認められる。本問では、確かに、化膿性髄膜炎の再燃の可能性を完全に否定することはできないかもしれないが、裁判所が認定した事実を前提とすれば、通常人(ただし、まったくの素人という意味ではなく、専門書や専門家などの助けを得てある程度の専門知識をもつにいたった一般人が基準となる)であれば、ルンバール施療とXの症状との間に因果関係があることについて疑いを差し挟まないといえるので、因果関係を肯定することはできる。●参考文献●町村泰貴・百選114頁 / 伊藤眞・民事事実認定11頁 / 加藤新太郎・民事事実認定110頁(杉山悦子)