債権譲渡と相殺
自動車用の精密部品を製造するA社は、自動車メーカーB社に本件モーター用の部品を納品していた。Aが2022年に締結した基本契約書には月間の総販売数量が定められていたが、これを目指すBは、この数量をAから購入する義務はないことが明記されていた。また、Bは希望する数量の20日前までに発注すること、Aはこれに応ずること、Bは納品から40日後に代金をAに支払うこととされていた。2025年4月1日、Aは、C銀行から融資を受けるに際し、同日から2025年9月30日までの間にAがBに対して取得する部品代金債権をC銀行のために譲渡したが、この段階ではBへの通知は行われなかった。Bは、2025年7月1日、Aの要請に応じ、返済期限を同年10月1日として800万円をAに貸し付けた(債権②)。2025年9月1日、AはCに対する残額の支払を怠り、融資契約時のCとの約定に従い、個人信用情報の利用停止を怠った。Cは同日、Aの代理人としてBに債権譲渡を通知し、BがAに対して負う代金債務も今後はCに弁済するよう求めた。2025年12月1日時点のAのBに対する代金債権は、7月5日発注・同月25日納入分300万円(債権③)、8月5日発注・同月25日納入分400万円(債権④)、9月5日発注・同月25日納入分200万円(債権⑤)である。ただし、9月5日に発注された部品には不適合があり、AがBの求めに応じて10月1日に代替品を納入したが、この際にBのスポーツカーの製造に遅れが生じ、それは、納車が遅れた顧客への対応として準備されたペナルティ100万円に相当するようAに求めている(債権⑥)。なお、債権発生日は共通である。Bは、Cからの請求に対し、債権譲渡・相殺のいずれの主張をして対抗することができるか。参考判例① 最判昭和50・12・8民集 29巻11号 1864頁② 最判平成24・5・28民集 66巻7号 3123頁解説1 「債権譲渡と相殺」における弁済期の先後債権譲渡は、譲渡人と譲受人との間の契約によって行われ、譲渡される債権の債務者のこれに関する与り知らない。しかし、債務者は、自身の与り知らない債権譲渡によって不利益を被るようなことがあってはならないはずである。そこで、債務者は、債権譲渡が対抗要件を備えた時点までに譲渡人に対して生じた事由があれば、これをもって譲受人に対抗することができるとされている(468条1項)。そして民法は、この一般的な抗弁の対抗に関する規定に加えて、相殺に関する規定を別に設けている。すなわち、債務者は、対抗要件具備時より前に譲渡人に対する債権を取得していれば、これを自働債権とし、譲渡された債権を受働債権とする相殺をもって譲受人に対抗することができる (469条1項)。民法 468条1項の規律は 2017年民法改正の前から存在していたが(旧468条2項参照)、民法 469条1項は新設の条文である。2017年民法改正の前は、「債務者が譲渡人に対して有する債権をもってする相殺を譲受人に対抗しうるのはどのような場合か」という「債権譲渡と相殺」の問題について、「差押えと相殺」の問題 (→本編32) と同様に学説の対立があった。つまり、判例は、債権譲渡の債務者が対抗要件具備された債権の債権者が請求してきた場合、これを待っていた債務者は、この債権とされた債権の弁済期の前後を問わず、債務者は相殺をもって譲受人に対抗しうるとする。これに対して判例は、債権譲渡の債務者が対抗要件より前に自働債権を取得されたというだけでは足りず、自働債権の弁済期が受働債権(譲渡された債権)の弁済期よりも先に到来することが必要であるとしていた。判例は、無制限説と同じ結論に至ったものがあったが (参考判例①)、これは譲渡人が譲渡人の吸収合併であるという特殊な事案についての判例法であって、その射程は広くないとの理解が一般的であった。2017年民法改正は、「差押えと相殺」に関して、従来の判例・無制限説 (45・6・24民集34巻6号947頁) の立場である無制限説を明文化するに至った (511条)。そして、これと合わせて2017年民法改正では、「債権譲渡と相殺」に関しても無制限説の立場を採用した。すなわち、民法469条1項は自働債権・受働債権の弁済期の先後にはふれず、対抗要件の具備時期を問題とするのみである。本問で自働債権となるべき債権②をBが取得したのは、Cへの譲渡が債権者対抗要件を備えた時(9月1日)より前の7月1日であり、これは民法469条1項の要件を満たす。そして、債権②の弁済期が10月1日であるのに対し、(代金債務の弁済期は納品40日後なので)債権③は9月3日、債権④は10月4日にそれぞれ弁済期が到来するが、両債権は自働債権と受働債権の弁済期の先後を問わないので、Bは債権③のみならず債権④をも受働債権として相殺権をこれに拠り、これをCに対抗することができる。なお、債務者が対抗要件を備えた9月1日との関係では、債権⑤はかかる発生日はまだ行われておらず、債権②と債権⑤の対立は生じていなかったものと考えられる。しかし、両者の対立はどのような場面で生じ、それは、債務者がCへの相殺の意思表示をする時点(10月以降の制度)で、債権②と債権⑤の両債権をともに対抗する時点である(前述のとおり、債権④は債権②との対立は生じないので、このような場面でBがこれを行うことによってCに対抗できる)。2 「債務者が履行を拒むことを明確にしたとき」の意義と機能次に、Bとしては、債権⑥(100万円)の損害賠も自働債権とし、これもCに対抗して譲渡を拒みたいところであろう。しかし、債権⑥は、9月25日に納入された部品の不具合に伴う損害賠償請求権 (564条・415条)であり、債権譲渡の債務者が対抗要件のとき(9月1日)より前に債権を有していたとはいいがたい。そうだとすると、民法469条1項による限り、このような相殺は認められないことになりそうである。しかし民法は、債務者が対抗要件具備時より後に譲渡人に対する債権を取得した場合であっても、その自働債権が対抗要件具備時より前の原因に基づいて生じたものであれば、なおもこれを自働債権とする相殺をもって譲受人に対抗できる。を認識するものである (469条2項1号)。これは「差押えと相殺」に関する民法 511条2項と同じ規律である。そこで問題は、ここでいう「前の原因」とは何を指すのであろうか。2017年民法改正は民法 511条2項および 469条2項1号を設けるに当たって念頭に置かれていたのは、たとえば、委託を受けた保証人が求償権を行使して行う場合について弁済すべきとされた後に、この保証人が保証債務を履行し、主債務者に対して求償権を取得したというケースである。参考判例②は、(当然ではあるものの) 主債務者の債権に保証人が期待した事後求償権は債務者の財産で構成されており、これらの安定性は、このような相殺を差押え・債権譲渡の局面でも可能にするものであると説明されている。つまりここでは、差押え・譲渡より前に存在する保証契約が、自働債権である事後求償権の「前の原因」に当たると考えられているわけである。本稿では、本問の債権⑥の「前の原因」として考えられるものは何か。候補としては、2022年にAとBとの間で締結された基本契約がありうる。つまり、2025年9月5日に発注された部品の売買はこの基本契約に基づくものであり、⑥債権はこのときの性質について発生したと捉えるのである。仮にこのような理解が成り立つならば、債権⑥は、2025年9月1日の対抗要件具備時よりも「前の原因」である2022年の基本契約に基づいて生じた債権となり、これを自働債権とする相殺をCに対抗しうることになる。しかし、本問のように相殺するには難しい。まず、①基本契約を⑥の前提と捉えようにも、AとBとの間の基本契約では、当事者の間で、月々の発注がどのように行われるか、個々の発注に対する基本契約における様々なレギュレーションがあり、個々の発注にかかる債権・債務が基本契約から直接派生するとは限らない (→本巻36参照)。債権⑥においては受注生産の約束や品質が定められており、買主がその都度購入する義務を負わされているようであれば、発注・受注が基本契約そのものの義務の履行にすぎないとみて、これにかかる債権・債務の発生原因もこの基本契約に期することも可能であろう。しかし、本問の基本契約ではBに一定数量の購入義務は課せられておらず、Bは譲渡を認識したことも個別の売買契約 (個別契約) が結ばれ、代金債務をはじめとする債権・債務はこの個別契約に基づいて発生したと解するのがより自然であるように思われる。る。また、⑤の債権についても、売買目的物の契約不適合に基づく損害賠償請求権の「前の原因」としては売買契約があれば足りるのか、それとも目的物の引渡しや不適合の発見まで対抗要件具備時より前にある必要かの点に関して議論の余地があり、単純に「前の原因」を「前の原因」とみることができるのかの定めかではない。3 同一の契約に基づいて生じた債権間の相殺2でみたように、債権⑥については、民法 469条2号に基づく相殺をCに対抗することはできないと考えうる。しかし同項2号は、1号に該当しなくても、自働債権と受働債権が同一の契約など対価関係にある場合に、相殺の利益について譲受人に対抗することができるとしており、無制限説の利益要件が満たされたものである。債権発生の基礎となる契約がすでに締結されている場合で、この契約が自働債権の「前の原因」とされて1号の対象になる中で、2号の適用対象となるのは、自働債権・受働債権の発生原因となる契約の締結が対抗要件具備に後れる場合、すなわち将来債権譲渡の場合に限定される。この規定も2017年民法改正で新設されたものであるが、「差押えと相殺」については同様の規定は設けられておらず、「債権譲渡と相殺」に固有のルールとなっている。これは、将来債権譲渡の促進された後も、譲渡人とその間の取引関係を維持・継続するインセンティブを債務者に与えるため、「差押えと相殺」の規律よりもさらに広く債務者の相殺への期待を保護しようとしたものである。このケースでは自働債権と受働債権の発生原因もともに存在しており、両者が牽連関係が認められるため、債務者の相殺期待を保護することに値するといってよいといえる(従って、「差押えと相殺」の局面でもこのような相殺の期待を電話をもって相殺できるという判例がある)。本稿では、債権⑥と債権⑤はともに9月5日にかかる売買契約に基づいて生じたものであることができる。2で述べたのに対して、2022年に締結された基本契約は、個々の債務の発生・債権の発生原因とはいえないものの、Aの売買契約は、将来継続的取引が対抗要件具備された9月1日より前に締結されている。そして、民法469条2項2号により、Bは債権⑥と債権⑤との相殺をもってCに対抗し、債権⑤の残額100万円についてもCの請求を拒むことができると考える。ところで、売主に基づいて引き渡された目的物が契約の内容に適合しない場合には、買主はその不適合の程度に応じて代金の減額を請求することができるとされている (563条)。本問でも、9月25日に納入された部品の不具合があったものをBがB銀行として認めず、その分の返金をAに請求している。Bがこれを請求していれば、債権・債務の双方が対立関係になるため、この場合にBが代金の減額を請求できる。しかし、本問でBは代金減額請求権を行使せずに代替品の給付を請求しており、Aはこれに応じている。したがって、ここでBが求める請求はあくまで履行遅滞に基づく損害賠償 (564・415条)であり、代金債務は当初の全額で残ったままで損害賠償請求権との対立が生じるため、相殺の可否がやはり問題となるのである。4 関連する問題A・B間で継続的供給契約が締結されていた場合に、Cがこの契約の存在につき善意または重過失であれば、BはCの代金請求を拒むことができる (466条)。しかし、BがCに対して代金を弁済しない場合にも、Cは依然として善意だから相殺期待の経過により、Bは譲渡制限特約をCに主張し得なくなる (同条4項)。また、Aについて破産手続開始の決定があった場合にも、BはCから請求されれば代金の供給義務を負う (466条の3)。これらの場合において、BがAに対して取得し得た債権をもって相殺することができるかどうかについて、自動車の特殊な取得に関する特則が設けられている (469条3項、問題1参照)。本問の承諾をBからとったCへの債権譲渡をBが承諾していたらどうか。2017年改正民法 468条1項は、債務者が異議をとどめない承諾をした場合には、譲渡人に抗弁し得た事由があってもこれをもって譲受人に対抗することができなくなると規定していた。これによれば、Bの承諾が異議をとどめずになされると、BはCに対して相殺の主張もできないことになる。しかし異議をとどめない承諾の制度はかねてその妥当性が疑問視されていたところ、2017年改正民法はこれを廃止した (旧468条1項は削除され、旧468条2項の規律が1項に繰り上がった)。よって、Bは譲渡を承諾したとしても、相殺の抗弁を放棄する旨の意思表示をしない限り、Cに対する相殺の主張を封じられることはない (関連問題参照)。【関連問題】(1) 本問において、A・B間の売買基本契約には、AがBに対する代金債権を譲渡する際にはBの承諾を要する旨の条項があった。CはAから債権譲渡担保の設定を受けた際、この条項の存在を知っていた。Cは、2025年9月1日、Aの代理人としてBに債権譲渡を通知したが、Bはこれに対して譲渡を承諾しなかった。同年10月1日、BはAから債権②の弁済を受けた後、同年12月1日、BはAからの再度の要請に応じ、返済期限を同年12月1日として900万円をAに貸し付けた (債権⑦)。同年11月10日、BはCと協議の上、債権⑤・⑥をCに弁済するようにBに求めたが、期限内 (同年12月1日) ではBには応じないで、Cが改めて債権⑤・⑥・⑦を自分に弁済するよう求めたとき、Bは債務を相殺債権とする相殺をもってこれを拒むことができるか。(2) 本問において、2025年9月1日、CはAの代理人としてBに債権譲渡を通知するとともに、BがCに対して有していた抗弁を放棄するように求めた。Bは、債権譲渡がすでに押さえられたと誤解し、この求めに応じて、「AのBに対する債権がCに譲渡されたことを承諾し、以後Cに対して相殺など一切の抗弁を主張しません」と記した書面をCに交付した。その後、債権が未だ未済であることに気づいたBは、債権②と債権④・⑤・⑥との相殺をもってCに対抗することができるか。参考条文民法230条 (小粥太郎) / Before / After 274頁 (田中田) / 岩川 58頁(白石 大)