債務不履行における損害賠償の範囲
2024年5月9日、絵画のコレクターであるXは、Yとの間で、若手の画家Aの油彩画甲を代金300万円でXに売却する契約を締結した。この契約においては、同年9月10日に代金全額の支払と引換えに甲の引き渡しが行われるものとされた。また、この代金は、契約締結時の中の相場に合わせて設定されたものであった。2024年8月中旬、某有名アーティストによる称賛の意をきっかけに、Aは、テレビや雑誌などで頻繁に取り上げられるようになった。そのため、Yは、絵画が上野するかもしれないと手を尽くしたが、見つからなかった。同年9月25日、Xに対して、代金の額が支払われない限り甲の引渡しには応じられない旨を一方的に通告した。これを受けて、Yは、Xと交渉しようとしたが、Yは、これに応じようとせず、同日以降、Xとの連絡を絶った。甲の価格は、Aの評価が上がるにつれて遅れ2024年9月上旬から上昇を始め、判例下では、甲の価格は450万円程度に、同年11月上旬頃には900万円程度にまで上がった。ところが、同年12月中旬に、Aのハラスメントを告発する記事が公表されたため、Aの作品に対する評価も下落し始めた。その結果、2025年1月末頃には、甲の価格は、500万円程度にまで下がった。現在の甲の価格も、これと同程度であるが、わずかに下落することも考えられる状況にある。このような事実関係のもと、Xは、Yに対して、Yの債務不履行を理由に、どれだけの額の損害賠償の支払を求めることができるか。なお、問答は、2025年2月1日にあるものとする。●参考判例●① 大判大正5・22民集5巻386頁② 大判大正7・8・27民録24輯1656頁③ 最判昭和37・11・16民集16巻11号2281頁④ 最判昭和47・4・20民集26巻3号520頁●解説●1 履行に代わる損害賠償の請求債務者は、債務者が債務の本旨に従った履行をしない場合、債務者に対して損害賠償を請求することができる(415条1項)。そして、債務者には、債務の履行が不能であるとき、債務者に履行可能なことはあるが、この履行が履行遅滞であるものとみなし履行可能であるものがあるか、両者にならない。契約が解除されたとき、契約の履行が遅れたときには、債務の履行に代わる損害賠償を請求することができる(同条2項)。ここで、債務の履行に代わる損害賠償請求は、債務者が債務の履行をしたとしてもなお損害が残るような場合でも請求することができるとされている。なお、債務者は、債務の履行不適合および契約の解除の場合を除き(412条の2第1項・545条を参照)、本来の債務の履行をすることもできる。したがって、債務者は、債務者に損害賠明および契約の解除の場合、債権者には、本来の債務の履行に代わる損害賠償を請求権が附与していることになる。以上の前提によると、本問において、Xは、Yによる明確な履行拒絶があることはもちろん、甲の引渡しを求めることはできるが、XはYに対して債務の履行に代わる損害賠償を請求できる。XとYに対して債務の履行に代わる損害賠償を請求する場合、本問では、契約の目的物である甲の価値が上昇するために、Xがこれを求めることができるか、あるいは、甲の引渡しをすればXが得られたであろう利益の額をどのように定めるべきかといったことが問題となる。(1) 判例の立場債務の履行に代わる損害賠償額の算定の基準時については、債務不履行がなければ債権者が有していたであろう利益の額とする民法416条2項との関係で問題となる。(2) 判例の発展従来の判例は、債務の履行に代わる損害賠償額を履行不能時の目的物の価格に相当する損害とし、それぞれの類型を構成して議論されてきた。ところで、民法416条は、債務不履行から通常生ずべき損害の賠償の対象になること(同条1項)、特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見すべきであったときには、賠償の対象になること(同条2項)を規定し、債務不履行による損害の賠償の問題を担っている。そして、判例は、損害賠償の範囲について因果関係によって決せられるとして、この規定を基本的に当てはめて因果関係の内容を定めた規定として理解する(相当因果関係説)。したがって、これらの問題は、契約の目的物の価格に上下動があった場合に損害賠償の範囲をどのように設定するかという民法による損害賠償の範囲の問題として扱われる416条の適用が問題の1つ、相当因果関係説の問題として扱われることになる。(2) 判例の法理参考判例①に掲げた判決は、(1)の立場を前提に、契約の目的物の価格に上下動があった場合における損害賠償額算定の基準時を問題とし、以下のような論理を展開する。まず、①契約の目的物の価格に上下動があった場合には、債務者は、履行不能時の目的物の価格に相当する損害の賠償を負う。つまり、履行不能時の目的物の価格が通常損害として評価される。つまり、履行不能時の目的物の価格が通常損害として評価される。また、参考判例②も、契約の目的物の価格が通常損害として評価されることを前提に、損害賠償額を10・10民集26・10・判例百選128号136頁)、これらの解釈は、2017年改正民法では、債務の不履行または契約の解除により本来の債務の履行に請求権が相当因果関係にある損害賠償請求権に代わるため、その時点での目的物の価格の通常損害という理論構成が打ち立てられた。もっとも、2017年改正民法のもとでは、本事案について履行不能による損害賠償請求権と債務の不履行から生じた損害の賠償請求権とを併存する場合を認める(415条2項2号・3号)。この規定を参考に、以下のようなことが言える。すなわち、債務の履行に代わる損害賠償の範囲は、原則として、民法416条各号の解釈によって定まる。つまり、債務の不履行から通常生じた損害の賠償額が目的物の価格の通常損害として、この解釈の結果、目的物の価格の通常損害が上昇している場合、この価格の上昇は特別事情であり、上昇した目的物の価格は評価損として構成される。この上昇した目的物の価格が損害として評価されるかどうかについて、判例は、この上昇した目的物の価格が損害として評価可能であるか、そして、この可能性があることは、予見すべきであったかどうかによって結論が左右される。この目的物の価格の上昇した目的物の価格は予見可能な特別事情にあたるか、そして、①上昇した目的物の価格の通常損害が債権者にとって予見可能なこと、②目的物の価格の上下動があった場合に契約の目的物の価格が通常損害と評価されるために、契約締結に、転売などによりその利益を確定する営業を営む者であることが必要となる。最後に、③契約の目的物が相当に値上がりした場合において、その価格が支払われないままに、転売利益の途中で目的物の価格が通常損害と評価される。同様に、債務不履行に陥った場合に、その後の価格の大半が暴落して債務者が賠償請求権を請求する場合、債権者が有していたであろう利益の額とする(大判大正11・14民集28巻2号1260頁)。これらの解釈は、損害賠償を支払う債務者が、債務不履行(大判昭和36・11・28民集15巻11号1687頁)、これらの場合には、目的物を判例でいうところによって得られたであろう利益の賠償を求めることはできない(大判昭和37・17民集6巻464頁)。判例によれば、本問においてXが請求することができる損害賠償の額も、①②の判断基準に基づき、上記①から③までの原則によって算定されることになる。3 判例とは異なる考え方→損害賠償算定の基準時としての位置づけ(1) 問題の把握と位置づけ判例の考え方に対しては多くの批判がなされている。これらはある考え方を示している。そこで、以下では、判例との違いを明確にしつつ、本問の解決に必要となる範囲で、代表的な見解の思考プロセスを紹介する。まず、①債務者レベルで賠償されるべき損害は、賠償状態の克服のためにではなく、②どのレベルで把握する(ただし、事後として把握する方の有力性が強まる)、次に、③債務者に生じた損失の回復が問題とされるべきであるかを確定する、④金額賠償の原則のもとでは、⑤「賠償されるべきもの」として確定された金額を算定する。この考え方によれば、⑥賠償されるべき損害の範囲を画する(べきではないか)という問い、どう把握されるべき損害かの問いは、性質を異にする個々の問題として位置づけられることになる。そのうえで、⑦、問題は、債務不履行による損害賠償の範囲を民法416条により処理され、⑧その問題は、損害賠償の範囲は契約の目的から切り離された抽象的なものになりがちだったため、同条からは切り離して処理される。以上に基づき、従来のプロセスに従えば、契約の目的物の価格が通常損害と評価される場合に損害賠償をどのように決定するかという問いは、⑨、問題の把握として位置づけられる。判例とは異なり、ある時点における目的物の価格に相当する損害賠償の額との間に、別に損害を生じることはない。この場合にも、損害は1つしか存在しない。ここでは、民法416条の適用により、契約の目的物を損害として得ることができるにかかわらず損害賠償が通常損害に含まれることを前提としたうえで、この損害について、いつの時点を基準として評価的に評価するかという。時で、関連問題のように、債権者が目的物を第三者に売却することをもってした場合などについては、損害の額をどのように算定するべきか、まず、⑨の問題として、民法416条の適用により、契約の目的物を損害として得ることにかかわらず、当初の賠償の対象に含まれるか否かを評価し、次に、これが肯定されるときには、①の問題として、当該損害について転売価格に照らした評価的評価がされることになる。(2) 損害賠償算定の基準時の設定契約の目的物の価格が上下動する場合に、契約の目的物を損害賠償として得ることができたことにかかわる損害について、その後の価格の変動があった場合に、その賠償額を算定する基準時をどのように設定するかという点に関しては、さまざまな見解が示されている。たとえば、①損害賠償算定の準備を事実審口頭弁論終結時に行うとの視点(たとえば、2017年改正民法が契約の目的物に関して2017年改正民法の準備にいう、民法415条2項の要件が充たされる履行に代わる損害賠償請求権が免責された時点での価格の通常損害と評価し、履行不能時の目的物が引き渡されていれば債権者が得たであろう利益という観点から、口頭弁論終結時の価格を基準とする)に加えて、②、契約の目的物の危険の負担の議論、契約の種類、履行の拒絶の様態、当事者の属性なども考慮して総合的に判断されるべきとの見解(たとえば、本問のように債務不履行に陥った場合に損害賠償として選択可能であったとの評価のもとに、2017年改正民法が契約の目的物の価格を基準として評価的に評価した)、その中から債権者による選択が認められるべきとの考え方がある。4 2017年改正民法による契約の解除時の効果2017年改正民法416条1項の適用により、契約の目的物を損害として得ることができたことにかかわる損害について、その後の価格の変動があった場合に、その賠償を請求することができることになっていたが、判例は、2017年改正民法によって、①債務の履行に代わる損害賠償請求権が免責された時点での価格の通常損害と評価し、②その事情を予見することができたときは、債権者は、その賠償を請求することができる」という表現を、「特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見すべきであったときは、債権者は、その賠償を請求することができる」という表現に修正している。2017年改正民法416条2項の予見可能性については、一般的に、これを事後的に評価するのではなく契約的に評価すべきものと理解されていたため、2017年改正民法416条2項は、このことを明文化したものにすぎない。したがって、民法416条の文言の変更によっても、その判断および3の学説、さらに、債務不履行による損害賠Dの範囲をめぐるさまざまな議論は、その後のPとの間の部分に基づき若干の修正を経たことを前提に(たとえば、判例の射程の判断については、その記述を参照)、2017年改正後民法のもとでもほぼそのまま妥当することになると考えられる。●関連問題●本問の事案に加えて、さらに以下の事実があった場合、Xは、Yに対して、Yの債務不履行を理由に、どれだけの利益の損害賠償の支払を求めることができるか。(1) 2024年12月1日、Yは、Bとの間で、総額甲900万円で売却する契約を締結した。そして、その翌日、Yは、Bに対して、甲を引き渡した。(2) 2024年9月9日、Xは、同じく絵画のコレクターであるCにYから絵画甲を購入した旨を伝えると、Cから、価格はいくらでもよいので譲ってくれないかと懇願された。そこで、同年9月15日、Xは、Cとの間で、甲を代金1000万円で売却する契約を締結した。この契約においては、XがYから甲の引渡しを受けた日の翌日に、代金の全部の支払と引換えに甲の引渡しがされるものとされた。同年11月5日、Xは、Cに対して、Yから甲の引渡しを拒絶されている旨を伝えたところ、Cから契約を解除したいとの申し入れを受けた。そこで、その翌日、Xは、Cとの合意により、甲の売買契約を解除した。なお、Xは、Yとの間の契約を締結する際に、Yに対して、自分は絵画のコレクターであるが、コレクター仲間との間で絵画を取引することが頻繁にあるため、甲についても転売する可能性がある旨を伝えていたものとする。●参考文献●潮見佳男・18頁/I B 印・18頁/I B 印・18頁/久保井之・20頁(白石友行)